古新聞の山を崩した。全部で八十センチはあろうかという山であるが、昨日からちらほらと見かけたアメリカの作曲家エリオット・カーター死去のニュースを受けて、その百歳の誕生日のインタヴュー記事を探すためである。その記事をここで十分に扱っていなかったことを確認したのでもはやこの機会しかないと思って訃報記事を読む前に探したのである。
探す過程でその間に興味を持っていた記事などを見てやはり数年でもこちらの関心は変わるものだなと思いつつ、特に文学批評の特版を一斉に処分した。結局山の高さは三分の一になったろうか。
一時は慣れない言語表現による思索を改めて学ぼうと思う気持ちもあり、それ以上に物語を愉しむ心理的な傾向があって、そうしたところに関心があったのだが、最近また本来の言語表現以外の構成やその他の自然科学的な思考法へと再び戻りつつあることを確認したのであった。
なるほど言語的な思索のその歴史的・論理的な思考形態への関心は限がないのであるが、誰かが数学的思考法を分類整理しようと試みたように、そうした言語的思考の類型化も免れないことに気がついたからに違いない。その背後には、所謂母国語以外の外国語による思考過程への自らの実践と研究がある程度の到達点に達した状況があるに違いない。要するに言語的な思索の道への領域への見切りがついてしまった。
そのようなことを考えると、先日トルコ人が無宗教宣言でトルコで訴追されたかで、本人がドイツ語で「日本へと亡命するしかない」とラジオで語っていたように、無宗教への宣言が許されることの意味を再び考えるようになった。
そのように考えていくと最終的には新世界への傾倒は避けられないわけで、ここに来て漸く西欧では不可能なものに行き当たることが出来たといっても良い。そうした思索の自由や抽象的な思索と深く結びついているのが、まさしく十二月十二日の百四歳の誕生日を前に亡くなったこのアメリカの作曲家の作品と創作活動である。
訃報記事は、この芸術家のカテゴリー付けからその存在を浮かび上がらそうとしているが、もっとも的確なのは同じアメリカの作曲家であるチャールズ・アイヴスの存在を視座に添えることで、時代も教育もその聴衆も全く異なるながらも、それらは欧州ではありえない創作活動であり、もっとも北アメリカ文化圏の素晴らしい面を代弁していることを示している。
先日逝去したドイツの作曲家ヴェルナー・ヘンツェなどに比較すると個人的には比較出来ないほど身近な存在であり、作曲家自身が言うように選択された聴衆であることを自覚させるのである。
生誕百年のインタヴュー記事はとても面白いので、「管弦楽のための変奏曲」と「四重奏曲全集」を聞きながら改めて紹介しよう。
参照:
生半可にいかない響き 2008-12-08 | 音
ポストモダンと自嘲した男 2012-10-30 | 文化一般
探す過程でその間に興味を持っていた記事などを見てやはり数年でもこちらの関心は変わるものだなと思いつつ、特に文学批評の特版を一斉に処分した。結局山の高さは三分の一になったろうか。
一時は慣れない言語表現による思索を改めて学ぼうと思う気持ちもあり、それ以上に物語を愉しむ心理的な傾向があって、そうしたところに関心があったのだが、最近また本来の言語表現以外の構成やその他の自然科学的な思考法へと再び戻りつつあることを確認したのであった。
なるほど言語的な思索のその歴史的・論理的な思考形態への関心は限がないのであるが、誰かが数学的思考法を分類整理しようと試みたように、そうした言語的思考の類型化も免れないことに気がついたからに違いない。その背後には、所謂母国語以外の外国語による思考過程への自らの実践と研究がある程度の到達点に達した状況があるに違いない。要するに言語的な思索の道への領域への見切りがついてしまった。
そのようなことを考えると、先日トルコ人が無宗教宣言でトルコで訴追されたかで、本人がドイツ語で「日本へと亡命するしかない」とラジオで語っていたように、無宗教への宣言が許されることの意味を再び考えるようになった。
そのように考えていくと最終的には新世界への傾倒は避けられないわけで、ここに来て漸く西欧では不可能なものに行き当たることが出来たといっても良い。そうした思索の自由や抽象的な思索と深く結びついているのが、まさしく十二月十二日の百四歳の誕生日を前に亡くなったこのアメリカの作曲家の作品と創作活動である。
訃報記事は、この芸術家のカテゴリー付けからその存在を浮かび上がらそうとしているが、もっとも的確なのは同じアメリカの作曲家であるチャールズ・アイヴスの存在を視座に添えることで、時代も教育もその聴衆も全く異なるながらも、それらは欧州ではありえない創作活動であり、もっとも北アメリカ文化圏の素晴らしい面を代弁していることを示している。
先日逝去したドイツの作曲家ヴェルナー・ヘンツェなどに比較すると個人的には比較出来ないほど身近な存在であり、作曲家自身が言うように選択された聴衆であることを自覚させるのである。
生誕百年のインタヴュー記事はとても面白いので、「管弦楽のための変奏曲」と「四重奏曲全集」を聞きながら改めて紹介しよう。
参照:
生半可にいかない響き 2008-12-08 | 音
ポストモダンと自嘲した男 2012-10-30 | 文化一般