フリーランスの木野龍逸が東電会見に出入り禁止となってネットで話題となっている。先日亡くなった日隅一雄とともに会見の顔だったので、改めてその会見の意義を考えさせる出来事である。そもそも彼らが活躍したのは事後の会見であってその会見内容は全く原発事故の推移とは関係ないものであった。既に最初の十日ほどで全ては終わっていたのである。
それならば彼らの活躍がどのような意味合いを持っていたかと質すと、なるほど政府の関係者が集まった統合会議においては市民が知りたい情報を質問として幾らかは引き出すことが出来たのだが、東電のそれに関しては東電が発表したいその立場以外の何一つも得られなかったのは事実なのである。
それは、一部の有志を除いてはマスメディアなどが残る国営化された東電の会見においても今後二十年も三十年も同じように続くと思うと、良識を持った市民はとても受け入れがたい気持ちになる筈である。未だに家宅捜査も行われず、当時の経営者人の一人も逮捕どころか起訴すらされていない現実は、政府の役人や政治家などが起訴されていないこと以上にありえないことなのである。
今回の出入り禁止の理由を東電は木野氏が秘密裏に株主総会の模様を流したとすることを挙げているが、そこにこの一連の問題がそうした一企業の態度や姿勢のみならず日本の構造の大問題であることを物語っている。
例えば上場した会社はどのような会社にしても公共性がある訳で、株主は不特定多数の一部の投資家でしかなく、若しそのような公共性や乗っ取りなどを嫌うのであれば上場しなければよいだけである。都合よく広く投資を集めながらまるで私企業のような態度を取って株主に相応の利益還元を行わない日本の構造は特殊なのである。
今回の件に関しても、そもそも株主は居ながらにしてネットで株主総会中継を観ることが出来て、持ち株相応の賛成不賛成の議決権をその都度ネットで行使できるのが世界の常識なのである。そのような状況からして株主総会すら中継させない東電の態度が、隠蔽体質と言う以上に、日本の経済体制の欠陥そのものなのである。
その通りである。再稼動反対の運動は今や政権打倒への運動となっているのは周知の通りである。当然のことながら東電の国有化や存続などを市民が許す筈がないのである。
参照:
東電会見、出入り禁止になりました (キノリュウが行く)
田中さんの出入り禁止事件 2011-11-06 | マスメディア批評
責任を果たせ!然もなくば、 2011-11-08 | マスメディア批評
堰を越えたメトロの大衆 2012-07-01 | 歴史・時事
それならば彼らの活躍がどのような意味合いを持っていたかと質すと、なるほど政府の関係者が集まった統合会議においては市民が知りたい情報を質問として幾らかは引き出すことが出来たのだが、東電のそれに関しては東電が発表したいその立場以外の何一つも得られなかったのは事実なのである。
それは、一部の有志を除いてはマスメディアなどが残る国営化された東電の会見においても今後二十年も三十年も同じように続くと思うと、良識を持った市民はとても受け入れがたい気持ちになる筈である。未だに家宅捜査も行われず、当時の経営者人の一人も逮捕どころか起訴すらされていない現実は、政府の役人や政治家などが起訴されていないこと以上にありえないことなのである。
今回の出入り禁止の理由を東電は木野氏が秘密裏に株主総会の模様を流したとすることを挙げているが、そこにこの一連の問題がそうした一企業の態度や姿勢のみならず日本の構造の大問題であることを物語っている。
例えば上場した会社はどのような会社にしても公共性がある訳で、株主は不特定多数の一部の投資家でしかなく、若しそのような公共性や乗っ取りなどを嫌うのであれば上場しなければよいだけである。都合よく広く投資を集めながらまるで私企業のような態度を取って株主に相応の利益還元を行わない日本の構造は特殊なのである。
今回の件に関しても、そもそも株主は居ながらにしてネットで株主総会中継を観ることが出来て、持ち株相応の賛成不賛成の議決権をその都度ネットで行使できるのが世界の常識なのである。そのような状況からして株主総会すら中継させない東電の態度が、隠蔽体質と言う以上に、日本の経済体制の欠陥そのものなのである。
その通りである。再稼動反対の運動は今や政権打倒への運動となっているのは周知の通りである。当然のことながら東電の国有化や存続などを市民が許す筈がないのである。
参照:
東電会見、出入り禁止になりました (キノリュウが行く)
田中さんの出入り禁止事件 2011-11-06 | マスメディア批評
責任を果たせ!然もなくば、 2011-11-08 | マスメディア批評
堰を越えたメトロの大衆 2012-07-01 | 歴史・時事