アマゾンプライムを使い切ろうとしている。最後の日まで発注してやろうと思っている。一つはスタムプのゴム印のインクパットが四半世紀で発色が薄くなってきたので新たに発注した。二つ組なので後半世紀近くはもつであろう。6ユーロだ。オーストリア製で最初は彫って貰ったりしたのだがここまでもつとは思わなかった。
もう一つ気になっていたのが便器のブラシで、これも三十年程経つと歯ブラシと同じで先が丸くなってきて綺麗に磨けなくなっている。実質的には二本を使っていたので十五年使用である。近所の店を探せばあるかもしれないが時期柄要らぬところには出向かない。更にブラシを抱えて帰って来るのも恰好が良くないのでプライムで発注。設置桶にしっかり嵌れば完璧だ。
その前に発注していたフックが届いた。これは10本組で14ユーロと大変高価なのだが、評判は頗るよい。元々の用途はバスにあるようなヒーターのフィンに引っ掛けて、タオルなどを吊っておくと直ぐに乾くというものだ。生憎そのようなヒーターではないので使えないのだが、欲しかったのは足拭きを吊っておくところで、長くシャワーの横に吊ったりしていたのだが、その後ろが黴が生え易くなったので止めた。その後は洗濯機の横の蛇口にも吊っておいた。それも新たな洗濯機の取水口の関係であまり吊りたくなくなった。
適当な場所はシャワーのカーテンを開けている時のそこである。乾き易く、誰がシャワーを浴びるにしても足拭きと分かり易い。ホテルなどでは足元に置いてあるが、あれだと乾かない。カーテンレールは結構太いので探したら上のフックが見つかった。28㎝と23㎝と反対側と大きさを変えている。太い方が綺麗に掛かることが分かった。
それで濡れた足拭きを直接掛けるには高過ぎて、風呂上りには不愉快なので連結することにした。四連続である程度使えるような感じである。先ずは両面テープで貼り付けることにした。使い易くて強度が足りなければ接着すればよい。又実用的でないならば、他の所でも使い易い。ハンガーが無くても、洗濯干しにでも、どこにでも吊っておける。紫外線さえ避ければある程度の年数は使えるだろう。高価だけのことは期待したい。
こうしたフックハーケンを見るとどうしても思い出してしまうのは、ヴァイマールのブッヘンヴァルト収容所で死体を吊るしたであろうハーケンだ。獲物や食肉類に使うような先が尖った鉄のものである。
アウシュヴィッツ解放で方々の鐘も鳴っていたように思うが、水曜日にバムベルガージムフォニカー75周年記念番組で放送されたホルスト・シュタイン指揮の1994年の演奏が感嘆深かった。先ずはシェーンベルクの「ヴァルシャワの生き残り」そしてアタッカで「ドイツェスレクイエム」と続くプログラムだった。二三年前にベルリンでユロスキーが第九の第三第四の間に挟んだのもあったが、これも独自性があった。ヘルマン・プライが語りから歌えと繋がるのも興味深い。
しかし何よりもやはりシュタインの棒捌きは見事である。この人の時代が一番良かったのだろうか。初代のカイルベルトに匹敵するカペルマイスターであったが、この演奏でもその力を発揮しているようだ。客演のシノポリ指揮ではこの交響楽団のブルックナーの八番を聴いているがそれ以外はあまり覚えが無い。
その後にもカペルマイスターとか呼ばれる指揮者はいるが、シュタインとその一人マンハイムの後継でもあったアダム・フィッシャーの音楽を比べてみれば流石に誰でもその腕の差は分かる筈だ。今更かもしれないが、恐らくシュタインはバイロイトの「パルシファル」でも立派な指揮をしているに違いない。
早朝から雨で、余程早くなければ走ることは出来なかった。更に体調を壊しそうだ。こうなればなんとか金曜日にでも借りを返しておきたい。土曜日も駄目な様で河川の氾濫が迫るような水量になるかもしれない。要するに上の雪が解けて一気に流れとなる。
