Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

サポート無しの孤独な試み

2005-06-15 | 雑感
偶然だろうか、常連コメンテターさんのPC不調等の技術的トラブルに複数巡り合わせた。決してこちらからヴィールスを流布しているわけではないのだけれど。WIN95JAPとの孤独な戦いを思い出した。

このヒットソフトが出る大分以前からインターネットとは無関係に電話回線による大量データ交換の個人システム構築を目論んでいた。結局は、WIN95とISDNの利用で現実化することになる。当初は、ネットの転送容量や速度ゆえ、仲間内でも大量データの交換はデジタル電話線が使われていた。その後DSLへの変換で容量の増大が進み、携帯や衛星転送での可動性が加わり、技術的には当初の夢が殆んど叶っている。

そのような一般的なことを今更語る心算は無いが、日本語環境の構築は人一倍苦労した。独版WIN95をメインに使っていたのでは、ブローザーもメールも否欧州言語を使うことが出来なかった。また96年当時の汎用BIOSシステムとハードではダブルOSの構築も困難だったので、取替え式のHDを使って欧米語と日本語WIN95を分けて使った。後者は、主にプライヴェート利用だったのでこれで用が足りた。

二種類のOSに加えて読み込みが困難なISDNモデムの技術的欠陥があり、独版はショップに持ち込んでこれを解消した。しかし日本語版はOSソフトのヴァージョンが違い、また想定外言語のヴァージョンでサポートを受けることは出来なかったので、結局自分で解決しなければならなかった。

フロッピーを使ってフォーマットとインストールを試行錯誤しながら500回ほど繰り返した。少なくとも一回につき一時間以上かかっている。幾晩徹夜をしたことだろう。その後もOSが全く読み込めなくなる時限爆弾のようなバグが日本語版にあることを知らずに使い続けたので、毎年最低一度は、そのサブシステムのHDの全てを初期化して禊をした。これのみで300回ぐらいフォーマットとインストールを行ったろう。これ無しには、日本語は使えないと言う前提があったからこそプライヴェートとは言え敢行した。あとは何らかの不調や増設などでこれを行ったので、合わせて1000回以上はセットアップを行っているかもしれない。この回数では、その辺のコンピューターショップのお兄さんには負けない。

XPになってからは、マルチ言語の問題は当初から殆んど解決しており、他の小さなトラブルも修復機能が付いているのでデータを失うこともなく乗り越えている。LINUXをサブOSとして使おうと数年来考えているが、遊ぶ時間も余裕も無いので未だに実現していない。

コメント (3)
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