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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

膿が出来らない限りは

2013-05-17 | 生活
本年元旦を以て連邦共和国の聴視料システムが変わった。既に書いたがネット時代に合わせて、TV受信機などの数ではなくて、住居ごと職場ごとに徴収するようになった。そこで幾つかの書き換えがあるが、最終的には以前よりも安くなる筈である。少なくとも現時点では徴収漏れがあるので ― いづれ遡って支払わなければいけないかもしれないが、現時点では三分の一になっている。広く薄く徴収するからだ。もう一二悶着ありそうだが、払うものは払わなければいけないのだが、少なくともそうした人件費にほとんどが費やされてしまうようなシステムが現代社会のそれである。だから、テンポを共和国中に持つ海賊党の支持者であるダイヒマンのオーナーが裁判所に訴えているのも理解できる。少なくともこちらは安くなれば文句は言わないが、事情説明に時間がかかりそうで馬鹿らしい。

日曜日に小雨の中を走った時にいつもの谷沿いの道沿いを向こうからやってくる男性に出会った。その速度は速くはなかったが走りは力強かった。しかし、確りと踵をつける走法で、こちらが短い距離を往復する間に三度行き違った。その距離は一往復が六キロぐらいであるから、最低18キロは走るのだろう。恐らくハーフマラソンを遅くとも一時間半以内で走る力はありそうだ。

その後火曜日にいつもの林道登りをピッチを長くして走ってみた。すると直ぐに息が上がり、一分ほどでランニングハイ状態になった。Tシャツで走るようになって大分楽になったが、途中陽射しが指して来て暑さを感じた。登りの三本白樺の真ん中までを12分、1852歩に続いて降りてくると23分、3450歩であった。計測タイム12分は昨年の五月十四日に出した記録と並んでいる。しかし峠の上まで走る余裕はなかった。昨年の三月には同じところを12分で走っているが、今回下りの歩数が1600歩ほどだったのでもう少し縮まるとどうなるだろうか。少なくと肩の力を抜いて走ることが出来た。

本日は、時間があったのでゆっくりしてから走ろうと思ったら、聴視料のことで考え事をしていたので靴を履きかえるのを忘れて、それを取りに帰ったので、結局山登りの急坂を走った。久しぶりで新しい靴では初めてだったが、登りは急なほど走りやすい。その反面心肺機能よりも足に来る。それでも最後まで息を上げながら軽快に走れたのは、靴のおかげと普段の鍛錬のおかげだろうか。見晴らし台まで10分1505歩はまずまずで、降りて来て17分2500歩だから、ピッチを伸ばさなければいけない。全体に昨年の三月から五月にかけては大分早く走れていたようなので、現在のようになぜタイムが伸びないかが気になる。

昨年の今頃は走ることにもう少し意欲があったように思うが、現在は少々体調が悪くとも適当に走ろうという感じが強くなってきている。もう一つ朝起きと運動の健康な意欲が弱いような気がする。なるほど、今でも抜歯の後の膿が完全に抜き切っていない弊害はあるのかもしれない。



参照:
雑食砂岩で新しい靴を試す 2012-05-14 | アウトドーア・環境
屈曲した懺悔のデリカット 2012-03-21 | 音
新春の日常をじっくり味わう 2013-01-08 | マスメディア批評
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商品テストの相対的価値

2013-05-16 | 雑感
先日マンハイムの労働・技術館の敷地で幾つかの列車を見た。蒸気機関車に交じって、ディーゼル電車を見た。ディーゼルが欧州では超特急になっていることなどは新幹線世代の子供の頃に何かで見て驚いていたが、なるほどと合点が行った。

南西ドイツで試験的に走っていたのはマンハイムのABB製作の無接触交流モーターの列車DE2500の202 004・8愛称「青いヤギ」と呼ばれるものだ。会社からの贈呈展示品らしい。無接触であるから効率も良く消耗しないので、現在の技術になっているのは分かるのだが、ICEなどはその車輪のシャフトをゴムで囲んだから大事故になったのだろう。ゴムは経年変化するから点検整備は必要になる。

それ以上に興味深かったのは、もしこの発電システムをディーゼルでなく木片ペレットで回せればとなる。燃料の燃焼効率や発電効率、エミッションなどは大分改良されてきていて、最新のシステムはペレットを使った機械が増えてきていて、ヒートポンプなどの最先端の技術は電気ではなくそのペレットがエネルギー源となってきている。ドイツのメーカーなどはペレットの宝庫であろうロシアなどへと輸出を進めているとあるから、今後は化石燃料に頼らない身近なエネルギー源が有効に使われるのだろう。

フランクフルトへの途上のラジオは、商品テスト財団の赤字を伝えていた。消費者保護運動の一環として国の助成を受けていたことは知らなかったが、最近はその雑誌などの売れ行きが落ちて、更に助成金を増やすことになったというのである。更に優良エチケットの価格を上げて現在の体制を続けていくということのようだ。

十年以上前までは商品購入時に大きな意味を持ち得た中立的な商品テストであったが、最近はネットでは実際に使った人の感想や意見などが数字的な確認以上に重要な意味を持ってきている。その反面、嘗て以上に世界共通化してきている認証テストのその種別や番号が数値的な実証になっていて、ネットでその内容を容易に調べられるので、こうした消費テストの結果はそれほど重要ではなくなってきている。



参照:
技術革新と構造の変化 2013-05-11 | 文化一般
犯罪行為のオール電化 2012-02-10 | 生活
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レギンスに乗っかるミニ

2013-05-15 | 
ブロンドの彼女が私の前をうろうろする。こちらを振り向かずにどうしてかなと思っていると、彼女のレギンスに気がついた。そして体を反らすととんでもないミニからお尻を出しているではないか。そのスカートの色が明らかに分厚いレギンスの黒色に緑で奇抜なのである。

なるほど若い女性の健康そのものではあるが、正直彼女よりも美しい肉体はざらにいる訳であり、その肢体にはそれほど感動しなかった。しかし、先日から彼女の腰回りなどに目が行く機会が多くて、腰に目があるのか明らかにこちらの視線に気がついていたようだ。そして再び自慢のブロンドの髪をしっかりと後ろで結っていた。

それを想う、若い女性の野性的な性衝動に、血圧が上がった。二十歳前後の女性に対する意識が流石にこちらも以前とは変わって、落ち着いて対応できるようにはなっているのだが、これだけの生な性衝動の嵐に吹かれると戸惑ってしまうのである ― それでも二十年ほど前のように十代の娘につねつねされて相好を崩していた時よりも建築的であり健康的でもある。

なるほど彼女が胸元を隠すような衣装をしているところから、こちらはどうしても腰回りへと視線が行く訳であるが、それならばそれを魅せるように作るというのは正しい。自身の身体の性的な魅力を積極的にアピールするという以上に、本質的な性的衝動の発散と言う以外に評価のしようがないのである。

流石にこちらも何かアクションを起こすしか仕方がないのである。ここ二週間ほどは、あまり走れていないのだが脈がすぐに上がる傾向になってきている。鼻の奥の調子はまだ完璧ではないが、決して高血圧でどうとかと言うような健康状態ではない。但し、二十歳そこそこのピチピチした女性の性の対象となるとなにか尋常ではないような気もして、自らの健康が気になるのである。



参照:
メーデー、メーデー 2013-05-01 | 暦
豊満なブロンド嬢に迫られると 2013-04-24 | 女
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忙しかった週末を回想

2013-05-14 | 試飲百景
週末は忙しかった。金曜日にはタイヤ交換もあったが、ザールのファン・フォルクセム醸造所からワインが届いていた。そして午後にはレープホルツ醸造所での試飲会であった。ザールのリースリングは、残念ながら一本目はコルクや遣られていて正しい評価は出来なかった。それでも特徴はある程度分かった。それ以上に驚いたの底に溜まっていたヴァインシュタインである。恐らく冷えの影響もあるのだろうが、最後の瓶詰の時にフィルターなどを通していないからだろう。フランスの赤ワインにはよくある話だろうが、新しいリースリングではあまり気が付いたことが無い。

更に瓶詰番号は一番になっていて驚いた。昨年の夏に購入したものは25番だったので、二週目ぐらいだろうが、今回のは他のより単純なワインを差し置いて一番目に出来上がっている。なるほど少し濁酒風で、出来立てのワインの感じである。一度冷蔵庫で冷やした昨年のザールリースリングを再び地下に戻して、その成長を観察することにする。

さてお馴染みのレープホルツ氏の講釈試飲から書くと、何時ものように単純なカビネットを出して、その瓶熟成の可能性が強調される。92年のそれであるが、その講釈とは別に、完全にフィルンであるが、濃く出しているので酢のようになっていないのは確かであり、レープホルツファンには飲めないことは無い。しかし保存する価値などは一切ないのは当然である。2012年のワインで比較的上手くいっていたのはロートリーゲンスのカスタニエンブッシュ系統のものであり、例年のように重くない。そして今年からはSシリーズが無くなってオルツリースリングとして、ブリュクリン・ヴォルフ醸造所の採用したブルゴーニュシステムがVDPの基準となった。

そこでここでも、ビルクヴァイラーと称するものが現れて、三種の土壌のものに先立つ。しかし、この醸造所はPCに匹敵するような名地所が無いために些か並びが悪い。つまり、雑食砂岩は下からグーツリースリング、オェコノミラートと石灰の有る無しで、貝殻石灰有り無しに先立って、ガンツホルン、イム・ゾンネンシュタインへと続く。

一週間前のシェーンレーバー醸造所で見かけたという人と話していたのだが、今年はここでも赤スレート系のものがなぜか上手くいっていて浮き上がっている。なるほど悪くはないのである。しかしそのラインガウからの夫婦に言わせると、シェンレーバ―のフリューリングスプレッツヘンは期待外れらしい。それで、丁度反対側からものを見ているんですねと言うことになった。要するにフルーティーなワインが好きな人はどうしてもそちら系が好みで、私のようにミネラルの構築感などを求めて本格的な辛口となると、赤系は苦手で喉を上手く通らないのであり、量を飲めないとなる。これは全く好みの問題ではあるのだが、本当のリースリングの良さを求めていくと私やレープホルツ氏が求める方向へと行き着くのである。フルーティーなワインを求めるならばモスバッハー醸造所のそれの方が安上がりで良い。

その意味からは2012年のオェコノミラートは凄い。酸が胸にしみわたり、如何にもレープホルツらしい容赦のない辛口である。昨年とは違って、かなり危ない。そして昨年は失望させられた割高のアルコール度11.5%とは異なって、今年は12%とお得なのである。

講釈ではグーツリースリングの炭酸を残したものに触れられたが、なるほど「夏などはそれが爽快な感じとなり、それが落ちて寝かしたところで酸が和らぐ」というのは裏返すと、「炭酸の爽快感で飲ませて、落ちると腑抜けた感じになる」となる。些か詭弁の様なのは、氏のワインの経年変化と同じである。少なくとも我々は、十年以上たっても新鮮度が落ちないでフィルンにならないリースリングを知っているので話にならない。そもそも糖をあそこまで落としてしまえば長持ちしない。

なるほど24時間のマイシュツァイトが味落ちしないワインを造るのは事実であるが、レープホルツワイ五年以上寝かせても仕方がないのである。丁度その反対を行くのが甘味を残したファンフォルクセンワインで、天然酵母醸造への希望であろう。前者がすっきりしたリースリングを供給するのに対して、後者のそれが複合的な味わいを残しているのである。

序ながら同じようにバッサーマン醸造所への批判やフォンブール醸造所への評価を人々から聞くことになるのである。要するに前者の急速な信用の失墜や後者のそれがフルーティーなワインを好む向きには愛されていない現実である。

これを書きながら石灰無しの雑食砂岩リースリング「オェコノミラート」を愉しんでいる。食事をして口をさっぱりさせながら飲むこのワインは食中以上に素晴らしい。まさに健康飲料ここにありの感じである。試飲しただけでこれを買う人は殆どいないであろう。この旨さを知らなければ買えない旨さなのである。

ムスカテラーも上手に造っていたが、ゲヴルツトラミナーなどは2011年産のモスバッハーのそれに遠く及ばない。しかし、ソーヴィニオンブランは青ピーマン味でいかにもレープホルツワインらしくて面白い。2010年産のシュペートブルグンダーは、講釈の通り、草や薬草の味があって爽やかである。これはなかなかこの年度の良さを表していて、赤でもなかなか良い腕を示している。

ピノブランとグリの二種類では、意外に黄土の土壌と石灰のそれの違いがよく出ていたが、それは石灰の有無であり、土壌の重さの違いであることを考えればミネラルの反映とは言えない。正直あまり関心が無い。ピノグリの方も上手に造っていたが、これは単純なものの方が飲みやすく、ワインの質が如何とか以前の問題であろう。

醸造所のパーソナルのが一部変わった印象で、これも興味深かった。



参照:
試飲会の後で開けるワイン 2013-05-07 | ワイン
裸の王様を斜に見ながら 2013-05-05 | 試飲百景
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シャワーが乾くのを待って

2013-05-13 | アウトドーア・環境
朝晩は雨が降る。そして時間をかけて青空が見えるようになって、今度はシャワーが降り注ぐ。そのような週末で明らかに冷たい空気が入ってきている。それでも土曜日には登ることが出来た。

昨年から石切り場の延長で使える小さな岩場に出かけている。あまり大きな本には紹介されていないので週末も比較的空いているからだ。そしてなによりも遠くないので雨が降り出しても戻ってくるだけである。

前日に行ったレープホルツ醸造所の地所を左右に見ながら谷を這入って行くと、青空は見えなかったが視界は効いていて、地面が渇いていたので登れると思った。今回は自分が皆を調整して場所などを決めたので先ずは登れることが重要であった。

二グループに分けれて登ることになったが、昨年は夫人の死亡などでご無沙汰していたBASFの教育係の農民と密かに呼ぶ彼がなかなか良い登りをしていたようだ。五級までのところで確実に登るのが彼の実直で固い性格なのだが、それはそれである程度の経験を積んでいて、それを既に発揮しているのである。彼が引っ張って行ったのは眼鏡親方であり、その差は経験と言うほかない。

こちらは今年初めての岩場であり、昨年出来なかったところを片っ端から片付けていくのだが、流石に六級上の二つは小さいながらも、各々二度目と初見で、キッチリとリード出来た。昨年からすると明らかに難易度で一級以上上がっている。しかし完璧にレッドポイントといかないのが現在の程度の限界を語っている。

その後正面の大きなルートを登った。農民が初見でリードしていたのだ、自分にとっては最後のハーケンへのクリッピングが遠過ぎて、ひっくり返りそうになって怖い。それを掛けてしまうと、正面突破の六級に近い場所も熟せた。因みに農民はカラビナかハーケンを使ったようだった。正しく彼の限界の領域である。

そのルートを何回か登って貰っている相棒の医者にリードして貰おうと思ったがシャワーが降り出した。さっさとトップロープで登って貰う。最後のところも右へと逃げていたと記憶する。

その後シャワーが十分ほど続いたが、陽が出て乾くのも早かった。簡単なところから散歩がてらに再開していく。そこで初見のプレートの岩場を登り横へとトラヴァースして記帳する。何か背の低い場所で、オヴァーハングの下であるから馬鹿らしくて登っていない場所であった。そのプレートには七つ位のルートがあるので今後のお楽しみである。懸垂下降のついでに、登ったのが七級上の摩擦登攀で、取り付の被っているところから上に上がるまでが難しかった。更に上部斜面が極限の摩擦登攀なので難しかったが、靴も良く岩が渇いているので右から左からの二通り登った。真ん中を真っ直ぐは其の域を超えそうである。流石に相棒は左側の難しい方は最初から諦めていたが、右側の方では重要な脆い手がかりを壊していた。

親方に楔の選択について自分の考えを示したが、どうもそうではなかったようだ。それでもそのように意識したためかどうか、自分の選択が少しずつ的確にあってきているような感触も得た。もう少し努力してみよう。



参照:
秋へのスパートが楽しみ 2012-08-12 | アウトドーア・環境
九々のような楔の練習 2013-05-10 | 生活
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証拠写真とその報告

2013-05-12 | 生活
忘れぬうちに事件簿を書いておこう。ご近所さんのBMWのフロントグラスに穴が開いた。朝起きて、窓から天候の塩梅を窺うと、お隣さんのバルコンからパラソルがぶら下がっているのを見かけた。

これは風が吹くと下に駐車している車に当たるに違いないと思って、手洗いに行くと、雨が降り出し、強風が吹いた。そして傘が落ちる音がした。二回目の音は地面に金属部などが着地した音だったが、一つ目の音は濁っていて分からなかった。地面なら助かったと思って、自分の車を出しに行くと、傘が案の定地面に落ちていた。

そして、暫くボンネットなどを観ても傷が無い。これは良かったと思ったが、自分の車を出すために、落ちている傘を除去しなければいけなかったので、改めて観察した。するとガラスの大きなひび割れに気が付いた。

早朝でもあるので、先ずは現場写真を数枚とって、傘を除去したのであった。傘を持ち上げて、数キロあることに気がついて、なるほど直撃すれば時速百キロ以上の速度で走る車に当たる小石のエネルギーの比ではないことも分かった。それにしても、重心が崩れず、先っぽが一メートルほど離れた場所に突き刺さっているのには驚いた。通常の落下物ならば、常識的に内側へと引っ張られるぐらいに近くに落ちる筈なのだが、風が吹いたときには既に横に飛ばされていたに違いない。丁度竹トンボが飛ぶようにそのグラスに落ちたのだろう。

ボンネットに穴が開くよりもまだガラスを替えるだけであれば、被害額は少なくなるかもしれないが、殆んど先端が穴をあけてしまっていて、内側にもガラス片が飛んでいる。水は漏っていないようだが、重量物にはその安全基準をしてかなり弱いことを改めて確認した。

十何年前かにダルムシュタッと周辺のアウトバーンの上にかかる歩道から、米国キャムプの子供がコンクリート片を投げつけて、運転していた女性が即死した事件があった。防弾ガラスぐらいでないと駄目なのだろう。



参照:
とても痛ましい娯楽TV生中継 2010-12-08 | マスメディア批評
本日天気晴朗なれど午後霧深し 2009-12-08 | 雑感
人命より尊いものは? 2007-12-06 | 生活
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技術革新と構造の変化

2013-05-11 | 文化一般
夏タイヤに替えた。待っている間にマンハイムの労働産業博物館の野外展示の列車の数々を入念に見て回った。五両しかないのだが、下から覗き込めるのでまかにっくな細かなところを見ていると一時間ほど直ぐに経ってしまう。それでも機械工学的にもう一つ分からないところがあるので調べてみて、改めに見に行かなければならないだろう。

年代は百年ほどに及ぶが、何でもない郵便列車の説明を読んでいて面白かった。それが現役の頃にも見ているが、そのような機能があるとは思っていなかったこともある。例えば車内で仕分けをするなんて考えてもみなかったことである。

そしてそれをするのは住所を見て地理的に全てを把握する人で、素早く区分けしていったようである。郵便番号が発達して自動化してからも運んでいたのは見たことがあるが、どうも郵政民営化してから各地に郵便センターが作られたのが郵便列車の最後らしい。つまりセンターはフランクフルトを中心に東西ドイツの各地に建設されたのだが、駅や線路とは関係なく建造されたことから完全に飛行機と夜間トラック移送へと移って行ったようだ。

なるほど個人的にはお向かいにある市の郵便局が閉鎖されたことが最大の被害であるが、配送の合理化とスピード化の恩恵は受けるようになっている。列車にもポストがついていて、駅で最後の最後にも投げ入れられたようでとても面白い。

さて新しいコンティプレミウムコンタクト5と称するタイヤの乗り心地は抜群であり、カーヴの切れ感も今までよりも優れている。走行音が大きいのがマイナス点となっていたが、車外は別にして車内は以前のものよりも遥かに静かだ。この業界も技術革新が甚だしいように感じた。



参照:
情報管制下の娯楽番組 2005-11-05 | 歴史・時事
幼児化の文化教育政策 2009-01-20 | マスメディア批評
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九々のような楔の練習

2013-05-10 | 生活
中間支点設置の練習はポジション取りを含めて総合的なものである。ただ悔しいのは冬の間にあれだけポジション取りを練習したに拘わらずもう一つ手際が悪い。その理由には、目で割れ目を見てから狙いを定めて楔を選択する過程にもあり、眼鏡親方の選択の適格さから彼の職人の修業があると思い、小学生のように勉強することにした。

つまり色分けされているフレンズの使用範囲可能の大きさを数字で覚えて、目視で割れ目の大きさを目測することで、感覚的に選ぶよりも的確に選択できるだろうという考え方である。

つまり、ブルーのフレンズF00が13MMから22MM、シルバーF0が16MMから26MM、ヴィオレットF1が20MMから30MM、グリーンのF2が24MMから41MM、レッドのF3が29MMから50MM、ゴールドのF4が38MMから64MM、ブルーのF5が50MMから85MM、グレーのF6が68MMから114MMとなる。

それに、オメガの赤が21MMから53MMに対応、更にDMMのブルーのトルクナッツが54MMから69MMを補えばよいだろうか。

DMMのウォールナッツが一番から六番まで6MMから22MM、オフセット七番から十一番まで12MMから30MMまでとなる。

実際の装備を考える場合は重量のことなどもあり、その壁の岩石や構造や更に支点の有無などによって変わってくるが、使う楔の大きさやその目視と種類の選択の方法は変わらないので、これを頭に入れて使っていくことで練習になうだろうか。そして中間支点の種類や大きさが揃うところでもう一度、重量や使い勝手などを検討していかなければいけないだろう。天候が勝れないときは自宅学習である。



参照:
新しく届いた六角楔の練習 2013-05-09 | 雑感
理由も無く不安な気持ち 2013-03-09 | アウトドーア・環境
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新しく届いた六角楔の練習

2013-05-09 | 雑感
注文した楔類が届いた。今年は登る技術以上に中間支点の設置などが大きな課題となっている。特にそれが有効な割れ目の登攀が続いているので、余計に出来不出来がはっきりしてくる。またドロミテのクラシックなルートを登る予定になっているのでどうしてもその練習が欠かせない。

更に腕が入るような太い割れ目には軽くて、尚且つ安心してしっかり効いてくれる六角形の楔を購入した。最近のそのヘクセントリックと呼ばれた昔の楔よりも軽く形状も進化しているので頼もしい。早速、岩場で使ってみた。

