Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

匙ならず賽を投げたその時

2013-03-10 | 
彼女の面皰は綺麗に消えていた。そして目の下の隈も。それ以上は女性の生理も分からなければ、その日に出会うことは分かっていたのだからファンデーションで隠すこともできるのだろう。

全ては彼女の意思に任せることにした。既に記したように夏以降まで云々言っているようではもはや先を考える必要のないことは確かであり、こちらもいろいろと忙しいのだ。初めての彼女との間で小さなエゴのぶつかり合いがあった。もう少しのところで匙を投げだしそうになったが、「そりゃ寂しいな」と言うと、彼女のお友達の失笑の反応もあり、流石にこちらが賽を投げる形になったのである。

それにしても彼女の本当に最初の意思表示はあの強い熱い眼差しであったことを思い出した。碧眼のどこまでも底のない重力感のない目の輝きではなくて、東欧系の女性の特徴のそれのようなものに改めて驚かされた。こちらから目をそらさない限り、気が振れそうだ。殆ど理性を失ってしまいそうになった。

さて彼女の対応や、考え得る「何とかスキー」などの父親からの姓の表示も興味深いが、やはり彼女の考え方や表現が問われている。それは彼女自身の気質だけでなく、家庭環境やひいては両親などの文化的な背景に関係するからである。

日本滞在中の買い物について尋ねると、彼女は直ぐに衣料を挙げた。

「ミニスカートとハイヒールしかなくて」、「私には体が合わなくて、私デブ過ぎるのよね」と言って両腕で自らの胸元を抱いた。

勿論ドイツ人としては肩幅も分厚さも標準以下であり、その華麗な肉体は、小柄ながらも殆どのモードを着こなせる。それどころか着物を着せても可成り違和感が無いような感じで、華奢ではなくとも万人以上である。しかし、日本人の感覚からすれば170CMはないのでドイツではハイヒールを履いてモデル並みの井達が可能なのだが、ミニはともかくハイヒールのモードにも違和感を感じたのが面白い。

繰り返すが賽は投げられた。もはやすべては彼女の判断に授けられた。そして彼女の最大の武器であるあの熱い眼差しには抵抗できるのは猛々しい性でしかないのである。三年ほど前のあの時に十分に対応できなかった仕返しのようなものを今こうして感じている。勿論彼女もこちらの大人の配慮も分かっている筈だが、こちらにもそれを受け止めるだけの男性としての力も自信も無かったのも事実であろう。

トーマス・マンの「魔の山」の件のロシア女性のモデルには、実はユダヤ人のカティヤ・プリングスハイムがあるのではないかとふと思った。ヴァルキューレようなもしくはアウシュヴィッツのドイツ女性監視のような彼女のお友達の表情を見ているととても不思議な気持ちになる。いろいろな人種や民族の表情や目を覗き込んできたが、彼女と彼女のお友達の二人のそれは私にとってはあまり遭遇していないものだ。軟な男を全く寄せ付けない彼女たち、なるようになれと言うしかないのである。男らしい?



参照:
積極的な心理の青い表徴 2013-03-08 | 雑感
想われ面皰も笑窪の純情 2013-03-03 | 女
プリングスハイムバイロイト詣で 2013-02-25 | 文化一般
コメント (2)
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