住友化学の殺虫剤禍の続報である。ネット検索では、メインサイトのgooでは再び検索基準を厳しくしているのに気が付いた人がいるかもしれない。マニュアルで検索基準を弄る情報操作がサイト側で行われている証拠である。そのジカ騒動と住友の責任の学術的な証明はある程度の時間が掛かり、その情報の確かさが吟味されるのは時間が掛かるであろう。しかしそこに面白い動きがある、そしてそれを伝えておくことは情報の吟味以上に重要と考える。
その情報によると、親会社とされたモンサント社は「住友化学は子会社ではなく、只ライセンス契約を結んでいるだけだ」と説明して、件の「ピリプロキシフェンに関してはそのライセンス契約とは関係なく、住友化学独自の製品であり、モンサントは一切関与していない」との報道である。
これを聞いて、東芝やウエスティングハウス社やGE社との原発プラントの製造責任問題を思い出す人は少なくないだろう。要するに世界市場において二流の日本の大企業がどのようなことになっているか、その顛末はまさしく日本の経済力の世界での低下と合衆国との関係において落ち着くところに落ち着くという良い例示である。
このようなモンサント社の逃げ足の速さを見ると、今回のジカヴィールス騒動の顛末が余計に気になるところなのである。そして、第一報を出していない日本の報道機関は、当然ながらこうしたモンサント社の声明をも伝えることはないのである。これが今の日本の経済であり社会なのである。
そのようなことを考えるにつけ、合衆国大統領候補トラムプ氏が益々支持を得てきていることにも理解が得られやすくなる。合衆国の在り方が問われているのである。一方でここまでサンダース候補が選挙戦を戦っているのも同じような背景があるのに違いない。このような産業構造の中で、TTPなどによって日本の市場を開放しても、もはやどれほどの経済効果を一般の国民が享受できるかといえばとても疑問だからである。クリントン候補などの政策によって、その恩恵を受けることは難しいと多くの合衆国市民が感じるようになってきたからであろう。当然のことであり、トリクルダウンなどというような幻想を持てなくなってきているからである。
指揮者のニコラウス・アーノンクール死去のニュースが入っている。死因は書いていないが、二年以上前から引退興行を計画していたので、癌に違いないだろう。一昨年のベルリンでのサヨナラ公演の時にも回想したが、個人的にはザルツブルクでの「ポッペア」の上演に尽きる。その時に初めて古楽器でも大劇場を響かすことを経験したのだった。その意味からはパイオニアには違いないが、同じモンテヴェルディのオペラにしても既に後継のルネ・ヤコブス指揮が音楽的に評価されていたのでそれ以上の成果とはならなかった。ヴィーンに本拠を構えたこととも関係するかもしれないがどことなくローカルな印象は免れなかった。録音においてはインターナショナルな成功を収めたものの今振り返ってその成果を見るとオペラではキャシーバーベリアンとのモンテヴェルディとチューリッヒでの「イドメネオ」、そしていくつかのバロック録音以上の成功作は見当たらない。そのモーツァルトにおいても新奇性を超えて表現として卓越したところまでは至らなかったというか、最初からなにかボタンの掛け違いのようなものがあったのではないだろうか?兎に角パイオニアとして活躍したからこそのその後の成果が生まれてきたことが何よりもの芸術的な価値ではなかっただろうか。
参照:
ジカ熱被害の住友化学の責任 2016-02-17 | マスメディア批評
都合の悪い真実を窺う 2016-02-23 | 雑感
成果を挙げて摩耗する 2014-11-14 | 生活
その情報によると、親会社とされたモンサント社は「住友化学は子会社ではなく、只ライセンス契約を結んでいるだけだ」と説明して、件の「ピリプロキシフェンに関してはそのライセンス契約とは関係なく、住友化学独自の製品であり、モンサントは一切関与していない」との報道である。
これを聞いて、東芝やウエスティングハウス社やGE社との原発プラントの製造責任問題を思い出す人は少なくないだろう。要するに世界市場において二流の日本の大企業がどのようなことになっているか、その顛末はまさしく日本の経済力の世界での低下と合衆国との関係において落ち着くところに落ち着くという良い例示である。
このようなモンサント社の逃げ足の速さを見ると、今回のジカヴィールス騒動の顛末が余計に気になるところなのである。そして、第一報を出していない日本の報道機関は、当然ながらこうしたモンサント社の声明をも伝えることはないのである。これが今の日本の経済であり社会なのである。
そのようなことを考えるにつけ、合衆国大統領候補トラムプ氏が益々支持を得てきていることにも理解が得られやすくなる。合衆国の在り方が問われているのである。一方でここまでサンダース候補が選挙戦を戦っているのも同じような背景があるのに違いない。このような産業構造の中で、TTPなどによって日本の市場を開放しても、もはやどれほどの経済効果を一般の国民が享受できるかといえばとても疑問だからである。クリントン候補などの政策によって、その恩恵を受けることは難しいと多くの合衆国市民が感じるようになってきたからであろう。当然のことであり、トリクルダウンなどというような幻想を持てなくなってきているからである。
指揮者のニコラウス・アーノンクール死去のニュースが入っている。死因は書いていないが、二年以上前から引退興行を計画していたので、癌に違いないだろう。一昨年のベルリンでのサヨナラ公演の時にも回想したが、個人的にはザルツブルクでの「ポッペア」の上演に尽きる。その時に初めて古楽器でも大劇場を響かすことを経験したのだった。その意味からはパイオニアには違いないが、同じモンテヴェルディのオペラにしても既に後継のルネ・ヤコブス指揮が音楽的に評価されていたのでそれ以上の成果とはならなかった。ヴィーンに本拠を構えたこととも関係するかもしれないがどことなくローカルな印象は免れなかった。録音においてはインターナショナルな成功を収めたものの今振り返ってその成果を見るとオペラではキャシーバーベリアンとのモンテヴェルディとチューリッヒでの「イドメネオ」、そしていくつかのバロック録音以上の成功作は見当たらない。そのモーツァルトにおいても新奇性を超えて表現として卓越したところまでは至らなかったというか、最初からなにかボタンの掛け違いのようなものがあったのではないだろうか?兎に角パイオニアとして活躍したからこそのその後の成果が生まれてきたことが何よりもの芸術的な価値ではなかっただろうか。
参照:
ジカ熱被害の住友化学の責任 2016-02-17 | マスメディア批評
都合の悪い真実を窺う 2016-02-23 | 雑感
成果を挙げて摩耗する 2014-11-14 | 生活