FAZ新聞は小沢何某の新党旗揚げを伝えている。支持者には厚い官僚行政機構に風穴を開ける政治家として、不支持者には古い金権体質の壊し屋政治家として扱われているとして、その最後の戦いを「闇将軍の開戦」と題して報じている。
その中で、鳩山元首相の同行が注目されていることと、それに絡んで「二大政党」の代表戦後の十月に総選挙があるものとして開戦したとしている。しかし、これらの政治家への有権者の支持は低く、もはや構造を転換できるような実力が無いことが示唆されているのである。
まさしくここに官邸前抗議行動の成果とその運動の行方が連関されて議論されているゆえかもしれない。そもそも抗議行動は党派性の無いイデオロギーに囚われない運動であるからこそ大きな広がりを見せて、社会歴史的に意味を持ってきている。
警察警備の抗議活動分断などの対処策がなされているに限らず一向にその勢いが衰えたようではなく、それどころか細胞分離の如く多発転移して、七月末の人の鎖の行動へと更なる飛躍が予想され、同時に大阪の関西電力本店前での抗議行動も益々熱を帯びてきている様子である反面、行政政治課題として脱原発が最重要課題として取り上げられるどころか、政府がこうした国民的な声に対してまじめに対峙する様子が全く伺えない。
しかし八月に掛けて、政府のフクシマ事故調査報告が纏り、今後のエネルギー政策が発表されることで、こうした一連の抗議行動の結果が示されることになるとFAZが示唆していたように、民意の怒りのガス抜きとソフトランディングの行方は概ね予想可能である。
つまり、体制的な枠組みを変えることなく既存権益を護持することと抗議行動に表れる有権者の大多数の思いは掛け離れているので、最終的には既存の政党や政治家がその願いを叶えることはありえない。有り得るのは市民政党である緑の党などの勢力が国会で少なくとも50議席以上を獲得することだろう。そもそも市民政党とはドイツの緑の党に見るように環境一点の専門政党であって、他の外交や経済などの政策は初めて連立内閣で与党となるまでは殆ど誰も任せられないと思っていたのである。要するに既存の政治屋や政治文化を廃して飽くまでも市民の良識の視線で推し進めることで初めてその価値と存在理由を獲得した。
地方議会から国政へと、そして連立内閣、州首班指名へと長い年月を掛けて市民政党から国民政党へと徐々に脱皮して行ったのであった。それどころか戦争の出来る政党へと分裂と共に脱イデオリギー化が進んだ。
こうした市民政党が躍進する以外は、無政府状態や内乱さらに人民裁判で旧政府の要人を裁き東電やNHKなどを解体するしかないのである。革命と呼ばれるものである。そのような動乱無く議会制民主主義の枠内で枠組みを革新するには強力な市民政党の躍進しかないのである。そして環境を専門とした市民政党とは、同時に金権政治や党利党略の政治の因習を徹底的に打破して、独裁的なポピュリズムと正反対の民主的な合意と支持をなによりも尊ぶ政党でしかないのである。これは環境政党がそうした社会の因習などを含めてタブー化せずに自らを取り巻く環境を直視する世界観を保持していることに起因する。
昨年も言及したが日本各地の環境運動家には十分な人材があり、抗議活動などでのインタヴューを聞けば明らかなように主張とその率直なレトリックを駆使できる優秀な市民政治家候補には事欠かない。明らかに日本の環境運動は熟してきている。
参照:
Die „graue Eminenz“ eröffnet den Kampf, Carsten Germis, FAZ vom 12.7.201
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その中で、鳩山元首相の同行が注目されていることと、それに絡んで「二大政党」の代表戦後の十月に総選挙があるものとして開戦したとしている。しかし、これらの政治家への有権者の支持は低く、もはや構造を転換できるような実力が無いことが示唆されているのである。
まさしくここに官邸前抗議行動の成果とその運動の行方が連関されて議論されているゆえかもしれない。そもそも抗議行動は党派性の無いイデオロギーに囚われない運動であるからこそ大きな広がりを見せて、社会歴史的に意味を持ってきている。
警察警備の抗議活動分断などの対処策がなされているに限らず一向にその勢いが衰えたようではなく、それどころか細胞分離の如く多発転移して、七月末の人の鎖の行動へと更なる飛躍が予想され、同時に大阪の関西電力本店前での抗議行動も益々熱を帯びてきている様子である反面、行政政治課題として脱原発が最重要課題として取り上げられるどころか、政府がこうした国民的な声に対してまじめに対峙する様子が全く伺えない。
しかし八月に掛けて、政府のフクシマ事故調査報告が纏り、今後のエネルギー政策が発表されることで、こうした一連の抗議行動の結果が示されることになるとFAZが示唆していたように、民意の怒りのガス抜きとソフトランディングの行方は概ね予想可能である。
つまり、体制的な枠組みを変えることなく既存権益を護持することと抗議行動に表れる有権者の大多数の思いは掛け離れているので、最終的には既存の政党や政治家がその願いを叶えることはありえない。有り得るのは市民政党である緑の党などの勢力が国会で少なくとも50議席以上を獲得することだろう。そもそも市民政党とはドイツの緑の党に見るように環境一点の専門政党であって、他の外交や経済などの政策は初めて連立内閣で与党となるまでは殆ど誰も任せられないと思っていたのである。要するに既存の政治屋や政治文化を廃して飽くまでも市民の良識の視線で推し進めることで初めてその価値と存在理由を獲得した。
地方議会から国政へと、そして連立内閣、州首班指名へと長い年月を掛けて市民政党から国民政党へと徐々に脱皮して行ったのであった。それどころか戦争の出来る政党へと分裂と共に脱イデオリギー化が進んだ。
こうした市民政党が躍進する以外は、無政府状態や内乱さらに人民裁判で旧政府の要人を裁き東電やNHKなどを解体するしかないのである。革命と呼ばれるものである。そのような動乱無く議会制民主主義の枠内で枠組みを革新するには強力な市民政党の躍進しかないのである。そして環境を専門とした市民政党とは、同時に金権政治や党利党略の政治の因習を徹底的に打破して、独裁的なポピュリズムと正反対の民主的な合意と支持をなによりも尊ぶ政党でしかないのである。これは環境政党がそうした社会の因習などを含めてタブー化せずに自らを取り巻く環境を直視する世界観を保持していることに起因する。
昨年も言及したが日本各地の環境運動家には十分な人材があり、抗議活動などでのインタヴューを聞けば明らかなように主張とその率直なレトリックを駆使できる優秀な市民政治家候補には事欠かない。明らかに日本の環境運動は熟してきている。
参照:
Die „graue Eminenz“ eröffnet den Kampf, Carsten Germis, FAZ vom 12.7.201
教訓劇「フクシマ後の日本」 2012-07-08 | マスメディア批評
市民が許す筈が無い社会 2012-07-06 | マスメディア批評
黒ヘル群集と将来の指導者 2012-07-02 | 歴史・時事
堰を越えたメトロの大衆 2012-07-01 | 歴史・時事
節度が保たれる抗議行動 2012-06-27 | マスメディア批評
☆ 風信子の7月11日(水)のつぶやき & リツイート (風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句)