日曜日の初日の評がぼちぼち出てきている。当日の会場の感じからしても私が出かけた初日の中でも評論家が可也揃っていた感じで、ペトレンコ時代の制作よりも関心は高かった。理由はロシア問題を扱っていてオペラ批評以上に文化批評が書きやすいからだ。
実は、初日でありなくなることはなかったのでプログラムを買わずに前半を観賞した。初めて休憩にプログラムを購入して、後半までにもキャスティングを確認するだけだった。理由は何か知らないことが沢山書いてありそうで、混乱するといけないので其の儘にしておいたのだ。ドラマテュルギーはペトレンコのブレーンのクラスティング氏であって、それに関しては心配が要らない。
前半ではヒロインのナターシャ役が素晴らしく、他の出演者同様歌だけでなく勝れた芝居でも評価されている。そしてベシュコフ役を歌ったのが聴き慣れたソゴモリヤンで、昨年のスペードの女王のヘルマンで四晩も聴いた声である。歌手の中で最も喝采を浴びた二人であって、オペラの殿堂で再度聴いて評価をし易かった。やはり楽曲は違えど歌詞の明瞭さではミュンヘンの馬蹄型の会場は秀でている。逆にバーデンバーデンの祝祭劇場で通るような声ならばミュンヘンでも歌える。
初日前に訪問者に電子メールが送られてきて、そこには支配人ドルニーによる、なぜ今戦争と平和を上演するのかの問いかけに答えている。
よりによって、ロシアの勝利を叫ぶプロコフィエフ作品をかである。そもそも企画されたのはそれ以前であって、新聞にはスターリンの死から七十周年つまりプロコフィエフが亡くなったその日から七十周年を記念して3月5日に初演をもって来たというのである。この時点で、他の評論家が書くように我々にとってソヴィエトを振り返り、ロシアをというのがどれ程の聴衆にとっての関心事かとの疑問を呈していて、これにはそれなりの回答を私自身が答えていた。つまりあの会場で前半から後半へとの空気の変わり方をその場で体験すれば抑々それ以上の回答はないであろう。
同じことをミュンヘンの新聞は、そこで描かれているつまりレーニンが眠るそして最近はゴルバチョフが眠るモスクワの大ホールを舞台としたその空気感を聴衆が認識し出すとなる。この現象だけをとっても人気演出家チェルニカコフの天才性は明らかで、ここまで上手に劇場の空気を変える演出は経験したことがなかった。その心理とか何とか言われてもよく分からなかった。一昨年の復活祭の「マゼッパ」の演出がこの人によって上演されていたらと思うと改めて残念に思う。
まさしくそこに描かれているのはロシアの断章でありソヴィエトの真の姿かもしれないが、そこに普遍的な真実が描かれているからこそ大芸術であり、ウクライナ侵攻によって大きな再考がなされたようだが、その大芸術の普遍性が今回の上演でも示されたことになる。
支配人の仕事ぶりだけでならず音楽監督ユロウスキーが各紙で絶賛されているのは、まさにそうした普遍的な、人々の多様性は国境や文化を超え、人類の普遍性へと、芸術がそうした小さな声として表現されることでそうした理解を得られるにいたるということでしかない。既にこれで結論を書いてしまっているようでもあるが、詳細をみて行こう。
参照:
エロさ格別プロコフィエフ 2023-03-07 | 文化一般
音楽が場面が示す表情 2023-01-02 | 音
実は、初日でありなくなることはなかったのでプログラムを買わずに前半を観賞した。初めて休憩にプログラムを購入して、後半までにもキャスティングを確認するだけだった。理由は何か知らないことが沢山書いてありそうで、混乱するといけないので其の儘にしておいたのだ。ドラマテュルギーはペトレンコのブレーンのクラスティング氏であって、それに関しては心配が要らない。
前半ではヒロインのナターシャ役が素晴らしく、他の出演者同様歌だけでなく勝れた芝居でも評価されている。そしてベシュコフ役を歌ったのが聴き慣れたソゴモリヤンで、昨年のスペードの女王のヘルマンで四晩も聴いた声である。歌手の中で最も喝采を浴びた二人であって、オペラの殿堂で再度聴いて評価をし易かった。やはり楽曲は違えど歌詞の明瞭さではミュンヘンの馬蹄型の会場は秀でている。逆にバーデンバーデンの祝祭劇場で通るような声ならばミュンヘンでも歌える。
初日前に訪問者に電子メールが送られてきて、そこには支配人ドルニーによる、なぜ今戦争と平和を上演するのかの問いかけに答えている。
よりによって、ロシアの勝利を叫ぶプロコフィエフ作品をかである。そもそも企画されたのはそれ以前であって、新聞にはスターリンの死から七十周年つまりプロコフィエフが亡くなったその日から七十周年を記念して3月5日に初演をもって来たというのである。この時点で、他の評論家が書くように我々にとってソヴィエトを振り返り、ロシアをというのがどれ程の聴衆にとっての関心事かとの疑問を呈していて、これにはそれなりの回答を私自身が答えていた。つまりあの会場で前半から後半へとの空気の変わり方をその場で体験すれば抑々それ以上の回答はないであろう。
同じことをミュンヘンの新聞は、そこで描かれているつまりレーニンが眠るそして最近はゴルバチョフが眠るモスクワの大ホールを舞台としたその空気感を聴衆が認識し出すとなる。この現象だけをとっても人気演出家チェルニカコフの天才性は明らかで、ここまで上手に劇場の空気を変える演出は経験したことがなかった。その心理とか何とか言われてもよく分からなかった。一昨年の復活祭の「マゼッパ」の演出がこの人によって上演されていたらと思うと改めて残念に思う。
まさしくそこに描かれているのはロシアの断章でありソヴィエトの真の姿かもしれないが、そこに普遍的な真実が描かれているからこそ大芸術であり、ウクライナ侵攻によって大きな再考がなされたようだが、その大芸術の普遍性が今回の上演でも示されたことになる。
支配人の仕事ぶりだけでならず音楽監督ユロウスキーが各紙で絶賛されているのは、まさにそうした普遍的な、人々の多様性は国境や文化を超え、人類の普遍性へと、芸術がそうした小さな声として表現されることでそうした理解を得られるにいたるということでしかない。既にこれで結論を書いてしまっているようでもあるが、詳細をみて行こう。
参照:
エロさ格別プロコフィエフ 2023-03-07 | 文化一般
音楽が場面が示す表情 2023-01-02 | 音