毎日のお勤めでないのに、早朝から出かけようと思うと前日にあれこれと準備するのが普通だろう。遠足の前夜に寝就かれない園児の気持ちは大人になっても変わらない。子供も未知の体験には不安があるのだろう。大人の場合も色々と考えてしまう人が多い。反対に先の事が経験からある程度予測出来ると、十分な準備をせずにうっかりする事も多い。何よりも不安と期待のうきうきした気持ちが失せる。
バーデン・バーデンのバッターフェルツェンの岩質は、花崗斑岩と呼ばれるものである。珪素の多い花崗岩のように明るくも、プァルツの砂岩のように摩擦係数も高くない。それでも角張った比較的小さな摂理は岩登りに適している。傾斜も規模も十分あり、多くは針峰状になっていて、見晴らしと満足感が得られる。
ここで攀じるのは二回目であるが、今回は昔登っていた岩場を思い起こした。その岩場は、ネットで調べると、ハーケンなどの梯子で登っていたその壁が今はフリークライミングで登られている。その岩の感じを思い出すと、バーデン・バーデンの岩の質は似ている。しかし下部の影の部分に苔などがはいていても乾燥していて登りやすい。岩が割れにくいのも違う。
クライミングを再開して三年目ほどになるが、数少ない経験でも昔の勘が戻ってきたような気がする。それまでは体力的な自信のなさがどうしても岩との対峙を邪魔していたが、現在の体力と技術的能力の調和が執れてきた。アクションを起こす前に、これから自分の体にそして外界に起こる事が予測出来なければいけない。それは、試験量で見出す事も出来れば経験から導き出す事も出来る。
そして、このようなイマジネーションで確信を持って得られる心理状態は、岩・自然との調和である。十代のころと体力・身軽さでは比較しようがないが、このような安定した親密感は得がたかった。嘗て気がつかなかった主観・客観の審査を思う。つまり岩の摂理は身体の動きに対応しているわけでなく、登攀者がそれに合わせたアクションを執る。これは、選択の余地があるとは言うものの、どちらかと言えば客観的な判断に由るのである。
何故か昔は主観的に捻じ伏せようとしていたきらいがあり、如何しても合理性から遠く離れていって足掻いた。フリークライミングの歴史を振り返ると、自然保護などの重要な概念と並行するが、近代西洋の鉄の時代を経て東洋的な調和の精神が省みられた1950年代へと遡る事が出来る。自身がその中にいるとスポーツ的な現象にのみ目を奪われがちで、活動精神の本質に目が届かずに重要な視点を欠いてしまう。
経験する事によって初めて達する事が出来る、十代の時分に越えられなかった心境を不思議に思い、その汗を掻かない登攀態度を通して、人の営みに迫る事が出来る。
参照:
乾いた汗の週末 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-06-20
主体を含む環境の相違 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-04-18
バーデン・バーデンのバッターフェルツェンの岩質は、花崗斑岩と呼ばれるものである。珪素の多い花崗岩のように明るくも、プァルツの砂岩のように摩擦係数も高くない。それでも角張った比較的小さな摂理は岩登りに適している。傾斜も規模も十分あり、多くは針峰状になっていて、見晴らしと満足感が得られる。
ここで攀じるのは二回目であるが、今回は昔登っていた岩場を思い起こした。その岩場は、ネットで調べると、ハーケンなどの梯子で登っていたその壁が今はフリークライミングで登られている。その岩の感じを思い出すと、バーデン・バーデンの岩の質は似ている。しかし下部の影の部分に苔などがはいていても乾燥していて登りやすい。岩が割れにくいのも違う。
クライミングを再開して三年目ほどになるが、数少ない経験でも昔の勘が戻ってきたような気がする。それまでは体力的な自信のなさがどうしても岩との対峙を邪魔していたが、現在の体力と技術的能力の調和が執れてきた。アクションを起こす前に、これから自分の体にそして外界に起こる事が予測出来なければいけない。それは、試験量で見出す事も出来れば経験から導き出す事も出来る。
そして、このようなイマジネーションで確信を持って得られる心理状態は、岩・自然との調和である。十代のころと体力・身軽さでは比較しようがないが、このような安定した親密感は得がたかった。嘗て気がつかなかった主観・客観の審査を思う。つまり岩の摂理は身体の動きに対応しているわけでなく、登攀者がそれに合わせたアクションを執る。これは、選択の余地があるとは言うものの、どちらかと言えば客観的な判断に由るのである。
何故か昔は主観的に捻じ伏せようとしていたきらいがあり、如何しても合理性から遠く離れていって足掻いた。フリークライミングの歴史を振り返ると、自然保護などの重要な概念と並行するが、近代西洋の鉄の時代を経て東洋的な調和の精神が省みられた1950年代へと遡る事が出来る。自身がその中にいるとスポーツ的な現象にのみ目を奪われがちで、活動精神の本質に目が届かずに重要な視点を欠いてしまう。
経験する事によって初めて達する事が出来る、十代の時分に越えられなかった心境を不思議に思い、その汗を掻かない登攀態度を通して、人の営みに迫る事が出来る。
参照:
乾いた汗の週末 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-06-20
主体を含む環境の相違 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-04-18