最後の頂上往復が出来て心身ともスッキリとした。月曜日からは普通のルートへと戻る。すると長く標高差のあるルートは走る余裕が無くなる。
朝の目覚めが良かったので、それでも二時間ほどベットで温まってから出かけたので、鬼の形相とはならなかった。しかし走り始めようと思うと上からマウンテンバイクが下りて来た。曙で上がったのかそれとも短絡ルートを走っただけかは分からないが、ただの近所の親仁だった。
駐車場は地面が凍てついていて想定外だった。何とか坂道を超えると、雪が付き出した。すると後ろからマウンテンバイクが抜いて行った。今度は本格的な身なりの若い人だったが、結構苦しそうだった。こちらは完走のみを考えているが、足元も悪いと言っても本格的な積雪程ではない。マウンテンバイクが嫌に多いのは試したくて仕方がないのだろう。こちらはトレイルランニングシューズの薄い履き使い古したものだが、氷河でも同じようなものを履いているので全く気にならないが、グリップが良くない。
途中から眼鏡が曇って来てさらにスピードが落ちたと思う。その割には36分ほどで満足なところを41分しか掛かっていなかった。しかし下りに時間が掛かったようで下りてくると30分以上経過していた。往復50分を目指したところを75分も掛かっていた。
デジタルコンサートホールからお知らせのあった「フィルハーモニカー、我々の歴史」第一部を観た。旧年中に亡くなったコントラバス奏者のハルトマンを偲んでの新制作の様で、フルトヴェングラー時代を知っている楽員としてのインタヴューが要になっていて、カラヤン時代までの元奏者が勢揃いである。
アレクサンダー・ヴェードフ(チェロ、62-92)
ヴォルフラム・クリスト(ソロヴィオラ、78-99)
エーリッヒ・ハルトマン(バス、48-85)
ハンスディーター・シュヴァルツ(トロムボーン、70-91)
トーマス・ブランディス(コンツェルトマイスター、62-83)
ルドルフ・ヴァツェル(ソロバス、68-09)
ゴェッツ・トオィシュ(ソロチェロ、70-06)
ディートリッヒ・ゲルハルト(ヴィオラ、55-93)
アンドレアス・ブラウ(ソロフルート、69-15)
レオン・シュピラー(コンツェルトマイスター、63-93)
カール・ライスター(ソロクラリネット、59-93)
最初にニキシュ指揮の「運命」を聴きながらコメント、五弦のコントラバスの伝統やオーボエのヴィブラートの掛け始め、そしてヴィーナーのチャルメラのような音などが話題になって、フルトヴェングラー指揮「未完成」の練習風景。その漂うようなバスの低弦からの音とチェロよりも強く響くようでなければいけないことなど、そして嘗てはイタリア製でなくドイツのコントラバスを使っていたこと、しかし今日までの合奏の基礎になっていること。
コリオラン序曲の最初の三つのテュッティの尻上がりの緊張の掛かり方、その前提としての楽団の遅れて出るアインザッツをして、講演会でフルトヴェングラーが語っている。
「アインザッツが出ないのはニキシュからで、それは楽団の伝統で、皆は僕の指揮から来るというけど」と大笑いを誘う。
これはミュンヘンの座付管弦楽団で話題になるが、アメリカの楽団では無いことをしてヴェルサーメストは「歌を歌う時の一呼吸で、座付の伝統」としていたが、ベルリナーフィルハーモニカーはここで自らの伝統としている。
そしてカラヤンが打拍と同時に音を出そうとして何回も練習して、本番では遅れる。そして楽員が緊張感がその方があるというと、膝を叩いて「その通りだ」と認めたというのである。
そして1942年の第九の演奏へと移る。後にも先にもない演奏だが、その自由度をカラヤンも真似しようとしたが出来なかった。しかし管弦楽団の燃え方というのは今も同じで伝統的なものだとしている。(続く)
参照:
聖像破壊者と伝統回帰者 2020-11-02 | 文化一般
