Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

髭剃って書き替えよ

2021-01-18 | 
土曜日の生放送の再放送を聴いた。ベルリンからのストリーミングで復活祭日曜日のプログラムで有り得ると思って熱心に聴く。特に最初のチャイコフスキー「ロメオとジュリエット」幻想曲は前日にリピートが掛かったりしてまともに聴けなかった。改めて楽譜も用意して聴いて、漸く分かった。

この曲の演奏で最も印象に残っているのは小澤征爾指揮だと思うが、そのフレージングの良さ以上にアーティキュレションの正確さは瞠目である。ベルリナーフィルハーモニカーはフルトヴェングラー時代からチャイコフスキーも得意にしていたが、こうした本格的な歌いまわしは今まで出来たことが無いと思う。

「死の島」は、五拍子などになると、彼のストラヴィンスキーの変拍子の分析ではないが、ただ単に民族的な特徴や動機内での対句としてではなくて殆ど復律動のような感じがした。オーヴァーラップしているというか二つの時限が重ねられているような塩梅である。それはロシア風の若しくはペトレンコの得意なグルーヴ感というよりも遥かに精妙なもので、ベルリナーフィルハーモニカーがここまで弾くとは思っていなかった。ムラヴィンスキー指揮のレニングラードフィルでも出来なかったような厳しい演奏をしている。

先日のアルフレード・ブレンデルの話しではないが、ラフマニノフがそこまでの創作をしているのかどうかはそのピアノ曲を熟知していないと分からないのかもしれない。ペトレンコ本人にとって特別に大きな存在である以上にこうなると本当に無視が出来ない創作となる。恐らく本年の11月の日本公演でラフマニノフの何かが演奏されると思う。

この三曲がそのまま復活祭第一の祭日に演奏されるかどうかはまだ分からないが、まだ時間があるのでもう少し詳しく見て行かないといけない。特に三曲目の「ディリミーニ」は今回初めて知った曲だ。勿論復活祭迄には細かなところはもう少し上手に演奏できるだろう。そこで最終的に録画されるとよい。

そう思って一月終わりのデジタルコンサート中継予定を見るとこれまたプログラムが変更になっている。元々は三曲目にコルンコールトの交響曲嬰ヘ長調があったのだが、これが昨年夏に変更になって演奏されなかったスークの管弦楽曲二曲に変わっている。

それだけなら気にならないのだが、その交響曲は夏のツアーの裏のプログラムで、プロコフィエフの協奏曲の前に「死の島」のプログラムとなっている。裏プログラムは既に出来上がっている作品を持ってツアーに出るゆえに、交響曲は演奏されなくなる可能性も出てくるが、復活祭辺りで機会があるのかどうかもよく分からない。夏のツアーにスーク二曲では難しいだろう。昨年のアスラエル交響曲なら問題が無いだろうが。

オーストリアでは新たなロックダウンへの方針が発表された。マスクに関してもバイエルン州に準拠している。その問題はドイツでは火曜日までに決まる一つの話題だ。そこで独第一放送がFFP2基準のマスクの使い方などを纏めている。所謂防護マスクでN95とかウイルスを吸わないようにするものだ。既に65歳以上の人々には無料で配布されている。

その目的からして労働上の規制が記されていて、最長75分までの使用が推奨されていて、30分休憩して、再び着用が健康の為に奨められる。要するに正確に着用すればそれ以上は呼吸困難や酸素不足などの可能性が危惧されて健康に悪いのである。

そして総計8時間迄しか使用できないとなっていて、更に乾燥の仕方などにも触れられている。これでけでも如何にこのマスク着用を義務化するという事の難しさを示していて、規制反対運動の所の騒ぎではない。

それならばなぜ教育程度も平均して低い南部のカトリック地域でそうした難しい規制がなされるかである。ポピュリスト政治家たちが指示を出して何かをやっている声を挙げたいからでしかない。要するに政治の無力を示しているに過ぎない。マスクを着けろとされている近郊交通機関を使わないといけないのも街づくりが出来ていない証拠でしかない。バイエルン知事ゾーダーは、「人を守る為では無く自分を守るためのマスク」としたが、手前の勝手だろうという事になる。

そして、気密性が高くなるだけに横から空気が入りやすいので、髭は剃るべきだとなっている。



参照:
生でのキッチンワイン 2021-01-17 | ワイン
FFP2のパン屋さん 2020-12-22 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする