乗用車で言えばメルセデスの五リッター以上の高排気量車だろうか。一本新しいもので36ユーロするグランクリュホーヘンモルゲンはその豊かさからして最高級品に違いない。だから同じグランクリュワインと言っても、30ユーロまでなら手が出てもなかなか本物には手が届かないのだ。
車で言えばやはり同じカテゴリーではフラッグシップのものに限ると言う見解であるが、最終的にはどの辺りで折り合いをつけるか、もしくはその違いを認めるかという話になる。
2001年産ホーヘンモルゲンは、その年度分だけ高価になっているが、そうなると飲み頃のワインを探れるかどうかの問題である。2001年産のグランクリュは飲み頃であるという意見から、昨年から色々と試しているが、去年の時点では若干中途半端な印象もあった。所謂谷間に入っていたとすることも出来るが、次ぎの山は完全に開いてしまう事であり、飲み頃を探るとは熟成感との追いかけっこになりそうである。
飲んだ後の印象を聞くと、どうも開き方があまり良くないようで、また店先で聞くとこれから開くのを待ちたいとする意見もある。1999年産はオイリーな熟成感が少し出て来ていると言う。その点からすると先日飲んだそれに比べて半額の1999年産ランゲンモルゲンは、2007年産には新鮮さや凝縮感で落ちるが、丁度良かった。要するに、まだこれから飲み頃が訪れるとなると、なかなかその時期の判断は難しい。兎に角、自分で飲んでいないので何とも言えないのである。
その谷とする意見を吐いた者は、先日試飲した休耕になる前の最後の年の2002年産ライタープファードをキャラメル味としていた事から分かるように、熟成したワインに特別なニュアンスを求めている。
またドイツ車の特徴に戻ると、上のような最高級車に何を求めるかと言えば、走りの運動機能性の追求であるBMWならいざ知らず、やはり独特の存在感であって、ある種の分析を越えたものであるのも事実である。それはデシベルで表わされるような静粛性でも、音作りでもない総合的な雰囲気そのものなのである。
逆に高性能とか減点法で欠点を論ったりしていると、そうした価値観は生まれない。しかしそれは決して金額表を見ているから感じるものではなくて、同じように同じような速度で走っても全く異なるものなのである。車重が重くエンジンが大きい車は、その慣性力だけでは無く、やはり優れているのだ。
そうしたものに投資できるかできないかは、全く人其々で、そこに価値を見出すか見出さないかだけのライフスタイルの差なのである。そしてそうした も の がなくなってしまう世界はつまらない。かといって、適頃にそれを愉しめなかったり、重い箱を信号待ちの度に揺らすのでは、全くのお笑いでしかない。
しかし、投資できる金がたとえあるとしても、そうしたものの存在を知らなければお話しにならない。先日試飲して評価の高かったアイスヴァインを依頼で注文した。昨日電話にて予約はしておいたのだが、週末の試飲会でどこかに流れてしまうかも知れないと危惧して、メールをいれると、社長直々に受け取り確認が戻って来た。「また毛色の違う客を連れてきたな」と思ったかどうかは知らないが、「喰いついて来たな」と唸ったであろう。
アイスヴァインと言っても切れの良い粘度の低いムスカットの香りを愉しめるワインである。ワインリストには載っていなくてHPに四月発売とだけ載っているのだが、そのハーフボトルで39ユーロの比較的買い易さと、熟成させる必要も無く「誰でも飲める味」であり、四月までは残っていないに違いない。発売前に売りきれるものは、幾ら金を積んでも手に入らない。ワインは自然食料品であり、無い物は買えないのである。
そんな事を考えながら久しぶりに一時間以上も、自律神経失調にふらふらしながら歩いて帰ってきて昨夜の残りのワインを舐める。玄武岩土壌のリースリングである。16ユーロのお得な価格に飛びついて購入して二年寝かしておいたものである。2006年産の熟れは、色をかなり黄色くしていて、コルクを抜いたときの香りは素晴らしかった。外気温も違うのだろうが、元旦から完全に熟成が進んでいる。と同時に、汚れ感のような2006年産特有のお点がある種の苦味となって出て来る。やはり、半分の価格しかしない物はその程度で当然とも言えるが、些か悔しい思いだ。高くてもやはり良いものを買うべきだろうか?
なんだかんだと言ってもやはり先立つものがと僻むだけなのである。
参照:
ふにゃふにゃしない加齢 2009-03-09 | ワイン
我慢し切れない美味さ? 2009-03-03 | 試飲百景
画竜点睛を欠かさない充実 2009-03-06 | 試飲百景
エゴンを越えた?ザールシュタイン (新・緑家のリースリング日記)
車で言えばやはり同じカテゴリーではフラッグシップのものに限ると言う見解であるが、最終的にはどの辺りで折り合いをつけるか、もしくはその違いを認めるかという話になる。
2001年産ホーヘンモルゲンは、その年度分だけ高価になっているが、そうなると飲み頃のワインを探れるかどうかの問題である。2001年産のグランクリュは飲み頃であるという意見から、昨年から色々と試しているが、去年の時点では若干中途半端な印象もあった。所謂谷間に入っていたとすることも出来るが、次ぎの山は完全に開いてしまう事であり、飲み頃を探るとは熟成感との追いかけっこになりそうである。
飲んだ後の印象を聞くと、どうも開き方があまり良くないようで、また店先で聞くとこれから開くのを待ちたいとする意見もある。1999年産はオイリーな熟成感が少し出て来ていると言う。その点からすると先日飲んだそれに比べて半額の1999年産ランゲンモルゲンは、2007年産には新鮮さや凝縮感で落ちるが、丁度良かった。要するに、まだこれから飲み頃が訪れるとなると、なかなかその時期の判断は難しい。兎に角、自分で飲んでいないので何とも言えないのである。
その谷とする意見を吐いた者は、先日試飲した休耕になる前の最後の年の2002年産ライタープファードをキャラメル味としていた事から分かるように、熟成したワインに特別なニュアンスを求めている。
またドイツ車の特徴に戻ると、上のような最高級車に何を求めるかと言えば、走りの運動機能性の追求であるBMWならいざ知らず、やはり独特の存在感であって、ある種の分析を越えたものであるのも事実である。それはデシベルで表わされるような静粛性でも、音作りでもない総合的な雰囲気そのものなのである。
逆に高性能とか減点法で欠点を論ったりしていると、そうした価値観は生まれない。しかしそれは決して金額表を見ているから感じるものではなくて、同じように同じような速度で走っても全く異なるものなのである。車重が重くエンジンが大きい車は、その慣性力だけでは無く、やはり優れているのだ。
そうしたものに投資できるかできないかは、全く人其々で、そこに価値を見出すか見出さないかだけのライフスタイルの差なのである。そしてそうした も の がなくなってしまう世界はつまらない。かといって、適頃にそれを愉しめなかったり、重い箱を信号待ちの度に揺らすのでは、全くのお笑いでしかない。
しかし、投資できる金がたとえあるとしても、そうしたものの存在を知らなければお話しにならない。先日試飲して評価の高かったアイスヴァインを依頼で注文した。昨日電話にて予約はしておいたのだが、週末の試飲会でどこかに流れてしまうかも知れないと危惧して、メールをいれると、社長直々に受け取り確認が戻って来た。「また毛色の違う客を連れてきたな」と思ったかどうかは知らないが、「喰いついて来たな」と唸ったであろう。
アイスヴァインと言っても切れの良い粘度の低いムスカットの香りを愉しめるワインである。ワインリストには載っていなくてHPに四月発売とだけ載っているのだが、そのハーフボトルで39ユーロの比較的買い易さと、熟成させる必要も無く「誰でも飲める味」であり、四月までは残っていないに違いない。発売前に売りきれるものは、幾ら金を積んでも手に入らない。ワインは自然食料品であり、無い物は買えないのである。
そんな事を考えながら久しぶりに一時間以上も、自律神経失調にふらふらしながら歩いて帰ってきて昨夜の残りのワインを舐める。玄武岩土壌のリースリングである。16ユーロのお得な価格に飛びついて購入して二年寝かしておいたものである。2006年産の熟れは、色をかなり黄色くしていて、コルクを抜いたときの香りは素晴らしかった。外気温も違うのだろうが、元旦から完全に熟成が進んでいる。と同時に、汚れ感のような2006年産特有のお点がある種の苦味となって出て来る。やはり、半分の価格しかしない物はその程度で当然とも言えるが、些か悔しい思いだ。高くてもやはり良いものを買うべきだろうか?
なんだかんだと言ってもやはり先立つものがと僻むだけなのである。
参照:
ふにゃふにゃしない加齢 2009-03-09 | ワイン
我慢し切れない美味さ? 2009-03-03 | 試飲百景
画竜点睛を欠かさない充実 2009-03-06 | 試飲百景
エゴンを越えた?ザールシュタイン (新・緑家のリースリング日記)