ギュンター・グラスの新刊書籍のキャンペーンが始まった。九月に発売される「玉葱の皮を剥く時」と言う著者の自叙伝的作品らしい。何よりも、氏が武装親衛隊(Waffen-SS)であったことが、活字として踊る。これほど効果のある宣伝もなかろう。
さて、先ずは最もインテルクチァルな新聞フランクフルター・アルゲマイネがこのキャンペーンに加担して、早速本日付け紙面でインタヴューを掲載している。なぜ、今頃になって告白をしたのか、態々ナチスドイツにおける最も凶暴な部隊へと志願した経緯などを質問する。
ネットで読んでから一面トップ記事の短報に続いて文化欄二面に渡るインタヴューを読んだ。何もこの作家の支持者でもファンでもなくても、これを読んでやり場のない怒りに近いものを覚えるのが普通でないだろうか。
宜しい、文学者が満足行く文体とスタイルを見い出さない限りその内容を表現出来なかったと言うのは。ただ、氏の場合はSPD党員として政治活動もしていたのではないか。一介の物書きでもなく、ノーベル文学賞受賞者でもある。何れにせよ、文学研究家にはまた論文のネタが増えたことだろう。
自伝的小説家でない自覚から、今初めて 当 時 を出世作「ブリキの太鼓」以来再び文学的に語ろうとするのは良い。しかし、ヒトラー少年としてUボートの募集には時遅しで、自己の家庭環境を逃れるために16歳で武装親衛隊に志願する 当 時 は、文学そのものなのだろうか?SSで厳しく躾けられ、入隊一週間で変わって行く少年を語るのは、それがたとえ巨匠の筆とは言え、あまりにも月並みではないのか。
本人が言うように、十代の二年の月日は、それを理解するには大きく、19歳の青年と17歳の青年では全く違うであろう。ニュルンベルク裁判で事情を初めて知ったと言うのも、弁解として良かろう。ただ、彼は全てを語る機会を逃した。インタヴューアーは訊ねる「ブリキの太鼓の時に全てを語れたのではないか」と、作家は答える「それが受け入れられる状況はなかった」と。
自ら二年過ごした捕虜収容所での米軍の黒人人種差別に触れ、反省の無いフランスを代表とする戦勝国への不信感を語り、西ドイツのアデナウワー政権の異常と正常化しようとしたヨゼフ・シュトラウスの政治を語るとき、ナチのキージンガー首相を相対化するとき、この作家はドイツ人得意の醜い言い逃れを図る。
嘘は、更に嘘を構築する。この作家は、何度も誤りを繰り返した。一度掛け違ったボタンは、一度着た服を脱ぎ捨てて裸になるしか修正出来ない。玉葱の皮を剥くように。そして今、またしても死後のスキャンダルよりも、弁明の効く著作活動を選んだ。後悔しているかとの問いに答えて、それしかなかったと開き直る。いつもそうして来た様に。
それだけでは足りずに、ヨゼフ・ラッツィンガーと当時出会ったと小説に書き込み、再び物事を相対化しようと試みる。況してやヴァチカンからの反応を期待するようなそぶりも見せる。マザーコンプレックスを、その口に何時も銜えたパイプだけでなく、その小説に志願入隊の動機とも重ねる。なにやら、大江健三郎の最近のポストモダーンを気取った小説を見るかのようだ。
ナチズムとコミニズム、そしてソチアリズムを相対化して、当時のエホヴァの証人の有志を語るとき、ここに作者の忌憚が透かし見える。イデオロギー無き時代に彼らはこうして正体を曝け出す。ナチによる近代的小市民的アトモスフェアーからの脱却と腐ったカトリック的アデナウワー時代のまやかしと言う「過去を乗り越える」事は果たして東ドイツで可能だったたのか。
上手に世渡りしてきた「芸術家」が、戦後ノルデやクレーに見出したものは、八十歳近くになって初めて認識出来るものなのか。
パウル・ツェランのアドヴァイスに触れられて、「蝋燭を点けて朗読する詩人は、自分に嫉妬もあった」とするこの作家の傲慢さこそドイツ的信仰告白そのものだ。
本人が最も知っている。この前歴を持ってはフランスで出会ったカミューとサルトルの影響を受けた政治活動も存在しなければ、ノーベル賞も受けていなかった事を、それどころか「ブリキの太鼓」の出版さえ危うかっただろう事を。
何も知らなかった、知ろうとしなかった市井の人々について、芸術の中に生きようとした芸術家について今更読む必要はない。手元に積んであるギュンター・グラス著書だけでもう十分である。
