日本の文化勲章受章者吉田秀和が日活ロマンポルノについて書いていた。朝日新聞の文化展望だと思う。故人の大全集に入っている。その文章は当夜の夕刊で読み、更に最初の単行本で読んだ。しかしこちらに来るようになってから売却した。だから記憶にしかない。
夕刊で読んだときは十代だと思ったが、既に「ポルノ」の文字に過剰反応する年齢でもなかった。但し既に今も同じように反応するようになぜこうした文化展望でそれが取り上げられるかで興奮した。要するに朝日新聞が「ブルセラ」を取り上げるのに反応するのと同じような心理である。
既に最低二回は同様の事を書いているので繰り返さないが、小林秀雄ら彼らにとっては興奮するかどうかが文化芸術の本質らしい ― それを通人という。要するにポルノ雑誌を手に取って立っている男性陣の発想である。
吉田の文章では、乳首に乳房に蠟を垂らす白川和子の歪む顔を観て、おやじさんたちが深く感じいるような表現でなければいけないというものだった。そこの熱さから痛みへ、それが疼き快感へという表現がもう一つ切迫して筆者にピンとこないと書いていたと思う。
白川和子 おぼろ橋
しかしその様な効果には芸術的な価値は限定的だとするのが今日的な立場である。なるほどエムパシーというのは、他者の感覚を想像して受け取る力を指すが、そもそもその他者の置かれている環境や違いを多様性として認めるという事に主点がある。日曜日の初日でも示されたのは娘ナターシャのその肉体的な性的痛痒感までを認識させないと音楽的にも理解できないことだ。しかし直截なポルノの肉体的な感応とはやはり異なる。吉田らの芸術感応とは異なる所である。
さて日付は遅くなったがソフトコアの制作はプロットまでは大まかに決まった。細かな段取りの打ち合わせと最終的な予算を決めればゴーであるが、出演のモデルさんの体調次第となる。これはポルノなので、先ずは男性に大きな効果を与える事が重要になる。しかしあくまでも所謂女性ポルノとされたそのタッチ感が女性自身のパフォーマンスとして期待される。男性がそこから多くの事を学ぶと同時に女性自身もそこから大きな可能性を感じることが重要だ。
この手のポルノサイトでは、80年代の性の解放を振り返る言及があるのだが、半世紀近く経って状況は全く異なる。エマニュエル婦人とか当時盛んに生産されていた青春体験ものなどが思い浮かぶだろう。同時に商売になっていて性を売れるという意味では従来通りの性の搾取こそが収益活動でもある面は今でも存在する。
しかし、そこが実は変わってきているという事に留意しておきたい。なによりもリモートセックスがIAでないところで営まれている。自身の性をさらし性的官能を貪りつつ、同時に他者の肉体を排除する。なぜ彼女がその様なことをしているのかが関心事であったが、その本質的なところで理解してきた。勿論男性側には性的な好奇心がそこにある。既にヘテロセックスはただの一つの方向でしかなくなっている。彼女の何で魅せるのか。普遍的なそれを狙うのかが肝心だ。
参照:
十分に性的な疑似体験 2008-08-06 | 音
勲章撫で回す自慰行為 2008-07-26 | SNS・BLOG研究
夕刊で読んだときは十代だと思ったが、既に「ポルノ」の文字に過剰反応する年齢でもなかった。但し既に今も同じように反応するようになぜこうした文化展望でそれが取り上げられるかで興奮した。要するに朝日新聞が「ブルセラ」を取り上げるのに反応するのと同じような心理である。
既に最低二回は同様の事を書いているので繰り返さないが、小林秀雄ら彼らにとっては興奮するかどうかが文化芸術の本質らしい ― それを通人という。要するにポルノ雑誌を手に取って立っている男性陣の発想である。
吉田の文章では、乳首に乳房に蠟を垂らす白川和子の歪む顔を観て、おやじさんたちが深く感じいるような表現でなければいけないというものだった。そこの熱さから痛みへ、それが疼き快感へという表現がもう一つ切迫して筆者にピンとこないと書いていたと思う。
白川和子 おぼろ橋
しかしその様な効果には芸術的な価値は限定的だとするのが今日的な立場である。なるほどエムパシーというのは、他者の感覚を想像して受け取る力を指すが、そもそもその他者の置かれている環境や違いを多様性として認めるという事に主点がある。日曜日の初日でも示されたのは娘ナターシャのその肉体的な性的痛痒感までを認識させないと音楽的にも理解できないことだ。しかし直截なポルノの肉体的な感応とはやはり異なる。吉田らの芸術感応とは異なる所である。
さて日付は遅くなったがソフトコアの制作はプロットまでは大まかに決まった。細かな段取りの打ち合わせと最終的な予算を決めればゴーであるが、出演のモデルさんの体調次第となる。これはポルノなので、先ずは男性に大きな効果を与える事が重要になる。しかしあくまでも所謂女性ポルノとされたそのタッチ感が女性自身のパフォーマンスとして期待される。男性がそこから多くの事を学ぶと同時に女性自身もそこから大きな可能性を感じることが重要だ。
この手のポルノサイトでは、80年代の性の解放を振り返る言及があるのだが、半世紀近く経って状況は全く異なる。エマニュエル婦人とか当時盛んに生産されていた青春体験ものなどが思い浮かぶだろう。同時に商売になっていて性を売れるという意味では従来通りの性の搾取こそが収益活動でもある面は今でも存在する。
しかし、そこが実は変わってきているという事に留意しておきたい。なによりもリモートセックスがIAでないところで営まれている。自身の性をさらし性的官能を貪りつつ、同時に他者の肉体を排除する。なぜ彼女がその様なことをしているのかが関心事であったが、その本質的なところで理解してきた。勿論男性側には性的な好奇心がそこにある。既にヘテロセックスはただの一つの方向でしかなくなっている。彼女の何で魅せるのか。普遍的なそれを狙うのかが肝心だ。
参照:
十分に性的な疑似体験 2008-08-06 | 音
勲章撫で回す自慰行為 2008-07-26 | SNS・BLOG研究