Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

刺激するための方策

2015-02-14 | 生活
週末の天気は、日中の暖かさが、金曜日に晴天となって更に気温が上がるようだ。その後は谷では雪模様となるようだが、山はどうだろうか?

木曜日の午後には更に体調が戻ったが、腰などに張りがあった。尿に色がついて来たので、そろそろこの辺りで打ち止めだろうか。

前々日からリースリングを開けた。色々と考えた挙句、薬代わりに2013年産ゲリュンペルを開けたのだ。初日は残念ながらほとんど味わいは分からなかったが、喉元過ぎる液体がとても嬉しかった。二日目には、断片的ながらもミネラル風味を感じることが出来た。アパリティフに残した三日目には香りも感じられた。

昨年の23歳がもう少し落ち着いて、スーツに身を固めた少し守りが固い淑女風になった感じがしたが、ホールンダーとチェリーの色香が、そのスーツに形よく納められた色香は何とも楽しみになってきたのだ。もう一年封印するべきか。

喉の調子は相変わらずなので、先日から愛用しているカイザー印の喉飴に加えて、リッコラのメントールを追加した。前者のユーカリ油にミントの自然な味わいが嬉しい、後者はやはりヴィックスと比較すると自然なメンソール感が強いので、僅かに割高だが満足感がある。二年ほど前までは年中欠かせなかった喉飴だが、最近はその価格もあり、あまり買わないようにしていたのだが、喉が痛むとなると必携である。

水曜日の夕食に鮭を焼いて、米を多めに食したのだが、一挙に食べて発汗しそうになった。生姜も十分に摂取したのだが、消化能力がもう一つ追いつけないようで、翌日の朝食の食欲を減らした。病気とはいっても運動していないからそれほど詰め込めないのは当然かもしれないが、更にビールでも飲んで食欲を刺激してみよう。



参照:
スレンダーながら多層的な23歳 2014-10-16 | ワイン
嵐の中での中身の熟成 2012-07-15 | 暦
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思い通りにならない歯痒さ

2015-02-13 | アウトドーア・環境
鼻の通りも大分よくなった。起床して普通の感じになった。それでも食事をしたりすると急に体温が上がる感じで、過剰反応をしている感じだ。そろそろ体を動かしてみて、適当に運動が出来れば、体温調整力は元に戻るだろう。同時に本当の食欲はないので、これも体を動かしてみなければ分からない。日頃のトレーニングの成果か体力があるので少々の熱では倒れることは無くなっているが、こうして体を動かせなくなると急に不思議な感じがして、思い通りにならないのが歯痒くなるのである。

パン屋にパンを取りに行く途中、ベラルーシでのウクライナ調停の話題がトップニュースになっていた。分離派が最終的に調印を拒否したということで、一体何を調停しているのか分からない。ロシアの後ろ盾があるということで、全く譲歩しようとする意思がないのだろう。

その前にクリーニング屋に立ち寄って、シャツと襟巻を回収した。襟巻のドライはシュヴェツィンゲンの業者に出しているのでなるほど価格が高い筈である。他所に出すならば、他のクリーニング取次所でも同じだ。それでもシャツは、自分で洗って、自分でアイロンを掛けているので、安い。

最近は、ギリシャの新金融大臣ではないが、シャツを着ることが少なくなって、それこそブーツのような井手達が多くなっているので、年間でクリーニングに出す回数も圧倒的に減った。問題はドライクリーニング相当の衣料だけで、大抵のものは手洗いするまでもなく、洗濯機で用が済むようになっている。

ネットを見ると、福島の健康調査の二巡目で癌が急増していることが発表された。一巡目の発覚はスクーリング効果とされたものだが、一巡目で発見されなくて二巡目で診断された意味は、いよいよ発病の割合が高まってくることを示唆しているのだろう。所期のヨウ素による被ばく量は甚だしかったので、それに次ぐ関東平野のホットポインツを中心に小児甲状腺癌の症例が出てくるのは間違いないであろう。事件後すぐにヨウ素剤を服用していればこのようなことにならなかったのである。内部被曝と言ってもプルームからのヨウ素の吸引である。



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日中気温が上がって来て 2015-02-11 | 暦
冷戦は過去であり続けるか 2015-02-09 | 歴史・時事
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技術的な面も消化しておく

2015-02-12 | アウトドーア・環境
一週間前以上の初ツアースキーの技術的な面も消化しておかなければいけないだろう。

滑降は、靴に慣れた後では、もう少し良い感じで乗れなければいけないだろう。雪の情報は車と同じでスキー板によって伝わり方が異なるが、柔らかく鈍い板なので、どちらかといえばどんよりとした印象しかなかった。それでも深雪で板がたわむ感じは靴によく伝わって来て、コントロールは出来た。もう少し板に張りがあると同時進行的に板をコントロールできるかと思った。板はダイナスターのEXCLUSIVE ALTIで片足1300Gでラディウスは12Mぐらいだったようだ。実際女性用モデルのようで重さは片足2000Gほどでままあだったのだが、滑降でひ弱な感じは否めなかった。

登りは、既に書いたように靴のバックルを締め付けていると、無駄がなく板を前に進められたが、それでも締め具がたがたと動くメカニックは、それでも道具と身体が一心同体となるという動きではなかった。ディアミールのフリッチ型であるから重くて、仕方なかったか。購入するときには、ディナフィットの締め具を付けるべきだと理解した。ネットで調べてみると、片足で200Gなのがあるので、出来るだけ軽いものの方が良いと思った。

軽い締め具を付けるのは、少し張りがあるフリーライダー用の板が合えば、締め具と軽い板で片足1KGに靴が1.5KGだから、片足3KG以下で済むのだ。重い靴よりも少し重いぐらいであれば、締め具が具合よく動けば、可成り運動的に理に適う。問題は、荷物を担がなければいけないことで、丁度それが板の浮力と釣り合えばよいということかもしれない。

雪崩救助用のスコップもカーボンの245Gのものもある。我々のセクションが貸し出すものはマムムート社のものであるから重めである。ゾンデも250Gぐらいだから、合わせて1KGぐらいになる。

LVS探知機もマムートのバリフォックであった。正直指向性などはまだまだものになっていない。最初の十五分で雪崩から掘り起こすとなれば初期作動がとても大切なので、サーチ能力を磨くためにはもう少し理論的に研究しないと自信が持てない。



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滑り降りるぞくぞく感 2015-02-08 | アウトドーア・環境
スキーツアー事始めの眠り 2015-02-04 | アウトドーア・環境
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日中気温が上がって来て

2015-02-11 | 
まだ完全に風邪ひきが治らない。鼻水が止まらず、目がぐりぐりする。これも熱があったのだから仕方がないが、鼻から頭に掛けてツーンとしている。就寝時は敢えてヒーターを切らない様にしているのだが、どのように影響しているのかも分かり難い。昼間の気温が高めになってきたので、体温の調整などはそれほど問題なくなったが、完全復活ではまだない。

外で走り込む元気はないが、暖かい部屋でCDを鳴らすのも悪くはない。小澤征爾指揮のプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」は評判通りの名録音である。心配していた録音の夾雑音は、最終的な処理が疎かになっていることが原因で、二枚目終了の時には指揮者の溜息が残っているぐらいである。1986年にボストンのシンフォニーホールで録音されているが、当地でマスター完成をドイツ人としたのだろうが、放っておいた理由があるのだろう。残響が豊かなホールのようで、SN比の良さを見越して、たっぷりとした空間とサブのマイクロフォンで録られているようだが、いつも騒がしいハープ周辺だけでなく木管周辺も、そして指揮台周辺もがさごそと音を立てている。それでもネットで気になったほどではないのは、ホール全体がなっているのが綺麗に録られているからだろう。往々にして、残響の美しいホールの録音は、技術的に難しいので、このボストンでの録音も近接マイクロフォンを主に録られていることが多いような気がするが、デジタル録音の初期のものとして、こうした名録音が出来上がったのだろう。

日曜日に通ったスキージャムプで有名なショーナッハの町で雪ダルマを並べていた。町の行事でカーニヴァル用か大会のための物かは分からないが、結構な数を作っていた。しかし、週後半は気温が高くなると伝えられているので、融けてしまうのではないだろうか。滝の氷が融けてしまうようにである。

水曜日になってもまだ熱っぽい。ヒーターを消して寝たのだが、体感の感じはそれほど変わらず、むしろ寝起きが悪く、もう少し眠っていたい思いに駆られた。時間追おうごとに調子は良くなってきたが、まだ完全ではない。むず痒い気持ちだ。



参照:
凍りついた黒い森の風景 2015-02-10 | アウトドーア・環境
持続可能な環境の誕生会 2014-10-11 | アウトドーア・環境
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凍りついた黒い森の風景

2015-02-10 | アウトドーア・環境
氷の量は期待するほどなかった。水量も多過ぎた、それはドイツ最大の滝でも同じだった。冬になってからの水量、そしてここ暫くの雪の量とも関係があるようだ。車道の雪も、前回雪の中に突っ込んでしまった時以上に多く、交通量が少なく除雪が叶わない状況となっていた。滝の上部まで下るハイキング道に入るまでに膝まで埋まる雪に苦労した。勿論谷の積雪はそれほどでなかったので、先週からの雪が谷では解けてしまっていたのだろう。気温は、標高千メートルでこの二週間ほどは氷点下を護り続けたに拘わらず、凍結量が少なかったのはこうした事情だろう。今週は暖かくなるので殆ど溶けてしまうだろう。そのあとに何週間もこのような冷気は続かないだろう。

それでも何度か岩角にピックを立てながら、ドライトューリングすれすれのアイスクライミングをしたが、鼻がグズグズしていて、とても興奮までには至らなかった。もしパートナーが居たとしてもアイススクリューをぶち込めるほどの良い氷ではなかった。今回気が付いたのはむしろ足元で、氷用に再利用したガリビエールの靴ががさがさでとても収まりが悪いように感じたことだ。本当は新しいツアースキー靴試してみようかとも思ったのだが、そのフィット感の差に驚いた。これならばスキー靴の方が安定して立てそうだ。流石に今回ぐらいの氷で使うのは惜しかったが、来期はこれが良さそうだ。板も揃っていれば、雪が十分にあるときは近くの高原を滑るのも悪くはない。帰りに指揮者フルトヴェングラーの名前のフルトヴァンゲンを通過するときに、町のスキー場が目に入った。ベルリン生まれの指揮者がスキーに興じる写真を見たことがあるが、なるほどと感じたのだった。

それにしても黒い森の街道にこれほど条件の悪いとき走った覚えは少ない。普通は、春の風雪の感じで、午後になると凍結はしていないが、この日は雪も凍結も脇道に入ると可成りだった。先週、怖い思いをしてアルゴイからオーストリアの山間部を走ったときのそれに近かった。

いつものように帰りには、友人のホテルに立ち寄って、ビールを二杯に田舎農家風焼き腸詰を食した。腹立たしいことに別の滝見物に入場料と駐車料金を徴収されて金がなかったので、危うく皿洗いとなるところだった。それでもキルッシュヴァッサーをご馳走になり、乾いたように感じるアウトバーンを冬タイヤ用のリミッターが効くまで飛ばし続けたのであった。

朝七時に出発して、夜八時過ぎの帰宅、深い雪を雪のついたザイルを担いで歩くだけでも疲れた。



参照:
持続可能な環境の誕生会 2014-10-11 | アウトドーア・環境
因習となる規範 2004-12-01 | 文化一般
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冷戦は過去であり続けるか

2015-02-09 | 歴史・時事
メルケル首相が、キエフに飛び、そこでオランド大統領とともに折衝に当たり、ベルリンへ戻ってイラクの大統領と会見して、今度はモスクワへと向かった。その結果はまだ知らない。しかし、世界はウクライナからイラク中東へと、そして極東、南東アジアへと世界的な紛争へと幾つもの戦線が数えられている。コソヴォ空爆の時に初めて戦争当事者と感じた。そして今、連邦共和国はオランダなどとともにNATOの北方グループとして、緊急有事体制の交代制チームを築くような準備を進めている。

「ウクライナのために死のうと思う人は西欧にはいない」、社説が書く通りだろう。それでも、キエフの弱みに乗じてロシアの良い条件で、ロシア領土の拡大を認知すれば、更なるロシアの侵攻は止まらないと考える。ゆえにNATOはウクライナ紛争を安全保障の問題と考えるのは当然で、それはクレムリンがウクライナのNATO化をどうしても防ぎたいとする思惑と同じである。

スェーデンの首相であったカール・ビルトがインタヴューに答えている。ロシアのビジネスマンなどには現在のプーティンの軍国・修正主義の政治はロシアに甚大な被害を与えると危惧しているようだ。ベストは、更なるロシアの攻勢をロシアが断念することであると語るが、NATOのアメリカ人司令官が語るように分離派へのロシアからの武器援助は終わりがないとされる。

そこでワシントンは、キエフに対して武器の供給支援を申し出たのだが、西欧はそれを必死に食い止めようとして、こうした外交交渉が行われているのである。前記した紛争地帯が世界の火薬庫となって、そこに武器を供与するという意味はおのずから知れている。
メルケル首相は、この後オバマ大統領と会見することになっている ― ポーランドなどは武器援助でのお零れを期待しているようだ。

こうした猛威の中では市民は無力感を感じざるを得ない。もしここで、キエフへの西側からの軍事的な援助が行われ、同時にクレムリンがロシア人の戦死を認めるようなことが生じれば、新たな戦線が確定することになるのだろう。それだけはどうしても避けたいと皆が考える。

もしここで、民主的なウクライナの独立を護ることが出来れば、いづれはロシアが変わってくるだろうとされる。ロシアの武器の前に立つウクライナ軍は勇敢に戦っていると言われるが、自由で民主的に独立を達成しようとする強い意志があっても軍事的には限界があると言うことでもある。

そしてこのような世界を眺望すると、シリアにおいてもロシアが一方にあって、チェン紛争の過激派がイスラム国兵士になり、一方では中共が様々な紛争の背後にいる。好むと好まざらず、西側の経済圏の中で、その現代的なライフスタイルと生活感を人間の行き着いた境地として享受している我々はその党派性から免れないという事実を直視する必要を感じるのである。

ルートヴィッヒスハーフェンで行われた「サラティスに反対するフーリガンデモ(HOGESA)」が一日中話題となっていた。理由は、州裁判所が街中の行進を許可せず駅前広場に行動を制限して、カウンターが更に多く集まり左翼過激派を中心に130人が暴れて逮捕されたことにあるようだ。カウンターを代表してキリスト教民主同盟の市長ドライヤー女史は演説した。「ルートヴィッヒスハーフェンでもどこでも連邦共和国内でも、集会、デモ、表現の自由は基本権利として保障されることは高い価値を有しており、しばしば寛容も必要とされていまが、人種的で人権を損なうような右翼的な思想の場はどこにもありません。それは、私たち皆に受け入れがたい右翼標榜や価値標榜だからです」。

ここで重要なのは、受け入れがたいのは暴力や示唆行為だけではなく、極右思想であるということだ。これは法律でナチズムが禁止されている連邦共和国の公僕の当然の発言でもあるが、これは反サラティズム運動にも果てははまるとしたことではないだろうか。同時にこれは、「何人であれ、人種的で人権を損なうような、我々誰にも受け入れられない思想を標榜することは許されない」ということでもある。この価値観を、西欧だけでなく、東欧からロシアへ、南欧から地中海・近東へと、そしてアジアへと広げていく可能性を諦めてはいけないのだ。



参照:
カローンが水脈引き行く 2007-04-28 | マスメディア批評
「つくる」に近い「うむ」の具象 2010-01-18 | 歴史・時事
制限が必要な暴走? 2014-12-19 | 歴史・時事
一言、独裁者安倍晋三に 2015-01-31 | マスメディア批評
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滑り降りるぞくぞく感

2015-02-08 | アウトドーア・環境
週後半あたりから熱があったようだ。ふらふらすることがなく、仕事をそれなりにこなすことが出来たのも基礎体力のお蔭かもしれない。体温計がないのでわからないが37.5度ぐらいはあったろうか?そのぞくぞく感からや力が入らないことから、決して微熱ではなかったことは確信している。そしてどうやら土曜日になって退いて楽になった。楽になると今度は次のぞくぞく感が出てきて、アイスクライミングや次のスキーツアーの計画となる。

その前に、先週の初スキーツアーの事をまだ書きそびれている。初日の事は書いた。二日目は、雪の降る中を車に乗っている二十センチほどの雪を除けて、クライネヴァリサータールへと車を走らせた。目的地は、スキー場として有名なカンツェルヴァンドの奥からその山上駅の尾根筋へと至るルートである。町の教会あるような場所から沢沿いへと降りて行って、そこから板をつけて向こう側へと渡り、登りの始まりである。

途中、ガイドが率先するツアーに抜かれたり、また昼休みに雪崩救助の練習をしたりで、初日とは違ってサンクリームの必要になる陽射しの中でゆったりと頂上へと登った。その間、家族ずれなどを含む計20人ほどが登って行っただろうか。標高差は初日よりも300Mほど大きい700Mほどであったが、一日をゆったりと楽しんだ。

頂上からは、対岸にフェルホロンスキー場のピステやレストランが一望に見えるので、滑降前の小用も反対の斜面に行かなければいけないほど賑やかな情景が眼下に一望できた。それでも尾根を辿るスキー場の山上駅は結構遠そうで、標高差150Mながら尾根筋をここまでスキーで辿るのは結構面倒そうで、滑って楽しめる場所ではなかった。

我々の下降ルートは、登って来た通り、幅もあり雪も新雪の割に締っていて、そしてなによりも敢えて解放していた靴も幸いして初めて楽しんで滑れた。途中一か所だけは林の間をボーゲンでいかなければいけなかったが、それ以外はよくある低山のオフピステの感じで、雪の量を楽しむ感じであった。逆にこれだけの斜面ならばその週に雪崩事故が起こっていたレッヒスキー場で楽しむのとあまり変わらなかった。違いは、斜面が広いことぐらいだろうか。そして、一日掛けてゆったりと雪の中で過ごす贅沢である。時間をゆったりと使うツアースキーである。喉が渇いたので、流石にアプレスキーのビールは欠かせなかった。

さて、最終日は予想に反して、最も高度差を登る最も本格的なツアーとなった。前日から天候は再び本格的な冬将軍となるので、標高二千メートルを超える稜線での登山の厳しさは予想されていた。それでも前半は雪もそれ程なく、谷から見上げたように、稜線から下は視界が効いていた。但し、車で目的地の村まで行くまでに、カーヴで対向車と衝突していたりと、こちらも登りに後輪を滑らせてBMWにぶつかりそうになったのである。それほど気温は低かった。そして稜線への登りでは、キックターンが重要になって、眼鏡が曇り、雪面が見えなくなるとお手上げだった。なるほど良い場所に板を置かないと、シールだけではこうした急斜面を登れないことが漸く分かったのだ。どうもこの当たりがツアースキーの基礎技術であるらしい。シールだけで後ろに滑らないというような印象を持っていたのだから当然かもしれない。当日の荷物は結構抑えたつもりであったが、これで重荷があるとすれば結構厳しいと感じた。

何とか稜線に出ると予想通りの強風で震え上がり、影に入って休止となったが、あの状況での休息は限られる。そして、尾根を頂上へと進む前に、ウィンドストッパーの手袋の下にチャイナ製の絹のインナーをしたが、結局は指を絶えず動かしていないと凍り付きそうで駄目だった。スキーで登れる場所を終えて、そこにデポして、日本アルプスのような尾根筋を登りだす。ストックを持つ手が風に吹かれて凍りそうなのだ。女性がストップをかけたことから、頂上は断念することになったが、手袋を取り換えて、その痛みを感じて、あのまま登り続けていたならば完全に凍っていたことが分かった。いつかグリンデルヴァルトのスキー場で氷解する耳に感じたあの痛みを指に覚えたのだ。やはりゴアテックスのスキー手袋は価格も違うが暖かい。これが、ソフトシェルとハードシェルの違いである。

