Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

黒ヘル群集と将来の指導者

2012-07-02 | 歴史・時事
大飯の再稼動反対運動「オキュパイ大飯」には賞賛の仕様がない。出かけていたので土曜日中は全ては観られなかったが、少なくとも田中龍作ジャーナルやIWJが伝えるところからすると、最初は運動そのものの形が定まらなかったのだが、鳴り物が入りのその踊る非暴力主義が明らかになると、途轍もない市民運動としてそれが捉えられるようになる。

運動家が張ったピケを崩そうと黒装束ならぬ黒ヘルメットの強靭な機動隊がプッシュで物理的な圧力を掛けると、一旦押し問答となりつつ、両手を揚げて、「暴力反対」と叫ぶ運動に警察権力を使った国家権力の暴力装置の存在がネットでも明らかになる。

正しく暴力を行使するのは国家権力であり、市民は無抵抗なのである。しかし、自由意志で集まった運動家は、その物理的な圧力に身体を張って戦い、IWJで二十万人を優に超す視聴者を魅了した ― 最終的に三十万人を超え三十五万人に迫ろうとしている!

この数が何に相当するかと言えば、ドイツ連邦共和国での5%条項とする有権者の中での有効な投票数で、政治を動かす議員数を意味するのである。万が一、こうした脱原発と民主主義への強い声が立法府に反映しないとすれば、日本のその制度がもはや正統性を失っていることを示していることになるのである。行政府には無いが立法府にも無い正統性、八月中に野田政権が計画しているソフトランディング、しかし七月中に無政府状態となっても全く不思議ではない。

無尽蔵なそのエネルギーはなるほど若い血かもしれないが、同じように若い黒いヘルメットの交代要員には疲労が滲んでいた。肉体と肉体のぶつかり合いで、体格も装備も遥かに良い黒ヘルメットにめげない彼らには、明らかに打ち合わせも十分でもないにかかわらず、統制の良さと意志の強さが見られる。これも首相官邸前の抗議行動と同じである ― 最後に警備に対して礼をしてゴミ掃除までする抗議行動、機動隊と「記念撮影」しながら最後に再び再稼動反対を叫ぶ、なんと立派で生真面目な人たちだろう。

いつの間に日本の若者はこうした、決して負けない心の強さと前線への戦略を身につけたのだろう。恐らく欧州のスポーツであるサッカーへの傾倒が彼らを本当の戦士にしたと思われる。また有機農業者などの磨かれた野生の勘だろうか。

更にネットにて「子供を交えた前線」への疑問が議論されるようになると、それにも対応できる議論の余地と柔軟性が、機動隊の暴力的攻撃に対しても為されて、まさしく議論によって学ぶその学習能力を示したのであった。

組織化された黒ヘルメットの一味は、命令によって自らを殺した群れる労働者でしかない。どちらに分があるかは、初めから分っているのである。そして、官邸前の抗議行動でもあったように、その抗議に水を注ぐどころか油を注ぐまでの必要性は明らかに黒ヘルメットの一味をどうしても動かすしかない黒い金が動いていることを物語っているに過ぎないのである。

黒ヘルメット群が大衆を一網打尽にするとき、それは決して嘗ての安保騒動での治安維持ではなく天安門のそれであることは、暴力装置を操る仙石らの政府首脳人は重々承知なのである。どちらにしても市民に暴力を用いる政府には正統性などもはやない。

優れた指導力を示すこうした行動のリーダーから将来の大臣となるような連邦共和国緑の党の元外務大臣ヨシュカ・フィッシャーのような世界の指導者であるスター政治家が生まれることを期待したい。



参照:
堰を越えたメトロの大衆 2012-07-01 | 歴史・時事
ブロキュパイの週末を終えて 2012-05-22 | 歴史・時事
待降節をを迎えるにあたって 2011-11-27 | 暦
胃が痛むほどに追詰める 2007-06-09 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする