「ジュディッタ」初日の券が発売された。一度全てがキャンセルになって、再発売のつもりだったが、10時に出たのは20席足らずだった。価格クラスでは1から5迄で、一タイミング遅れて、タッチ出来たのは赤、籠に入れられた紫、赤が144ユーロで躊躇していたら、三席とも取れず、紫の平土間三列目170ユーロは厳しいと思った。
出しものがオペレッタとオペラの中間のようなオペレッタ作曲家のレハール作、今迄のミュンヘンの歌劇場の最高席は「トリスタン」平土間二列目の345ユーロだった。新体制になってからの最初の「鼻」もいい席を青68ユーロで納めた。それなのに170ユーロはありえないと思った。
往復すれば最低120ユーロ程はかかる。合わせて300ユーロを簡単に超える。するとなると価格対価値を考える訳で、レハールのオペラにそれ程の投資などは考えたこともなかった。
例えばキリル・ペトレンコもベルリンのコーミッシェオパー時代にはコンヴィチニ―演出で「微笑みの国」を指揮していて、今後とも顧みられる上演となっている。しかし、それを知っていて、タイムマシーンでそこに戻っても上の様な額を出すとは思えない。当地の最高額はそれより下であろう。現在でも95ユーロ程度で妥当だと思う。
指揮のティトュス・エンゲルが友人でどの程度の指揮をするかは分かっていても、忌憚ない感想を持つためには高価すぎるのである。高すぎると、人間心理として、どうしても不満が湧くかそれともあまり否定的な気持ちは持ちたくなくなるかのどちらかであるからだ。
なるほど減員しているので三列目の一番端で前の列が空いていればもしくは一列目も空けていれば最前列で指揮がよく見えると思った。しかしフランクフルトで散々見たので必要はない。後で考えれば本人に声も掛けれたかなとも思ったが、それにしては遠すぎる。
来週の券もそれ程状況は変わらなかったので今回は断念しようとは思ったが、先ずは零れ券を待ってみた。すると最高クラス195ユーロなどが出てきた後で、なんと本日の最低価格ランク5の茶色が出た。震えるマウスで押さえた。92ユーロである。三列目であるが前が空いていそうなので問題がないと思った。額もフランクフルトの80ユーロよりも少々高くても初日だから仕方がない。
一番の高価格はジルフェスタ―に上演される回で最高席は220ユーロに設定されている。そこでやはり不審に思う。今回の初日でもやはり高い。それで服装コードがないなんて如何にも庶民的なことを語っても、あの価格帯でペアーで来る人なんかはやはり経済的に余裕があって、服装コードなんて言及する方がおかしい。
今回の新制作のその価値は到底はかれない。しかし、ドルニー支配人が舞台袖から挨拶しているようにこの余りにも理不尽な条件で劇場に足を運ぶというのはもうそれだけで劇場活動なのだと分かる。要するに余暇とかエンタメとかとは甚だ遠いところでの営みなのである。
ある意味、余りにも理不尽に証明書に更に抗原検査を強要するのは州政府の嫌がらせに近いもので、普通の人々はもう足を運ばない。そうした数々の障壁を乗り越えて出かけようとする人々は劇場活動を護る意志が少なからずあるに違いないのである。
ドルニー支配人の手本であったモルティエ博士の劇場への意志にそれは通じている。万難を排して劇場に足を運ぶことはそうした理不尽への抗議の意思の表れでもある。一体どれほどの入場者が見込まれているのかは分からない。規制からすれば525人は入れる筈だが、本日の券の出方からすると、定期や招待やスポンサー更に先行予約していた人たちに十分に再配券できていたのだろう。そうなれば再配券された人たちと本日購入した人たちはこぞって出かけてくると思う。強い意志を示す時である。
参照:
子は親のなすが儘になるか 2021-12-14 | 雑感
千秋楽のフィナーレ 2021-12-08 | 音
出しものがオペレッタとオペラの中間のようなオペレッタ作曲家のレハール作、今迄のミュンヘンの歌劇場の最高席は「トリスタン」平土間二列目の345ユーロだった。新体制になってからの最初の「鼻」もいい席を青68ユーロで納めた。それなのに170ユーロはありえないと思った。
往復すれば最低120ユーロ程はかかる。合わせて300ユーロを簡単に超える。するとなると価格対価値を考える訳で、レハールのオペラにそれ程の投資などは考えたこともなかった。
例えばキリル・ペトレンコもベルリンのコーミッシェオパー時代にはコンヴィチニ―演出で「微笑みの国」を指揮していて、今後とも顧みられる上演となっている。しかし、それを知っていて、タイムマシーンでそこに戻っても上の様な額を出すとは思えない。当地の最高額はそれより下であろう。現在でも95ユーロ程度で妥当だと思う。
指揮のティトュス・エンゲルが友人でどの程度の指揮をするかは分かっていても、忌憚ない感想を持つためには高価すぎるのである。高すぎると、人間心理として、どうしても不満が湧くかそれともあまり否定的な気持ちは持ちたくなくなるかのどちらかであるからだ。
なるほど減員しているので三列目の一番端で前の列が空いていればもしくは一列目も空けていれば最前列で指揮がよく見えると思った。しかしフランクフルトで散々見たので必要はない。後で考えれば本人に声も掛けれたかなとも思ったが、それにしては遠すぎる。
来週の券もそれ程状況は変わらなかったので今回は断念しようとは思ったが、先ずは零れ券を待ってみた。すると最高クラス195ユーロなどが出てきた後で、なんと本日の最低価格ランク5の茶色が出た。震えるマウスで押さえた。92ユーロである。三列目であるが前が空いていそうなので問題がないと思った。額もフランクフルトの80ユーロよりも少々高くても初日だから仕方がない。
一番の高価格はジルフェスタ―に上演される回で最高席は220ユーロに設定されている。そこでやはり不審に思う。今回の初日でもやはり高い。それで服装コードがないなんて如何にも庶民的なことを語っても、あの価格帯でペアーで来る人なんかはやはり経済的に余裕があって、服装コードなんて言及する方がおかしい。
今回の新制作のその価値は到底はかれない。しかし、ドルニー支配人が舞台袖から挨拶しているようにこの余りにも理不尽な条件で劇場に足を運ぶというのはもうそれだけで劇場活動なのだと分かる。要するに余暇とかエンタメとかとは甚だ遠いところでの営みなのである。
ある意味、余りにも理不尽に証明書に更に抗原検査を強要するのは州政府の嫌がらせに近いもので、普通の人々はもう足を運ばない。そうした数々の障壁を乗り越えて出かけようとする人々は劇場活動を護る意志が少なからずあるに違いないのである。
ドルニー支配人の手本であったモルティエ博士の劇場への意志にそれは通じている。万難を排して劇場に足を運ぶことはそうした理不尽への抗議の意思の表れでもある。一体どれほどの入場者が見込まれているのかは分からない。規制からすれば525人は入れる筈だが、本日の券の出方からすると、定期や招待やスポンサー更に先行予約していた人たちに十分に再配券できていたのだろう。そうなれば再配券された人たちと本日購入した人たちはこぞって出かけてくると思う。強い意志を示す時である。
参照:
子は親のなすが儘になるか 2021-12-14 | 雑感
千秋楽のフィナーレ 2021-12-08 | 音