11/26。釣り雑誌が店頭に並んでいる。
『Basser』はやはりオールスターの特集。もう16年も同じ場所でやっているので「霞オールスター」のような気もする。そしてプロの釣りはやはりどうも自分が憧れているものとは違う。そんなわけで購入はしなかった。「ベイトフィネス」なるものも,正直魅力を感じない。正直,最近の自分は「釣れる」から楽しいというものでもないし...。
他の雑誌も見てみる。記事にあまり新鮮さがなかったが,唯一,いまだに愛用している初代コンバットスティックからの歴史が『ルアーマガシジン』(あっというまに読破し,もう売り払ってしまった)に載っていたので,それをここに一部転載しよう。
オズマは断然初代です。
インスパイア以降,買ったこともありませんが。
何度も書いているが,オズマがいままで使ってきたロッドの種類・メーカーとも,かなりの数になる。唯一ダイワのものだけはなぜか購入していないが(記憶が飛んでいるのかもしれない),スミス・エバーグリーン・ダイコー・がまかつなどなど,本当に多く使ってきた。折れたものもあるし,気に入らなくてすぐに売り払ったものも多い。
オズマもガニングシャフトから始まった。
初代カルカッタとの組合せで。
初代コンバットがデビューした1990年は,オズマが本格的に水郷デビューした年度である。だが,当時は学生だった。ゆえにルアー1個の購入にもためらった。中古市場など皆無だったからだ。
だが,霞水系はウルトラ爆釣時代。あの時代を体験していない方は信じないだろうが,1日30匹はアタリマエの世界だった。とにかくバスの密度が濃かったため,あらゆる方法で釣れたものだ。もちろんオズマは,90年夏ごろからクランク・バイブばかり投げていた記録が残っている。
オズマも,ライトリグ,とはいっても当時はスライダー4インチ程度だったが,それに対抗するために92年から「ガニングシャフト」で「ラバージグ」「ヘビキャロ」の釣りを展開した。結果はあまりにもイージーだった。アユ玉8号のヘビキャロをぶっとばし,ひたすら釣りまくった。1/2ozのラバジで釣りまくった。ラバジを自作で量産しまくった。
だが,その爆釣時代は長く続かない。まずはバスブームの到来で,北浦・霞の主たるドックが閉鎖。同時に,いままで考えられなかった釣り人の数が訪れた。
そうしてしばらくガニングシャフトは火を吹かなくなった。オズマは横利根に逃げていたが,横利根がクランクとスピナベだけで通していける時代が数年続き,むしろ「BSRファイティングロッド」のような汎用性が求められたのだ。
でも。時代は繰り返す。その横利根もライトリグに侵されてくる。何より,自分が結局馴染めないのだ。ダウンショットを始めるのにも5年もかかったほどだ。クランク・スピナーベイトの新製品はすぐに試しても,ワームになるととことん手がでない。爆釣時代の影響が大きすぎているのだ。琵琶湖では何の躊躇もなくワームを投げるのにね....。
いろいろなロッドにさまよい,最高価格だけでいえばインスパイア・トライアンフエアリーのTG仕様を54000円で購入した記憶がある。しかし,使いこなせなかった。
そこで原点を考えた。自分が憧れたロッドは何だったか。「バスを掛ける」ことに主眼を置いたロッドは何か。それが初代コンバットだった。
気づけば,手元には,CSC-55M「マシンガン」が3本,CSC-65M「ウオーリアー」が1本,CSS-55M「スキッパー」,CSS-60M「トュルーパー」が各1本手元に残っている。新品購入した「ガニングシャフト」「スカウトマスター」(ともに92年購入)はさすがにボロボロになって売り払ったが,それでもこれらの竿がいまだ現役である。
初代コンバットの長所は,やはり何度も書いているが,「バット」以外も含めた圧倒的強靭さだ。NEWスコーピオンXTと比較してもまったく劣らない。利根川の杭に巻かれそうになったりしても「ウリャー」と気合を入れれば,スピニングでさえ抜き出せる。
そんなわけでいまだに現役。今後も,中古でいいものを見つけたら購入するだろう。
以上,コンバット信者からの伝言である。しかし20年,あっという間でしたよね。