オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

2009.01.04 オズマにふさわしいおみくじは「凶」!

2009年01月05日 06時21分14秒 | オズマの独り言
 私はオズマ。日本に来てはや40年の月日が流れた

 そんな俺だが,日本古来の神道や仏教には理解があるつもりだ。もちろん本国のキリスト教にも。

 だが,オズマもこういう年齢になってしまったので,いつもは行かない近所の神社へようやく初詣に出かけた。先日,鹿島神宮には出かけたが,あのときはクルマで寝ていたのでこれが本当の初詣なのだ。

 参拝を終えたオズマは,なぜかひきたかった。おみくじを。すると...。


不吉の背番号13,いや番号「9」が告げられた。
日本では「4」「9」が不吉だというらしい。


 そしておみくじが渡された。
 巫女さんの女性は黒人であるオズマに少しびっくりしているようだ。それもそのはず,こんな顔をしていたからだろう


その番号がどうしたというのだ。俺は米国人
日本の番号など関係ない


 ただでさえ強面のオズマが,一層怖く見えたのかもしれない。
 そして渡されたおみくじは,ズバリ「凶」である。

 しかし,オズマはあわてない。

 よく思い出してみよう。観光地に行くとやたらと吉以上のおみくじが出た経験はないだろうか そう,今日は1/4,もう吉以上はほとんど出尽くしていたのだろう。

 それに,オズマとしてはこういうときこそ燃え上がるというものだ


おみくじを信じてどうする。俺には野球しかない。
俺は野球ロボットなのだ。


 などと書いてみたものの,少し弱気になってお守り2個を購入したのは,やはり人間になってしまったからだ....と思う。ヒューマ・ホシのおかげだ。

 野球ロボット・オズマ,そう呼ばれた人間も,いまただのヒトになりつつある

「不況」という言葉を思い切って少し減らしてみてはどうか?

2009年01月04日 05時10分19秒 | オズマの考える政治・経済問題

 2009年も新聞には「不況」ということばがズラリと並んでいる

 何を隠そう,オズマも2008年は後半ペースダウンした。しかし,オズマの会社は構造不況業種の一種だが,それでも40年の経済活動が続いている

 そして思う。
 たしかに日雇い派遣問題・請負派遣問題など,この日本の抱える経済問題は深刻だが,「不況」という文字をとくに新聞紙上で使うから,かえって不況が深刻化するのではないかと

 では,この理由を書いてみよう。結論からいうと,景気とは「人の気分で決まる」ものだから,と考えるからである。

  ①日本のバブル時代(1980年代)
  ②ITバブル時代(1999年頃)
ついこの前までの,いわば
  ③新興国バブル・金融バブル
も,みな「人々の期待が過大になっていた」という共通点があるのではないか

 ①の時代は,地価は必ず上がるという“土地神話”が跋扈(ばっこ)していた。当時は,とにかく土地がすべてのものさしだった,というぐらいだった。

 オズマの住む土地は古くからの住宅街だが,このバブル期には「オズマ君,すごい大邸宅に住んでいるネ」などと,まったく実感のわかないことばをかけ続けられたものだ。
 
 そして,当時には「クルマは3年おきに買い替えよ」などというとんでもない消費論があった。この背景には「中古になってもクルマの需要は減らない」という“期待感”が渦巻いていたのだろう。実際,当時のクルマ雑誌のコメントではそのような話ばかりが載っている。
 まさしく「期待感渦巻く」バブルの時代だ

 ②は,Windows95(実際の影響は,「Windows98SE」発売ごろのADSLの発展が大きい)がもたらした「インターネットで世界中が商売相手になるのでは」という期待感の膨張だった,といってよいだろう。
 実際,Windows95発売時の騒ぎときたらすごかった。当時としては画期的なGUI操作などがやはり人々の“期待感”を膨らませた,というところだろう

 ③は,「人口が多いから伸びる」というきわめて楽観的な“期待感”である
 
 新興国の中でも,中国は共産主義の国である。さらに「中華思想」という「何でも世の中は中国が中心で回っている」という思想を抱き続ける愚国でさえある
 
 しかしながら,トヨタ・日産をはじめとした各メーカーは,現地での人々の貧困問題と,その貧困問題はかならず爆発する(日本での学生運動もそう考えることができよう),ということを歴史から学んでいなかったのではないだろうか。
 
 いや,学んでいてもそれを超える「人口拡大」という“経済の魔物”にとりつかれていたのだろう。当時の経済誌でしっかり中国問題を考えていたのは,オズマの知る限り『SAPIO』しかない。

 いずれにせよ,結局景気は「人の気分」で決まってしまうところが大きいという事例があるのは事実である。もちろん,気分“だけ”で決まってしまうのではないが,気分・期待感,それがとてつもなく影響するのは事実だろう。

 したがって,本来すべきではないだろうが,ここは思い切って,「不況」「不景気」という言葉を,とくに影響度の大きい新聞から一時(半年ぐらいか)排除してもよいのではないか,というのがオズマの持論である。

 たしかに,こうすると「大本営発表」のように嘘で塗り固められ,さらに深刻化することもあるだろう。しかし,少なくとも「気分」が「不況」という言葉に影響されることは少なくなるのではないか

 さて,1/5には東京の株式市場も動き出す。とりあえず一旦は持ち直すかもしれないが,不況「感」と,そこから生じる本当の不況に支配される一年となってしまうのだろうか。

 以上,オズマが来日した当時の「MADE IN JAPAN」の誇らしいジャパン,あの姿を取り戻してほしい,そんな期待で書いたものである


2009.01.02 オズマ今年初のルアー購入は中古から(笑)

2009年01月03日 06時55分28秒 | オズマのバスタックル
 1/2に2009年初の釣具店に行った。大晦日にも行っているのだが

 まずは,使わないワームや本を整理し,新しい中古ルアー(米国籍なので表現がおかしいが許してほしい)購入資金にあてようとすることから始まった。

 ウム。すべてバークレーサンドワームの買いすぎだった。数年経っても使い切れない分量を買っていたので,思い切り処分したら900円になった。

 そこで,下のルアーを購入した。


CCプレデターとCB-200とRS-150。

 CCプレデターは,数あるサスペンドシャッド系でもベイトタックルでしっかり飛ぶこと,何より根掛りが少ないことが好きだ。しかし,不思議と釣れたことがない。理由は簡単。あまり使っていないからだろう。いい動きをするのは確かなのだが。

 CB-200はオズマにとって永遠の定番ともいうべきクランクベイトだ
 ストックはかなりあるが,マグマカラーは貴重なので見つけたら購入している。しかし安い。実績と比べるととんでもなく安い

 RS-150も何度も購入して,使って,実は釣れていない。いい動きをしてとても使いやすいのだが,RS-100ばかりが活躍してしまっている。しかし,この冬の時期には役立ちそうな気がする。

 しかしまあ,さすが中古である。この3つで1500円ちょっと。900円の原資があったので,わずか600円で3個である。


新年早々無駄遣いでしたかね。
まあいいでしょう。このぐらいは。本来1/2は海釣り
に行く予定だったしね。

2009.01.01 オズマ家族一行,鹿島神宮に初詣する

2009年01月03日 00時00分00秒 | オズマ放浪の旅
 元旦に初日の出を拝んだオズマ家族一行は,その足で鹿島神宮に向かった。

 しかし,オズマもいい歳になってしまった。いや,鹿島神宮には何度も行ったことがあるので,とくに混雑の中行く必要もないと思い,クルマの中で寝ていた

 以下は,オズマの家族が撮影したものである。


朝7時ぐらいだったから混雑は少なかったようだ。
この後,団体バスが現れて大混雑に



東国三社という割には人出が少ないが時間のせいだろう。
実際,R51がこの後渋滞していた。



本殿だろうか。まあ,明治神宮よりは空いている。
夜はどうだったのだろう。


 さて,オズマ家族の小旅行はこれからさらに続くのであった。
 最終的には,龍ヶ崎で龍神太鼓を聞き,16時ぐらいに帰宅したのである。

2009.01.01 初日の出にオズマは誓う!

2009年01月02日 16時49分06秒 | オズマ放浪の旅
 私は黒人オズマ。
 だが,日本に来日してからもう40年の月日が流れた

 もう祖国の米国には帰れない。何しろゾンビだからな(笑)。

 まあとにかく,オズマとしては2年ぶりの初日の出を拝みに,茨城県は神栖に出かけた

 神栖を初日の出場所に選んだのは偶然でもネット検索によるものでもない。霞水系に釣りに出かける度に何度も足を運び,「ここはたぶん秘密スポットだろう」と計算したのである(もうこの時点で秘密ではないが)。

 そして朝6時,神栖の「1000人画廊」とよばれる防波堤に到着。あとはひたすら日の出を待つばかりだ

 以下,時間経過をおって紹介しよう。


朝6時30分ぐらいからかなりの混雑に
しかし,湘南のような混雑はない。売店もない。
あるのはテトラポッドと地平線。そして風力発電機。


雲が多く,日の出時刻は6時50分ごろだった。
携帯カメラの方がうまく撮影できた。
デジカメは設定が難しいのかもしれない。



ここまでくれば完全に日の出。
すでに帰宅する人々も多い。観光地ではないからだ。


 さて,こうして2009年元旦を霞水系に程近い神栖で迎えたわけだが,2009年のオズマは,ブログを2008年末に立ち上げたこともあるが,一味違う戦略で行こうと思っている。

 「誰も打たなきゃ俺が打つ!」は,ミスター・蛮のセリフだが,いまのオズマもそうだ。


バス釣りのタブーでも何でも書いてみるぞ
俺が書かねば誰がやるというのだ

 孤独に耐えるオズマ。実は心優しいオズマ。野球に命をささげたオズマ。
 俺もまた,耐えて,そこからの脱出を成し遂げよう

 俺はアメリカ人だが心は日本人。

 メイド・イン・ジャパンの心意気,日本人はもっと元気をだしてほしい
 それがオズマからの願いだ

新高等学校学習指導要領について,オズマが考察する

2009年01月01日 21時35分15秒 | オズマの考える教育問題
 新年早々,標題についてオズマ的考察を行ってみよう。

 私は本来アメリカ人だから,日本の教育問題には興味がなかった。

 しかし,ヒューマ・ホシのような男,俺のライバルになるような男がその後ほとんど出てこないのはなぜだ ちなみに,オズマ的には,ライバルとは「互いに認め合い切磋琢磨するもの」である。馴れ合いの関係などではけっしてない。

 そういうわけで,オズマとしてはさびしいのだ。そう,ライバルが出現しないことに。それに最近は利己主義(オズマの故郷米国が本家かもしれないが)が跋扈し,もう本当に教育問題を無視できなくなった。

 そこで,文部科学省のHPを観て,資料にざっと目を通した。PDFの書式設定がめちゃくちゃで印刷するのに一苦労したが

 唖然とした
 この日本は,母国語より英語を優先するらしい。まったくばかげている。
 だいたい,英語で授業をするなんて,オズマが大リーグボール右1号を打つのと同じくらい不可能だ 机上の空論だ。
 だいたい,いま,高校現場で,なぜリスニング教材の商品などが使われているのだ それは,先生も教えることができないからではないか。聞くことでさえも。話すことになったらもっと大変だ。

 また,理科・数学は,この国では系統だって教えることをしないことになっているらしい。

 もうこれは,米国の小役人以下だ。

 いや,完全に「俺が変えたのだ」という自己満足で,現場の教師および生徒を困らせるだけのものだ。
 なぜなら,きちんとした私学は,こうした一連の教育指導要領などハナから無視して,独自のカリキュラムにして,すぐれた教育実績(大学合格実績などという短絡的なものではなく,「批判的精神」などを宿らせるためのもの)を上げていることで証明されるだろう。

 しかもだ。
 「理科・数学は先行実施をする」という。具体的な教材は,何でも文部科学省の役人共がつくるらしい。学者でもなく教育者でもなく,現場に立つでもない彼らがつくるというのだ。これでは,戦前の教育と同じである。いや,もっとわるいだろう。
 なぜなら,いまの課程に一貫した「教育再生」の精神がないからである。数学のメッタギリはいまに始まったことではないが,行列を捨てて,また複素数平面を復活させることなど,まさしく方針がぶれている

 とにかく一番いいのは,教科書検定制度を止めることだ。そうすれば,なにより自由な教科書ができる。選ぶのは教師であり生徒であるからして問題がない。入試との格差は昔からあるので,そこまでを教科書に役割分担させる必要もない。
 この方策で一番いいのは,役人共の仕事を減らすことができることだ。彼らは「残業のための残業をする」ことが“居酒屋タクシー問題”で露見したが,まさに国家の一大事なのであるから,役人の小競り合いに国民を巻き込まないようにしてほしい。

 まだ注文はある。

 国会議員,とくに参議院議員の最低知的レベル保証制度の導入が必要だ。具体的には,大学入試センター試験で平均7割得点できない議員はそこで失格,また,センター試験受験を最低条件とすることが必要だろう。

 なぜなら,タレント議員など,あまりにも不勉強な者が多すぎる。もちろん,オズマも不勉強だが,彼らは「国民の代議士」なのである。そう,できない国民に代わって国政を行いますよ,という人間なのである。だからして,この程度の学力保証がないとオズマは日本にまだまだ居残ってしまいそうだ。

 新年そうそうヒートアップしてしまった
 オズマはこの業界に非常に詳しくなってしまった。黒人社会で生きてきた俺は,こうした社会にも馴染めるのだ。

 サンキュー,ボス

オズマのライバル達

2009年01月01日 00時00分00秒 | オズマの独り言

 オズマにとって,ライバルは多かった。

 まあ,梶原一騎先生のせいか知らないが,とにかく熱いやつばかり。俺もそうだが,本当に熱いやつが多かった。

 なかでも異色なのは,彼,ミスター・蛮だろう。


巨人の腹から食い破るとは,オズマも考えなかった。

 俺はセンルイスカージナルスに野球ロボットとしてスラムで親に売られた。だがこいつは「でかいものが大嫌い」といってとくに最初はすごかった

 直接対決していないのが非常に残念....そうか,オズマはベトナム戦争で死んだことになっていたな。忘れてくれ

 まあ,何にせよだ,番場蛮,こいつの変化球のうち,分身魔球は見えないスイングで打倒したかった

 さて,日本語が得意な不思議なオズマだが,やはりヒューマ・ホシとの出会いは,やつが「野球人形」だと直感したときが本当の出会いだったが,後々,こうした姿を見て,やつも苦労したのだといまは同情もする


思い込んだら,がやつの口癖だった。
だから魔性のボールにまで手を染めることに。



大リーグボール3号は,『アタックNo.1』の「風船アタック」
でも応用されているが,とにかくこいつはすごかった。


 そう,俺,オズマは,ヒューマ・ホシのこの3号を打倒すべくアメリカから一時日本へ戻ったぐらいだった。いまでも悔しい思いでいっぱいだ

 ヒューマ・ホシは,その後,大リーグボール右1号という奇跡の魔球をまた投げていたが,俺が死んだあとだった


死後の世界で驚いたものだった。オズマとしては

 そういえば,ヒューマ・ホシは,当時の高度成長時代に貧乏暮らしだったな。俺もスラム育ちなのでわかるが,ヒューマはボスがしっかりしていたから,本当にすばらしいライバルになってくれたのだろうか


「とうちゃん,俺の名義になっているよ
「青雲,何でも高いんだぞ

 ここでのボスの一言,俺も忘れはしない


「子供のために働くのは親の務めだ
「子供は勉強するのだ。よいな,飛雄馬


 ボス=一徹とうちゃんは,本当にいいボスであり父親だったのだな。俺もボスには感謝しているが,ヒューマ・ホシも相当感動したらしく,しっかり勉強していたらしい。


野球人形じゃなかったんだな,ヒューマ・ホシ。
成績も学年3位まで行っていたものな。

 だが,ヒューマ・ホシも差別には苦しめられたらしい。何かなら何まで,本当にオズマそっくりだが,やつのいいところは,自分の信念を簡単に曲げないところだ


「俺のとうちゃんは日本一の日雇い人夫です
このセリフ,DVDだとちゃんと聞けるぞ。


 そうそう,後々,バッターとしてはそれなりにライバルのような関係を保ったこんなやつは,最近また復活しているらしい。


『新約 巨人の星』では俺が主役サ
もって生まれたスター性でネ


 ううむ,いやみなやつだが,こと野球に関しては認めざるを得ないところもある

 まあ,毎週『マガジン』(立ち読みだけど)で読んでいるし,ヒューマ・ホシとの対決も始まったようだから,ようやく2009年,明けましておめでとう,だ