レハール作曲「ジュディッタ」のお勉強を始めた。粗筋は他愛のないもので、幾らでも安物の上演はできてフレンチカンカンがないだけで浅草オペラで十分の代物である。しかし明らかに30年ほど前の「メリーウィドー」とは大分異なり、大編成でヴィーンの国立歌劇場で初演されたように結構力が入っている。
楽譜はネットでは探せなかったのだが、YouTubeに楽譜付きの映像があるので助かる。その前に全体の流れをつかむ為にオーストリアとハンガリー国境のノイジードラーでの野外劇場での興行映像を観た。こうした演奏をすると全くオペラ劇場などで演奏される作品ではないと思うのだが、楽譜のついている演奏はライプチッヒの音楽監督シルマー指揮でこれまた硬い。最初の触りだけを聴いたのだが、これはいい演奏が出来る作品だと思った。
Lehár - Giuditta (2003)
Lehár - Giuditta (Sheet Music)
一方で今回の新制作は同時代のストラヴィンスキー、シェーンベルク、ウルマンなどの歌曲も歌われるようなので演出のマルターラーがどのように企画したのかを想像してみる。
音楽的に親友プッチーニとの双方向の影響やまた歴史的な語法も上手に使っているようで、核心部の歌の部分は手が込んでいる。但しそれを繋ぐ部分がオペレッタ形式になっているようで、上手くいかない。如何にヴァ―クナーのみならず今回も挿入されるベルクなどが苦心して上手に作曲していたかが分かる。同じように先日の「マスカラーデ」などもそうした一つの解決方法を示している。
更に今回コルンコールトの「死の街」もアイスら―曲などと一緒に引用されるので、まさしく1930年代の創作の世界が見渡せるようになるのかもしれない。因みに本年生で体験したオペラは、「トリスタン」、「マスカラーデ」、「サロメ」、「鼻」、「ジュディッタ」となりそうである。
総稽古の様子が一斉に伝えられている。先ずは、演出上はっきりしたのはブッファ役で主役の二人に対比させられたペアーがホルヴァート作「スラデックもしくは黒い軍隊」の悲劇の役を担って、それに合わせて同時代のベルクの「アルテンベルク歌曲」などが挿入されている。可也の曲数をどのように挿入するのかは関心事であるが、今回もショスタコーヴィッチも挿入されると知って「鼻」の四重奏曲を思い浮かべた。ドルニー体制での傾向がポストモダーンを活かした芸術傾向があるとみて、リヨンで協調していたエンゲルなどの手を借りるのは当然であると思った。
少なくとも録音の断片を聴くとエンゲルでこその音響が響いているのも確認できる。流石に聴き違えないものがある。半面、レハールの音楽のニュアンスに最大限留意していても挿入やら大劇場での音響の関係でどこまでその効果が活かされるかのかどうかは会場で直接体験してみないと分からない。謂わば、ライヴエレクトロニクスもそこでなければ効果を持ちがたいのと同じである。
徐々に分かってきたので、ざっと楽譜に目を通して、挿入されるコルンゴールトの「死の街」の引用の仕方も想像してみたい。そのマリーはタイトルロール役の持ち役でもあるので彼女が歌うのだろうか?
それにしてもペトレンコ指揮で体験した「死の街」の音楽を同じ劇場で、まさかこんなに早くエンゲルの指揮で一部であろうが聴くことになるとは、まるで考えもしなかった夢の様である。
参照:
LEHÁRS "GIUDITTA" IM MIX VON DJ MARTHALER, Franziska Stürz, BR-Klassik vom 16.12.2021
Die Operette hängt am Tropf“, Markus Thiel, Merkur vom 16.12.2021
劇場への強い意志を示す 2021-12-15 | 文化一般
手前に流れてくるストリーム 2021-12-11 | 文化一般
楽譜はネットでは探せなかったのだが、YouTubeに楽譜付きの映像があるので助かる。その前に全体の流れをつかむ為にオーストリアとハンガリー国境のノイジードラーでの野外劇場での興行映像を観た。こうした演奏をすると全くオペラ劇場などで演奏される作品ではないと思うのだが、楽譜のついている演奏はライプチッヒの音楽監督シルマー指揮でこれまた硬い。最初の触りだけを聴いたのだが、これはいい演奏が出来る作品だと思った。
Lehár - Giuditta (2003)
Lehár - Giuditta (Sheet Music)
一方で今回の新制作は同時代のストラヴィンスキー、シェーンベルク、ウルマンなどの歌曲も歌われるようなので演出のマルターラーがどのように企画したのかを想像してみる。
音楽的に親友プッチーニとの双方向の影響やまた歴史的な語法も上手に使っているようで、核心部の歌の部分は手が込んでいる。但しそれを繋ぐ部分がオペレッタ形式になっているようで、上手くいかない。如何にヴァ―クナーのみならず今回も挿入されるベルクなどが苦心して上手に作曲していたかが分かる。同じように先日の「マスカラーデ」などもそうした一つの解決方法を示している。
更に今回コルンコールトの「死の街」もアイスら―曲などと一緒に引用されるので、まさしく1930年代の創作の世界が見渡せるようになるのかもしれない。因みに本年生で体験したオペラは、「トリスタン」、「マスカラーデ」、「サロメ」、「鼻」、「ジュディッタ」となりそうである。
総稽古の様子が一斉に伝えられている。先ずは、演出上はっきりしたのはブッファ役で主役の二人に対比させられたペアーがホルヴァート作「スラデックもしくは黒い軍隊」の悲劇の役を担って、それに合わせて同時代のベルクの「アルテンベルク歌曲」などが挿入されている。可也の曲数をどのように挿入するのかは関心事であるが、今回もショスタコーヴィッチも挿入されると知って「鼻」の四重奏曲を思い浮かべた。ドルニー体制での傾向がポストモダーンを活かした芸術傾向があるとみて、リヨンで協調していたエンゲルなどの手を借りるのは当然であると思った。
少なくとも録音の断片を聴くとエンゲルでこその音響が響いているのも確認できる。流石に聴き違えないものがある。半面、レハールの音楽のニュアンスに最大限留意していても挿入やら大劇場での音響の関係でどこまでその効果が活かされるかのかどうかは会場で直接体験してみないと分からない。謂わば、ライヴエレクトロニクスもそこでなければ効果を持ちがたいのと同じである。
徐々に分かってきたので、ざっと楽譜に目を通して、挿入されるコルンゴールトの「死の街」の引用の仕方も想像してみたい。そのマリーはタイトルロール役の持ち役でもあるので彼女が歌うのだろうか?
それにしてもペトレンコ指揮で体験した「死の街」の音楽を同じ劇場で、まさかこんなに早くエンゲルの指揮で一部であろうが聴くことになるとは、まるで考えもしなかった夢の様である。
参照:
LEHÁRS "GIUDITTA" IM MIX VON DJ MARTHALER, Franziska Stürz, BR-Klassik vom 16.12.2021
Die Operette hängt am Tropf“, Markus Thiel, Merkur vom 16.12.2021
劇場への強い意志を示す 2021-12-15 | 文化一般
手前に流れてくるストリーム 2021-12-11 | 文化一般