来週には、当時の写真特典つきの新著初版の発表会が開かれるらしい。
参照:
強制収容所の現実 [ 歴史・時事 ] / 2005-01-26
似て非なるもの [ 雑感 ] / 2006-08-14
さて、先ずは最もインテルクチァルな新聞フランクフルター・アルゲマイネがこのキャンペーンに加担して、早速本日付け紙面でインタヴューを掲載している。なぜ、今頃になって告白をしたのか、態々ナチスドイツにおける最も凶暴な部隊へと志願した経緯などを質問する。
ネットで読んでから一面トップ記事の短報に続いて文化欄二面に渡るインタヴューを読んだ。何もこの作家の支持者でもファンでもなくても、これを読んでやり場のない怒りに近いものを覚えるのが普通でないだろうか。
宜しい、文学者が満足行く文体とスタイルを見い出さない限りその内容を表現出来なかったと言うのは。ただ、氏の場合はSPD党員として政治活動もしていたのではないか。一介の物書きでもなく、ノーベル文学賞受賞者でもある。何れにせよ、文学研究家にはまた論文のネタが増えたことだろう。
自伝的小説家でない自覚から、今初めて 当 時 を出世作「ブリキの太鼓」以来再び文学的に語ろうとするのは良い。しかし、ヒトラー少年としてUボートの募集には時遅しで、自己の家庭環境を逃れるために16歳で武装親衛隊に志願する 当 時 は、文学そのものなのだろうか?SSで厳しく躾けられ、入隊一週間で変わって行く少年を語るのは、それがたとえ巨匠の筆とは言え、あまりにも月並みではないのか。
本人が言うように、十代の二年の月日は、それを理解するには大きく、19歳の青年と17歳の青年では全く違うであろう。ニュルンベルク裁判で事情を初めて知ったと言うのも、弁解として良かろう。ただ、彼は全てを語る機会を逃した。インタヴューアーは訊ねる「ブリキの太鼓の時に全てを語れたのではないか」と、作家は答える「それが受け入れられる状況はなかった」と。
自ら二年過ごした捕虜収容所での米軍の黒人人種差別に触れ、反省の無いフランスを代表とする戦勝国への不信感を語り、西ドイツのアデナウワー政権の異常と正常化しようとしたヨゼフ・シュトラウスの政治を語るとき、ナチのキージンガー首相を相対化するとき、この作家はドイツ人得意の醜い言い逃れを図る。
嘘は、更に嘘を構築する。この作家は、何度も誤りを繰り返した。一度掛け違ったボタンは、一度着た服を脱ぎ捨てて裸になるしか修正出来ない。玉葱の皮を剥くように。そして今、またしても死後のスキャンダルよりも、弁明の効く著作活動を選んだ。後悔しているかとの問いに答えて、それしかなかったと開き直る。いつもそうして来た様に。
それだけでは足りずに、ヨゼフ・ラッツィンガーと当時出会ったと小説に書き込み、再び物事を相対化しようと試みる。況してやヴァチカンからの反応を期待するようなそぶりも見せる。マザーコンプレックスを、その口に何時も銜えたパイプだけでなく、その小説に志願入隊の動機とも重ねる。なにやら、大江健三郎の最近のポストモダーンを気取った小説を見るかのようだ。
ナチズムとコミニズム、そしてソチアリズムを相対化して、当時のエホヴァの証人の有志を語るとき、ここに作者の忌憚が透かし見える。イデオロギー無き時代に彼らはこうして正体を曝け出す。ナチによる近代的小市民的アトモスフェアーからの脱却と腐ったカトリック的アデナウワー時代のまやかしと言う「過去を乗り越える」事は果たして東ドイツで可能だったたのか。
上手に世渡りしてきた「芸術家」が、戦後ノルデやクレーに見出したものは、八十歳近くになって初めて認識出来るものなのか。
パウル・ツェランのアドヴァイスに触れられて、「蝋燭を点けて朗読する詩人は、自分に嫉妬もあった」とするこの作家の傲慢さこそドイツ的信仰告白そのものだ。
本人が最も知っている。この前歴を持ってはフランスで出会ったカミューとサルトルの影響を受けた政治活動も存在しなければ、ノーベル賞も受けていなかった事を、それどころか「ブリキの太鼓」の出版さえ危うかっただろう事を。
何も知らなかった、知ろうとしなかった市井の人々について、芸術の中に生きようとした芸術家について今更読む必要はない。手元に積んであるギュンター・グラス著書だけでもう十分である。
