文化欄第一面記事が面白かった。デザイナー山本耀司のベルリンでのインタヴュー風景である。名前を聞いても恐らく身につけているものが無いのでピンと来ないのだが、バレンボイム指揮の「トリスタン」の衣装と聞くと直ぐに黒い未来風の衣装だと直ぐに分かった。ドイツでは最初の仕事のようだが、当然のことながら実際にはピナバウシュとの協調など各地へ、またベルリンもシベリア鉄道を乗り継いできた70年代のベルリン以降三回ほど訪れているようだ。
面白いのはその当時のベルリンのファッションをして素晴らしかったと言い、丁度百姓が全ての衣装を重ね着して身につけているのと同じだったというのである。それに比較すると、現在のそれにはノーコメントでなにも答えない。まるで聞こえなかったように、別世界にトランスしていたような表情をしたというのである。これはとても興味深い。それに近い印象をほかの人から聞いたこともあり、自らの印象としても壁の中のクーダムのファッションは大分異なっていたように思うからである。まさしく、巨大など田舎ベルリンが西側のショーウィンドーであった頃のことである。あの当時の方がベルリンは文化的にも華があったのは間違いないだろう。
か細い声で話す、芸術家然とした自己矛盾を蓄えての、そのインタヴュー風景は秀逸に描かれているが、女性の身体をサハラ砂漠のように評しての、そこに生地を着けていくような表現はとても面白い。要するにとてもある時は面倒でどうにもなら無いのだが、反面なんとでもなるということらしい。それに比べると男性のそれは四角四面で、全く退屈してしまうというのである。なるほど私が彼のものを身につけていないのは当然かもしれない。
最早自らはアイデアを描くことが出来なくなっているので、助手たちに描かせて、それをもとに人形に張り付けていく作業をしていくうちに完成したと思ったところでストップかかけるというような、映画つくりのような作業をしていて、結婚もせずにモードに一生を捧げている多くの女性スタッフへの謝罪も忘れない。そして、漸く始まった秋田犬との二人暮らしに待ちわびたその時を感じているようだ。
もしモード業界に居なくて、芸術家だったなら無精で個展などは出来ないところだが、春秋のコレクションの日程があるので働けるのだと言いながら、あまりにもモードが動きすぎてダメだというのである。その本人の造るものは、悪臭を放つモードを横目で見ながら、それに怒り破壊しながらの創作活動で、実際には対象となる男靴を履くモデル層にはとてもお高くなるのだが、十年も着ることが出来るのでお得になるという結論を記者ははじき出す。要するにそこにはブランドの小物などで商売をしている業界への強い批判がある。
個人的に最も関心深かったのは、素材に対する考え方で、初対面の記者の三宅一生の上着の袖を撫でて、良いものだと評価する下りである。それは、着れば着るほどシルエットが暈けていくように仕立ててあるものらしいが、天然繊維へのこだわりから最近はポリエステルの使用も加わっていることでもある。つまり天然繊維は生きているので、経年変化とともに崩れていくが、ポリエステルとなると死んでいる素材なので、いつまでも軽々としたままであるというのである。個人的にもその方の技術者と接することが多かったにも拘らず、ポリエステルなどの素材への抵抗が永くあったが、最近はその面白さにも気が付いていて、結局一番長く愛用している衣料が三十年前ほどのパタゴニアのショーツであることを思い知ると、もはや否定できないのである。そして、再びその後釜を購入したいと探している自分の姿をみると、研究部門から実際の使用者の認識までに短くない歴史が流れていることを感じるのである。
参照:
Feinstoffliches Fingersprizenwissen, Verena Lueken, FAZ vom 6.5.3013
匙ならず賽を投げたその時 2013-03-10 | 女
カーネルさんのサマーコート 2010-07-07 | 生活
面白いのはその当時のベルリンのファッションをして素晴らしかったと言い、丁度百姓が全ての衣装を重ね着して身につけているのと同じだったというのである。それに比較すると、現在のそれにはノーコメントでなにも答えない。まるで聞こえなかったように、別世界にトランスしていたような表情をしたというのである。これはとても興味深い。それに近い印象をほかの人から聞いたこともあり、自らの印象としても壁の中のクーダムのファッションは大分異なっていたように思うからである。まさしく、巨大など田舎ベルリンが西側のショーウィンドーであった頃のことである。あの当時の方がベルリンは文化的にも華があったのは間違いないだろう。
か細い声で話す、芸術家然とした自己矛盾を蓄えての、そのインタヴュー風景は秀逸に描かれているが、女性の身体をサハラ砂漠のように評しての、そこに生地を着けていくような表現はとても面白い。要するにとてもある時は面倒でどうにもなら無いのだが、反面なんとでもなるということらしい。それに比べると男性のそれは四角四面で、全く退屈してしまうというのである。なるほど私が彼のものを身につけていないのは当然かもしれない。
最早自らはアイデアを描くことが出来なくなっているので、助手たちに描かせて、それをもとに人形に張り付けていく作業をしていくうちに完成したと思ったところでストップかかけるというような、映画つくりのような作業をしていて、結婚もせずにモードに一生を捧げている多くの女性スタッフへの謝罪も忘れない。そして、漸く始まった秋田犬との二人暮らしに待ちわびたその時を感じているようだ。
もしモード業界に居なくて、芸術家だったなら無精で個展などは出来ないところだが、春秋のコレクションの日程があるので働けるのだと言いながら、あまりにもモードが動きすぎてダメだというのである。その本人の造るものは、悪臭を放つモードを横目で見ながら、それに怒り破壊しながらの創作活動で、実際には対象となる男靴を履くモデル層にはとてもお高くなるのだが、十年も着ることが出来るのでお得になるという結論を記者ははじき出す。要するにそこにはブランドの小物などで商売をしている業界への強い批判がある。
個人的に最も関心深かったのは、素材に対する考え方で、初対面の記者の三宅一生の上着の袖を撫でて、良いものだと評価する下りである。それは、着れば着るほどシルエットが暈けていくように仕立ててあるものらしいが、天然繊維へのこだわりから最近はポリエステルの使用も加わっていることでもある。つまり天然繊維は生きているので、経年変化とともに崩れていくが、ポリエステルとなると死んでいる素材なので、いつまでも軽々としたままであるというのである。個人的にもその方の技術者と接することが多かったにも拘らず、ポリエステルなどの素材への抵抗が永くあったが、最近はその面白さにも気が付いていて、結局一番長く愛用している衣料が三十年前ほどのパタゴニアのショーツであることを思い知ると、もはや否定できないのである。そして、再びその後釜を購入したいと探している自分の姿をみると、研究部門から実際の使用者の認識までに短くない歴史が流れていることを感じるのである。
参照:
Feinstoffliches Fingersprizenwissen, Verena Lueken, FAZ vom 6.5.3013
匙ならず賽を投げたその時 2013-03-10 | 女
カーネルさんのサマーコート 2010-07-07 | 生活