Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

永いフィットネスの精華

2009-07-17 | 生活
夜が明けると流石に上腕がだるい。理由は定かではない。岩登りのそれか、ストックを突いたそれか何とも言えない。

日曜日から昨日木曜日までのアルゴイの山小屋の滞在で、雨の日を除けて三度も二百メートル以上の壁を三回登れば満足以外のなにものでもない。

フリークライミングでこれだけ根を詰めて登ったのは初めてである。雨の日に濡れ鼠になりながらレスキューの練習や泥泥を蒲伏前進して洞窟潜りをしたのだが、疲れ知らずで過ごせたのは昨年の夏以降更に今年の春からの節制の賜物だろう。

九人の面々の中で最後の最後まで残ったのは六人だけであった。一人は十分に練習をしておらずザイルにぶら下がって身動きがとれずに救助に二時間ほど掛かった。もう一人も共にオヴァーウェイトであり下降路の膝への負担を理由に一度しか上がらなかった。もう一人の警察官もクライミングは良くやっているようだが大きな壁は初めてで完全に怖気て仕舞って体調を壊して早々と退散した。

全体としての成果もなかなかなものだと思うが、個人的には六級マイナス、高度差二百二十メートル、ザイル延長距離三百メートルの最終日にこれまでの日々の成果を十分に発揮できたことに間違いない。

週末にこれから出てくる疲れを癒して、今後もう一クラスレヴェルを上げる糧にしたいのである。十代や二十代で達成できなかった純粋にスポーツ的成果へと至っているのは自ら不思議ですらある。

体重オヴァーの二年上の者と今回57回目の誕生日を迎えた最年長者に一言も二言も言いたかったが、一年や二年で達成出来るものではないので口を摘むんだ。十年近く掛かるフィットネスの精華なのである。

そして本当に食が太いのは決して体重オーヴァーの連中では無いのが証明された。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間の必要な甘口に舌鼓

2009-07-16 | 試飲百景
フォン・バッサーンマン・ヨルダン醸造所では、お客さんのために予約したワインに足して送るための数を揃えるための試飲を行なった。どこぞの冷やかしの客でない事を説明してやらないと、事情を飲み込めていない新顔の者がいるのが少し面倒である。

先ずはグーツリースリングを対抗させる。評価は悪くなかったようだが、私見ではサマーワインと呼ばれていたように若干薄さがあり、それにも拘らず酸のボリュームが効いているので現時点でもまだ強く人に推奨はできない。感じない12%のアルコールも驚きである。

そして、2008年と2007年のライタープファードを試す。どちらもこの時点ではそれほど典型的な青林檎の美味さはない。ヘアゴットザッカーは2008年産を先のものと比べて貰ったが十分な比較はそもそも新しすぎるリースリングという事で経験がなければ難しすぎたかもしれない。

キーセルベルクは、2008年ものは秋に出るので、現在でも最もうまいと言われるそれを試すが、正直頂点を知っている者としては今更の感もある。やはり、2008年産に期待したい気持ちは変わらない。

2007年産モイスヘーレはその旨味の面白さを感じて貰えば良いのであるが、これは樽試飲で2008年産が面白かったような記憶がある。

ウンゲホイヤーの2007年産がまだ50本ほどあったので購入した。そのスパイシーな旨味は、昨年の時点では残糖感が感じられたものとは異なり熟成への道を歩んでいる。糖の感じは強い酸に対抗して2008年産の方が強いようだが、此方の方が興味深い。

同じ印象はグラインヒューベルの肌理の細かいミネラル質の中性的なバランスの中にも存在して、この辺りになると2007年産よりも2008年産が買いであるように思われる。

12本にするための大瓶のみでなく、小瓶も6本にするために後四本は選択しなければいけないのである。小瓶というのは甘口ワインとなるが、その前に何度も試飲していてまだ販売されている2007年産ホーヘンモルゲンを試飲する。

