Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

高度差によるミクロ気象

2009-03-20 | 
「昨日までは暖かったのに、今日はまた寒がもどったね」と散髪の椅子に座って口を切る。

「フォルストではアーモンドの花が咲き出してるけど、アーモンド祭りのあるギメルディンゲンはまだだね」と振ると、流石に地元民である。

「あれはさ、高度が違うからでさあ」

「なるほど、それは気がつかなかった」といたく納得をするのである。

我々市内の高度差が大きな町に生まれ育った者は、少々の高低はたとえそこを歩いていても一向に気がつかない。だからドイツに移り住んだ時は、道を訊ねると殆ど認知できないところで「上がるとか下がるとか」と表現するのでまるで京都の様だと感じたのであった。

「ほら、あの石像がある、チリアクスの」

「ああ、キルヘンシュトュックのね。みたみた、咲いてましたな」

流石に髪結い親仁である。しっかりとそのあたりは目暗闇ではない。去年は咲いていたギメルディンゲンはまだだと言う世間話をまた次ぎのお客さんとすることだろう。

親仁が言うように樹によって早咲きや遅咲きがあるとしても、それにしても、ドイツで最も高価なワインを輩出するグランクリュのミクロ気象をこうも簡単に気がつかされたのには参った。心付けを弾んだのも意味が無くはない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする