エルンスト・ルートヴィック・キルヒナーのダヴォースでの作品を続けて見てみよう。そこでは1919年の作品群である1920年代までの主観的な印象を集約させた表現主義とは異なる表現が、その後の1925年の作品「冬のダヴォース」のような作品群に見る事が出来るだろうか。特に後年のオスカー・ココシュカの作品を思い出させるような不自然な色使いや取り巻く環境への視点が面白い。
1919年の7月に画家は書き込んでいる。「頭を空っぽにして画き込んで、そして没頭して画き込むと言う二つの制作過程がある」。印象の表現から即物的な解釈の表現への移行は、一般的に山奥の生活での精神の安定と捉えられる事が多いようだ。
ここで注目して良いのは、第一次世界大戦後から1920年代、そして1930年代にかけての思潮の変遷であって、文学・建築・芸術などにも如実に固定されている。嘗てベルリンを画いた芸術家が、山間の町ダヴォースで見たものは、已むを得ず よ り 距離を置いて見た世界観でなかったのだろうか?
画家より九歳若く、ここダヴォースのサナトリウムで育った映画監督ファンク博士の作品を思い出すと、その集中した即物的な表現は必ずやある冷めた別の視点からの観察に曝されている。それは、映画の協力者であった画家より15歳下のマイン河畔の同郷者ヒンデミットの音楽にも特徴的に現れており、デフォルメした 非 現 実 的 で即物的な表現は、同時に乾いたユーモアによって影の様に絶えず付き纏われている。
先日記した1929年のダヴォースの町での20世紀哲学の分岐路と呼ばれる会談とキルヒナーの初期の1919年のダヴォースでの印象を強調した風景作品が、「魔の山」の1924年出版やファンク博士の山岳映画自主制作を期間的に挟んでいる。それはそのまま1920年代の出来事である。
ダヴォースでの1925年の作品「教会のある夏のダヴォース」の世界観は、プロテスタント教会の天を貫く鋭塔を中心として整然と纏められた町並みと右上にある少数派のマリエンカトリック教会は各々異なる色彩を持った背景を以って画かれている。
キルヒナーの山岳風景画は、どうも誤解されているようだ。本人が写した白黒風景写真も多い。しかし実際に何処かで風景絵画を鑑賞した事があっても、こうしてみるとその多くを見逃して仕舞っていたのではないかと思う。奥行きの喪失や非現実的な不思議な光景は、ダヴォースの折れ曲がった谷の風景そのものであり、生きた閉じられた風景でもある。
画家本人は、ダヴォースの喧騒を避けて暮らしているにも関わらず、名作の多くは谷の下から自己の住居方面を望む観察点へと態々移動して、谷の風景をお気に入りのダヴォースのマッターホルンことティンツェンホルンを背景に町を含めて映し込んでいる。(谷間の町の閉塞感 [ 歴史・時事 ] / 2006-03-22 より続く)
写真は、クロスタースからダヴォース方面を眺めている。これはキルヒナーの「クロスタースの山々」に相当する。
参照:
81年後の初演(ベルリン、2004年12月9日)[ 音 ] / 2005-01-15
オペラの小恥ずかしさ [ 音 ] / 2005-12-09
非日常の実用音楽 [ 音 ] / 2005-12-10
目的に適ったマニュアル [ 文化一般 ] / 2005-12-04
150年前の近代的キッチン [ 歴史・時事 ] / 2005-05-11
駒落としから3D映像へ [ 雑感 ] / 2005-10-19
北の地で血を吸った大斧 [ 文化一般 ] / 2005-10-27
1919年の7月に画家は書き込んでいる。「頭を空っぽにして画き込んで、そして没頭して画き込むと言う二つの制作過程がある」。印象の表現から即物的な解釈の表現への移行は、一般的に山奥の生活での精神の安定と捉えられる事が多いようだ。
ここで注目して良いのは、第一次世界大戦後から1920年代、そして1930年代にかけての思潮の変遷であって、文学・建築・芸術などにも如実に固定されている。嘗てベルリンを画いた芸術家が、山間の町ダヴォースで見たものは、已むを得ず よ り 距離を置いて見た世界観でなかったのだろうか?
画家より九歳若く、ここダヴォースのサナトリウムで育った映画監督ファンク博士の作品を思い出すと、その集中した即物的な表現は必ずやある冷めた別の視点からの観察に曝されている。それは、映画の協力者であった画家より15歳下のマイン河畔の同郷者ヒンデミットの音楽にも特徴的に現れており、デフォルメした 非 現 実 的 で即物的な表現は、同時に乾いたユーモアによって影の様に絶えず付き纏われている。
先日記した1929年のダヴォースの町での20世紀哲学の分岐路と呼ばれる会談とキルヒナーの初期の1919年のダヴォースでの印象を強調した風景作品が、「魔の山」の1924年出版やファンク博士の山岳映画自主制作を期間的に挟んでいる。それはそのまま1920年代の出来事である。
ダヴォースでの1925年の作品「教会のある夏のダヴォース」の世界観は、プロテスタント教会の天を貫く鋭塔を中心として整然と纏められた町並みと右上にある少数派のマリエンカトリック教会は各々異なる色彩を持った背景を以って画かれている。
キルヒナーの山岳風景画は、どうも誤解されているようだ。本人が写した白黒風景写真も多い。しかし実際に何処かで風景絵画を鑑賞した事があっても、こうしてみるとその多くを見逃して仕舞っていたのではないかと思う。奥行きの喪失や非現実的な不思議な光景は、ダヴォースの折れ曲がった谷の風景そのものであり、生きた閉じられた風景でもある。
画家本人は、ダヴォースの喧騒を避けて暮らしているにも関わらず、名作の多くは谷の下から自己の住居方面を望む観察点へと態々移動して、谷の風景をお気に入りのダヴォースのマッターホルンことティンツェンホルンを背景に町を含めて映し込んでいる。(谷間の町の閉塞感 [ 歴史・時事 ] / 2006-03-22 より続く)
写真は、クロスタースからダヴォース方面を眺めている。これはキルヒナーの「クロスタースの山々」に相当する。
参照:
81年後の初演(ベルリン、2004年12月9日)[ 音 ] / 2005-01-15
オペラの小恥ずかしさ [ 音 ] / 2005-12-09
非日常の実用音楽 [ 音 ] / 2005-12-10
目的に適ったマニュアル [ 文化一般 ] / 2005-12-04
150年前の近代的キッチン [ 歴史・時事 ] / 2005-05-11
駒落としから3D映像へ [ 雑感 ] / 2005-10-19
北の地で血を吸った大斧 [ 文化一般 ] / 2005-10-27
ダヴォース! うらやましい場所に行かれましたね。
この時代のキルヒナーは、ご指摘の通り、時代からやむを得ず逃れて、生きていたのでしょう。時代のアウトサイダーであり、孤独の中に生きていた画家にとって、追い込まれていた自分を立て直した最後の時だったのかもしれないという気がします。この時代の自画像は、ベルリン時代のものと比較してもはるかに安らかな顔に描かれています。
「冬のダヴォース」はおよそ冬とは思えない、色鮮やかさで実に不思議な光景ですね。かつて同じダヴォースのキルヒナー美術館で見たティンツエンホルンを描いた作品に、深い緑と青色を主に描かれていたのもあったような気がします。キルヒナーというと、どうもドレスデン、ベルリンなど都市文明との関連が先行しがちですが、ダヴォース時代の山岳風景作品はもっと評価されてもよいですね。東京での「ベルリン・東京」二都物語的展示に少し違和感があったので、貴ブログ大変印象深く拝見しました。
まさに仰る通り、重要なリンクを貼り忘れて居りました。「ティンツェンホルンを背景」の箇所に付け加えましたリンクに、ダヴォースの緑色と青色と赤色の「モンシュタインの山峡」が紹介されています。
1919年の8月10日に「夕焼けのティンツェンホルンに青に青の山が重なる夢を見た。そのためのスケッチは充分にある。」と言って、8月14日には、「構図は巧くいった。形状も色も発展した。」と完成させているようです。
前述した1919年の7月の言動が正しいとすると、この時点で何かが起こって軸が転回する様な大きな転換に至ったのでしょうか?それとも作風の変遷からすると、更なる転換があったのか?それは戦後の社会状況である訳でしょうが、こうした個人的な体験は事の他興味深いです。
第一次世界大戦の奈落で近代の連続が途切れて-多くの志願兵の述懐-、人類は覚醒したかに見えるのですが、実際には近代は新しい局面へと向かって行く訳ですね。
ダヴォースと言う特殊な町がこうして描かれているのは、あまりに嵌まり過ぎな感じがします。覚醒した視線は、取り巻く環境へ移って行き、まさにこれ以上の創作環境は無かったのではないかとさえ思います。
おもいがけずも、わざわざ「モンシュタインの山峡」にリンクしていただき、有り難うございました。おかげさまで記憶がよみがえってきました。青と緑の色調に大変深みがあり、神秘的な印象を持ちました。この作品は「山岳風景」シリーズの中でも、最重要作品のひとつではないでしょうか。
ご指摘のように、この頃から画家の精神構造の深みでなにか変化が起こっていたように思えます。作品群としても「山岳風景」という大変印象的な新しいジャンルが形成されるきっかけになっています。「キルヒナー:ダヴォースの時代」は、「ドレスデン・ベルリンの時代」との対比としても、十分検討に値するテーマですね。
「山岳風景」のこの絵も左の山肌のチャペル?がこの後の転換を示唆している気がしますが如何でしょう。家畜や町を画くに連れて視点が高くなって行きますね。ものによってはかなり斜面の上部にまで登っているのも分かります。
都市展望画を越えて環境画と呼べば良いのかどうか解りませんが、29年の「ブランデンブルク門」の視点も高い事に気が付きます。ややもすると子供のパズルの絵になって仕舞うので、それらを風景画として評価するのを困難にしているのでしょう。
3Dの衛星写真表現ではありませんが、自らの領域を含むパースペクティーヴへの移行が注目点かと思います。そのような絵画には、ダヴォース周辺の「環境」がそのまま写し込まれていると感じました。
キルヒナーという画家を知ったのは、1991年に目黒区美術館で開催された「ドイツ表現主義」の展覧会が最初でした。ベルリンという都会の喧騒を描いていた画家が田舎町へと逃れ、ヒトラーによって頽廃芸術との烙印を押されて自殺したというストーリーがなんだかとても印象に残っていて、レポートのモチーフにしたものです。稚拙なレポートにTBしていただき、まったくもって恐縮です。
ドイツ表現主義者のなかでもっとも悲劇的かつ不遇な運命をたどった画家キルヒナーが描く人物像は、どうも、そのどれも「目」が死んでいるように感じていました。(あくまで個人的な印象ですが)。
ダヴォースでの作品を観ると、大自然と触れ合うことによって画家としての生命力が復活したかにみえます。でも、その矢先に命を絶ったのですね。
現在、東京では森美術館で「日本―ドイツ展」が開催されています。観てはいませんが、キルヒナーのベルリン時代の作品も展示されているようです。日本でのキルヒナーは、ベルリン時代のものがまだまだメジャーという感じがします。「ドイツ表現主義」の絵画自体がまだまだ日本には浸透していないということなのでしょうか。
キルヒナーについて詳しくはないのですが、故郷のマイン流域での療養が、志願して行った兵役の戦後の影響となると、多くの様々な分野での芸術家に共通しています。その時代から多くが表現主義的な芸術に関わっています。
戦前からそして戦後の進展も時代の推移を映し出しているようです。そういった事から「ドイツ表現主義」で簡単に括って仕舞うと流れが見え難くなってしまいそうです。確かにエポックなのですが新即物主義・古典主義な方向への流れも、また印象主義を含むそこまでの流れも重要です。
印象の批判と表現の欠如 [ 文学・思想 ] / 2006-03-11
そこではまた「影法師」も様々な芸術分野での面白いキーワードだと思いました。「目が死んでいる」、「狭い視角」などはっと思わせる注目点がありそうです。
また宜しくお願い致します。
キルヒナー作品はあまり観たことがなく、知識も無いまま感想を書いてしまいました。pfaelzerweinさんのブログで勉強させていただき感謝です。特にタヴォースが「生きた閉じられた風景」とのお話はなるほど!でした。やはり現場に行かれてこそ、ですね。
実は昨日「東京-ベルリン/ベルリン-東京展」を観てきました。キルヒナーの《ベル=アリアンス広場/ベルリン》もあり、高い視点から見た微妙な歪みがタヴォース作品とも重なり、私的にキルヒナーの視点がとても興味深いものとなりました。
pfaelzerweinさん、これからも刺激を与えていただきたく、よろしくお願いいたします。
私こそ、実物のどれを見ているか確認出来ずに居ります。寧ろ、クレーやその他の展示の方に心奪われていたぐらいですから。セガンティーニでも当地の美術館で、絵を見ながら極単純な質問をすると何冊も本を読まなければ解らない事を教えられます。
上のようなデッサンの場所等の例も、美術館に行って質問すると簡単に解決する事でしょう。今回は、何時か実現するそれを楽しみに探偵をしたような感じです。
そんな訳でいい加減な事を言って居りますが、こうしてお互いに、「あれっ」とか「そうそう」とか思えるだけで楽しいですね。
そしてまたこうして教わる事も多いですし:
Der Belle - Alliance - Platz in Berlin/Belle Alliance Square in Berlin
http://www.thecityreview.com/arcadia.html
http://www.smb.spk-berlin.de/smb/sammlungen/details.php?lang=en&objectId=20&n=1&r=19
さて、先日、やっと念願の『スイス・スピリッツ』を見ることができました。息子がぐずってゆっくりられませんでしたが、主な作品は鑑賞することが出来ました。キルヒナーの作品(『ヴィーセン近くの橋』)には今回初めて出会いましたが、スイスの大自然に病んだ心が癒されていった頃なのか明るい印象を持ちました。こちらの記事でキルヒナーのことを学ぶことが出来よかったです。美術には疎いのですが、実際の絵を見る経験を少しずつ増やし「見る目」を肥やしていきたいと思っています。
新しい記事にこちらの記事をTBさせていただきました。
キルヒナーに関しては、私自身も皆さんの評価を聞いたり知ったりして、尚の事関心が高まりました。
今後ともスイス絡みでも宜しくお願い致します。