モーツァルトの歌芝居「魔笛」初日についてどこから書き始めようか。サイモン・ラトル指揮のベルリナーフィルハーモニカ―の大勝利であったことは万人が認めるが、それに匹敵するほど公演前の短いオリエンティールングも素晴らしかった。思い切って、日本の文化の程度の低さを如実に示す文化勲章受章者故吉田秀和の文章を引用しよう。殆どは投げ売ってしまった彼の書籍の文章から強く記憶に刻まれている個所である。
「殆ど涙なしには聞き終えられないものだが、さてこの涙は悲しみから生まれたのか、それとも喜びからのものかときかれても、わかったためしがない。」
彼はこの答えをいつもの調子で開かれたままの形でおいて、ドビュシーの「この人物はやがて死ぬ人間のもつあの無私無欲で予言的優しさをそなえている。こんなむずかしいことをドレミファソラシドだけで…」で受けて独特の余韻文化としている。まさに俳諧である。
しかし、学問とか芸術とかはそうはいかない。そのような余韻文化では構築的な学術体系も文化も文明も開かれないのである。さて、ダリウス・シマンスキー講師は、「陰陽」でこのなにかと問題になる歌芝居の構成を明確にして、社会学的な視線で切り込む。どうしても陰陽の二極対照化ですべての登場人物やその歌の特徴などを腑分けしていくと安っぽい分類となってしまいがちなのだが、初演された時代背景やエポックに注意して、聴衆と創作者との関係にまで踏み込んでいくと、ありとあらゆる複雑なものの背後にある骨組みが如実に表れてくる。
つまりである、この作品を初期ロマンティックの萌芽として、まさしくゲーテが関与を考えていたそうした作品として見ていくと、退廃のロココから啓蒙思想へと、つまり政略結婚で性愛の文化におぼれるしかなかった貴族趣味から勃興しだした小市民のモラルへと視線が移される。要するに、小市民にとっては如何に貴族のそれを凌ぐだけの文化的価値を自らが身につけていくかということが大切であって、この歌芝居にメルヘンの形として描かれた陰陽に色分けされた「一人の人物」の葛藤のモノローグとしても捉えられるということである。
そして啓蒙思想と言うのは、小市民に貴族に集中した富や権力が分配されることになって、今までの貴族以上の人物になっていかなければいけない、つまりあくなき進化で覚醒の度に生まれ変わっていかなければいけないという思想ともいえる。それは次の歌詞に説明される。
Wir wandeln / Ihr wandelt durch des Tones Macht
Froh durch des Todes düstre Nacht.
これを、輪廻転生と解釈しようが、フリーメーソンの教えとしようが、はたまた古代宗教の思想としようが、そのものずばり復活思想としようが、ここで創作家が言わんとしたことや聴衆の関心ごととのその核はまた違うということになるのである。
こうした芸術作品をその時代背景から読んでいくということは全く珍しいことでも何でもないが、我々の興味は全く別のところにあって、シカネーダーやなによりもモーツァルトがどのような表現意思をもって作曲したドレミファであるかを読み解く鍵を見つけることにある。(続く)
参照:
試着に悪戦苦闘する午後 2013-03-24 | 生活
神々しい喜びよりも 2012-07-10 | 雑感
趣味や自尊心を穿つ 2006-02-26 | 生活
「殆ど涙なしには聞き終えられないものだが、さてこの涙は悲しみから生まれたのか、それとも喜びからのものかときかれても、わかったためしがない。」
彼はこの答えをいつもの調子で開かれたままの形でおいて、ドビュシーの「この人物はやがて死ぬ人間のもつあの無私無欲で予言的優しさをそなえている。こんなむずかしいことをドレミファソラシドだけで…」で受けて独特の余韻文化としている。まさに俳諧である。
しかし、学問とか芸術とかはそうはいかない。そのような余韻文化では構築的な学術体系も文化も文明も開かれないのである。さて、ダリウス・シマンスキー講師は、「陰陽」でこのなにかと問題になる歌芝居の構成を明確にして、社会学的な視線で切り込む。どうしても陰陽の二極対照化ですべての登場人物やその歌の特徴などを腑分けしていくと安っぽい分類となってしまいがちなのだが、初演された時代背景やエポックに注意して、聴衆と創作者との関係にまで踏み込んでいくと、ありとあらゆる複雑なものの背後にある骨組みが如実に表れてくる。
つまりである、この作品を初期ロマンティックの萌芽として、まさしくゲーテが関与を考えていたそうした作品として見ていくと、退廃のロココから啓蒙思想へと、つまり政略結婚で性愛の文化におぼれるしかなかった貴族趣味から勃興しだした小市民のモラルへと視線が移される。要するに、小市民にとっては如何に貴族のそれを凌ぐだけの文化的価値を自らが身につけていくかということが大切であって、この歌芝居にメルヘンの形として描かれた陰陽に色分けされた「一人の人物」の葛藤のモノローグとしても捉えられるということである。
そして啓蒙思想と言うのは、小市民に貴族に集中した富や権力が分配されることになって、今までの貴族以上の人物になっていかなければいけない、つまりあくなき進化で覚醒の度に生まれ変わっていかなければいけないという思想ともいえる。それは次の歌詞に説明される。
Wir wandeln / Ihr wandelt durch des Tones Macht
Froh durch des Todes düstre Nacht.
これを、輪廻転生と解釈しようが、フリーメーソンの教えとしようが、はたまた古代宗教の思想としようが、そのものずばり復活思想としようが、ここで創作家が言わんとしたことや聴衆の関心ごととのその核はまた違うということになるのである。
こうした芸術作品をその時代背景から読んでいくということは全く珍しいことでも何でもないが、我々の興味は全く別のところにあって、シカネーダーやなによりもモーツァルトがどのような表現意思をもって作曲したドレミファであるかを読み解く鍵を見つけることにある。(続く)
参照:
試着に悪戦苦闘する午後 2013-03-24 | 生活
神々しい喜びよりも 2012-07-10 | 雑感
趣味や自尊心を穿つ 2006-02-26 | 生活