(承前)昨日に続き、フィルム「フィルハーモニカー、我々の歴史」を期限のある無料券を使ってデジタルコンサートホールで部分的に再確認した。
ここまで拘るのは新制作を、そしてこれをフィルハーモニカ―やキリル・ペトレンコがどのように観ているかに興味があるからだ。今歴史を振り返ることは先に活かされるからだ。掻い摘んだ内容よりも現場にいる人は更に何倍もの情報をその枝葉と共に得ている筈だが、ここでの内容だけでもとても沢山事を語っている。
旧フィルハーモニーの建築や音響に関してはとても重要な話題で、管弦楽が今後も存続するとすればやはり現在のカラヤンサーカスからボックスシュー型の最新ホールへの道が議論にのぼる筈だからだ。その中で興味深いのはよく知られている様にフルトヴェングラー指揮の時は旧フィルハーモニーでも独伝統的楽器配置よりも現代的な右側にヴィオラとその奥にコントラバスの配置が取られていた写真が沢山残っている。
また1944年1月30日での空爆での焼失後のティタニアパラストでの音響も話題になっていて、様々な角度からのフィルハーモニカーの記憶が集められている。そして愈々フォンカラヤンの登場である。出演しているのはカラヤン楽団の奏者で主観的な話しも多いが、チェリビダッケとカラヤンの間での選抜の話しが出る。チェリビダッケに関しては信者のそれはあまりにも過剰だがとしながらも、古顔三分の一も辞めさせようとしたことが最大の問題で、当時は楽団年金の機構も無かったから駄目になるのは当然だったとしている。ナチ党員であったことも考えれば、余程のアドヴァンテージがあったと思っていたが明らかな敵失となるとそれ程背後関係は無いと考えるべきなのだろう。
カラヤンの登場で興味深いのは、その早いテムピや運動性はトスカラヤンとして知られているもので、個人的に目に入って来たときはまだまだ初回のベートーヴェン全集でそのダイナミックス差があり、録音も教会で録られていた。そしてフルトヴェングラー時代からボーイングなどは一切弄っておらず、それはバスが証言していて伝統的とある一方、そのテムピの影響と指揮が全てだったとも言える。確かに66年の新世界の指揮でも魅せる以前にきびきびした感じは明らかだ。
その当時抜かれるか心配だったというのがフィルチャイ指揮の放送交響楽団だったとあり、その視座は無かったので、なるほどと思う。そもそも現在のフィルハーモニカーに比べたら上手いと言ってもも技術的には二三級下で、特に戦時下では教育が充分でなかった団員が多かったとされる。それに関してはカール・ライスターが採用試験を受けて何も出来ないのを悩んでいたら、楽団で学べばよいという事でカラヤンにも直々に教えて貰ったという。アバドの時などには到底想像できなかったと。
個人的にシュピラーラなども感銘を受けていて、個人的に話せるという事ではフルトヴェングラーの権威とは異なったとある。一緒にプールに入ったり、少人数では親しみのある人物だが、大勢の前ではボスを主張しなければいけなかった孤独な帝王だったと語られる。
音楽の話しは個人的にはしないが車や飛行機の話しにでは、日本旅行の節にブラウが始めていた操縦で日航に誘われたので、養成所で747を一緒に操縦士に入ったが、全てとても知り尽くしていたらしい。
ブラームスなどは誰でも弾けるもので名人には退屈で仕方がない曲であるが、合奏をするのが管弦楽団でそこに全てが注がれ伝統となっているとされる。そして、カラヤンは練習で締め上げるが、コンサートでは自由にやらせてくれたとされる。逆に言うとそれだけ指揮の実力があったという事になるのだろう。実際は千歳飴の様に演奏させるだけの力量が指揮者にも楽団にもあった。(終わり)
参照:
想いが詰まった演奏会 2021-01-01 | 音
楽では無く響のカラヤン 2020-07-18 | 音
ここまで拘るのは新制作を、そしてこれをフィルハーモニカ―やキリル・ペトレンコがどのように観ているかに興味があるからだ。今歴史を振り返ることは先に活かされるからだ。掻い摘んだ内容よりも現場にいる人は更に何倍もの情報をその枝葉と共に得ている筈だが、ここでの内容だけでもとても沢山事を語っている。
旧フィルハーモニーの建築や音響に関してはとても重要な話題で、管弦楽が今後も存続するとすればやはり現在のカラヤンサーカスからボックスシュー型の最新ホールへの道が議論にのぼる筈だからだ。その中で興味深いのはよく知られている様にフルトヴェングラー指揮の時は旧フィルハーモニーでも独伝統的楽器配置よりも現代的な右側にヴィオラとその奥にコントラバスの配置が取られていた写真が沢山残っている。
また1944年1月30日での空爆での焼失後のティタニアパラストでの音響も話題になっていて、様々な角度からのフィルハーモニカーの記憶が集められている。そして愈々フォンカラヤンの登場である。出演しているのはカラヤン楽団の奏者で主観的な話しも多いが、チェリビダッケとカラヤンの間での選抜の話しが出る。チェリビダッケに関しては信者のそれはあまりにも過剰だがとしながらも、古顔三分の一も辞めさせようとしたことが最大の問題で、当時は楽団年金の機構も無かったから駄目になるのは当然だったとしている。ナチ党員であったことも考えれば、余程のアドヴァンテージがあったと思っていたが明らかな敵失となるとそれ程背後関係は無いと考えるべきなのだろう。
カラヤンの登場で興味深いのは、その早いテムピや運動性はトスカラヤンとして知られているもので、個人的に目に入って来たときはまだまだ初回のベートーヴェン全集でそのダイナミックス差があり、録音も教会で録られていた。そしてフルトヴェングラー時代からボーイングなどは一切弄っておらず、それはバスが証言していて伝統的とある一方、そのテムピの影響と指揮が全てだったとも言える。確かに66年の新世界の指揮でも魅せる以前にきびきびした感じは明らかだ。
その当時抜かれるか心配だったというのがフィルチャイ指揮の放送交響楽団だったとあり、その視座は無かったので、なるほどと思う。そもそも現在のフィルハーモニカーに比べたら上手いと言ってもも技術的には二三級下で、特に戦時下では教育が充分でなかった団員が多かったとされる。それに関してはカール・ライスターが採用試験を受けて何も出来ないのを悩んでいたら、楽団で学べばよいという事でカラヤンにも直々に教えて貰ったという。アバドの時などには到底想像できなかったと。
個人的にシュピラーラなども感銘を受けていて、個人的に話せるという事ではフルトヴェングラーの権威とは異なったとある。一緒にプールに入ったり、少人数では親しみのある人物だが、大勢の前ではボスを主張しなければいけなかった孤独な帝王だったと語られる。
音楽の話しは個人的にはしないが車や飛行機の話しにでは、日本旅行の節にブラウが始めていた操縦で日航に誘われたので、養成所で747を一緒に操縦士に入ったが、全てとても知り尽くしていたらしい。
ブラームスなどは誰でも弾けるもので名人には退屈で仕方がない曲であるが、合奏をするのが管弦楽団でそこに全てが注がれ伝統となっているとされる。そして、カラヤンは練習で締め上げるが、コンサートでは自由にやらせてくれたとされる。逆に言うとそれだけ指揮の実力があったという事になるのだろう。実際は千歳飴の様に演奏させるだけの力量が指揮者にも楽団にもあった。(終わり)
参照:
想いが詰まった演奏会 2021-01-01 | 音
楽では無く響のカラヤン 2020-07-18 | 音