Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

知的な解決とは如何に?

2016-03-23 | 
スーパーに出かける時にラディオではバーデンバーデンの初日の観劇評が話されていた。どうも早朝の番組でトリスタンの新演出に関しては散々批判されていたようで、それについては聞かずに済んだ ― そもそもオペラの演出などについてなんだかんだと言わなければいけないなどとてもお気の毒である。せめて演劇評論する方が知的である。

オペラ歌手についてとやかく言うのも少々音楽を分かっている者なら同様に馬鹿らしいが、今回のイゾルデの歌手のヴィブラートがイゾルデには向かないというのは当然のことで、最後の「愛の死」は実際興醒めだった。レオニー・レザネックなどのベテランのおばさんが技を披露するならばそれはそれで芸があるのだが、若い歌手があれだけ声を揺らしてどうする。半音で決まってしまう音楽でありそれは四分音ふらつくだけでも不都合である。歌手などはそうしたものだと言っても、昨年の上演のためにバイロイトのオーデェションでそこの音楽監督に蹴られたらしく、結局アニヤ・カムプに決まり、それがまたキャンセルすることになったのだった。

サイモン・ラトルのお気に入りの歌手でそのようなエンディングになったとしても、そうしたことはミュンヘンのペトレンコ指揮の「神々の黄昏」でも昨年暮れにあった訳で、そこはやはり指揮者が上手く歌わせて収めなければいけないのだろう。なるほど歌手にとって愛される指揮者とそうでないのとの差は大きく、同じ実力でもそれなりに上手に囀らせることがオペラ指揮者の腕なのだろう。

室内楽的な奈落の大管弦楽団が、バイロイトでと同じように響いたというのはもう一つ理解できなかったが、声とのバランスは少なくとも招待席ではよかったというのは理解できる。それに関しては、そもそもステファン・ミリングだけがそれに価する声を持っていただけで、また歌わせる場所に問題があっただけで、管弦楽団は十分に制御していただろう。ゲネプロの録音が一部流れていた。

SWR2のHPを探していると、次のプログラムの合唱交響曲の生中継に気が付いていつものようにハイレゾナンス録音を試みた。生中継の音質はDLするオンデマンドものより良さそうで、CD基準にはなるのではなかろうか。前日のヨーヨーマの弾く協奏曲のVIDEOもDLする。フランス人指揮者がキャンセルしていて、代役がなんと悲愴交響曲を振っている。すると来年のペトレンコ指揮のプログラムは指揮者のどうしてもの要望ということになるのだろう。

合唱交響曲の演奏は可成り良さそうで楽しみだが、内田光子とのモ-ツァルトの協奏曲は上手くあっていなかった。次はもう少し上手に弾いてもらいたい。それにしても、フィルハーモニカ―はアバド時代よりも良くなっているようで、少なくとも弦の柔軟性は未だかつてないことであり、昨年ベルリオーズで示したセンシティーヴな響きも出せるようになっている。ラトル監督ではテュッティーとなるとどうしてもサウンドが広がらないのだが、次期ペトレンコ監督となれば、遅かれ早かれ、ダイナミックスが解放されてそれだけでなくバスからの和声の重なりが綺麗に響くようになるであろう。合唱交響曲の演奏実践についてはもう二三日勉強してみないと何とも言えないが、想像していたよりも上手に解決しているようだ。これならばここに来て初めて、ベルリナーフィルハーモニカ―の券がムーティー指揮のシカゴのそれよりも高価になってきたのも納得できる。



参照:
Mitsuko Uchida und Beethovens Neunte im Video-Livestream (SWR/ARTE)
声楽付き楽劇「トリスタン」  2016-03-22 | 音
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
銅鑼の余韻の領域限界点 2015-04-07 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする