Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

到底埋められない質の差

2012-11-16 | 雑感
冬タイヤに交換した。新しくした二本の感じは良い。大分静かになる感じでグリップが良い。但し二本だけのためか左右への挙動が少し大きくなり過ぎる。前後のタイヤが異なるからだろう。もう少し乗ってみて気に入ったら、安く探してみよう。

車中のラジオで「先生が十四歳の生徒とセックスした(SWR文化波の報道の文言)」ことで、罪に問われたが無罪になったことを受けて、より厳しくするというニュースが流れた。担任であろうが無かろうが、その教育者としての立場を逸脱する行為として責任を問えるようにすると言うのである。

なぜか世界中で似たようなセックススキャンダルが伝えられるようになるには共通する事情があるのだろう。ここ二十年ほどで加速したのは、青少年・児童保護の立場での規制が欧米先進国を中心に進められたからだろうか。その背景には性の商業化で罪の無い子供たちが犠牲になるという現実がある。

それ以前にそうした状況を作る貧困や家庭崩壊などが問題であるのは分るのだが、どれほど理想的な経済や家庭環境が先進工業国だけに限ってもあるだろうかというと、殆ど無いとしか思われない。

戦後誕生した二つ目の新聞社フランクフルタールントシャウ紙が倒産した。長く経営不振が伝えられておりルモンド社や社会民主党などから支援を受けていたのであるが、これ以上は続けられなくなった。決してデジタルメディアに潰されただけではないとフランクフルターアルゲマイネ紙は評する。

左派の真面目な新聞社としてベルリンのTAZと並んで全国紙であったのだが、その分経費も嵩んだ結果だったようである。なるほどターゲスツァイトュングの方はその色合いからしても東ドイツ特に東ベルリンでの購読者が多いのだろうから安定しているのだろうが、FAZが評するようにそこには鋭い激しさもあってネットなどを通してここでも紹介することが多い。それどころか日本のサイトなどでも時々そのフクシマの記事は取り上げられている。それに比較すると比較的馴染みがあるはずのルンドシャウの方は殆どここでも取り上げたことが無い。やはり記事の内容の出来が悪かったに尽きるだろう。勿論経営が悪いと編集者も記事の依頼者も質が落ちてくるが、到底手弁当感覚で生き残れるような程度ではなかったに違いない。

そのように考えるとドイツにおいても地方紙はそれなりのローカルな強みがあるが、全国紙となると益々厳しくなっていくに違いない。新聞間の記事の程度の差は甚だしく、それは読者層の教養や教育や社会的な位置などでは到底解決できないほどの質の差がある。しかしその一方、経済や家庭環境の差も社会層間において甚だしいことを考えると、それぐらいの質の差はあっても当然なのかもしれない。ワインも芸術も然りである、そのような上質で高級なものはポピュラーではありえないのだ。



参照:
到底埋められない質の差 2012-11-03 | 暦
投資家の手に落ちる報道 2007-06-01 | マスメディア批評
上げよ、怒りの雄叫びを! 2009-03-29 | 歴史・時事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

求められる第二の肌感覚

2012-11-15 | テクニック
ゴアテックスの商品を調べている。加工工程のラミネート技術なども嘗て身近に見聞きいていたのだが、その後の状況もあまり代わり映えはしないようだ。ハードシェルのヤッケを探しているとどうしてもそのテキスタイルの技術的な問題に目が行く。

現在購入予定のヤッケ候補は、何通りかのゴアテックスの生地を使っているのだが、一番剛健なのはプロと呼ばれる三重構造の生地で、今注目しているのはアクティヴと呼ばれる更に発汗性を考慮した生地である。その大きな相違は、中に挟まれる詰物がラミネート接着されていて二重構造に近似していることのようである。

そうすることで風や雨を防ぎながらも薄く、生地間の摩擦を無くして発汗の放出の効率を上げている。勿論これはヤッケを着込んでいながら強い運動をするときには大変助かる機能である。

二十年近く使ってきたヤッケはメッシュまでを入れると四重構造となっていることからすれば分るように、明らかに薄く軽くなってはいるのだが、なるほど上記のプロ使用の生地が強調するように薄くなればなるほどシュタイクアイゼンなどで引っ掛けると穴が開き易いのも事実だろう。その昔ナイロンの単純な生地がヤッケとして使われていた頃には、ある程度の太さの糸でのナイロン生地はアイゼンを自分で引っ掛けても破れなかったので、逆にそれで足を取られて転落事故に繋がるというような話があった。それどころか、ナイロンはそのように強すぎて危険なので、初心者にはテトロンかなにかの破れ易い生地を着せて雪上訓練をしろなどという笑い話のようなことがことが技術文に書かれていたのを思い出す。

ゴアテックス自体も最初に購入したのがごわごわの生地の分厚いもので、その昔のナイロンよりも剛健であった。そして、その後の衣料用の生地としての発展があるようだ。更に興味深いのはゴアテックスプロは日本製となっていることで、なるほどあの当時のラミネート技術が独自な発展を見せたのだろうと想像する。しかしながら、最終製品と為るともはや中国製が当然の事ながら中心となってきていて、加工も中国で行われて最終的な縫製まで持ち込まれているのだろう。

さて、購入の方向性は決まった。ソフトシェルの購入なども考慮した結果、やはりハードシェルで夏冬共に使えるものを購入したいとなった。つまり、夏は天候変化に対応してリュックにいつも入れて置けるような軽量でコムパクトなヤッケ、冬は今年はスキーには使わないのでアイスクライミング時に飛沫がかかっても水が垂れていても濡れないようなヤッケ。どうもフードの形状など完璧なものが見つからないので適当な価格でゴアテックスアクティヴ生地を使ってみたいとなった。

セーターなども同じであるが最近のモードのトレンドはこうした素材を上手に使うということでボディーコンシャスで運動の邪魔にならない第二の肌感覚が求められているようだ。その先端にこうしたスポーツ衣料があり、洗濯なども含めて白物電化の市場にも大きな影響を与えている。嘗てのテキスタイル産業が医療やエコ産業などで意外なノウハウを提供している背景にはこうした産業の仕掛けがあることは明白である。



参照:
桃栗三年柿八年、山八十年 2012-11-14 | アウトドーア・環境
Not body conscious. Not baggy 2011-07-11 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桃栗三年柿八年、山八十年

2012-11-14 | アウトドーア・環境
スーパーで安売りになっていたので柿を買った。四個入りで三ユーロ以下であった。通常柿というとシャローン柿のイスラエル産の柔らかいものが多いのだが同じ価格で硬い種無しの富有柿のようなそれである。

種が無い分柔らかい甘い所も無いが、そこにフォークを指して素手で触れずに皮を向けるので手が汚れずに快適である。味も十分に甘みもあって、なによりもこりこりとするので火照った身体には良いだろう。

身体の方は、火照ってはいないのだが、風邪気味で腹具合が落ち着かなく、更に腰がギクシャクして不愉快である。また暖かかくなる局面で健康状態が悪くなる。

氷のシーズンに備えてシュタイクアイゼンを購入しなければいけないのだが、その前にいよいよヤッケの襟口も破れてきたので、新しいものを探すと中々難しい。フードの問題やら、その価格やら、ハードシェルのものが欲しいのだが、高額を出して購入するまでの決定打がないのである。とはいっても、ソフトシェルのウィンドーストッパーのようなものだと雨具が無い。

雨の降るようなゲレンデには行きたくは無いのだが団体行動となるとそのようなこともあるので困るのだ。嘗ては、山道具などは一度上物を買えばそれで足りるようなものだったのだが、現在では細かく用途が分かれていて極端に言えば出かける場所によってまたは特別やりたいスポーツ種目によって必要な道具が分かれてきて、装備取得の限がない。

子供に音楽を習わすのに、ピアノを購入するよりもヴァイオリンの方が安いということで始めて、それが続いた場合は段々と大きな楽器、そして上等な楽器が必要になって弓と合わせて限が無い世界へと突き進んでいく。方やグランウンドピアノで終わりなのである。それと同じように意外に用具だけでも費用が掛かるのがアルパインクライミングなのである。

それにしてもこれほどに限りない時間と費用をかけて一体なにかものになるのだろうかと、不愉快な腰痛に疑心が生じるのだ。



参照:
行動形態不審の敵を一掃 2006-11-10 | 生活
高めるべきは経験値 2012-02-14 | アウトドーア・環境
Not body conscious. Not baggy 2011-07-11 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水々金々日々、月曜日

2012-11-12 | 
日曜日はザンクト・マルティンの日であった。ダックを食べるお誘いの話もあったのだが結局実現せずにそのような食事をすることはなかった。十一月の月で珍しい明るい行事である。

それでも一足先にシュトレーンがパン屋に並んでいるので、先ずは芥子入りのそれを購入して、今度は干し葡萄入りのスタンダードなものを購入した。クリスマスまではまだ時間があるが、少しづつ螺旋状に突き進む今年の気象と同じでゆっくりと先が見えてくる。紅葉が散ることも無くゆっくりと色を強く濃くしている今年の秋はことのほか穏やかで美しい。

そして忘れてくる頃に発生してきた小バエが台所の窓に目立つようになってきた。今年は摘み取りが遅くなった分、葡萄山に捨てられた皮や種や酵母などから小バエが発生するのが遅かったのだろう。その分繁殖数も少ないと助かるのだが。

日曜日はシーズンの第五日目を過ごした。流石に一日おきに三日通うと、風邪で腹具合が悪かったのと合わせて疲れを感じた。それでも初心者に付き合って、簡単なところを丁寧に登ったりしているうちに調子が出てきて、最終的には三時間みっちりと登った。今回の成果は簡単なオヴァーハングで四級プラスの場所を殆ど完璧に登ってもらえたことである。その前に、四級上下と五級などを色々混ぜて登って貰った後で、三回目の挑戦でクリアー出来た。これで、四級の壁を心理的に破って貰えると、月末には三級をリードすることも可能となるであろう。

VIDEO分析の後、大分動的な上り方が可能になってきたのと、基礎通りに脚力を使ってのクライミングが身に着いて来だしているので、上手く行けば冬のシーズンの大きな成果が期待出来る。

週三回もクライミングホールに通っていると走る時間をつくるのが更に難しくなる。少なくとも週一回以上は走らないと弱くなりそうなので、出来るだけ時間を作るが、それでも疲れが残っていると厳しい。登りだけかけて降りは歩いて降りてきた。そのためか汗をびっしょりかくことも無く全身の衰弱も無かったが、爪先駈けの下半身と心肺にだけは少し負荷を掛けることが出来た。なによりも登りでも足が上がるようになってピッチが長くなってきているのは良い傾向である。



参照:
小蝿が消えると冬はそこ 2011-10-18 | 暦
行動形態不審の敵を一掃 2006-11-10 | 生活
ケシの実を育むように 2011-12-10 | アウトドーア・環境
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二十世紀隠遁の美学の環境

2012-11-11 | 
先ほど亡くなったエリオット・カーター百歳のインタヴューは、故人の人となりが十二分に示されている。そのインタヴューが秀逸なのは本物のジャーナリスムがそこにあるからで、その受け答えから故人の芸術家としての立ち位置と同時にそれを取り囲む環境である我々の認知が美学として浮き彫りされるからなのである。

と、小難しいことを語っているようだが、その内容は達観した百歳の知識人のそれであり、こなれにこなれた整理され無駄の無い受け答えとして我々の生きるその環境が歴史的に描かれる。

クロニカルに順を追って、生まれ育ちから、音楽とチャールズ・アイヴスとの出会い、ハーヴァードへの進学と父親の無理解、ピストンやホルツなどの音楽家からの授業、反対を押し切ってのパリへの留学、ナディア・ブーランジェの下での修行とナチの侵攻、戦時下での作曲活動と、戦後の活動などが語られる。

既に1930年代には自らの聴衆を選択せざるを得ない現代音楽の限界を感じており、その時点での定めが、自らが及ばない活動をしていると名指しするブーレーズやべリオの欧州勢の進歩的な活動とは異なる、あたかもチャールズ・アイヴスのアマチュアリズムにも相当するような新世界らしい芸術家の姿勢なのである。こうしたことを暗示して、インタヴュアーはマンハッタンのグリーニッチのビルの自宅を訪ねたそのカビネットの戸を潜るのであった。

もちろんプロの作曲家として定められた聴衆を目指して作曲活動を行うの容易ではないが、戦時下の特別な状況でスパイ工作の訓練を受けたり、それを嫌いその後に軍の宣伝局にて作曲をするうちにロックフェロー財団などから援助を受け第一交響曲を書き、さらにテキサスのタクソンに篭って出世作となる第一四重奏曲を完成させ、パリでの演奏で一挙に世界の注目を集めることとなる。

所謂戦後の欧州の事情を考えれば、なるほど作曲家が作曲で生計を立てるなど非現実的な構想であったのが、こうした戦後欧州の空白期に創作活動を繰り広げることとなるのである。なるほどその創作は、戦中の欧州で繰り広げられた丁度パリ留学時代のその当時の前衛的な手法の上に独自性を築いたものであるかもしれないが、弦楽四重奏曲や管弦楽のための変奏曲などにその間のその後の進展が凝縮された形で結晶化されている。作曲家本人が語るように「申し訳ないけれど」と言うのはその幾らかの後ろめたさのようなものがそこには存在するからだ。

同時に北米の作曲家アイヴスが既に試みていたような、同時進行するパートごとの多重のリズム構造などに如実に現れている恐らく北米における独自の多次元への視座は、必ずしも欧州文化体系における多文化のそれだけではなく、また作曲家が語るような数学的物理的な例えば量子力学などの新たな視座やもしくはその後の宇宙開発における宇宙への挑戦の地球の相対化などでのニューフロンティア精神の表出と源を同じとするものかもしれない。

現に作曲家が一年以上もかけて創作を繰り返していた最終的な動機付けは、冒険精神にあると語るそこには独自の未知のフロンティアを目指していた複雑な楽曲の創作活動と、恐らく80年代どころか60年代にはもはやそうした試みではなく手馴れたテロワーでの誰のためになぜ作曲するかを狙いを定め、対位法や和声学の土台に則って創作を繰り広げるという古い方法へと変わっていった。背景には、もはや作曲自体が時代の認知という作業ではなくなってきたという現実があると説明しており、既に前衛芸術は30年代には社会的な価値を失っていたとの認識を吐露している。

そうした一種の諦観の中でのフロンティアならず温室の中での創作活動への隠遁がこの作曲家の創作となっている感があって、正しく様々な作曲を審査対象化することでの新たな創作へと舵を切ったことにもその創作の質感の高品質が保証されている。

その意味からそうした態度を更に徹底させた80年代のブーレーズ指揮でエラートで録音されている自らの解説付の作品群への評価も定まるのではないだろうか?そしてそこへと至る一番から四番への弦楽四重奏曲に聞かれるシューマンの響きにも通じる作品群やヴァイオリニストズーコフスキーのための作曲などモダーンを貫きながら、同時に創作姿勢として明らかに北米という隠遁の地での活動を問うた作品群は、まさに我々が生きてきた二十世紀のモダーンを遠視しての対象化客観化に成功している。

当時のパリできな臭くなった時点において共産主義者の集まりに顔を出すようになった作曲家を見て、父親の反対から母親のヘソクリの仕送りから無料で授業をしていたブーランジェに、そのようなことをしていると「強制収容所送り」にすると真面目な顔で言われたことから、「全く異なった世界に住んでいる」と自覚した作曲家の客観視こそがその芸術の真意であったろう。

リムスキーコルサコフの管弦楽法を独学して、ハーヴァードの上流階級入りに不信感を抱き、父親の会社を継ぐことなく、ジャズや新ヴィーン学派に代表されるようなモダーンに傾倒していった北米の知識人のその創作は二十世紀の文化の歴史でもあったのだ。



参照:
The four String Quartets, Juilliard SQ,
Variations for Orchestra, James Levine, Chicago SO
Conserto pour Hautbois etc., Heinz Holliger, Pierre Boulez, Esm. InterCompemporain
Wie hat die Wüste Sie verändert, Mister Carter ?, J.J.Rohwer, FAZ vom 25.10.2008,
Der Brückenbauer, G.R.Koch, FAZ vom 7.11.2012
新世界への思索の飛躍 2012-11-08 | 文化一般
生半可にいかない響き 2008-12-08 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

背後で視線を感じながら

2012-11-10 | 雑感
金曜日は冬シーズンの四日目であった。自身は風邪気味で体調悪く手首なども先日のボルダーで昨年の傷みを思い出すようになっていたので、軽めに仕上げることにした。少しづつロープをリードする場所も増やしていって、オーヴァーハング帯で練習中の技を試して行きたいのである。

先ずは待ち時間を利用してボルダールームで身体を温め、いくつかの課題を試みるがやはり難しい。ホールに下りてきて身体慣らしにトップロープで六級を登る。初見にしてはレッドポイントで抜けれたので満足である。石の設置をしている者に見られていたようだ。まあ、現在の実力の程度であろうか。

その後、垂壁の五級をリードするが、凹角に入るところでロープにぶら下がって上部を研究した。昨年も何回か登っているが、昨年はもう一つ容易なルートが重なっていたので石の数が多すぎた。そこで確りと左右を見極めながら登った。一箇所、襤褸ロープの重みに引かれてお手つきしたが、まあまあで登った。

さて相棒に登って貰うと途中からボロボロに為るばかりか、ロープの掛け方も二度も間違え、更にクリップする所定の場所で定まらない。それどころか片足を浮かしてそのような動作をしていて、全く話にならなかった。

その後、オーヴァーハングをトップロープで登り、クライミングダウンするが、これは大変良い練習であった。やはり正しいポジションに身体をもっていくのがとても難しい。

既に二時間近く経ったので、仕上げに初めてのところをリードして、相棒にもポジション取りの練習をしてもらったが、これは先のものよりは上手に遣っていた。恐らく、開脚することなく腕力だけで簡単に安定するからだろう。その後初心者向きの練習壁で極端なクローズの姿勢でストレッチをしながら上下したが、これが吐息の漏れるような運動量なのである。オヴァーハングを登っている方が遥かに運動量は少ない。

遅れてきた相棒には好きなところを最後に登って貰ったが、五級の場所をリードするからには完璧に登って貰うことを命じたが、途中からボロボロになっていた。要するに、様々な言い訳で、何が駄目これが駄目と言うのだが、五級の場所をこなしていない事に尽きる。たとえ先々週のように他所のクライミングホールで七級プラスをこなしたとしても、ここで五級を完璧こなせないと南プファルツでは到底五級をリード出来ないのである。なるほど、この支部ではここで五級をこなせるかどうかが山行プログラムの参加条件として経験の一つとして頻繁に挙がっているのである。勿論本格的なロッククライミングルートを登るには六級をこなすことが条件となる。何でも良いから五級をどんどんと完璧に登って貰うしかない。

さて、明日はまた初心者と一緒にやるが、そこでは四級が壁になっている。本人が参加するワークショップは月末であり、それまでになんとか四級をこなして貰わないとリードして登るところも無く、三級を安全に確実に登るには間違いなく必要である。さてどうしたものが明日まで考えてみよう。



参照:
ボルダーでウォーミングアップ 2012-11-09 | 生活
日曜日のクライミングホール 2012-11-05 | 生活
皆病気がちのバイオウェザー 2012-11-06 | 生活
娯楽施設でのクライミング 2012-10-27 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボルダーでウォーミングアップ

2012-11-09 | 生活
水曜日は冬シーズンの三日目であった。ボルダールームから始めた。コツが徐々に分ってきたので昨年のように手首を逝かすような無理な体勢はとらないでも幾つかは掴めるようになって練習できるようになってきた。やはり練習方法が正しい証明だろう。

初心者には垂壁でウォーミングアップ代わりに横ばいで練習して貰うが、やはり体重移動が身についていないので、十分に乗り移る姿勢が出来ていない。嘗てゲレンデの岩場の下の裾を伝ったように基本練習には間違いなさそうである。相撲の四股ではないが左右に体重移動や加重が出来るようにならないと、垂壁においても手掛かりの向きを活かした的確な乗り込みが出来ないに違いない。

初心者指導をしなければ分らないことが幾つも分ってきて、自らそれをデモンストレーションしたりしているうちに、身体が自由に使える範囲が広がって、とても技術的に多彩になっていることを実感している。

オーヴァーハングでフィニッシュしてそれからストレッチ運動を兼ねて初心者壁で上下してくるまでの間、三時間ほどを途中で入れ替わる二人の者に相手して、最初から最後まで練習しても、筋力などはあまり疲れないのである。なるほどまだまだ序盤であり、それほど難しい場所を頻繁に登っているのではないが、昨年の上限程度のところは比較的楽に登っているのである。

決して身体の柔軟性やその他の機能が向上したとは思わないのであるが、明らかに基本技術から上級技術までが精妙になってきていて、極限まで腕力の使い方が効果的になってきている。そのお陰で、クライミングホールで三時間も登っていることが出来るのだろう。

さて当の初心者は今月の25日にロープをリードするワークショップに参加するので、それまでに身に着けて貰うものもあり、その後は実際にリードして登って貰うようにしたいのである。しかし、それは決して容易な目標ではないのをこうして改めて知ることとなる。

既にそのワークショップにて課題となるロープのカラビナへの掛けかたやポジション取りなどは、特に後者は外したり賭けたりすることを後続でもクライミングダウンでも遣って貰っているので問題は無いのだが、基本となる簡単な場所を確実に登るようにまだ為っていない。精々四級マイナスを確実にして貰いたいのだが、体重移動や加重などがもう一つ身についていないので難しいのである。クローズで登り降りする練習は大分したのだが、それに加えて凹角でのツッパリやら左右への大きな乗り移りを重点的に練習して貰わなければいけないに違いない。

昨晩の疲れは筋肉痛としてではなく眠気として残っていたので、パンを取りに行く序に13分ほど走った。途中珍しく猟師のジープに出会った。タイムは余りよくなかったのだが、走れる余力を残しながら登りでの足取りが確りしてきている。爪先立ちが身についてきたのと、太ももの贅肉が取れて動きが良くなってきているようだ。同じように脇腹が大分筋肉質に為ってきている。これで能力が上がってきていなければ余程間違ったことをしているに違いない。



参照:
ちまちましこしことした競技 2012-01-19 | 雑感
七級庇越えの筋肉痛解し 2011-11-20 | 生活
直ちに健康に影響が出る 2012-03-14 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新世界への思索の飛躍

2012-11-08 | 文化一般
古新聞の山を崩した。全部で八十センチはあろうかという山であるが、昨日からちらほらと見かけたアメリカの作曲家エリオット・カーター死去のニュースを受けて、その百歳の誕生日のインタヴュー記事を探すためである。その記事をここで十分に扱っていなかったことを確認したのでもはやこの機会しかないと思って訃報記事を読む前に探したのである。

探す過程でその間に興味を持っていた記事などを見てやはり数年でもこちらの関心は変わるものだなと思いつつ、特に文学批評の特版を一斉に処分した。結局山の高さは三分の一になったろうか。

一時は慣れない言語表現による思索を改めて学ぼうと思う気持ちもあり、それ以上に物語を愉しむ心理的な傾向があって、そうしたところに関心があったのだが、最近また本来の言語表現以外の構成やその他の自然科学的な思考法へと再び戻りつつあることを確認したのであった。

なるほど言語的な思索のその歴史的・論理的な思考形態への関心は限がないのであるが、誰かが数学的思考法を分類整理しようと試みたように、そうした言語的思考の類型化も免れないことに気がついたからに違いない。その背後には、所謂母国語以外の外国語による思考過程への自らの実践と研究がある程度の到達点に達した状況があるに違いない。要するに言語的な思索の道への領域への見切りがついてしまった。

そのようなことを考えると、先日トルコ人が無宗教宣言でトルコで訴追されたかで、本人がドイツ語で「日本へと亡命するしかない」とラジオで語っていたように、無宗教への宣言が許されることの意味を再び考えるようになった。

そのように考えていくと最終的には新世界への傾倒は避けられないわけで、ここに来て漸く西欧では不可能なものに行き当たることが出来たといっても良い。そうした思索の自由や抽象的な思索と深く結びついているのが、まさしく十二月十二日の百四歳の誕生日を前に亡くなったこのアメリカの作曲家の作品と創作活動である。

訃報記事は、この芸術家のカテゴリー付けからその存在を浮かび上がらそうとしているが、もっとも的確なのは同じアメリカの作曲家であるチャールズ・アイヴスの存在を視座に添えることで、時代も教育もその聴衆も全く異なるながらも、それらは欧州ではありえない創作活動であり、もっとも北アメリカ文化圏の素晴らしい面を代弁していることを示している。

先日逝去したドイツの作曲家ヴェルナー・ヘンツェなどに比較すると個人的には比較出来ないほど身近な存在であり、作曲家自身が言うように選択された聴衆であることを自覚させるのである。

生誕百年のインタヴュー記事はとても面白いので、「管弦楽のための変奏曲」と「四重奏曲全集」を聞きながら改めて紹介しよう。



参照:
生半可にいかない響き 2008-12-08 | 音
ポストモダンと自嘲した男 2012-10-30 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あれこれと今年の身辺整理

2012-11-07 | 生活
なぜか身近なことしか、最近は記せない。運動ばかりしていると頭が空っぽになると書いたが、そうした影響もあるのだろう。喉が腫れぼったく風邪気味であったり、寝床に入ると読んでいる本を直ぐに落としてしまうような状況は変わらない。

またこの時期になって、寒暖を繰り返す暖かくなる局面でリースリングが美味くてたまらないのもその原因である。また風呂上り後の缶のヴァイツェンビーアのパアウルスラーナーが美味いのだ。なるほど日本では風呂上り後のビールなどと言うのがあったと思い出したが、そもそもビールは基本的に買わなく風呂に入るのも限られているから余計に美味く感じる。

年末から年末を越えてのことが色々と気になる時期であるが、なんとか乗り越えられそうだとなると、死の月と呼ばれる陰鬱な十一月もそれなりに楽しめるようになるから不思議である。

最近枕元にある本は二冊ある。二部に分かれた水木しげるの「妖怪辞典」のフランス語版と先日序に購入したトーマス・マンの「ファウスト博士の成立記」である。前者はフランス語の勉強を兼ねた読書なのだが、これが結構我々初級者には難しく感じるのである。

先日購入したゲオルク・モスバッハー醸造所のヘアゴットザッカーをリースリングのニコゴリに開けた。地所特有の風味や柑橘系の味は食事に酢橘を添えるような香味を加えて、それほど精妙ではなくてもベークドポテトとすこぶる相性が良い。