昨年は、オリジナルのルートを登ったズードリスと言うところを今回は本流のリスだけを使って登ってみた。その方が難しいのはオヴァーハングまで割れ目に忠実に登るからであり、適当に中間支点を挟んでいかなければいけないからだ。早速大きめのフレンズとヘクセを捻じ込んでみた。特にヘクセは安心してしっかり効いてくれるので、メカニックな部分が無いだけ信用できる。

その他、昨年までは三回登っても小枝を掴んでしまう場所を四回目にして初めて枝を持たずに登れた。それもこれも時間はかけても中間支点をできるだけ設置して安心感が高まるとともに、そうこうしているうちにその空間に慣れてくる効果が大きいのだろう。要するに落ち着けば落ち着くほど安全性も高まるのであり、落ち着くには客観的な危険性をどんどんと下げていく安全対策を取っていくということに他ならない。練習に練習を重ねて早く的確に設置作業が出来るように繰り返すしかないのだろう。

小さな楔も以前から使っていた変形のオフセット楔と交互に使ってみて、どちらがどのような時に使いやすいかも徐々に分かるようになるだろう。特に楔は的確な大きさを素早く選べるようになればとても攻撃的な武器にもなる。



参照:
犠牲にした捨て縄を補填 2012-06-13 | 生活
乾燥して爽快な水曜の晩 2012-07-21 | 暦
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短くない黒いスカート

2013-05-08 | 文化一般
文化欄第一面記事が面白かった。デザイナー山本耀司のベルリンでのインタヴュー風景である。名前を聞いても恐らく身につけているものが無いのでピンと来ないのだが、バレンボイム指揮の「トリスタン」の衣装と聞くと直ぐに黒い未来風の衣装だと直ぐに分かった。ドイツでは最初の仕事のようだが、当然のことながら実際にはピナバウシュとの協調など各地へ、またベルリンもシベリア鉄道を乗り継いできた70年代のベルリン以降三回ほど訪れているようだ。

面白いのはその当時のベルリンのファッションをして素晴らしかったと言い、丁度百姓が全ての衣装を重ね着して身につけているのと同じだったというのである。それに比較すると、現在のそれにはノーコメントでなにも答えない。まるで聞こえなかったように、別世界にトランスしていたような表情をしたというのである。これはとても興味深い。それに近い印象をほかの人から聞いたこともあり、自らの印象としても壁の中のクーダムのファッションは大分異なっていたように思うからである。まさしく、巨大など田舎ベルリンが西側のショーウィンドーであった頃のことである。あの当時の方がベルリンは文化的にも華があったのは間違いないだろう。

か細い声で話す、芸術家然とした自己矛盾を蓄えての、そのインタヴュー風景は秀逸に描かれているが、女性の身体をサハラ砂漠のように評しての、そこに生地を着けていくような表現はとても面白い。要するにとてもある時は面倒でどうにもなら無いのだが、反面なんとでもなるということらしい。それに比べると男性のそれは四角四面で、全く退屈してしまうというのである。なるほど私が彼のものを身につけていないのは当然かもしれない。

最早自らはアイデアを描くことが出来なくなっているので、助手たちに描かせて、それをもとに人形に張り付けていく作業をしていくうちに完成したと思ったところでストップかかけるというような、映画つくりのような作業をしていて、結婚もせずにモードに一生を捧げている多くの女性スタッフへの謝罪も忘れない。そして、漸く始まった秋田犬との二人暮らしに待ちわびたその時を感じているようだ。

もしモード業界に居なくて、芸術家だったなら無精で個展などは出来ないところだが、春秋のコレクションの日程があるので働けるのだと言いながら、あまりにもモードが動きすぎてダメだというのである。その本人の造るものは、悪臭を放つモードを横目で見ながら、それに怒り破壊しながらの創作活動で、実際には対象となる男靴を履くモデル層にはとてもお高くなるのだが、十年も着ることが出来るのでお得になるという結論を記者ははじき出す。要するにそこにはブランドの小物などで商売をしている業界への強い批判がある。

個人的に最も関心深かったのは、素材に対する考え方で、初対面の記者の三宅一生の上着の袖を撫でて、良いものだと評価する下りである。それは、着れば着るほどシルエットが暈けていくように仕立ててあるものらしいが、天然繊維へのこだわりから最近はポリエステルの使用も加わっていることでもある。つまり天然繊維は生きているので、経年変化とともに崩れていくが、ポリエステルとなると死んでいる素材なので、いつまでも軽々としたままであるというのである。個人的にもその方の技術者と接することが多かったにも拘らず、ポリエステルなどの素材への抵抗が永くあったが、最近はその面白さにも気が付いていて、結局一番長く愛用している衣料が三十年前ほどのパタゴニアのショーツであることを思い知ると、もはや否定できないのである。そして、再びその後釜を購入したいと探している自分の姿をみると、研究部門から実際の使用者の認識までに短くない歴史が流れていることを感じるのである。



参照:
Feinstoffliches Fingersprizenwissen, Verena Lueken, FAZ vom 6.5.3013
匙ならず賽を投げたその時 2013-03-10 | 女
カーネルさんのサマーコート 2010-07-07 | 生活
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試飲会の後で開けるワイン

2013-05-07 | ワイン
週末に開けたワインを飲み干した。ナーヘで新鮮なワインを樽試飲までして楽しんできた後に開けるワインを考えた。つまらないものを開けてももはや美味しくは無く、持って帰ってきたグーツリースリングでは物足りないことは分かっていた。とは言っても、試飲で鼻を使たので、右の鼻の具合は久しぶりに悪くなって、良いワインを賞味できる状態ではない。そこで2009年産の酸の弱い\比較的出来上がっているリースリングとして、ダイデスハイマー・ランゲンモルゲンを開けた。

