大河ドラマ「どうする家康」で、「石川数正」の本意は?という感じで家康はじめ「徳川家臣達」の「考察」(VIVANTのネットでの考察という言葉をお借りしましたが・・
)で、皆で心情が解って、泣きながら罵っている・・という視聴者もきっとウルウルしたであろう場面もありましたが、今回「英雄たちの・・」で、数政さんの「なぜ出奔?」がドラマでもある程度わかりましたが、昭和三十年代までは「裏切者扱い」されていて、肖像画、数正自身の書状等はなくても、今では「忠臣」としてファンが多いという「数正」の実は…という部分を知ることできました。
番組からピックアップしましたので、ご存じの方もお付き合い下さいませ。

完成まで待てずに亡くなったという松本城、いかにも国宝って感じですよね。



「狭間」や「石落とし」(姫路城でも見ましたが、此方は姫路城より壮大な城と言われてるようです)に工夫を凝らしています。



「屏風図」等には描かれているようです
ドラマでも感じましたが、「秀吉」が反秀吉派も味方につけてきてるので「家康」には戦ってほしくないと思うのは当然でしょうね。(殿が好きなのですから・・)


「岡崎城」も工夫しながら造っています。
「秀吉」は家康に対して「真田」も味方につけて権力を見せつけます。(数正は肌感覚で、底知れぬ恐ろしさ巧みさを知る唯一の人です)
秀吉は数正の心を取り込むというより徳川家中に軋みを掻き立てようとしていると考察されてました。
どうする「数正」ですね。

ということでしょうね。
「織田信雄」が家康宛てにだした書状が今年4月に発見されたそうです(酒井忠次の子孫から)
信雄が家康に數正を派遣して交渉するように勧めたようです。

「松重豊さん」が松本城~市内をロケされてまして(大河もそうですが、この番組も10年前からナレーションされてます)感慨深そうでした。
松本城にも「馬だし」を何か所も造っていますね。
磯田さん、最後に「今の平和な世の中にいられるのはこの時の(数正)の選択のお陰かもしれない」とおっしゃってましたね。
家康が嫌だった「秀吉にひれ伏す」ということを選んだことも徳川二百数十年争いなく済んだということにつながっているのですね。

番組からピックアップしましたので、ご存じの方もお付き合い下さいませ。













































信雄が家康に數正を派遣して交渉するように勧めたようです。










家康が嫌だった「秀吉にひれ伏す」ということを選んだことも徳川二百数十年争いなく済んだということにつながっているのですね。

