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先日、雪山気分を味わいたくて箕面の山に行ったのですが、そのついでに高山に行ってちょっと散策してみました。
高山と言っても合掌造りで著名な飛騨高山ではなくて、大阪にある高山です。
大阪の高山は戦国時代のキリシタン大名である高山右近の出身地なのです。
って偉そうなことを言っても、そんなに離れていない場所に住んでいたのにも関わらず、私自身、高山右近の名前は知っていても右近が大阪出身だったとは、歴史好きになった最近まで知りませんでした…
学校の先生よ!
ほぼ地元の話なんだから、それぐらい教えておいてくれよな!
そしたらもっと早く歴史好きになれていて、あんなに日本史の勉強法で悩まなくてもよかったかもしれないのに・・・
そんなことを思いながらww、今回は、高山に歴史の名残を求めてみました。
高山は本当に小さな集落なので何も知らずに車で走っていたら、すぐに通り過ぎてしまいます。
一番最初に見つけたのが、この↑高札場・・・
レプリカでしょうか?キリシタン禁制云々と書かれています。
中央の地蔵尊にキリシタンの名残があると書かれているのですが…
覗いて見ても全くワカラン!
高山城と書いてあった方向に行ってみると
石碑が一つ!
裏には
神社とお堂・・・
何の案内板もなくなにがなんだかサッパリ・・・
う~~ん・・・
高山右近ってあんまり人気がないのでしょうか?
不案内だし、観光客がたくさん来るような雰囲気はなさそうです。
道案内のない城跡はあきらめて、マリヤの墓といわれる墓碑を見に行ってみました。
これは迷うことなく見つけることが出来ましたが、案内板を読んでもまったく意味不明!
高山マリヤの墓というので高山右近の母の墓があると思っていたのですが、そうでは無さそうです。
それどころか本当にキリシタンお墓なのかさえ不明・・・
特に十字架が描かれているわけでも無さそうだし、戒名も普通そう・・・
もうちょっと親切な説明書でも作ればいいのに・・・こんなんじゃ町興しにもなりません!
確かにきれいな棚田だけど下から見上げても・・・
近くの神社は
かなり立派なのに、これまた由緒書きの一つもない・・・
額から住吉神社ということだけが解った。
拝殿というより舞殿、神輿蔵なのだそうです。
本殿はどういう形式なのかちょっとわかりませんでした・・・
横に廻って見れるような雰囲気もないし・・・残念!
後で調べてみると、この神社が住吉神社になったのは明治の神仏分離令の頃で、その前は牛頭神社と呼ばれていたらしく、実は先ほどの右近誕生の地の石碑の裏にあったお堂の中にある仏像などは元々ここにあったものなのだそうです。
う~~ん・・・
歴史に埋もれてしまいそうな高山でした…
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