グランクリュ並みのミネラルの特徴を持っているPCの地所であるが、2009年産の場合は繊細感があまりなくて評価は、2011年産のそれ並みに低い。それでも完熟の葡萄のうまさは独特の苦味を消していたので飲み易いリースリングとなっていた。そして、二年を半年も過ぎた今、先行きの最終判断が出来るというものである。

予想以上に美味かったが、もはや完成してしまっていて、現在感じる十分な酸が最後の華と思われる。これが落ちて行くと、一度眠りに入って、瓶詰後四年ぐらいには完全に終着点にいるだろう。それでも甘露飴の様なニッキのような独特のエグミが無く新鮮そのもので飲める今がとてもよい。特に二回目には豚の煮凝りと合わせたので素晴らしく、これほどの深みと煮凝りの奥ゆかしさが良い相性を示していた。

この程度の、つまりPCクラスのワインで、瓶熟成を思い存分愉しめて、同じワインの熟成を楽しめるのはリースリングの他にはないであろう。特に瓶詰直後から二年までの変化、そこから四年五年の円熟、その後の経年とこれほどに瓶熟成するワインは赤ワインを含めて無いに違いない。

なるほど、百年ほど前には、マルゴーなどよりもドイツワインの方が明らかに高価だったのは貴腐ワインが中心となっていたようではああるが、熟成の価値はその当時は現在のようなグランクリュのリースリングほどではなかったであろう。我々インサイダーでは、ドイツのグローセスゲヴェックスがその価値の上昇で抜きに出るだろうことは確証できている。

注文したワインが来ないので、痺れを切らしてファンフォルクセム醸造所に電話した。既に発想は始まっていたのだが、片っ端から送り出すということなしにおいてあるという雰囲気だった。この辺りがなんとなく大名商売らしく、流動資金に一切困っていない証拠でもある。なんてことない従業員もこれならば楽して催促が来るまで待っていればよいのである。そのような仕事ぶりがここのリースリングにもあるような気がする。まさしくスロ-ドリンクである。それにしても、注文が通っていたのを確認するときに、ゴッテスフースなどが出て来ると少し鼻が高い - どうも電話の相手はそれを勧めてくれたどこかの醸造所の娘さんのような従業員のようだったが ―、なぜならば、まさに何を先行予約するかこそが鼻利きを示しているからだ。



参照:
裸の王様を斜に見ながら 2013-05-05 | 試飲百景
いつも瓶熟成を待ちながら 2012-11-01 | ワイン
嵐の中での中身の熟成 2012-07-15 | 暦
聖土曜日から復活祭にかけて 2013-04-01 | 暦
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腕の傷が増える事情

2013-05-06 | アウトドーア・環境
またまた腕の傷が増えた。その理由がもう一つ分からないので、勲章と言うにはまだ早い。しかしリス登攀の割合も増えて、割れ目に手を入れながらの中間支点の設置や回収の作業が多くなっているのは確かである。

今年最高の晴天の日曜日であったので、昨年事故を起こした岩場に出かけた。流石に緊張した。なかなか良いルートであったが、30Mザイル一杯に一カ所しかハーケンが無いのは矢張り厳しい。それでも割れ目を登るルートなので中間支点の数は設置できる。そしてそれに気も体力も時間も使うので、難易度五級の割には厳しい。特に下から捻じ込んだものを横から外す作業はとても難しい個所があった。

この程度では、そうした作業の足場の悪さが難易度そのもので、登る難しさはあまり変わらない。むしろ六級ぐらいの方がハーケンが設置されていて遣りやすい。最後に登ったオーヴァーハングのルートの方がリードしやすいと感じたのはそのためである。

その前に登った短いルートの割れ目で梃子摺ったのはまさに中間支点設置で、右手は割れ目の中に突っ込まれていてバランスを取っているので、腰の右側からは楔が取れないで、結局何枚もひっかけているうちに、手掛かりとなる良い場所が無くなってしまった。ある程度の矛盾は仕方がないのだが、要領が悪いために登るのを難しくしてしまったのである。要領よく移動中間支点を設置する練習は更に積んでいかなけれないけない。

如何に室内で効率よく登る練習をしていても、こうした練習は全くと言っていいほどできないので、リス登攀と並んで初夏の内に身につけていきたいものである。下からサイズを測るなどの練習は自宅でもできるので、小学生が九々を覚えるように一度試してみようかと思っている。それだけで早く安全に登ることが出来るならば万々歳である。



参照:
傷だらけの人生とか 2013-05-03 | アウトドーア・環境
バンジージャムプ並の転落 2012-06-18 | アウトドーア・環境
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裸の王様を斜に見ながら

2013-05-05 | 試飲百景
ラインの支流であるナーヘに試飲に行った。昨年の秋以来の訪問である。勿論2012年産の新酒の試飲会である。その間に25人のグループの日本人が訪れたと聞くと、なるほど日本では甘口リースリングで人気がある醸造所だと耳にしたことがある。

そのシェーンレバー醸造所の2012年産は辛口で大きく飛躍する年度に違いない。他の醸造所も比べてみないと分からないが、その香りや繊細さで特筆すべきリースリングとなっている。特に赤スレート系のフリューリングスプレッツヘンが素晴らしい。ジュニア―シェフにも言ったが、2008年産以降馴染みであるが、今年のは抜きに出ている。それは、報告にもあったようにここ二十年ほどなかったように貴腐が発達せずに十一月中旬まで健康なブドウが収穫できたことに尽きる。それに関わらず糖比重も97までぐらいに抑えられているので、高品質の12.5%ほどの辛口となっている。

それは、グーツリースリングの類からも品質として表れていて、毎年のように上手に醸造できているだけでなく香りが高い。価格は徐々に上昇してきているがまだまだ日常消費として受け入れられる価格帯である。

次の「レンツ」は若干炭酸の気泡も多くてコンセプト商品のようで半辛口仕上げなので品質に関しては語れない。それでも甘味や酸のバランスも例年よりも良い。何よりも新鮮さがある。

それに反してミネラ-ルの方は開くのが遅そうで、同じように青スレート土壌の「ハーレンベルク」系統は、改めて試してみる必要がありそうだ。これも昨年の秋にも「フリュ―リングㇲプレッツヘン」を買えなかったのと、ちょうど逆の関係となっている。

若旦那に言ったように。どうしても赤い方は味筋が鈍くて、綺麗なリースリングとなり難いのは土壌だけでなくて陽当たりなどで、貴腐が生えやすい環境にあるからだろうか?これに関しては秋にでも遠足に参加してみなければ確証はもてない。

それにしても、なんという出来であろうか?樽試飲に拘わらず既に香りも広がってきていて、少なくともミラベルシュナップス並みの濃くになっている。その陰に隠れて、地元産のドッペルシュトック樽で寝かした2010年産の「ハーレンベルクR」は、2008年産のような特殊な酸のクリーミーさは無いが、酸が効いている年度だけに重くなっていないので素晴らしい。瓶詰は済んでいるようだが解禁の秋まで寝かせると更にミネラル風味が強くなるのではなかろうか。

先代も満足しているようだが、私も大満足しながら、何時も試飲会には参加しているアールの赤ワインのアデネウヤーの手持無沙汰の親仁さんといろいろ話していた。初めは誰だったか気が付かなかったのだが後でわかったので、2011年産の赤ワインを試した。「もう少し良いものを持ってこい」と親仁に率直に言ったように、正直ベーシックなピノノワール程度ではドイツのシュペートレーゼとしてももはや通じない。それはドッペルシュトックの大樽で醸造しているらしいが、その上のものは古いバリックを使っている。ゲルカッムマーと言う地所のものはこれまた大樽製であるが典型的なスレートの重くくせのあるピノであり、もう一つ上のNo.1と言うのは百パーセントバリックを使っているキュヴェーでミネラルが涼しくて良かった。上手に12か月寝かしている。それでも価格22ユーロとしては物足りない。スレートのピノノワールには限界があると思うが、造り方次第では比較対象となるものもできるだろう。しかし、30ユーロを超えてしまうともはやブルゴーニュと勝負にならない。また低価格のピノノワールはアール以外に幾らでもフランス以上のシュペートブルグンダーがある。私はそれを示唆しておいた。今後毎回顔を合わせることでもあり、正直に接したいのだ。ドイツで最も評価されているとされていたクニプサーの親仁をつかまえて、「あんたのワインは皆樽のバニラ味」と一刀両断にして見せたが、今回も私などよりご本人が最も自分のワインについて知っているのである。

帰路のラジオは、シュヴェツィンゲンのロココ劇場で指揮をした鈴木氏がドイツ語でインタヴューを受けていて、中継録音が放送されていた。「合唱団の訓練でも日本人は教科書通りにしかやらないので個性を出せ」と指導しているとか、モーツァルトのリンツ交響曲について語っておいたが、そのあとの演奏を聴くと如何にもこの演奏家は「口三味線の音楽家」の様にしか思われない ― 話の内容が芸術家としてはあまりにも稚拙すぎる。バッハの演奏でも同じであるが、指揮者ノーリントンの訓練したシュツッツガルトの放送交響楽団を指揮して、音響の悪さは勘定に入れるとしても、こんな音楽をしていて幸せなのかなと思わざるを得ないのである。本当に気の毒にも歌心の無い演奏家である。日本の演奏家の杓子定規な等分の律動感などの悪いところばかりが表に出ている。てっきりオランダで勉強していたように思っていたがドイツ語をしゃべり慣れているのでドイツでも修行していたのだろう。しかし、これだけ大口をたたけるので、まさしく日本の権威者になるべき典型的な留学大先生の一人なのだろう。それにしてもちょっと気の毒である。

なにも寓話の世界に生きている訳ではないが、商業メディアやその手の名だけのジャーナリズムと称する業界のようなものが割拠する世界において、普通にものが言えるということそれだけで寓話の世界が開かれるのである。



参照:
歌心のないドグマの響き 2012-05-29 | 音
聖土曜日から復活祭にかけて 2013-04-01 | 暦
ヤッケを着て出かけた 2013-04-21 | 生活
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一ミリでも向上するために

2013-05-04 | 文学・思想
日本は憲法記念日らしい。今年ほど真剣にそれが議論されることもないであろう。無知蒙昧な為政者が、こともあろうに、19世紀のそれも市民革命以前のプロシア憲章をもとにした明治憲法に戻そうとしているようだから、まともな教育を受けている者が決して受け入れれるようなものではない ― ポルポト流の原始回帰である。

集団的自衛権や国防軍化以上に、徴兵制に代表されるような権的な国粋主義的な理念実現がそこに迫っていて、如何にも日本的な歴史の逆行現象が進もうとしているかのようである。

徴兵制と言えばドイツに移住する前に東西分立ドイツでは兵役が存在していた。そのことが脳裏を掠めたのは事実であった。その兵役がそこに迫っているのが現在の日本であり、兵役が無くなったのがドイツ連邦共和国である。必要悪の国防は、皆兵のスイス人と話しても、兵役を経験したドイツ人と話しても良い体験だったなどと言う人には出会ったことが無い。ドイツのそれは信条的な理由で多くの友人が免除されていて、兵役に行っていなかったが、スイスの皆兵などと言うとさぞかし誇らしい気分もあるかと思ったがそれは全く違っていた。

