Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ニキシュ指輪四十年

2021-01-27 | 
ミュンヘンからの生放送は素晴らしかった。指揮者ズビン・メータが古巣の座付管弦楽団を振るコンサート中継だった。曲展開の時に切れ目があったので、現実には当日に収録されて放映されたものだと分かった。しかし沢山の直したいところは其の侭の時差生中継だった。制作にレーベルのファラオが入っていたので編集し直す素材はあるのかもしれない。無観客だからやろうと思えば制作品並の編集が出来るがそのような上等なレーベルではないので期待はできない。

最初にリヒャルト・シュトラウスの「最後の四つの歌」が演奏された。歌はこの曲でイタリアから一緒に回ってきているニールンドで昨年二月のベルリンでの「ばらの騎士」共演でとても高く評価された。声のまろやかな発声に人気もあるが、中継されたものを聴いても技術的には決して安定していなかった。ベルリン以来一番良かったのはスカラ座のガラ中継でのジークリンデの歌唱で、シュトラウスよりもヴァークナーの軽い役の方がふっくらと発声するので良いのではないかと思った。METをはじめ世界中で歌っている一流歌手には違いないので、今回も大舞台でしっかりと押さえてきたのは立派だった。楽劇なら息切れするかもしれないが短い曲なので精一杯歌っていたと思う。

そして何よりも嘗ての音楽監督指揮の下での座付楽団が取り分け素晴らしかった。やはりシュトラウスになるとドレスデンやヴィーンのそれとは一級上の演奏をする。なによりも音色が素晴らしく、渋みのある音色は比較しようもない本物である。メータ指揮の十八番であるその管弦楽バランスは絶妙で、思い残すことが無いだろうという演奏であった。

なるほどペトレンコ指揮のディアナ・ダマロウの歌唱のような精緻さは無いのだが、メータの音楽と相まっての微妙さはペトレンコが今描くそれとは大分違う。こういう指揮を観ると改めてカール・ベームがニキシュ指輪を授けたのが1981年で、流石にヴィーンの音楽の正統的な後継者に渡したものだと感心する。

後半にはシューベルトの大ハ長調交響曲が演奏されたが、これがまた、如何なる管弦楽団の傷があったにしても、名演だった。二年ほど前に所縁のハンガリーの血を引くドホナーニ指揮で聴いたものと比較しても更に音楽の起源のセマンティックな意味付けがハッキリと描かれていて、特に三楽章のレントラーなどはそのベーム指揮のヴィーナーフィルハーモニカーの演奏よりも優れていた。先週もミュンヘンでメータ指揮を聴く予定にしていたが、良い管弦楽団を振る時は、無理してでも追っかけたいような名指揮を披露している。

木曜日は再び場所を劇場から裏のザールに場所を変えて放送交響楽団を振る。座付管弦楽団の様に格別な音は聴けないかもしれないが、最近は良く振っているのでそこでも期待したい。

アマゾンに復帰した。あまりに喧しく連絡してきたので、覗きに行った。殆どフィッシング詐欺と変わらない。そして分かったのはプライム契約は既に解消されていたが、まだ使えることが分かったので発注しようと思っていたものを注文しておいた。本当に腹立たしい。1999年からの顧客で、仕事でも使っていたので百万円程は売り上げに貢献しているのは間違いない。

急いで欲しかったのは車のラムプが切れていたのでそれと、爪切りなどで、良い靴クリームを見つけたのでそれも発注した。小物ばかりで45ユーロも発注した。



参照:
曙からの伝統の継続 2021-01-10 | マスメディア批評
コロナ聖火台を仰ぐ 2020-03-23 | 雑感
コメント
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