Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

伝播する分からぬ流行り

2021-12-24 | 文化一般
(承前)新制作「ジュディッタ」の二回目公演も行われた。三回目はクリスマス明けの27日月曜日である。早速トレイラーに続き、メーキングのヴィデオなどが出されて、そのリンクから最初から出ていた音声での解説などに戻った。

先ずはヴィデオで演出家のマルターラーとドラマテュルギが砂箱で話している。舞台でリビア蜂起の戦地である砂漠を表すそれで、全体の構成が話されていて、舞台装置も今までチュッリッヒ等で使われていた物が転用されていると紹介されている。それは自らの演出の流儀らしいのだが、そうした舞台作りで芝居がどのように構成されているかが示唆されていて、ホルヴァートの「スラデックもしくは黒い軍隊」がなぜ重要かが語られる。
OBSERVATIONS: GIUDITTA - Behind the scenes


そして音声解説に戻ると、明々白々にこのオペラ「ジュデッタ」自体が当時の社会情勢と切っても切り離されなくて、実際にかの有名なアルトハイデルベルクの歌を作詞したリブレットの作者はアウシュヴィッツで殺害されている。更にレハールのユダヤ系奥さんがのちに名誉アーリア人を貰ったのだが、その背景にヒトラーの最も愛した作品「メリーウィドー」があったことだけで既に政治的影響をそこにみないわけにはいかない。

しかしそれだけでなく、この敵前逃亡するような主役の作品は既にナチが勃興してきた様なドイツでの上演が難しかったこと、それによってヴィーンで大臣に直訴して初演がなされたが、その首相はナチに暗殺されて、それだけでなくレハールがイタリア軍人のアフリカ制圧を扱った作品であるからムッソリーニに作品を献呈しようとしたところ、拒否されたことと、この作品が初めから特別に政治的な作品であったことが明らかにされる。

その内容を再び見れば音楽コメディーと名を打っただけに決して通常のオペレッタでなかったこと、それは今回のヴィデオでも練習風景を披露しているテュテゥス・エンゲルの話しでも敢えて抽象的に語られていたのだが、要するにそうした演出やコンセプトが必要だったことを語っている。

ここで思い浮かべるのはアドルノの有名な言葉である。それは「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。」であり、バイエルン放送協会の女性がちっとも面白い所がないと批評していたというのは、高い教育を受けた若いドイツの市民にとってもそのようなことが忘れ去られようとしている事実である。

そしてYouTube上での当該ヴィデオは240回ほどの再生に対して「いいね」をつけた人は私を入れて4人しかいないことを考えるべきである。もしこれがマルタ―ラーのコンセプトに対しての批判や無理解だけでなくて、レハールのオペレッタに何も感じない人が大半を占めているとすればやはりドイツは世代転換を通して大きな転機を迎えているということになる。

支配人ドルニーの政策理念の根幹に昔の様な左翼思想があるとするとしても、もしこうした無関心が通るならば、ドレスデンで無観客で行われるティーレマン指揮のレハール曲もそこにはAfD的なネオナチズム思想が横たわっていると考えて注意するのも当然なのである。

マルタ―ラーは、「スラデック」がそのもの今日の我々を取り巻く環境に当てはまるという。「分からぬ流行り病で、我々が生きて行けるのかどうかも分からない」、レハールの作品自体の終わり方もメランコリーであり、決してオペレッタ的でないことを再三強調している。まさしくエンゲルが語っていた「普通のオペレッタではない」という言葉使いの真意はここにあって、それをとても洗練されて尚且つ親しみやすい語り口で説明している。本人自らを語る通り、劇場のスタッフとまともに話せる教育を受けているからに違いない。

こうしてみていくと今回の新制作は反響が大きく社会化しただけではなくて、制作として大成功になる可能性が膨らんできた。要するに巷の人までが、先ずは専門家と言われる層から徐々に理解が広まっていくまでに時間が掛かるという高尚な制作にもなっているということだ。(続く)



参照:
そのものと見かけの緊張 2018-06-19 | 女
劇場への強い意志を示す 2021-12-15 | 文化一般
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