週の初めに2001年産のビュルックリンヴォルフのホーヘンモルゲンを試飲した後で、またフォンバッサーマンのそれを試せるとはなんと素晴らしいことか。購入しても合わせて二三本にしかならない高価なワインであるから、試飲しておかないと味が覚えられない。

こってりと充実した味覚は、早めには飲ませない強さもあるが、親しみ易さがあるリースリングとして、誰にも勧められるワインである。その一方適切な飲み頃を語るのは必ずしも容易ではないリースリングである。2008年産が本当に楽しみである。

さて、ここから甘口リースリングの醍醐味へと移る。先ずは2008年産パラディースガルテンのキャビネットである。通常の甘口には違いないが、酸が効いているので半辛口のような感じで冷して飲むと清涼感がありそうだ。ご婦人向けのワインを探している男性には無視出来ないリースリングである。アルコール11%、残糖14G、酸8Gはなかなか結構な数値であるように思われる。

そしてお客さんが私の推薦で予約した2008年産ホーヘンモルゲンのアウスレーゼを試して貰う。これに関しては何の心配も要らない。年数を重ねれば重ねるほど旨味が増して同時に糖が落ちて行く15年に一度の甘口リースリングである。

ついでにイエスイーテンガルテンのそれを飲ませて貰うが、やはり強いミネラル味が喉を引く傾向があって、より熟成させるのに時間が掛かるだろう。

既に御馴染みのゴールトムスカテラーのアイスヴァインは、2008年産はライタープファードで二千九年の一月七日に収穫されたそうだ。2007年産に比べると濃くがある分、今飲むよりも少しおいておきたいアイスヴァインであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酔って帰宅そして昼寝無し

2009-07-15 | 
お気入りのヴィーナシュニッツェルを食した。お客さんには蔵出しのヴァイスブルグンダーを奨めた。少し舐めさせて貰ったが、ヴィールの白い肉に決して悪くはなかったが、直に自らのとった簡単なリースリングと比べるとその深みの違いに驚く。

お茶で言えば玉露と麦茶の違いほどあって、何とも飲み飽き易い。リースリングのように味が繊細で締まっていると食事まで引き締まる。それまで散々素晴らしいワインを試飲したので逃げの手段でそれをお奨めしたのだが、やはり正面勝負すべきであったろう。

ほろ酔いでイタリアンジェラートを食べに行くと店を閉めていた。折角来たので一杯飲まして貰いアイスを食べる。その後は、ロングカクテルを飲みに行ってかなりふらふらしながら無事車をガレージに入れる。

久しぶりに酔ってご機嫌の帰宅となったが、要らぬ連絡などを見つけて仕舞い急に寝付きが悪くなった。早起きして仕事を片付けて仕舞い、寝不足で眠くなるが、結局は昼寝をする暇も無く、休暇前の仕事納めをした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

評価本とはちと土壌が違う

2009-07-14 | 試飲百景
承前)フォン・バッサーマン・ヨルダン醸造所とフォン・ブール醸造所のヘアゴットザッカーやキーセルベルクを繰り返し毎年試飲しておくとその土壌や醸造所の特徴、更に飲み頃までが分かるようになってくるのである。

その後に酸の特別多いムーゼンハングを試すと、残留炭酸が多いという事になった。なるほど嘗ての流行のように炭酸の爽快さで飲ませるワインではないが、本来の酸含有量とそのバランスから清涼感を持ったリースリングとしてそれが残されているようである。それがあまり感じられると品が無くなるのが難しい所である。

その次ぎ七本目には砥石のミネラル味のモイズヘーレを試飲して貰った。ここのそれは軽めに上手に作っているのでそれほどにミネラル質が強くなく、説明もキーセルベルクから谷へと下りてきた地所という説明の仕方をしていた。此方はすかさず、「だから腐りが怖いんですよね」と突っ込んだ。まだその外での仕事が十分に出来ていないのがこの醸造所の現在の実力であろう。