下りは本格的な稜線からの滑降で、見た目ほどには誰も大崩れしなかったのは、吹いた雪が軽く乗っているからであり、最高の滑り心地であった。しかし、雪崩の危険性は決して低くは無かった筈で、その判断については改めて問い質す必要のある判断だった。リーダは、地質学の学生で、現在は放射能廃棄物の処理のアルバイトでスイスの当局でも働いていて、今回同行していた兄の量子物理の博士過程の学徒も、この件に関しては十分に議論が出来るからである。実際滑ってみると、それほどの危険性を感じなかったのはあまりにもふんわりと乗っていたからだろうか?その下部は、傾斜も緩む谷となっていて、下のスキー場に直ぐについてしまった。それでも十分に価値のある滑りで、天気さえ前日のように良ければ、豪快な処女雪スキーを楽しめたのであった。

靴の状態も日に日に良くなって、滑りもピステの下降路の滑りを含めて、リュックサックを担いだ滑りにも大分慣れてきた。但し、流石に三日目ともなると、当初とは違って、あちこちに張りなども感じるようになっていたので、この辺りは今後の問題であるかとも感じたが、長い距離を歩くのとは違って、スキーで滑り降りるのはなんといっても楽なのだ。



参照:
スキーツアー事始めの眠り 2015-02-04 | アウトドーア・環境
風に吹かれて喉が痛む 2015-02-03 | 生活
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二十世紀中盤の音響化

2015-02-07 | 
ブーレーズの90歳記念第二コンサートについては触れた。第三コンサートの二部では、大管弦楽曲が演奏された。1980年にパリ管弦楽団で披露された「ノタシオン」の1984年の補筆版でI,VII,IV,III,IIの推薦順で演奏された。舞台の管弦楽団を見て、これほど大きな編成だとは思っていなかった。曲自体は、新ヴィーン学派のそれとほとんど変わらないが、これほど大きなパレットを使っているとは思わなかったのだ - 実際にはバレンボイム指揮シカゴ饗など何度かは生で聞いている筈だが。

大時代的な丁度ヴェーベルンの「パッサカリア」のような曲であるが、なるほど大管弦楽団の使い方は流石に二十世紀後半に相応しいのかもしれない。特にバスなどが管弦楽の和声ベースとしてならないような処方は、当日のバーデン・バーデンの管弦楽団の得意とする音響の世界である。I,IV,III,IIの初演がバレンボイム指揮のパリ管であったことが示すようにとても保守的な管弦楽曲となっていて、新ヴィーン学派の大曲と同じように演奏される可能性もあるが、直接エリオット・カーターなどの同種の創作と比較して、今後どれほど演奏されるかは分からない。

休憩前にはこの曲のピアノオリジナルが、地元小学生のダンス音楽として披露された。ベルリンで春の祭典をやった英国人のプロデュースで、ルールのフェスティヴァルとの共同作業である。子供たちの創造するダンスの動きで、若いブーレーズのセリエルな創作を具象化していた。

その前には1985年にロンドンのシンフォニエッタで初演された「デリーヴ」が演奏された。これは、パウル・ザッハーにささげられた曲らしく、適度な楽器編成と、そもそも第一のコンサートで演奏されたらしいロストロポーヴィッチの掛け声での六つのチェロの曲に由来している。

その前には、有名な12音音楽としてのピアノソナタが演奏された。当日の楽曲紹介でこの曲が扱われたように、この手の作曲手法の曲に馴染みがない人にとっては、もっとも厄介な音楽なようだ。理由は、その素材の制限によるのだろうが、有機的な関連を認知し難いからであるようだ。勿論、こうした曲に馴染みのある音楽愛好家にとっては、可成り保守的な作曲であって、本当ならば一流のソロピアニストのピアノ芸術で味わいたいところだろう。しかし残念ながら当日はIRCAMのアンサムブル出身のピエール・ローラン・エーマールがこれを受け持った。前のコンサートでも舞台で思い出話をしていたが、このコンサートでも出番以外でも会場の特等席でうろうろしていた。流石に、弾き込んでいるのは紛れもない事実であり、その声部の颯爽とした扱い方は見事だったが、所詮クロード・エルファーやミッシャル・ベロフなどのピアニズムを期待しようがなかった。

そしてこの日の圧巻は、それでも第三のコンサートで最初に演奏されたライヴエレクトロニクスの「エクスプロザンテフィックス」だったに違いない。初演者のソフィー・シェリエー ― クリスティアン・ラレードの弟子らしい ― のMIDIフルートに二つ目、三つ目のフルートがエレクトロニクスと並んで合奏する。その効果たるものまさしく新しいサウンドそのもので、音楽が新たなパラメーターを確立して、そして今それがライヴとして現実化するのに立ち会った思いだ。この曲の演奏歴は知らないが、想像するにここ二十年ほどのデジタル音響機器の発展を考えるにこれだけの成果を実現化するには長い年月が必要だったろう。

その音響の扱い方は、1950年代に実験音楽として大コムピューターを駆使して制作された所謂コムピューター音楽のそれを一挙に飛び越えており、たとえば音の減衰だけを考えれば分かるが、それを「立てる」だけでどれだけの音響となるか。それをライヴとして合奏することで、音響的な可能性は、嘗てのコムピューター音楽とは比較できないことは分かるだろうか。要するに1950年代のそれは本当に実験であって、我々は今それを容易に実現化することが出来ているのである。これだけを考えても、西欧の音楽が行き詰るどころか、ここにきて新たに大きな可能性を感じさせることになっている。

今回の実現化の出来がとても素晴らしく、ここに音楽が実現化したという印象なのである。これほどに素晴らしい音響を創作した作曲家というだけで、この作曲家がフランスの伝統を引き継いでいて、それをここまで精緻にやり遂げた芸術家として改めて大いに評価したい。



参照:
主の居ない打ち出の小槌 2015-01-26 | 音
至極当然のことなのか? 2015-01-20 | アウトドーア・環境
ポストモダーンの歴史化 2015-01-19 | 歴史・時事
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行進曲、闘争そして歓喜

2015-02-06 | 文化一般
日曜日の尾根筋での吹雪が、喉に来たことは書いた。翌日に走ってその疲れ具合が分かった。のど飴を舐めて、塩で嗽をして喉の調子はこれ以上悪くはならないようだが、今度は鼻に来て、珍しく駐車場まで行きながら走るのを断念した。氷点下の寒さ以上に体が冷え込んでいる。序に夕食を準備したので、赤ワインで今晩は暖まるだろうか?就寝中に二度三度とトイレに立った。塩気のものを口にして、水気も十分に摂取したからだろうか。ビールは一杯しか飲んでいない。寒くて代謝が十分に行われていなかったのだろうか。

ツアースキー靴「マエストラーレ」を点検した。頂上を目指して歩いた場所もあり、緩い貸しスキーを何度か外したので、傷がついたところもあるが、書かれていたようなバックルのネジや金具が飛んだりは無かった。インナーが綺麗に乾き切るまでに時間が掛かったが、インナーも冷たくなくとても良いと思った。滑りに関しては、スピードさえ押さえていれば全く問題のない靴で、クラシックスキーのレクザムよりもサイドの支えが良いのでカーヴィン技術系の滑りには全く問題がないと思った。滑降で吹っ飛ばす以外はピステでもこれで十分だと感じた。深雪に潜り込んでも雪が入り込むような感じも無くてこの点でも快適である。なによりも自重が軽いので、動作が楽で、軽くて張りのある板と軽い締め具を組み合わせると素晴らしい滑りが出来ると思う。

今回感じたのは、スポーツ医が言及していた、空気椅子の筋力を鍛える必要があることで、大きな標高差の深雪を滑るときには結構堪えると思った。今まで経験した2000M以上に、歩いて登ってきた後の滑りであるからその付加は大分違う。その意味からは購入したコムプレッション靴下は気が付かないながらも乳酸を調整する効果はあったのかもしれない。歩くことでの足の不具合は出なかった。これだけでも天晴である。

鼻をぐずぐずさせながら先日受け取ったCDなどを流している。ヨルダンのパイロットの映像が流れて来た時には、第九の合唱が流れていた。デジタルサウンドで初めて接するベートーヴェンの名曲であるが、そこに響くトルコ行進曲、そして闘争、歓喜。実は、この名曲が日本以外では殆ど演奏されていない事実と名指揮者などが特別な曲として平素仕舞い込んでおく意味がよく分かっていなかった。実際、こうして流している録音も死を目前とした大指揮者の録音であり、そうしたお膳立てのなかで録音されたものなのである。卑近では、ベルリンの壁が開いた云々の記念行事として演奏されている。この曲自体の祝祭的な性格と、なんといっても第四楽章の合唱のテーゼとアンチテーゼの間での止揚がそのまま直截に示されていて、シラーのテクストの合唱が問題となるのである。

