ショスタコーヴィッチのお勉強を始めた。14番は楽譜以上にテキストが密で予想以上だった。一番長いのは「ローレライ」のようで、ブレンターノのものをアポリネールが綴っているのだが、興味深い。ガルシアロルカは最初に2曲だけで、三曲目からアポリネール6曲続いて、独語のキュッヘルベッカー、そして最後に2曲リルケとなる。今回はロシア語で歌われると思うのだが、ゲルネはドイツ語も混ぜるかもしれない。
編成も弦に打楽器類が入るだけなのでとても見通しの良い音符となっている。参考音源として初演指揮者のバルシャイのものが多数ある。もう一曲の弦楽四重奏曲八番の方はYouTubeにこちらも初演のベートーヴェン四重奏団の様々な録音がある。嘗ては余程のマニアか研究者にしか馴染みのなかったこうした音源が提供されていて、とても貴重な資料となっている。
その四重奏団の演奏はその後の最晩年の曲の演奏も当時から公式に世界中に提供されていて馴染みもあり、最近もその全集の市場などを見ていた。そしてここで初演の演奏などを聴くと可也独特のアーティキュレーションを取っている。
曲自体は東独との共同制作のドレスデン絨毯爆弾映画の為にゼクシィシェシュヴァイツァーアルペンに滞在中に作曲されている。回顧的な要素が多く、抒情的な「マクベス夫人の音楽」のみならずユダヤ音楽などエモーショナルな面も大きい。ベートーヴェンの綴り方のパロディーもありだが、その内容的な照査よりも、音楽的な扱い方に興味が向かった。
今回演奏される編曲者のバルシャイとの関係などはよく知らないのだが、このアーティキュレーションの極意というか、作曲家らの直伝の音楽表現法の何かを掴めるプログラミングであると思う。
ベルリナーフィルハーモニカー極東ツアー公演壮行演奏会のティケットを購入した。昨秋は間引き座席配置だった故に中々これという座席は見つからず、直前まで最終的な席が決まらなかった。一枚は安くていい席を購入していたのだが、それを買って貰った人にはあまり評判がよくなかった。定期会員としてよく知っているのだが、確かに残響など時差が若干あるので解像度は高くない。
今回日本でも演奏されるレーガーと「英雄の生涯」のプログラムはこれで二回聴くことになる。それはいいのだが、「英雄の生涯」はもう直復活祭で「最後の四つの歌」に続けて二晩演奏される。都合四回聴くことになる。正直この曲をペトレンコが振ってベルリナーフィルハーモニカーが演奏しても昨年の七番交響曲やスークの作品のような限界域の合奏にはならないと思う。指揮技術的にもトウサイ先生の「全てがここにある」は分かるのだが、むしろペトレンコ指揮では如何にそれを乗り越えて音楽的な実体感が生じるかが味噌で、あのカラヤンが到達しなかった音楽的な成果が期待されるところだ。
参照:
ダブルブッキングを確認 2023-03-21 | 文化一般
二つのプログラム企画 2023-02-10 | 文化一般
編成も弦に打楽器類が入るだけなのでとても見通しの良い音符となっている。参考音源として初演指揮者のバルシャイのものが多数ある。もう一曲の弦楽四重奏曲八番の方はYouTubeにこちらも初演のベートーヴェン四重奏団の様々な録音がある。嘗ては余程のマニアか研究者にしか馴染みのなかったこうした音源が提供されていて、とても貴重な資料となっている。
その四重奏団の演奏はその後の最晩年の曲の演奏も当時から公式に世界中に提供されていて馴染みもあり、最近もその全集の市場などを見ていた。そしてここで初演の演奏などを聴くと可也独特のアーティキュレーションを取っている。
曲自体は東独との共同制作のドレスデン絨毯爆弾映画の為にゼクシィシェシュヴァイツァーアルペンに滞在中に作曲されている。回顧的な要素が多く、抒情的な「マクベス夫人の音楽」のみならずユダヤ音楽などエモーショナルな面も大きい。ベートーヴェンの綴り方のパロディーもありだが、その内容的な照査よりも、音楽的な扱い方に興味が向かった。
今回演奏される編曲者のバルシャイとの関係などはよく知らないのだが、このアーティキュレーションの極意というか、作曲家らの直伝の音楽表現法の何かを掴めるプログラミングであると思う。
ベルリナーフィルハーモニカー極東ツアー公演壮行演奏会のティケットを購入した。昨秋は間引き座席配置だった故に中々これという座席は見つからず、直前まで最終的な席が決まらなかった。一枚は安くていい席を購入していたのだが、それを買って貰った人にはあまり評判がよくなかった。定期会員としてよく知っているのだが、確かに残響など時差が若干あるので解像度は高くない。
今回日本でも演奏されるレーガーと「英雄の生涯」のプログラムはこれで二回聴くことになる。それはいいのだが、「英雄の生涯」はもう直復活祭で「最後の四つの歌」に続けて二晩演奏される。都合四回聴くことになる。正直この曲をペトレンコが振ってベルリナーフィルハーモニカーが演奏しても昨年の七番交響曲やスークの作品のような限界域の合奏にはならないと思う。指揮技術的にもトウサイ先生の「全てがここにある」は分かるのだが、むしろペトレンコ指揮では如何にそれを乗り越えて音楽的な実体感が生じるかが味噌で、あのカラヤンが到達しなかった音楽的な成果が期待されるところだ。
参照:
ダブルブッキングを確認 2023-03-21 | 文化一般
二つのプログラム企画 2023-02-10 | 文化一般