要するに兵役などと言うのは非人間的なものであって、如何に1970年以降の日本の反動教育て育った者が信じている「英霊の心情」などが嘘八百であるかと言う証明である。先日の死者情報公表に関しても、肯定的に「自らも英霊として偲んで欲しい」と言うような妄想を抱いた良い齢のその世代の意見を聞いていると、犬死でしかない戦争協力者の一般市民や戦犯の祀られている護国神社や靖国神社の特殊な新興宗教に心が侵されているとしか思われないのである。勿論、戦犯と言うのはここでは戦勝国が裁いた戦犯などではなくて、責任を持ち得ていた軍属のそれを指すのであって、天皇は特殊な例としても、下級の将校までを含めてありとあらゆる敗軍の英霊は戦犯なのである。それが責任と言うものなのである。

小市民が死へと駆り立てられる世界が迫っているのである。それは近代的な自我を捨て去り、主体性の無い奴隷のような水飲み百姓と呼ばれるような前近代の日本人に大多数が戻ることでしかない。自立できなかった日本人であるが、それでも少なくとも中共のそれとはまだ違うと期待している。それはやはり啓蒙思想の浸透であろう。大正デモクラシーを挙げるまでもなく、あの時代遅れの封建的な明治憲章の時世においても日本人は教養を蓄えていたのは事実であり、それは多くの重要な世界的な文学や文芸が親しまれて来た歴史が証明している。これは、マルキズム一色の中共などの歴史とは全く趣を異とするものである。

奇しくも、その啓蒙思想から進歩的なヴァイマール憲章を通してナチスドイツを招いて大きな障壁を乗り越えたドイツ人と、盛んに文化を取り込みながら敗戦によってはじめて進歩的な憲法を勝ち得た日本人とは全く異なった道を歩んだのだ。しかし、文化的な親和性は決して弱くは無く、それはなにも古典に遡らなくとも1924年に発表されたトーマス・マンの「魔の山」が逸早く翻訳されて今までに最も読まれている国でもあることに表れているだろう。

この作品について、「ハンス・カストルプの物語は、熱を帯びた閉じられた魔の山の環境で、感覚的で精神的で道徳的な冒険を為すまでになる向上の歴史である。それらを、それ以前には決して夢見だしなかったちっぽけな英雄だったのである。」とノーべル賞作家は「オンマイセルフ」に書いている - そして主人公は最後には帝国の兵士として銃火のなかぬかるんだ土嚢を超えて行くのであった。

今日の自分よりは、明日の自分は一センチでも一ミリでも立派になっていたいと思う小市民的な想いこそが、近代の自我であり、近代の文化や教養の基礎となっている。それゆえに希望があるのであり、逆行する世界や環境などはまともな人間には決して受け入れることが出来ないのである。これはマルキズムなどの進歩思想とは一切関係ないことなのである。日本人は考えなければいけない。これまでに文化需要に出資したその経済的な犠牲に値するだけのものから得たものは、決して先祖戻りなどであるわけがないのである。


本日の音楽;モーツァルト作曲オペラセーリア「ティトースの寛容」



参照:
「魔笛」初日の解読の鍵 2013-03-25 | 文化一般
高等文化のシンクタンク 2009-12-02 | 文学・思想
襲い掛かる教養の欠落 2007-07-27 | 雑感
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傷だらけの人生とか

2013-05-03 | アウトドーア・環境
新聞の文化欄に新しいアドヴェンチュアー映画の評が載っている。トップクライマーらが南アメリカの三カ国の国境にある砂岩の岩山を登る映画である。その評によると、スタークライマー、ステファン・グロヴァッツは寧ろ脇役となっていて、その前後に死亡した仲間で80年代のトップクライマー、クルト・アルベルトやそれを取り巻く山仲間、そしてカヌーで進みジャングルを彷徨う彼らの労苦が主役のようだ。勿論それは、メスナー以降の世代の冒険のあり方であり、残されたそれを、その時を狙う狩人のそれと言うのである。タイトルはまさしく「一瞬の狩人」である。因みにその全てを山に掛けた享年57歳のクルト・アルベルトは、地元のクレッターシュタイクで写真を撮ろうとカラビナに掛けたシュリンゲで自己確保をしていて、それが外れて十八メーターの落下が致命傷になったようだ。

一週間前の腕の傷はそこらじゅう瘡蓋となっている。それでもまだ剥けて取れてしまうまではいっていない。どのような跡が残るのか興味津々である。左手の薬指の第二関節を痛めたが、それもまだ完治していない。そうした傷が治りきあらないうちに新たな傷が増えた。

アンヴァイラーのゾンマーフェルツと言う20Mほどの岩で練習した。このところ雨がちだったので地面もぬかるんで水が出ているところもあったが、岩も苔生した場所は湿っていた。それでも比較的容易なところから登ってみると全く問題が無かった。相変わらず移動式の視点を設置するのは骨が折れるが、ボルト二本に加えて、楔一つ、フレンズ二種を上手く挟めた。それを登り終えるころには陽射しも強くなってきた。その後は、フィンガー・ハンドリス登攀練習で傷だらけになって、残り二つの壁のルートを片づけた。直ぐに三時間以上経過していた。

初めてのスポンジ型のヘルメットは、日差しを感じるころには、折からの湿気も手伝って、その下から汗が滴り眼鏡を濡らした。頭が暑いと感じるのではなく、知らぬ間に滴るという感じだった。今後は汗取りを上手く考えなければいけないと分かった。それでも痛みが窮屈さを感じることもなかったので、使い方を工夫すればよいことになる。とても安心感のある優れたヘルメットである。

それにしても今シーズンは最初から上体への負担やハードな登攀が続いている。それだけ困難度も上がってきていることになるのだが、登りながら体力もついてくるだろうか?最大腕力を使った後でも回復が早く、先週の金曜日のボルダーリングで感じたように、粘りは出てきているので、幾らかは強くなってきているのだろう。



参照:
シ-ズン幕開けの厳しさ 2013-04-26 | アウトドーア・環境
どうやら収まりそうな頭 2013-04-30 | 雑感
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