これを書きながら、今晩の鶏飯前に、同じ醸造所の2008年産ハーネンボェールを開けて、アペリティフとしている。これまた完全に糖が飛んだようで、純粋に2008年の華やかな酸が楽しめると同時に石灰土壌特有のまったりとしたミネラルが楽しめる。この賑やかな酸があるからこそ決してもったりとしない。これは価格も格安でリースリングファンには買いだ。

漸く2010年度の税金の還付はあったが、まだ2011年度の申請が済んでいない。公認会計士のサボタージュである。



参照:
2012年の特徴と成果 2012-11-04 | 試飲百景
リハビリのパラフレーズ 2012-06-21 | 生活
キタロー、履き違えじゃ 2012-03-08 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皆病気がちのバイオウェザー

2012-11-06 | 生活
久方ぶりに走った。一週間開いてしまった。理由は、天候と怠慢だろうか?やはり先々週までの疲れが残っていたのかもしれない。その証拠にコルマーで一緒に登った三十代の仲間は風邪の抗生物質剤自宅治療で一週間寝込んでいたようだ。なるほど加齢する方が抗体が多い。

その間一緒に登った医者は職業柄かワクチンで押さえ込んでいたようだが下痢で先週は病上がりだった。もう一人の若い初心者は仕事疲れかなにかで週末まで表情は冴えなかった。

さて自身はと言うと身体がぞくぞくするようなことは多くとも危ないと思ったら食事を十分に飲み食いして兎に角睡眠量を貪り撮るようにした。夜八時前から床につくことが多く、夜中に枕電気の明るさに目を覚まし、トイレに行って本格的に寝る。十時間以上二回ほど就寝したと思う。

数年前には悪夢で熟睡出来なかったことと比較するとこの差は大きい。よく寝れることは健康の証拠というが、まさしく身体を使っているので、本も読めずに直ぐに眠くなる。身体が疲れたという感覚よりも頭が疲れた感覚が強く、殆ど肉体労働者のようで、スポーツマンというものがこうならば頭は空っぽになってしまうと思わせる。

十代においては疲れから幾らでも寝れたかもしれないが、その頃でも先日のように何もかも忘却の彼方に深く熟睡するような日々を覚えていない。老いらくの恋の相棒の医者ではないが、若者にはそれなりの苦悩があるのだ。その医者から、先週の水曜日に電話が掛かってきて、石切り場で登るというのである。夜にクライミングホールへ行く約束になっているのでその前に少し試してみても良いかと思ったが、外で登るとなるとカラビナやらなにやら再び一式をぶら下げなければいけないので面倒になって三十分してから断った。するとなんと一人で石切り場に向かっていたのだった。誰も居なかったのは当然で写真を撮って戻ってきていたが、殆ど「ヴァルテル」かトーマスマンの「魔の山」の「雪の章」のような按配である。還暦とはよく言ったもので、尚更もともとスポーツマンであったので直ぐに青年に戻ってしまったかのような狂い様である。

十日間の一日を付き合った熊男の方は流石に病気にはなっていないようだが、四十代始めの割には息を途切れさす場面を見受けるようになって、明らかに体力が落ちてきている。こちらは長い期間をかけて鍛えてきているので余計にそのようなところが目に付くのである。

時間が無かったので紅葉の満開の沢沿いの往復路を走ったが、一昨年前までは復路の少しの登りが堪えて走り通すことに躍起だったが、爪先走りをするようになってからは寧ろ往路の降りの方が身体に堪えてパワーを出し難い。タイムは往復18分なので決して良くは無かったのだが、寒い中を完全に汗を掻くだけで十分であった。



参照:
氷点下に夏時間が終わる 2012-10-28 | 暦
香りだけではないのだが 2012-10-07 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日のクライミングホール

2012-11-05 | 生活
クライミングホールに初めて日曜日に出かけた。車の数も少なく、聞くと午前中は閑散としているようで、午後になると家族連れなどが増えてくるのは土曜日も同じらしい。そして午後になるとまた空いて来るようだ。今後の日程の参考にしたい。

水曜日に撮ったVIDEOを先に研究して貰ったのであるが、最終的には初心者にありがちな足元を見つめる形で登るので、どうしても積極的な登りにならずに消極的な登り方で動作が繋がらない。そのことを自覚して貰って、できる限り登るルートを先に先に見ることを意識して貰うと大分積極的な登り方になった。

同じように初心者に多いのが、手掛かりだけを求めて、足元に立てずに安定せずに限界を迎える場合が多いのだが、それに比較すると最初は時間が掛かっても大きく伸びる可能性は高いのではないだろうか。兎に角、立ち込むことを十分に練習して貰って、冬場にはアイスクライミングにそのまま繋げたい。

そうした練習に付き合っていると、とても容易な場所でも手を一杯伸ばして、今シーズンに会得しようとする技術を随所で練習できた。幾らでも高等な技術が練習できるので嬉しくてしょうがない。

結局、二人で三時間近く登りつくすことが出来れば、どのようなるルートを登ってどのような練習をしたにしても十分といえる。今シーズンはクライミングダウンの比率も多くなっていて、最後のストレッチクライミング同様に可也の練習になりそうである。

昨年のように難しいところを力が有り余っているうちに登る必要など無くて、身体を暖めてから、最後の最後まで全力を出す機械を於いて置けるのは今年の夏のシーズンの錬成の賜物であろう。
日曜日のクライミングホール



参照:
宗教改革の日に始める 2012-11-02 | 暦
冬タイヤ交換前の冬ゴム底 2012-10-26 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年の特徴と成果

