Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

皆に課された責任

2015-03-06 | マスメディア批評
ロシアの野党指導者暗殺事件に関してヴァイオリニストのギドン・クレメルが新聞文化欄に書いている。この名人の最近の活動は知らない。最後にピアニストのアナファシスト(どうもマイセンベルクだったようだ)とのリサイタルに出かけたのはフライブルクの小さな会場で四半世紀前のことになる。冬の寒い夜だった。ゴルバチョフの時代だったろうか。だからその後の演奏活動の「仲間たち」などには関心がなく、今回も肩書が指揮者にもなっているが、演奏家活動の方はどのようになっているのかも知らない。ただし、この新聞には時々エッセイを書いていた。

今回の事件を受けて、「ロシアを愛し、自由を愛す正直者は黙っていられない」と書きはじめる。「野党政治家の死は決して偶然でも単純な示唆行為でもない」と断言する。警察当局が故人宅のがさ入れをしたことやクレムリンからの監視VIDEOの存在は知っているが、報道では断言できることはないので、政府の関与の有無に関しては多くの読者は確証をもてない。そうした中で、ここでは「これは嘱託殺人」であり、事件の経過だと明確にする。「国粋主義と不安の心理の社会の中では、肯定的な意志や思想は行き詰るとして、市民社会では極一般的な当然の自らの見解が無くなっている社会」を描く。つまり、政治的な殺人や、ばれるとばれないに拘わらず嘘が日常茶飯が放置されている国は、たとえその歴史的な偉大さに拘わらず、尊敬などはされないと嘆くのである。

故郷で起きることに対して責任を持つのは、決して一人の市民や一人の為政者ではなくて、皆に課された責任であるとして、殆ど「耐えられないまでの問いかけ」をする。なにをするのか?ゾンビのようなTVを見るのではなくて、自らの意識に従え!かくれんぼをしている場合ではないぞ!意識も何もないなどと思い違いをするな!

「人命よりも価値のあるものなどはない。ボリス・ネムゾフの悲劇的な死に償いするのは、犯罪者だけではない。彼の運命は、彼を護れなかった皆に射す影そのものなのだ」と力強く結ぶ。



参照:
Am Abgrund, Gidon Kremer, FAZ vom 3.3.2015
若手女教授の老人へのマカーブル 2010-03-19 | 音
日本右翼保守政権の計略 2014-12-14 | マスメディア批評
コメント
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