「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

勢が唄う相撲甚句 「 双葉山 」

2016-09-14 10:52:51 | 相撲



69連勝の記録を持つ昭和の大横綱 「 双葉山 」










白鵬が休場し、稀勢の里と両横綱が有利と思われたが・・・
いざフタを開ければ波乱続きで、
誰が賜杯を手にするのか混沌としてわからない。

勢いは豪栄道と同じように、力はあるのに相撲がバタバタして、
地に足がついていない感じがする。
もっと、どっしりと構えて自信を持って相撲にも、
自分にも向き合ってほしいものである。

勢いは、角界きってのイケメン力士で、歌も上手い。
そんな勢いが唄う相撲甚句は、
69連勝の記録を持つ双葉山だ。



第2位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 ブラックジーンズ 」

2016-09-14 06:00:20 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

    今朝も4時過ぎに起きたが、
    雨がパラパラと落ちていたので、
    しばらく様子を見て、
    雨が上がったのを確認して4時半に出ると、
    散歩の人は誰もいなくて、静かな朝だった。

    今日もまた雨になりそうである。
    だが、心はいつも快晴でラムネ色。
    そんな今日の順位は2位で、
    ラッキーポイントは、
     「 ブラックジーンズ 」 である。

    憧れの異性と急接近 
    積極的にアピールがカギだな。


長崎県佐世保市  ・ 佐世保風景 「 プレスリーとモンローの二大スター共演 」

2016-09-14 03:58:18 | 写真













エルビス・プレスリーとマリリン・モンローの
アメリカの二大スターが佐世保港の近くにいる。
それが ” 造り物 ” だと解っていても、
思わず立ち止まって見入ってしまう光景だ。


かつて、エルビス・プレスリーは、
「 偉大なラブレターは偉大な女性しか書けない。 」 と、言い。
マリリン・モンローは、
「 お金が欲しいんじゃない。ただ、素晴らしい女になりたいの。 」 と言った。
そんな二人の共通点は、若くして逝ったことと、
今も多くの人に愛されていることである。

長崎県宇久島  ・  長崎県で一番大きい 『 アコウの巨樹 』

2016-09-14 01:38:47 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣






































小浜地区下山港付近に自生する 「 アコウの巨樹 」 は、
佐世保市の天然記念物に指定されている。
樹齢は数百年といわれ、
ひとつの根から4本の幹が出ており、
その4本をまとめた幹まわりは最大で16メートル程もあり、
アコウの樹としての大きさでは長崎県下一だと言われている。



ゆいレール ・ 那覇空港駅 ⇒ 赤嶺駅  「 花の風車 ( はなぬかじまやー ) 」

2016-09-13 18:49:20 | ゆいレール

ゆいレール 「 那覇空港駅 」





























以前、那覇空港駅から首里駅までの往復を掲載していましたが、
動画が中国語に文字化けしたり、掲載できなくなっているので、
再度、那覇空港駅から首里駅往復を掲載します。
沖縄民謡をアレンジした車内音楽をお楽しみ下さい。

那覇空港駅から赤嶺駅の間は、航空自衛隊那覇基地があり、
道路沿いにはレンタカー屋さんが点在する。

那覇空港が出発点となる 「 ゆいレール 」 の
那覇空港駅 ⇒ 赤嶺駅 間の車内メロディーは、
「 花の風車 ( はなぬかじまやー ) 」 である。


 『 花の風車 』 


花ぬ風車や 風連りてぃ廻る
チントゥン テントゥン マンチンタン ウネタリ シュヌメー ウミカキレー

我んや友達連りてぃ 今どぅ我ね戻る
チントゥン テントゥン マンチンタン ウネタリ シュヌメー ウミカキレー

垣ぬ葉ぬ露や あがい太陽 ( てぃだ ) 待ちゅる
チントゥン テントゥン マンチンタン ウネタリ シュヌメー ウミカキレー

( 意味 )
花の風車は 風を連れて廻る

私は友達を連れて 今戻って来ました

石垣の葉に付いた露は 太陽が昇るのを待っています



風車 ( カジマヤー ) というのは、アダンの葉で作った玩具で、
花模様にぐるぐる回る風車を風に向けて遊びながら唄う。
カジマヤーは風車の字をあてているが、本来は〈風に舞うもの〉の意味である。
古くは、沖永良部では 「 かじゃもーやー 」 と呼んでいた。
沖縄では、十字路のことを 「 カジマヤー 」 というが、
この風車も十字形をしている。
普段は、沖縄の童唄であるが、沖縄では97歳の生誕祝いをカジマヤーと呼び、
風車をかざし祝座で唄い踊るならわしがある。
最近では車によるパレードもあり、
童心にかえり新しい人生の出発も込めて地域あげて祝っている。

伊江島の 「 門口池小堀 」 と、
沖永良部島の 「 余多打原 」 は異名同曲といわれている。



長崎県生月島 「 生月港舘浦新南防波堤灯台 」

2016-09-13 18:25:15 | 長崎の灯台





































いつもフェリーから見ていた灯台。
船上からではなく、防波堤の上から撮ろうと思い、
一度目は防波堤を歩いて昼間に撮ったが、
もう一度、生月島を訪れたいと思っていた。

今回の宿を生月島にしたのは、
旬な魚が食べれるという魅力が一番だったが、
それ以外に、「 4つの灯台と1つの照射灯が点ったところを撮りたい 」
そんな思いもあって、生月の旅館にお世話になったわけである。


灯台表番号 / 6212.1
ふりがな / いきつきこうたちうらしんみなみぼうはていとうだい
標識名称 / 生月港舘浦新南防波堤灯台
所在地 / 長崎県生月港 ( 舘浦新南防波堤外端 )
北緯 / 33-21-25.2
東経 / 129-26-12.2
塗色 / 白色
灯質 / 群閃緑光 毎6秒に2閃光
光度 / 実効光度58カンデラ 
光達距離 / 閃光4.5海里
地上~頂部の高さ / 5.57m
平均水面上~灯火の高さ / 9.10m 
地上~灯火の高さ / 5.35m
業務開始年月日 / 平成13年11月1日
現用灯器 / LED灯器 ( Ⅲ型緑 )



第12位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーパーソン 「 年の離れた友達 」

2016-09-13 06:00:21 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

    今朝は、雨の湿気が残っていたものの、
    台風の前に感じた蒸し暑さは無く、
    半袖では寒いくらいの秋の始まりだった。

    昨日は、ほぼ一日、島旅の写真を整理したり、
    動画を編集してアップしたので、
    昨日は ” 恵みの雨 ” となった。
    とは言っても、先月の地島や相ノ島の分であるが、
    未だ紹介しきれていない灯台や石橋の数だけでも
    300基以上あるので、それに墓や史跡を入れれば
    每日ひとつずつ掲載しても1年はかかる計算だ。
    記憶が薄れて曖昧にならないうちにメモで残すか、
    ページを作っておかなければ、わからなくなってしまいそうである。
    
    今週は雨予報なので、 「 記憶が新しいうちに作っておきたい。 」
    そんなコトを考えながら、もう次の島旅の旅程を練っている。
    そんな今日の順位は12位で、
    ラッキーパーソンは、
     「 年の離れた友達 」 である。

    人間関係がうまく行かずにブルー
    押すよりも引いた方が立場が有利かも?



        

沖縄県那覇市首里赤田町  『 大 ( ウフ ) 橋 』

2016-09-13 02:26:10 | 沖縄の石橋



開口部は小さいが長さが長く造られている








上流側から川の中に降りて行くことが出来る







奥に行くにつれて段々に狭くなっているアーチ







琉球石灰岩で造られた環厚25センチの輪石







橋脚部は大きな石で頑丈に組まれている







上流側には施錠された階段が設置されている







橋の袂に立っている安里川起点の起点標







環状2号線から降りた市道に架かっている





所在地  /  沖縄県那覇市首里赤田町
架橋  /   明治後期?
石工  /   不明
長さ   /     ?m   幅   /     ?m
拱矢  /   0.6m   径間  /   1.8m
環厚  /   25㎝    単一アーチ



沖縄では大きいと書いてウフと読ませる。
この類はグスクでも表現されており、
ウフグスクなる同一名が各所にあるが、
それと同じく、橋でも同じ呼び名が付けられている。

赤田にある大橋は、下原橋から上流に200mほどさかのぼった所に架かる橋で、
ここが安里川の起点となっている場所でもある。
橋の架橋や石工などについて詳細はわからないが、
明治時代の物ではないかと思われる。