来週には、当時の写真特典つきの新著初版の発表会が開かれるらしい。
参照:
強制収容所の現実 [ 歴史・時事 ] / 2005-01-26
似て非なるもの [ 雑感 ] / 2006-08-14
夕べネット上でこれを知ったときは、ショックを受けました。まさに、なぜ今なのだろうかと。
>嘘は、更に嘘を構築する。この作家は、何度も誤りを繰り返した。一度掛け違ったボタンは、一度着た服を脱ぎ捨てて裸になるしか修正出来ない。玉葱の皮を剥くように。そして今、またしても死後のスキャンダルよりも、弁明の効く著作活動を選んだ。後悔しているかとの問いに答えて、それしかなかったと開き直る。いつもそうして来た様に。
おっしゃるとおりだと思います。彼を道徳的に批判してよいか悪いかは、さまざまな意見があるようですが、彼の作品、発言自体が、いかにも道徳的であるからこそ、それは問われるべきだという気もします。左派、平和というシンボルとして生きてきたのに、今、自分で志願したSSだったと告白するのは、自分もドイツの暗く重い罪を背負ってきたのだ。これからは公にその罪をしょって立つというような、これまた誇大妄想的趣旨で、世の中の道徳的模範と評価されたいのでしょうか。
モラルにのっとって作品を書き続けてきた彼の、この今回の告白は、やはり作品自体の空虚さを問いたくなる気がいたします。あのくわえ煙草は、二度と見たくないですねぇ。
マザコンという点やポール・セランに関するご指摘、非常に興味深く読ませていただきました。
恐らく作品をも含んで、現在の自らを含んだ状況をポストモダーン風に展開しようという、大江氏が自らの家族まで巻き込んでやっている様な、目論見でしょう。その上層の文学的方法もあまり感心しないです。
それを誇大妄想的趣旨とする批判を、作家は甘んじて受けなければいけないでしょう。
グルッペ47などのメンバーを含む文化人のコメントも興味ありますね。
北部でもマイセン周辺のものは素晴らしいです。何れにせよ太陽が十分にないのが致命的で、だから2003年産などのワインは先十年ほどは希少価値が付きます。
量が少なく、土地改良などでフランスよりも手間がかかっているので、同じ質を求めると実質的に高価になり競争力がありません。つまり特別に良いワインは存在するのですが、国内の事情通でもこれを買い付けるのは至難の業です。
ラインガウのドメーヌ・アズマンハウゼンのシュペートブルグンダーは州立醸造所ですから海外にも出ているでしょう。あとベルクシュトラーセやプファルツにカイザーシュツール、ヴュルテンべルク地域の其々シュペートブルグンダー、ポルトギーザー、サンローラン、ドルンフェルダー、トロリンガー種若しくはそのクヴェーなどは、地元のレストランで手ごろに十分に楽しめるものです。
結論:北のものは安心してのめない。
コメントとTBありがとうございます。
もっと詳細が知りたくなりリンクを張っておられた先へ飛んでみましたが、私には読めない言葉で残念ながら断念しました。
すぐにでも全文の邦訳を見つけて、自らの目で、果たしてグラスに誠意があるのかそれともないのか、是非確認してみたいと思っています(その時、変なバイアスがかかっていないといいのですが)。
「その気」にさせて下さったことに感謝します。
ネットに載っているインタヴューは全体の半分以下ですが、翻訳家の方が日本語訳を掲載されています。仰るようなバイアスは、実は訳にかかるのではなくて意図的に本人の発言にかかっています。
この期に及んで問題提議の意思があったのは間違いありません。反響もある程度出て来ましたので、また改めて纏めさせて頂きますが、文化・社会的に捉えていく問題と思われます。
読者アンケートでもモラルの問題とする意見が多いようですが、どうでしょうか?
ここでの批判を受けたわけではないでしょうが、SZ紙なども本日付けで記事を掲載しています。社会システム変換に於ける経験にも触れています。
http://www.sueddeutsche.de/kultur/artikel/896/82814/
政治活動への批判は当然でしょうが、それも二十世紀後半の現象です。