とは言ってもどこかの評価本のように、これだけの地所や蔵での仕事に無頓着な評価を下しているような馬鹿ではない。ただし、前宣伝のあったようにEUビオ農業の認定は2008年度には下りておらず、2009年をまたなければいけないようだ。

そこで幸運ながら2007年産ペッヒシュタインを試飲出来て、大変強い評価を得られた。ミネラル質の強いワインへの苦手とこの玄武岩質のリースリングへの評価は矛盾するようだが、それほどこのグランクリュリースリングは軽やかに上手に繊細に作ってあるかということであり、他の醸造所のこのカルトリースリングとは比較出来ない手軽なワインとなっている。それも現代的な味覚に対応しているという事では素晴らしいに違いない。

そして、ウンゲホイヤーも試飲出来たのは良かった。その土壌の気難しさや先のそれに比べると男性的な味は偉大なリースリングの要素を持っている。地所の場所の説明をさせたが、そこに私の隠された批評が潜んで入るとは気付く者は多くはないであろう。

お別れのペッヒシュタインのゼクトまで飲ませて貰い。次回は「商用」で再び訪れる必要があるのは間違いないであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

評判の悪い醸造所で試飲

2009-07-13 | 試飲百景
ファン・ブール醸造所を今回最初の試飲先に選んだ。理由は、そこの評判の悪い日本からの客人に対して誤解を解く体験をして貰いたいからである。

ピクニックワインとして贔屓にしているグーツリースリングフォンブールから始める。三月に野外で飲んだ時に比べて熟成が進んでいる。それどころかシュヴァルツヴァルトでフランス人達に奨めた時よりも遥かに濃くが出て来ている。これならばまだ秋以降も期待が出来、それを大変気に入って貰って満足である。

二つ目には、敢えて日本で良く飲まれている半辛口のユリエを試して貰った。春前の半辛口が辛口などより美味かった最初期は済んで、今やその酸が威力を発揮して酷とのバランスが徐々に取れ出してきている。それゆえかこうした残糖感には一口で誰もが不味いと吐き出すしかないのである。もちろんそれほど酷くはないが、現状ではこの醸造所の名前に匹敵するようなワインでは決してない。将来性もあまり期待出来ないのが、フォン・バッサーマン・ヨルダン醸造所の残糖感がある上位の辛口キャビネットとは大きく異なる所である。

三本目にそれらに対抗するようにグランクリュ地所の落穂拾いの葡萄を集めたフランツ・ペーター・ブールというキュヴェーを試した。辛口でありながらミネラルの混合や果実風味が強くなかなかうまいのだが飲み頃もまだで、今後どのような発展をするか未知なのがなによりも汚点である。

四本目は本命のヘアゴットザッカーなのだが、ミネラルが軽い分、酸が強く直接に感じられるようで、あまり好みではないようだ。もちろん酸が強いので飲み頃を計るのは難しい。個人的にはスパイシーなレモンの皮のような風味が好みである。

五本目にはそれに対応するキーセルベルクのキャビネットを試すが、それはメロンのようでもあり栗のようでもある味が酸の角を綺麗に削いでいた。(続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肉屋では歯が良いと嘯く

2009-07-12 | 
今日の一言。朝から肉屋に行くとお母さんが店売りをしていた。

「牛肉ステーキが欲しいんだけど」

「フィレ肉?」

「別にフィレでなくても良いよ。だって歯がいいからね」と、高いフィレでなくても良い事を言い訳する。

「私もだよ」と、噛み応えのある肉を楽しめる若さを強調するお母さん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忙しい夏期休暇の準備

2009-07-11 | 
夏休みの準備で大忙しである。朝から歯医者に行き、一時間は飲み食いができないので、帰ってきてから二時間ほど片付けものをする。

メールは放っておけるのだが、ファックスとなると風で飛ぶなど一度視野から離れると忘れてしまう。

お客さんを迎えにダイデスハイムまで行って、引き続いて昼飯を食べようと計画している。折角、歯にフッ素処理したのだから一時間と言われても、昼間は酸の強い2008年産を諦める事とする。

軽い食事を摂って、いよいよ軽いリースリングを試飲しに行くのである。あまりミネラルの強さと酸とアルコールの強い拮抗を好まない人は、早く飲み頃に達するフォンブールのリースリングは好ましいに違いない。

しかし、どうも日本での評判は大変悪く、輸入業者の勘違いや知識や経験の不足もあるのだろうが、大抵の欧州の情報は日本へと流れる頃には既に一サイクルずれていて古臭い情報となっていることが殆どである。

生憎天気が悪く、外で食事の出来るような温度ではない。三月に着ていたジャケットを羽織って出かけた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

重みの押し掛かる歯石落し

2009-07-10 | 
四年振りの歯医者から涙一つ落とさずに戻ってきた。初めてのブロンドの衛生士さんであったが、人其々の患者扱いでそれはそれなりに良かった。

歯石取りは機械的に取り去るのでやはり四年もおくと一寸辛い。そこでの接し方や進め方で、幼稚園先生タイプから看護婦さんタイプまでと色々あるのだ。

上の彼女は典型的なドイツ女性タイプで十分にザッハリッヒなのだが、豊かな胸元を押し付けるように、硬軟取り合わせてそれがそれでなかなか安心感を与えてくれる看護婦さんタイプである。衛生士としてははじめてのタイプである。

乳房効果では嘗てBLOGで盛り上がったことがあるのだが、やはり人によっては上手に使えるに違いない。逆に此方は最近少々鍛えているので、我が胸元に腕を置かれてもぶよぶよとしないので此方も気持ちが良い。

「耐えられるよね?」と言われると、痛さを我慢して「うん」と頷いてしまうのである。それでも痛い思いまでして金を払う価値があるのかどうかと冷静に考えてしまう。

「ここまでで辛いところは終了、あとは気持ちの良いところだから」と歯石落としは終るのだが、そうは言ってもやはりそこまでに十分時間が掛かった。

歯肉を検査するのにハーケンを刺すのに、「一寸痛いけど、驚かないでよ」と言うのだ。なにか全体に共通しているのは、ある種の時間感覚とその認識であるようだ。

「次回は半年後ぐらいに来るでしょ」と言われて、その日は電話予約でその内容をプロフィラクセと指定しなかったので、必要な時間が偶々確保出来たようだが、「次回はそのように予約時に明示して」と言われた。



参照:
最も人間工学的な考察 2006-04-24 | 雑感
渋い切れ味の刀への愛着 2009-07-08 | 雑感
ネットでも価値ある買物 2008-11-05 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手軽で安上がりな気分転換

2009-07-09 | アウトドーア・環境
夕方から三時間も歩いてしまった。12キロほどになるのだろうか。到達点は海抜553Mだから高度差も十分に稼いでいる。

昨晩から雨がちで地面は濡れて、午後には風が出て日が射して地面は乾いて来たのだが、流石に岩場に人は集まっていなかった。それでも下には車が停まっていて、フロントガラス越しに役所の許可所が置いてあったので驚いた。

役所の仕事として、毎週水曜日にザイルなどの荷物などを運ぶための林道の通行許可書のようだった。そして石切り場所へ上がろうとすると、上から自転車を引いてきた親仁は日曜日の祝賀会で出合った顔であった。今日は濡れているからおしまいだと話ていると、それに続いて我々の仲間の親仁が電気ドリルを此方に向けて回しながらやってきた。

岩場の支点の整備などを三人でやっていたようで、八月も水曜日はここで集まるようだ。七月は主要メンバーが休暇に出かけるので次に皆が集まるのは八月になるのである。そのような事情があったからこそ、駄目で元々で立ち寄ったのだが、休暇前に挨拶が出来てよかった。