2012-11-04 | 試飲百景
どうも今年は寒気が緩む周期のときが危ないようだ。関節などが少しがくがくするのである。天気が良ければ一っ走りして体調を整えるのだが、水曜日以降身体を動かす時間が無かった。

その代わり、ご進物用に人に頼まれた2009年産のシュペートブルグンダーを買いにモスバッハー醸造所に向かった。残念ながらそれは売れていたが、まだ飲んでいないものや落ち着いてきていそうなワインを中心に試飲した。

グーツリースリングは夏前と比較すると大分こなれて良くなっていたが、やはり酸が効いていないので飲み飽きする。さて、ヘアゴットザッカーはどうだろうと試すと、これは完璧に柑橘味が満開で酸の種類以前に人を喜ばしてくれる。その勢いで、フォンブール醸造所でも良かったモイズヘーレを試すと独自のミネラル風味は十分であったがこれも酸の決めにかけた。倍ほどの価格のブールの方が良いのは当然であろう。

ここからは中級品ミネラルシリーズで、バサルト・カルクシュタイン・ブントザントシュタインと三種類が揃った。最初の玄武岩ものはペッヒシュタインとウンゲホイヤーの葡萄の混ざったものであるが、華やかさがあって二年待たなくても楽しめるのが特徴であろう。恐らく2011年産のウンゲホイヤーの華やかさが効いているのだろう。つまり重みが無いのは糖と酸の割合が良いということなのだろう。二つ目のカルクシュタインはヘアゴットザッカーの頂上にある二重十字架のハーネンボェールの地所の葡萄なのだが、以前のそれと比較して半分以上収穫量を落としているので価格も倍近くになっている。典型的な石灰のリースリングで角が丸い。最後の雑食砂岩は、ビッファー醸造所が栽培をやめて土地を借りていたもので植え付けのときから観察していたので一際興味深く試飲した。基本的にはゲリュンペルとなるがなるほどその個性にもう一つ雑食砂岩が効いているようで決して悪くは無い。今後根が伸びるにしたがって面白さは倍増しそうである。ただし、2009年のように天然酵母とはいかなかったようである。

さて、グロースゲヴェックスでは、ペッヒシュタインが同じように自然に醗酵が止まって塔が若干残っているために今でも飲みやすい出来になっている。それに比較するとウンゲホイヤーはゴツゴツしていてミネラルが濃いが全体に重さが無いのは糖も落としている証拠だろう。

シュペートブルグンダーは、売り切れた2009年を挟んで2008年と2010年を試したが、現時点では繊細で壊れやすい2008年産に軍配が上がった。思ってもいなかったよい熟成に達していた。

もう一つ2008年ということで、売り残りのハーネンボェールを試した。これまた糖が完全に落ちてしまっていて、当時は全く気がつかなかったしまったリースリングとなっていて、更に2008年特有の華やかな酸が蒸留水のようになった味に花を添える。素晴らしい食中酒である。価格も当時の8.80ユーロであり、全く文句は出まい。三年目の完全な飲み頃を迎えていたが、加齢臭や過熟成からは遠い。

今年のこの醸造所の特徴は酸が弱い分重くなるところを、ブールなどと同じように糖を落としたのか十分に軽味があって見事であった。ただしご多分に漏れず飲み頃になるのに時間が掛かった傾向があってこれまではあまり購入していなかった。来年までの間にまだまだ良いものが残っていれば価格も適当でまだ買えるリースリングは十分にありそうだ。

2012年の状況は、先日偶然に目撃したようにキーゼルベルクを最後まで置いておいたのは十分に糖価が上がらなかったとの説明であったが、最終的には満足しているということであった。しかし、葡萄のポトリティスは実際に見たように今年の場合2006年のように黒くなる傾向があって、それを如何に避けているかで質が分かれるだろう。少なくともバッサーマン・ヨルダン醸造所とビュルクリン・ヴォルフ醸造所では月と鼈ほどの差があって、幾ら手で選別しても少なくともホーヘンモルゲンに関しては前者の質の悪さは避けようが無い。如何に手入れがその品質を分けるかである。



参照:
今も続く摘み取り作業 2012-10-24 | ワイン
芳醇なバラの香りの白ワイン 2012-03-24 | 試飲百景
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぼちぼちと冬の準備

2012-11-03 | 
冬タイヤを注文した。なんだかんだと電話で話していて、自動車クラブで評価点数が断トツに良いコンチネンタルのTS850に決めた。830とかも昨年分であったのだが、どちらも自動車会社の支点が販売する価格が高すぎる。

先ずは二本だけ起動輪に購入して、後二本は安くなっているのを見つけて自分で購入したい。半額以下で購入出来るはずだ。それでも在庫がないので、市場で探すというから些かお粗末だが、それだけの価格を出すのだから探せばよい。よって十日ほどあとになる。

一度は積雪を見たがその後は気温も上がり、摂氏二桁に迫る日が続いていて、ある意味冬タイヤ不要の時期が挟まる。次に冷える頃に冬タイヤに代えれば先ずは最も経済性が高いだろう。四本で800ユーロもするとなると、半分づつという気になるのは当然だろう。

フランクフルトで四重奏団のコンサートの予定があったので、どうしようかと考えていたが、車の問題はなくてもついでの用事が出来そうにないので諦めることにした。タイヤや燃料代だけでなく、やはりこの季節は出不精になりがちである。



参照:
湿気が高い想定外の冬景色 2010-12-08 | 暦
嬉しい誤算と定めた予定 2011-10-22 | 生活
グリップ感のある装着感 2010-10-22 | 暦
硬いカードに柔らかいゴム 2009-12-18 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宗教改革の日に始める