この橋の特徴は、アーチが入り口から段々に狭くなっており、
地形的な問題か、あるいは工事が困難な状況から、
このような工法が取られているのだろうが、
こうした工法を用いた石橋は全国的にも非常に珍しいものである。
また、アーチの間口が狭く、トンネルのように延びた長さもこの橋の特徴である。


大橋 ( 赤田 ) へのアクセス
大橋 ( 赤田 ) へは、下原橋の200mほど上流になるため、
下原橋を参考にしてもらいたい。
駐車は、橋の近くの広くなった場所に路上駐車した。


福岡県新宮町  ・ 相ノ島 「 龍王石 」

2016-09-13 01:19:17 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣







この石の由来は、「 筑前国風土記附録 」 に
「 八大龍王石神、タカイシワラ( 地名 ) 」 とある。

御神体は相ノ島の西海岸にある自然石で、
周囲750センチメートル、横256センチメートル、
高さ216センチメートルの巨岩である。
これが、漁民の信仰を集めている龍王石です。
毎年11月15日に龍王祭りが行われている。



第9位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 内緒話 」

2016-09-12 06:00:11 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

     昨夜から降りだした雨が午前4時過ぎに止んだ。
     その隙を見てムサシの散歩に出たが、
     途中から雨に遭った。
     それも覚悟の上での散歩だったので慌てることはなかったが、
     やはり濡れるのはあまり気持ちのいいものじゃなかった。
     なので、散歩から帰ってすぐにシャワーを浴びて着替えたら、
     サッパリとして気持ちが良かった。

     今回の島旅は、天気に恵まれて良かったが、
     気温が高くて海上は靄っていた。
     一日目は、吉井・田平・平戸・生月をめぐり、
     二日目は、度島・的山大島、そして平戸口から松浦までめぐり、
     三日目は、飛島・鷹島を船で往復してから、
     福島、高串を経由して鷹島をめぐり、唐津へと向かった。
     今日が雨でなければ、呼子~唐津をめぐる予定だったが・・・
     雨の所為にして昨日の夕方に帰ってきた。
     そのうち行きたくなったら、また島に渡ればいいと思っている。
     そんな今日の順位は9位で、   
     ラッキーポイントは、
      「 内緒話 」 である。

     余計なものを購入して後悔
     財布の中はしっかり整理しよう!

  

鹿児島市 ・ 祇園之洲公園 「 西南の役 官軍戦没者慰霊塔 」

2016-09-12 03:15:38 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



西南の役 官軍戦没者慰霊塔








現地、説明板






西南戦争 明治10年( 1877年 ) 後、官軍墓地跡。
右の石碑には官修墳墓とある。





西南戦争(明治10年(1877年)2月~9月)では、
官軍6840余人、薩軍6400余人、
両軍合わせて1万3240人の戦死者を出した。
そのうち、鹿児島で命を落とした官軍兵士1270余人が当地に埋葬され、
のち西南戦争100年を記念して慰霊塔が建てられた。
( 薩軍の戦死者は南洲墓地に葬られている )

塔は、「悲」「苦」「悶」を表す3像の上に「和」像が据えられている。
これは、生死の苦しみを離れ、安らぎを得ることを意味し、
「和」像の光背は新時代に芽吹く新樹を象徴している。

( 現地説明板より )


長崎県新上五島町 「 青砂ヶ浦教会と小教区100周年記念碑 」

2016-09-12 02:13:33 | 教会























青砂ヶ浦教会を訪れるのは三度目だが、
三度目にして 「 小教区設立100周年の記念碑 」 があることを知った。
今までは道路から直接上の駐車場に車を入れていたので気づかなかったのだが、
訪れたこの日は朝早かったこともあって、当番の人が聖堂を掃除していたので、
手だけ合わせて、下の道に降りたら、インパクトの強い像があった。
横島な心の悪魔の頭を踏んづけて、懲らしめているところだろうが、
「 この先どうなったのか 」 と、気になるところである。

教会の歴史や詳細については前回の記事で書かせてもらったので割愛するが、
海の見える丘に建つ煉瓦造りの教会は素晴らしいものである。

この青砂ヶ浦教会を手掛けたのは、教会建築の名工・鉄川与助である。
煉瓦の濃淡を利用し、壁面の意匠化を試みた作品である。



長崎県松浦市今福沖  ・  朝陽の雫 「 十字七星 」

2016-09-11 23:37:37 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々








今朝、松浦市の今福港を7時40分の 「 たかしま 」 で飛島経由で鷹島に渡り、
そのまま鷹島の殿ノ浦から今福に引き返して来た。
その時、金井埼灯台を撮ろうと構えたが、あまりにも遠いのと、
逆光だったこともあって、灯台は福島から撮ることにしたが、
その時、試しに2枚だけ撮ったものをパソに取り込んだら、
朝陽からこぼれた雫がクルス・十字架に見えるではないか。
それで 「 十字七星 」 とさせてもらった。
そしてもう一枚は、雫のようにつつつっと縦に流れていた。

その御利益だったのか?
今回の旅は初日から沢山の人の優しさに触れ、
いろんな方に助けて頂いた。
ホントにありがとうございました。



福岡市東区志賀島   「 志賀海神社 」

2016-09-11 11:11:43 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣


























































志賀海神社は、古来、玄海灘に臨む交通の要所として聖域視されていた志賀島に鎮座し、
「 龍の都 」 「 海神の総本社 」 とたたえられ、
海の守護神として篤 ( あつ ) く信仰されている。

御祭神は伊邪那岐命 ( いざなぎのみこと ) が
筑紫の日向の橘 ( たちばな ) の小戸の阿波岐原において
禊祓 ( みそぎはらい ) をされた際に、
住吉三神と共に御出現された綿津見三神で、
神裔阿曇族( しんえいあずみぞく ) によって奉斎 ( ほうさい ) されている。

御祭神が、禊祓で御出現された神であることから不浄を特に嫌い、
諸々の穢 ( けがれ ) ・厄 ( やく ) ・災 ( わざわい ) ・罪をはらい清め、
また、海の主宰神であることから水と塩を支配し、
私達の生活の豊凶をも左右する御神威を顕現(けんげん)されている。

当社の創建は明らかではないが、
古来、勝馬の地に表津宮・中津宮・沖津宮の三社で奉斎されていた。
2世紀( 遅くとも4世紀 ) に表津宮(底津綿津見神)が当地勝山に遷座、
あわせて仲津綿津見神・表津綿津見神が奉祀 ( ほうし ) されたと伝えられる。

むかしの社殿は壮麗で、末社三七五社、社領五十石有し、
奉仕する者も百数十名いたなど繁栄を極めた。

社伝には神功皇后の伝説を多く残し、
元冦の役(げんこうのえき)など国家の非常の際に
嚇々 ( かくかく ) たる御神威を顕示されたことから、
社格も貞観元年 ( 859年 ) 従五位上、 『 延喜式 』 には明神大社、
大正十五年 ( 1927年 ) には官幣小社の処遇をうけている。

志賀海神社略記より


福岡県宗像市  ・  宗像大社 「 ちはやぶる 」

2016-09-11 03:21:44 | 万葉歌碑



宗像大社の本殿手前左奥にある 「 ちはやぶる 」 の歌碑
















鐘崎にある佐屋形山 ( さやがたやま )






万葉集には 「 詠み人知らず 」 が多いが、
その歌に優れたものが多い。
ここにあげる歌も 「 詠み人知らず 」 である。


 『 ちはやぶる金の岬を過ぎぬとも
   我は忘れじ志賀の皇神 』
 



この歌は、波の荒い恐ろしい鐘ノ岬をやっと無事に過ぎたけれど、
海の守護神である志賀の皇神 ( すめかみ ) のことを忘れはしまい。という意味である。

金の岬は、現在の宗像市玄海町の鐘崎の北端に突き出た鐘ノ岬のことで、
その先の地島との間の瀬戸は潮流が激しく暗礁が多く、
航海の難所として知られている。

岬の小高い山を佐屋形山 ( さやがたやま ) といい、
その中腹に織幡神社がある。
この地で武内宿禰 ( すくね ) が赤白二流の旗を織って、
神功皇后に献上したことからこの名が付き、
宗像市では宗像大社についで歴史の古い神社である。

また、志賀の皇神 ( すめかみ ) とは、志賀島にある志賀海神社のことで、
海の守護神である。