皆に分かれて今まで進んだ事のなかったケーニッヒヴェークと呼ばれる皇帝ヴィイリアム二世が立ち寄った道を進んで、ハールトの上までやってきた。そこから谷筋を登り送信塔や気象観測機器のあるヴァインビートまで登りつめた。

そこから谷向こうへと下りて行くと五月まで通っていた石切場のある町へ道は連なる。またそこからノイシュタットへと直接6キロで下りる道もあり、いま上がってきたハールトからの道があり、予定通りギメルディンゲンへと直接下りて行く道を帰路に選ぶ。

膝などの関節が抜けたようになる感じが歩いている内に少しは落ち着いてきた。日曜日の話から、筋肉痛はないかと言われたが、それは全くなかったのだが関節はかなり疲れていることが確認出来て大変良かった。

五百メートルの高度から谷へと下りて行くとなるほど空気が違っていた。薄っすらと掻いた汗がヒンヤリと、空腹感を覚え冷蔵庫の中が気になってくる。とても手軽で安上がりな気分転換でありお楽しみなのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渋い切れ味の刀への愛着

2009-07-08 | 雑感
木曜日には歯医者で歯石取りを予約した。思えば、最後に訪ねたのが2004年の秋だったので五年近い経過になる。その後、お気に入りの歯科衛生士さんには偶然にバッサーマンヨルダンの試飲会でお会いしたり、電子メールでアドヴァイスを頂いたりしている。待合室でお会いするかどうかは判らないが、兎に角久しぶりなのである。

当時の大きな目標は精力回復であった事からすれば、殆どそれを達成していると言えるだろうか。ある意味五年ぐらいはそうした総合的な活動状況を変えるには期間が必要なのだろう。

現在も十分に活動力に満ち溢れているかと言えば、十五年ほど前の一日千キロを運転出来た肥満の時期の様ではない。しかし、十代の時にさえなかったほどの疲れ知らずである。疲れが溜まる前に自然にスロットルを絞ってしまうからであろう。その意味からすれば、五年前に薦められて読んだ「メガマン」になりつつある。

最も減退していた時期からすると現在は何パーセント上回っているとか言うよりも、東洋医学風に陰陽の差があると表現するのが正しいだろうか。スポーツによる積極性は、自己の身体を制御すると言う現象において、他の健康術や本来のダイエットとはまた異なった意味合いがある。

要は、健康云々以上に自己の意思に従って肉体を制御する事の方が遥かに意味があると言う考え方がそこに存在する。思い起こせば、クリント・イーストウッドが映画化した「アイガー・サンクション」で世界的に有名になり、一昨年だかにバスクで亡くなった小説家テレヴェニアンの小説「渋味」もそのようなポルノ小説であったように覚えている。

2006年8月に記事にした岩登り靴の爪先のゴムが割れた。最近熱心に使っていたからであろう。反対側の右足はきちんとこばが取れていい具合に磨り減っているところを見るとおかしな岩の突起で潰したのかもしれない。新しいものは流石に底が厚い。この「刀」と呼ぶ靴にそろそろ登攀技術的な限界を感じて来ているので更に「強い靴」を買っても良かったのだが、これは一日でも快適に履いておけるのでどうしても手元において置きたいと思って二足目を購入した。次に新しい靴を見つけた時はかなり技術的にレヴェルアップしていると予想する。



参照:
最も人間工学的な考察 2006-04-24 | 雑感
エリート領域の蹂躙 2006-08-11 | テクニック
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三十路女の手練手管に感心

2009-07-07 | 
近所の女に迫られた。残念ながらドイツ女性はフランス女性ではないので鼻を鳴らしてやって来ない。それの良し悪しは相手次第で何とも言えないが、今日のはまた風変わりだった。