参照:
強制収容所の現実 [ 歴史・時事 ] / 2005-01-26
独精神についての疑問視 2007-10-13 | 音
もう一つ気になっていたのが便器のブラシで、これも三十年程経つと歯ブラシと同じで先が丸くなってきて綺麗に磨けなくなっている。実質的には二本を使っていたので十五年使用である。近所の店を探せばあるかもしれないが時期柄要らぬところには出向かない。更にブラシを抱えて帰って来るのも恰好が良くないのでプライムで発注。設置桶にしっかり嵌れば完璧だ。
その前に発注していたフックが届いた。これは10本組で14ユーロと大変高価なのだが、評判は頗るよい。元々の用途はバスにあるようなヒーターのフィンに引っ掛けて、タオルなどを吊っておくと直ぐに乾くというものだ。生憎そのようなヒーターではないので使えないのだが、欲しかったのは足拭きを吊っておくところで、長くシャワーの横に吊ったりしていたのだが、その後ろが黴が生え易くなったので止めた。その後は洗濯機の横の蛇口にも吊っておいた。それも新たな洗濯機の取水口の関係であまり吊りたくなくなった。
適当な場所はシャワーのカーテンを開けている時のそこである。乾き易く、誰がシャワーを浴びるにしても足拭きと分かり易い。ホテルなどでは足元に置いてあるが、あれだと乾かない。カーテンレールは結構太いので探したら上のフックが見つかった。28㎝と23㎝と反対側と大きさを変えている。太い方が綺麗に掛かることが分かった。
それで濡れた足拭きを直接掛けるには高過ぎて、風呂上りには不愉快なので連結することにした。四連続である程度使えるような感じである。先ずは両面テープで貼り付けることにした。使い易くて強度が足りなければ接着すればよい。又実用的でないならば、他の所でも使い易い。ハンガーが無くても、洗濯干しにでも、どこにでも吊っておける。紫外線さえ避ければある程度の年数は使えるだろう。高価だけのことは期待したい。
こうしたフックハーケンを見るとどうしても思い出してしまうのは、ヴァイマールのブッヘンヴァルト収容所で死体を吊るしたであろうハーケンだ。獲物や食肉類に使うような先が尖った鉄のものである。
アウシュヴィッツ解放で方々の鐘も鳴っていたように思うが、水曜日にバムベルガージムフォニカー75周年記念番組で放送されたホルスト・シュタイン指揮の1994年の演奏が感嘆深かった。先ずはシェーンベルクの「ヴァルシャワの生き残り」そしてアタッカで「ドイツェスレクイエム」と続くプログラムだった。二三年前にベルリンでユロスキーが第九の第三第四の間に挟んだのもあったが、これも独自性があった。ヘルマン・プライが語りから歌えと繋がるのも興味深い。
しかし何よりもやはりシュタインの棒捌きは見事である。この人の時代が一番良かったのだろうか。初代のカイルベルトに匹敵するカペルマイスターであったが、この演奏でもその力を発揮しているようだ。客演のシノポリ指揮ではこの交響楽団のブルックナーの八番を聴いているがそれ以外はあまり覚えが無い。
その後にもカペルマイスターとか呼ばれる指揮者はいるが、シュタインとその一人マンハイムの後継でもあったアダム・フィッシャーの音楽を比べてみれば流石に誰でもその腕の差は分かる筈だ。今更かもしれないが、恐らくシュタインはバイロイトの「パルシファル」でも立派な指揮をしているに違いない。
早朝から雨で、余程早くなければ走ることは出来なかった。更に体調を壊しそうだ。こうなればなんとか金曜日にでも借りを返しておきたい。土曜日も駄目な様で河川の氾濫が迫るような水量になるかもしれない。要するに上の雪が解けて一気に流れとなる。
参照:
強制収容所の現実 [ 歴史・時事 ] / 2005-01-26
独精神についての疑問視 2007-10-13 | 音