Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

雨の休暇日に母体回帰する

2009-07-22 | アウトドーア・環境
今日はこの夏一番の暑さだろうか。雷雨もはじめから日程に組まれている。明日は二週間振りに石切り場に行って、残留組に成果を報告したいのだがどうだろう。早くお湿りが来て早く乾いてくれると良い。

陽射しの下では三十五度近くあるので、どちらかと言えば池に行って、トップレスの女の子の周りをうろうろした方が楽しいのだろうが、夏休暇で人手が手薄になっているところにお手伝いに行くのも悪くはない。

先日の山行の雨天の洞窟探検は、小一時間とは言え初めての経験を楽しんだ。一時ケーヴィングと呼ばれて流行ったことがあったが、ザイルを使って云々の行動で、スポーツ性よりも探検ごっこの感じが強くて一度も興味を持ったことはない。暗闇で閉じ込められたり、増水で溺れたりとその不幸な想像は滑落よりも喜ばしくもない。

それとは別に閉所恐怖症などと呼ばれるものもあるが、それには自覚がない。寧ろ最近は眼鏡のためか自律神経失調症気味で、出来るだけ高みから下を見ないようにしている。高所恐怖症ではないがふらふらと目眩するといけないと思うようになっている。

洞窟へは小屋から二十メートル以上上がった岩壁の洞穴から入った。しんがりを進む。足元を照らす光は自らのライトしかなくて、思わず「暗い」と叫んだ。「洞窟を精々楽しんでくれ」とお声が掛かったが、なるほど少しでも離れ離れになる不安になる。更に進むと上下に二つの穴が分かれていたりで、叫んで位置を確認しても声が跳ね返って定かではない。大きな洞窟になると戻って来れない不安も付き纏うのだろう。

アリアドネではないが洞窟の入口から自分専用の赤い糸でも引っ張って行きたい気持ちは良く分かる。匍匐前進しなければいけない場所もあり身のこなしの柔軟さも要求されるところがいくらかはスポーツ的だろうか?それでも通れるかどうか分からないような場所を先に進むとなると益々不安になるに違いない。何れにしても洞窟探検は子宮回帰の心理をどうしても強く意識させる行いである。

異なった姿勢で戻ろうとすると、「止めてくれ」とまた背後からお声が掛かった。「閉じ込められては叶わない」と幾らか不安な声が響いた。小屋に戻って着替えを済まして体重オーヴァーの居残り組に報告していると、「洞窟を空けて戻ってきたのか?」と訳の分からない事を言われた。ズボンのチャックを閉め忘れていたのであった。
コメント
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