Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

古い新茶を味わう馬鹿

2009-07-04 | ワイン


昨晩は日が暮れる時刻を選んで散歩に行った。ここ暫らく、早朝・夕刻の暑さゆえに機会が無く、鉛直方向への散策に押しやられる形で、散歩する時間があまり取れなくなっていた。すると座っている時間が長い事から、また冷たい飲み物を飲む機会が多い事から少し腹具合が良くない。

そこに日本から送られて余分の新茶などを三袋も貰ったので、邪魔にはならないとは言っても期限切れそうなものから片っ端から淹れている。しかし古い新茶などが旨い訳がない。だから大量に湧かして冷して飲むとやはり腹に堪える。一番気になっているのは、開封して一月も経ってない取っておきのお茶であるが、先ずは空けた古い静岡?(その実は中国産だろう)の新茶を飲んでしまうのに躍起である。それでもついつい飲んでしまうので、二週間もあれば一人で一袋ぐらい軽く飲んで仕舞えるのだ。

どんな煎茶ではあってもタンニンは含まれているので、嘗て程飲み慣れていないのでやはり量を飲むと腹にだけでなく口もざらざらするように感じる。そのような訳で久しぶりに歯医者に歯石取りの予約を取った。既に前回から四年ほど経過しているのであまり苦痛に富んだそれにならないことを願っている。

さて、久しぶりに徘徊した葡萄の園はやはり素晴らしかった。葡萄は大きさも疎らで数も様々だ。今年の開花時期にあれだけ巾があった事を考えると、その葡萄のクローンの違いだけでなく、地所の違いや樹齢にもよる差異もあるような感じがする。薄暮となる十時前に方々の畝に入ってその土の堅さやたがやかし方などを比べた。思いの外、差が激しかった。特にビュルックリン・ヴォルフのペッヒシュタインなどは砂風呂のように何処までもふわふわと起こされていて、そこに蒔かれているビオデュナミの養分だけでなくて土そのものが生きているようで感動した。

フォン・バッサーマンもそれに比較出来ない。フォンブールは全くそこまで手を掛けていないので比べるのもおこがましい。これだけ比較してもその品質は当然のこと、価格に差があっても当然だと思われる。近い内に再び同じような価格体系を取っているクリストマン醸造所のそれと比べてみたいが、とてもではないがそれだけみても価格を高く設定し過ぎると思うに違いない。

ここでまた評価本とやらに怒りの矛先が向ってしまう。ワインの味の良し悪しを「うむふむ」と述べているような通人ぶっている連中は、その評価が趣向として絶対評価できないことを逆手にとって、なんだかんだと御託を並べているだけの連中なのである。そうした輩をワインスノッブというのだが、やつらは眼にただ穴が開いているだけなのである。

貰いもので一銭も金を掛けていない屋上庭園の鉢を二つ植え替えた。これまた貰いものや使いさしの大きめの鉢に植え替えたのである。水をやって涼しげな様子を見ていると早速夕立がやってきて、本当に涼しくなってきた。来週は涼しくなりそうである。
コメント (2)
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