訪問者があったので察しがついて玄関へ降りていくと、スクエアーから男と女の話し声がするではないか。これはおかしいと思って、なにか面倒な事で無ければ良いがと思って玄関を出ると予想通りの訪問者が居て安堵した。そして、その後ろに隠れていた女が一人近づいてきて唐突に挨拶をはじめる。

そう言えば昨日だかに隣のガレージから車を出し入れしていた女に会釈したのだった。どうもその女だったようだ。彼女は言う。

「私、もうここに引っ越してきて四半年経つのよ、今までお会いしなかったね」

「ああ、そう。一体何時から?」

「ほら、ここの名札書いてあるでしょ、一人住まいなのよね、もう四半年よ、私ね、もう三十近いのよ」

「はははは、しかしそれにしてもいつも時刻が合わなかったのかね」

「そうなのよ、それじゃよろしくね」と手をしっかり握られる。大柄では決してないのだが、決して小柄でないドイツ女性である。

比較的肉付きの良い顔をブラウンの髪をしたためていた印象があるのだが、その後の事の方が更に印象に残って、なかなか思い出せない。そして門を出て行ってから、再びコロンボ刑事のように戻ってきて、感情を込めて言うのだ。

「残念なお知らせがあってね」

「ええ」と此方も「なんだ?」と心では思いながらも少し顔色を曇らせる。

そして、顔を覗きこむように言うのだ。

「私、目が見えなくなるのよ」

当然の事ながら自然、彼女のブロンド色した眉毛から睫毛の奥のブルー系の比較的小さな瞳を悲哀を込めて覗きこむ。間近で、それも深く。

「それはそれは」と同情を表わす。

すると彼女は間髪入れずに物憂げに言葉を吐く。

「でももう、大丈夫なのよ」

これは危ない人と思った。思わず身を引いて、用事のある背景奥で作業をしている訪問者の方へと視線を泳がしてしまった。

なるほど、昨日だかに車で擦れ違ったときに一目惚れをされてしまったのだろう。逆の立場ではいろいろな事を試みるのだが、今回の手法は初体験である。寅さんの恋の手解きにもなかった。なにか少女雑誌が安物恋愛小説に載っていそうで、それも気持ちが悪い。なるほど自分のチャームポイントと思っているのだろう目を覗かせることで、一挙に多くの事をやり遂げてしまうのである。

流石に三十路の女性は手練手管が違う。昨年の地質学の女性と比べると明らかに慣れている反面、空想が強そうな感じであるが、こちらの反応を一体どう思ったであろうか?

なるほど同じ事を二十歳の女性が試みて、突然「私、もう二十歳なのよ」と言われたらこちらはフナフナとなっていたかも知れない。女性は手が早い。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安全機構を一望する間隔

2009-07-06 | アウトドーア・環境
日曜日のパンを取りに行って、昨日痛めた左膝と左肘の関節を歩いて直そうと思った。道に迷って三時間以上も歩いてしまった。朝飯前にこなすには12キロ越えは長すぎる距離である。

歩きながら前日の反省や様々な事を考えていた。最も興味深く思っている事は安全のシステム構成についてであり、主に岩場における自己確保とパートナーつまりザイルシャフトの安全である。

顕著な例として挙げられるのは南プファルツの一般ルートと呼ばれる多くの岩峰において取られているクラシックなルートにおける、茸の傘の下のような天井の低い回廊の通過横へと伸ばされる時の確保支点の設定であろうか。

人は上へ上へと登って行く動作にはそれほど恐怖感を感じないのだが、そうした屋根の下の巾二十センチから五十センチほどの外へ傾いた回廊に両膝をついたり片足を掛けたりして進むときの恐怖心はかなりのものである。要するに姿勢が這い這いをする赤ん坊のようになかなか安定しないのである。だからどうしてもそこに出来るだけフレンズなどの噛ませものを入れて落ちる距離や全体の落下の危険性を下げるように努力する。