2012-11-02 | 
万聖祭の祝日の前日に冬のシーズンを始めた。半年ティケットは五月二日まで有効であるが夏時間が始まるのは三月三十一日であるので、その後四月の一月が殆ど余分になるだろう。

それでも週に二回のペースで五ヶ月であると四十回となりそこから年末年始などを引くと、それだけで三十三回ぐらいになって、昨年並みである。今シーズンはそれに幾つ加えて週三回を何回ほど行えるかで回数が変わる。

セクション会員として十一回券を三回購入すると249ユーロとなって、シーズン券の223ユーロを上回る。つまり少しだけ週三回を試みればよいのである。

先ず一回目は、水曜日と金曜日と週末の二人と一緒に練習した。既に室内での練習手順がルーティン化してきているので二人の都合で休日前にしては短めに二時間半ほどで切り上げたが、内容はとても濃く、良い船出であった。

VIDEOも撮影して、シーズン終わりのものと比較して貰うと、使用前と後の差が自ら確認出来て良いだろう。恐らく、身体の動きの切れが良くなって、自然に身体が動くようになっているものと想像する。

私自身は昨年は力を入れなければ征服できなかったものが、余裕を持って完璧にこなせるようになってきているので感覚的に半ポイントは実力が上昇している。スキーと同じで回数通った成果で、小さな修羅場を数多く踏んできた成果が明白である。

三つほどの課題があるのだが、それを意識しているだけで、既に初心者の練習指導時にその練習を大分しているのに気がついて、簡単なところでもクローズで登って屡アクロバティックな姿勢をとると殆ど限界域の練習になっているので飽きない。徐々にハングを含めて負荷を大きくしていく予定であるが、故障さえしなければ可也の進展が期待出来る。

なによりも様々なレヴェルのパートナーで色々試すことで自らの技術的な確認になり更に確実に出来るのでとても楽しみである。



参照:
初めての十一回回数券 2011-11-12 | 暦
足に合うイタリアの靴型 2011-03-03 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつも瓶熟成を待ちながら

2012-11-01 | ワイン
ピノノワールの2007年産を開けた。上位の価格帯のようにロマネコンティー周辺の本物のブルゴーニュではなく、ボーヌの外れの地域のオー・コート・デュボーヌなのでボーヌのそれとも大分違うが、少なくとも2007年産の特徴の一端だけは把握できた。

サンジョージにあるドメーヌ・アントニ・ロデのシャトー・メルクリで瓶詰めされていて、その意味からはある程度はスタンダードなブルゴーニュである。価格も8ユーロほどと必ずしも安くは無いが高くも無いので、駄目はもともとでUマルシェで購入したものである。

その栽培地域の特徴から色も薄く、アルコールも11.5%と薄旨系のピノノワールであるが、あえて言えば酸が効いている分同じ程度の同じ傾向のシュペートブルグンダーよりは特徴があるのだろう。しかしその酸の出方はまるで北方の赤ワインのようで、ドイツのそれと間違えるほどである。

要するにブルゴーニュの天候はそれほどドイツワイン街道などと変わらないということかもしれないが、反面2007年産の高級シュペートブルグンダーに特徴的な獣臭さが無いのが理解できない。考えられるのは、その程度のピノノワールではあまりテロワールや年度の特徴が表れないような醸造技法を用いていて、寧ろドイツの醸造所の方がその与えられた葡萄の中で精一杯の特徴を出そうとしているのかもしれない。

6ユーロ以下のピノノワールでは明らかにブルゴーニュに軍配を上げるが、8ユーロ周辺の価格帯となると、高級シュペートブルグンダーを排出しているゼーガーなどのスタンダード商品の方が遥かに品質や風味とも上である。その理由は簡単で、生産量がブルゴーニュの大量生産とは比較できないほど少ないからである。勿論そうなると、両地域の近くに住んでいない限りその差異を確認するのは門外漢には不可能となるである。

2009年産が双方ともある一定程度以上であるのは確認できているが、シュペートブルグンダーとして上質なモスバッハーのそれとその半額ほどのブルゴーニュを比較した場合、後者のタンニンの出し方など技の優れ方を確認した。

2011年産は現在のところ上位の商品は出ていないが、来年ぐらいになると徐々にエセゾなどの商品が棚に並ぶので、30ユーロほどと些か高価であるが試してみたいと思っている。本格的にブルゴーニュに買い付けに行く心算で何年も経過しているが、先ずは市場に出ている商品を色々飲んでみて焦点を絞るにフランスのスパーマーケット市場の商品は決して悪くは無いと気がついた次第である。

先日、ダイデスハイムのランゲンモルゲンの2011年度産を再び開けた。瓶詰め後数ヶ月以上経って漸く飲めるようになってきた。明らかに2009年産よりは繊細で、2008年の酸の押しの強さも無いが、2007年産には及ばない。なによりも酸がもう一つなので、あまり長持ちは期待できないだけでなく、ある程度熟成が始まらないと旨みが出ない。あまり熟成させると苦味に傾くことが2006年産にはあったが、それに比較すると健康でありミネラルが綺麗に出ているので、瓶詰め後二年までに頂点を迎えそうである。決して悪くは無かった



参照:
ポストモダンと自嘲した男 2012-10-30 | 文化一般
雲海上のピクニックを愉しむ 2012-10-23 | アウトドーア・環境
フランススーパー売りのワイン 2012-10-09 | ワイン
嵐の中での中身の熟成 2012-07-15 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする