菅官房長官が「最大限の支援を」と言ったが,日本国憲法上いかなる支援も「日本国としては」できない。本当に菅は「宗教の自由・信教の自由」を熟読しているのだろうか,もちろん日本国憲法の,ですよ。
個人・会社が支援するのは構わない。しかし,国がいかなる宗教団体にも影響しないのが「宗教の自由」。思想も自由なら,お金だって自由。日本でいえば比叡山が焼かれたって寄付は「国として」やってはならないこと。
こんな,中学生が習うような必須事項を忘れたとは言わせない。
だがしかし。
またもやテロである。911テロを彷彿させるテロ。「テロを許さない」というのも自由だが,結局不毛な闘いが続いている21世紀。グローバリゼションの限界を露呈し続けているとも言える。
たとえばイスラエル問題。キリストとイスラムの聖地が同じだなんて滑稽な話にしか思えないが,信者とは激烈なもので「思い込んでいる」のだろう。僕も人のことは言えず「生きている仏像にしか興味がない」として展覧会にはほとんど行かない。
テロを許さないというより,そもそもテロはなぜ起きるのかが問題ではないだろうか。僕は結局「エゴ」のせいだと思うが,それが人殺しまでしていい理由なぞ決してない。
今回の論点は,「テロはなぜ起きるのか」とイスラエル問題等を熟考するとともに,「寄付」と「(日本国憲法の)信教の自由」のせめぎあいを見せつけた,象徴的な事件ということにある。
それにしても多くの犠牲者が巻き込まれた。率直に追悼の意を示します。