そうした状況に典型的に表れるのが自分自身の落下を短くしようとする意識と全体の安全性を高めようとする作業との微妙な差異ではなかろうか。最終的に恐怖心から導き出される前者よりも致命的な事故となりかねない後者が最も重要視されるべきであるのは言うまでもない。

そのような基本は承知していてもその場その場の状況に応じて様々な対応の仕方があり、その中からベストを確実に選択して行くには全体を見渡す事の出来る冷静な判断力が必要になる。心理的肉体的に圧迫されて居る状態でそれを確実にこなして行くのは経験とも言えるが、一種の危機管理で合理的に解決して行くしかないようである。

昨日は現地でプフェルツァー・クライマー連合の九十年祭が開かれていて我々の一人がそれに合わせて今回は企画したようである。知らぬ間に此方も顔見知りが多く先方から挨拶されることがあって驚く。事故の問題などを語っていたが、「重力に逆らうスポーツだから」という意見には、町医者は「それはないだろう」と零していた。彼も南シュヴァルツヴァルト出身でアルペンスキーの選手をやっていたと初めて聞いた。なるほど運動能力が高い訳である。

アルペンクライミングに比べてスポーツクライミングは、前者は致命傷が多いのに対して後者は一生涯の不自由となる事故が多いようである。確保体系の違いやザイルの長さや太さについても様々であり、それはそれでなかなか複雑である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掴み所のない侵食の奇岩

2009-07-05 | アウトドーア・環境
腕に覚えのあるものならばルートも一目瞭然で、簡単に見えるが手ごわい。今シーズン初めて南プファルツの奇岩を攀じた。石切り場に通って通ってどうしても行きたいと言う状態まで、まるでプロ野球の落合選手のようにバットを持たずにここまで来たようなものだ。

人が登っているのを見ていて何をぐずぐずしているのかなと思った下部は湿っていてよく滑った。それに中部に乗り移るところが腕が短いためか手が伸び切って仕舞い早くも岩を離しそうになってしまった。

その心理的後遺症がその後にも残り、バンド帯を反対側の稜へと横にと移って行くのさえびくびくものである。そこから左上へと抜ける割れ目を伝って上がるのだがそこが核心部である。

打ち込んであるピンにカラビナを掛けて登ると難易度五級へと落ちてしまうが、それを使わないとなると六級を上回る。先行者が大変苦労していたので端からカラビナを使わせて貰ったが、それでも厳しい。同行した初心者の町医者が今まで登った所で一番厳しいと言うのは分かる。

此方にすれば嘗てやっていたことを先祖帰りのように三十年振りぐらいにやる事などで特別な感慨はなかったが、やはりこの地域での六級というのはかなり難しいと思い知らされた。

石灰岩ならばどんなに傾斜がきつかろうともつかみ所があり、花崗岩もつるつるだがそれなりの摂理がある。それに比べて砂岩は石ころなどが埋まっていることはあってもなにもかもが丸みを帯びていてしっかり掴めたためしがない。精々、容易なルートでは侵食あとが痘痕のようになっていたり下向きや横向きの角が立った板状の鰭が掴み易いぐらいである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古い新茶を味わう馬鹿

2009-07-04 | ワイン


昨晩は日が暮れる時刻を選んで散歩に行った。ここ暫らく、早朝・夕刻の暑さゆえに機会が無く、鉛直方向への散策に押しやられる形で、散歩する時間があまり取れなくなっていた。すると座っている時間が長い事から、また冷たい飲み物を飲む機会が多い事から少し腹具合が良くない。

そこに日本から送られて余分の新茶などを三袋も貰ったので、邪魔にはならないとは言っても期限切れそうなものから片っ端から淹れている。しかし古い新茶などが旨い訳がない。だから大量に湧かして冷して飲むとやはり腹に堪える。一番気になっているのは、開封して一月も経ってない取っておきのお茶であるが、先ずは空けた古い静岡?(その実は中国産だろう)の新茶を飲んでしまうのに躍起である。それでもついつい飲んでしまうので、二週間もあれば一人で一袋ぐらい軽く飲んで仕舞えるのだ。

どんな煎茶ではあってもタンニンは含まれているので、嘗て程飲み慣れていないのでやはり量を飲むと腹にだけでなく口もざらざらするように感じる。そのような訳で久しぶりに歯医者に歯石取りの予約を取った。既に前回から四年ほど経過しているのであまり苦痛に富んだそれにならないことを願っている。

さて、久しぶりに徘徊した葡萄の園はやはり素晴らしかった。葡萄は大きさも疎らで数も様々だ。今年の開花時期にあれだけ巾があった事を考えると、その葡萄のクローンの違いだけでなく、地所の違いや樹齢にもよる差異もあるような感じがする。薄暮となる十時前に方々の畝に入ってその土の堅さやたがやかし方などを比べた。思いの外、差が激しかった。特にビュルックリン・ヴォルフのペッヒシュタインなどは砂風呂のように何処までもふわふわと起こされていて、そこに蒔かれているビオデュナミの養分だけでなくて土そのものが生きているようで感動した。

フォン・バッサーマンもそれに比較出来ない。フォンブールは全くそこまで手を掛けていないので比べるのもおこがましい。これだけ比較してもその品質は当然のこと、価格に差があっても当然だと思われる。近い内に再び同じような価格体系を取っているクリストマン醸造所のそれと比べてみたいが、とてもではないがそれだけみても価格を高く設定し過ぎると思うに違いない。

ここでまた評価本とやらに怒りの矛先が向ってしまう。ワインの味の良し悪しを「うむふむ」と述べているような通人ぶっている連中は、その評価が趣向として絶対評価できないことを逆手にとって、なんだかんだと御託を並べているだけの連中なのである。そうした輩をワインスノッブというのだが、やつらは眼にただ穴が開いているだけなのである。

貰いもので一銭も金を掛けていない屋上庭園の鉢を二つ植え替えた。これまた貰いものや使いさしの大きめの鉢に植え替えたのである。水をやって涼しげな様子を見ていると早速夕立がやってきて、本当に涼しくなってきた。来週は涼しくなりそうである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

限りある本当に熱い日々

2009-07-03 | 生活
注文したものが届いた。ネットでは未発送となっていたので意表を衝かれた。古いカラビナを「展示」のために水洗いして乾かしたりしていると、安全ベルトに知らないHMSカラビナがついている事に気がついた。

一寸考えて二人のうちのどちらのものかは分かった。早速メールを認めた。「安心しろ!」と書いたら、「昨晩はもう無くて気になってしまった」と答えて、「土曜日は来るのか?」と斬り返した。

昨晩は、「何処行くの?」と尋ねると「あんたには難しいから来たって意味がないよ」と抜かしたのだった。それを聞いていた初心者の仲間の町医者が、「僕達には手に負えないという事じゃないの」と言うものだから、これまた腹が煮え繰り返ったのだった。

その今年子供の生まれた大男とは分かれて、石切り場の下のスポーツ広場のある谷沿いの店で、年老いた母親と二人暮らしの57歳だかの親仁と、高校生の子供がいて嫁さんと別れているその町医者と細々と野外で夕膳の一時を楽しんだ。

ハーフドームやらノーズやらのヨセミテやドロミテやまたスイスの花崗岩の渓谷の岩質の話をしながら、結局土曜日の話に戻ってきた。三パーティー攀じろうが、五パーティで行動しようがそれほど時間は変わらないので初心者の医者も行けば良いのではないかという風になった。どれほどの傾斜の壁であるかで引っ張り揚げ方は異なる。

兎に角、暑い夏日が続いている。あと何週間も本当に暑い日々は続かない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする