Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

疑似体験のセーラー服

2005-06-12 | 歴史・時事

ドイツ第二放送のTVプログラムで1950年代の教育現場を再現した四回続きの放送があったようだ。17歳前後のティーンエージャーを集めて、2004年の一夏の思い出を作って貰おうと言う企画で、手法としてはビッグブラザーのような仮想状況下でのドキュメンタリーを通して人を描くと言うものらしい。そして集められた教師役たちは、当時生徒として実際にその教育を受けた教育関係者である。残念ながらTVをつける習慣がないので見逃した。ホームページなどや経験者の話を聞いて驚くことは、アデナウワー首相時代のドイツの教育風景である。開放の1960年代への最後の時代であったらしい。これほどまでの権威主義とは思わなかった。

ドイツ進駐後の統治者は、自国より優れた行政機構や教育システムには殆んど手をつけようがなかった。だから戦中を生き抜いた教師たちは、戦後も生徒を暴力まで使い権威に服従させたと言う。その権威や規律は、ナチスの幼年学校の教育理念を思い起こす。それにも拘らず、昨年ボーデンゼーに近い古城で寄宿生活を疑似体験した少年少女たちは卒業式に、そこからの解放を名残惜しんだと言う。

徴兵制度も無くなり、自由奔放な教育を受け、家庭の躾けもあまり省みられなくなっている今日のドイツ社会で、昨年辺りから囁かれた規律への回顧風潮を受けての制作である。視聴者に近過去を示し、思い起こさせ、それに戸惑う現代の少年少女を見せることで、所期の目的は達成しているのだろう。

昨晩からのヴァインフェストでこの辺りも賑やかだ。昨晩は涼しくても天気が比較的良かったので、若者たちで賑わった。舞台で歌われるリヴァイヴァルのネーナ等の曲に人並みが揺れる。臍を出し、至る処へピアスをして、刺青をして、至る所で食べ歩き、何も厭わない少年少女たちにも、権威や規律への潜在的な憧れがある。権威などは所詮滑稽でもあり人為的でもあるが、これや規律が無い所では自由を本当に謳歌出来ないものらしい。

 

参照:鋼の如く頑丈で、革よりも [ 生活・暦 ] / 2005-01-25

コメント (6)
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