gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/nation/kyodo_nor-2022012701000034
ついに日本もこういう時代なのかと思う。
受験人口は僕の世代で約200万人近い。しかし,いまは100万人台。大学定員は多いままだから「どこへでも入れる」ようになるはず,だった。
当初から指摘されたように「有名大学」にだけ生徒が集まる傾向は変わらない。医学部の入試倍率などまさに気狂い沙汰。
入試不正に対しては,なんといっても物理的に遮断するほかない。
怪しい雑誌(具体名はあえて記しません)をしばしば熟読しているが,そこには非常に有益な情報が載っている。
通信機器などいくらでもある,ということだ。
通信機器に対しての対策は,電波の遮断が一つ。さらに,通信機器だけがもっている「部品」(知っていてもあえてかきません)を探知機ですべてチェックする。
それにしても,こんなインチキをして入試に通ったとしても何ら意味がないのではないか
同じ土俵で闘うからこその入試。実社会もその連続である。
勉強や学歴だけで人生が決まってしまうと教えているのは誰なのか。
「何を学んだか」「どう過ごしたか」が重要な学生生活ではないのか。
僕の出身大学は,僕の受験生時代に偏差値が高い方ではなかった。最初に英語の試験があって「楽勝」と思いきや,数学ができなかった。
いや,緊張して手も頭も働かなかった。そして30分経過したとき俯瞰すると,出来そうな問題があった。そこから手をつけ始めて,個人的には「75点」は得点できた,と思った。
合格発表は雪の日で父と見に行った。合格していたとき,とにかく嬉しかった。その後,いろいろな大学を受けたがもはや緊張感がなくなってしまって,滑り止めに一つ受かっただけだったので,最初に受かった大学に行った。
人生は大学で決まるわけではない,というのが実社会での経験である。僕よりはるかに学校歴の高い人などいくらでもいる。東大なんぞいくらでもいる。東大博士課程もいる。しかし,同じ職種である。そこにあるのは実力勝負のみ。
いまでも「闘い」の連続である。だが,まずは正攻法。姑息な技は実社会の「知恵」であり,入試で使用するものではないだろう。
話が長くなったが,共通テストの自己採点集計が出きったあとに,なんとも残念なニュースである。
教育とはなにか
あらためて考える日々となっていく。