美しい世界のようなもの 2016-03-28 | 音
朝の目覚めが良かったので、それでも二時間ほどベットで温まってから出かけたので、鬼の形相とはならなかった。しかし走り始めようと思うと上からマウンテンバイクが下りて来た。曙で上がったのかそれとも短絡ルートを走っただけかは分からないが、ただの近所の親仁だった。
駐車場は地面が凍てついていて想定外だった。何とか坂道を超えると、雪が付き出した。すると後ろからマウンテンバイクが抜いて行った。今度は本格的な身なりの若い人だったが、結構苦しそうだった。こちらは完走のみを考えているが、足元も悪いと言っても本格的な積雪程ではない。マウンテンバイクが嫌に多いのは試したくて仕方がないのだろう。こちらはトレイルランニングシューズの薄い履き使い古したものだが、氷河でも同じようなものを履いているので全く気にならないが、グリップが良くない。
途中から眼鏡が曇って来てさらにスピードが落ちたと思う。その割には36分ほどで満足なところを41分しか掛かっていなかった。しかし下りに時間が掛かったようで下りてくると30分以上経過していた。往復50分を目指したところを75分も掛かっていた。
デジタルコンサートホールからお知らせのあった「フィルハーモニカー、我々の歴史」第一部を観た。旧年中に亡くなったコントラバス奏者のハルトマンを偲んでの新制作の様で、フルトヴェングラー時代を知っている楽員としてのインタヴューが要になっていて、カラヤン時代までの元奏者が勢揃いである。
アレクサンダー・ヴェードフ(チェロ、62-92)
ヴォルフラム・クリスト(ソロヴィオラ、78-99)
エーリッヒ・ハルトマン(バス、48-85)
ハンスディーター・シュヴァルツ(トロムボーン、70-91)
トーマス・ブランディス(コンツェルトマイスター、62-83)
ルドルフ・ヴァツェル(ソロバス、68-09)
ゴェッツ・トオィシュ(ソロチェロ、70-06)
ディートリッヒ・ゲルハルト(ヴィオラ、55-93)
アンドレアス・ブラウ(ソロフルート、69-15)
レオン・シュピラー(コンツェルトマイスター、63-93)
カール・ライスター(ソロクラリネット、59-93)
最初にニキシュ指揮の「運命」を聴きながらコメント、五弦のコントラバスの伝統やオーボエのヴィブラートの掛け始め、そしてヴィーナーのチャルメラのような音などが話題になって、フルトヴェングラー指揮「未完成」の練習風景。その漂うようなバスの低弦からの音とチェロよりも強く響くようでなければいけないことなど、そして嘗てはイタリア製でなくドイツのコントラバスを使っていたこと、しかし今日までの合奏の基礎になっていること。
コリオラン序曲の最初の三つのテュッティの尻上がりの緊張の掛かり方、その前提としての楽団の遅れて出るアインザッツをして、講演会でフルトヴェングラーが語っている。
「アインザッツが出ないのはニキシュからで、それは楽団の伝統で、皆は僕の指揮から来るというけど」と大笑いを誘う。
これはミュンヘンの座付管弦楽団で話題になるが、アメリカの楽団では無いことをしてヴェルサーメストは「歌を歌う時の一呼吸で、座付の伝統」としていたが、ベルリナーフィルハーモニカーはここで自らの伝統としている。
そしてカラヤンが打拍と同時に音を出そうとして何回も練習して、本番では遅れる。そして楽員が緊張感がその方があるというと、膝を叩いて「その通りだ」と認めたというのである。
そして1942年の第九の演奏へと移る。後にも先にもない演奏だが、その自由度をカラヤンも真似しようとしたが出来なかった。しかし管弦楽団の燃え方というのは今も同じで伝統的なものだとしている。(続く)
参照:
聖像破壊者と伝統回帰者 2020-11-02 | 文化一般
美しい世界のようなもの 2016-03-28 | 音