Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「自由な選択」のファーネス

2015-03-16 | 雑感
土曜日、銀行のキャッシュコーナーに行くと例のおばさんが居た。片付けて出ていくところだったようだ。それでも生臭い匂いが漂っていた。既に十時を過ぎていたはずだが、その時刻まで粘っていたようだ。かなり多くの人がそこを通ったと思われる。ドアを開けるとそこにいたので、いつものように挨拶をした。正直匂いが漂っているのは迷惑なのだが、益々気になる存在となって来ているのである。

先日日本からのお客さんと非正規雇用者について話すと、どうもファーネスに関する意識が欠けていたように感じた。要するに上のおばさんに代表されるような好き好んでと思われる「浮浪者」に対する認識の仕方である。もちろん、上のおばさんが普通に暮らそうと思えば全く問題がなく税金による支援だけでなく様々な支援が用意されている。しかしそうはなっていないのだ。

理由は分からないが、おせっかいの中産階級プロテスタントドイツ人のように彼女にそれを質そうとは思わない。それは彼女の自由であるからだ。つまり彼に意思は、その自由を謳歌しているのと同じように、日本における非正規雇用者のワーキングプア―もその自由を謳歌しているとする見解であった。

なるほど、衣食住には困らないような生活は、流石に日本の程度の福祉程度でも、彼らワーキングプーアーでも可能だろう。だから、その「自由な選択」を尊重すればよいとする見解であった。確かに一理はあって、それは社会にフェアーネスが存在しているという証明があっての事であろう。まさしく日本社会の如何わしさはそこにあって、表面上の立憲君主民主主義における報道の自由などと同じで虚構化していることが問題なのであろう。当然のことながら、上の日本人は日本の報道のそれもフクシマ報道の真実を理解していなかったようである。

テプコの会見や官僚の東大話法に代表される巧妙さが日本社会における管理能力とされて、本当のエリート層が育たない原因となっているのである。



参照:
浮浪のおばさんとの再会? 2014-10-21 | 文学・思想
戦後レジームからの抑圧 2014-12-12 | 歴史・時事
コメント
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