日本ではこの名曲が世界中で演奏される分一国だけで賄えるぐらいそれも年末に集中して演奏されている。その社会的な背景には触れないとして、こうしてこの曲に触れてみると、実感としてのトルコ行進曲とその上位にある只唯一の神を考えれば、決して日常茶飯の芸術ではないことが理解できるのではないか。今現在の欧州は、奇しくも、彼のオスマントルコへの不安と似たような状況にあるかもしれない。そのようなときに創作家はどのような仕事をするのか?当時の思想や社会背景を考えれば、こうした芸術作品で手に取るように理解できるのである。なるほど、創作当時、最後のヴィーン包囲からすれば百年ほども経過しているが、現在の西欧が感じるような脅威感よりも、啓蒙思想の中での覚醒を呼び起こす世界観ではあったろう。

こうした実感が、イスラム文化への理解でもあり、欧州連合の賛歌となっているこの名曲の世界観でもある。つまり、その世界観は流石にこの楽聖ですらも晩年になって漸く至った境地であることは間違いない。そのように思い描くと、演繹的にもこの交響曲の構成やイデオロギーがとても分かりやすくなる。今回初めてこの曲のCDを入手してとても分かり易く、期待していた通りのファスビンダーの歌唱も聞けた。流石にLPは、フルトヴェングラーなど何種類かの録音は手元にあるが ― 正直なところフルトヴェングラー指揮の戦中戦後の名演を見聞きして少々その内容に懐疑的になってきているのである、CD規格設定に使われたようにこの一曲が一CDになるのは素晴らしい。それもフォン・カラヤンの録音ではなくてベームの指揮の録音でとてもよかった。全集のそれよりも丹念に揺るぎなく演奏解釈されていて、当時想像されていたようなよれよれとは正反対の出来であった。最も音響的に美しい録音との評価もあるが、イデオロギー的にも明確で、一神教的な不動感は格別である。

日本の平和主義は、今回の一連の事件でも何度も言及されるほど世界的に有名である。しかし、それが日本人のイスラム感と同じように途轍もなく素朴過ぎるのも周知されている。政治的には九条の会などのパシフィズムとして表れているが、より問題なのは文化的にもつまり異文化理解という観点においてもあまりにも素朴過ぎるのは、学識経験者などと呼ばれる人の発言の影響などを見ていても明らかなのだ。様々な点から日本が普通の国として世界的に大きな発言力を得ることは不可能なのである。



参照:
「火炙り」や「尊師の説教」など 2015-02-05 | 歴史・時事
スキーツアー事始めの眠り 2015-02-04 | アウトドーア・環境
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「火炙り」や「尊師の説教」など

2015-02-05 | 歴史・時事
火炙りの刑の映像を観た。後半に相当するらしい。広報映像の作りでその方の専門家が制作しているのは直ぐに分かる。日本の公共広告などとよく似ていて、その主張が、言語の助けが無くても、誰にでも理解できるようになっている。イスラムの「目には目をの憎しみの連鎖」そのものが良く示されていて、そこから一歩も視野が広がるような可能性を与えない。宗教や思想信条の偏狭さがとんでもないことを正当化させてしまうのは世の常である。

反ISIS連合のパイロットは市街地に爆弾を落として、そこにいる市民を虐殺しているのは、西側ジャーナリストが子細に伝えなくとも当然の事実であり、コソヴォ紛争で橋を爆撃した際も女性が一人巻き添えをくった。そうした聖戦が、こうした火炙りと何ら変わりないことを動画は明確に主張している。火炙りで焼けただれた躯が仰向けになると同時に、檻の上から崩壊したブロックなどを一気に落下させて、まるで天安門広場のようにその踏み固められた地面のブロックの隙間から殆ど焼けていない指を見せてといったとても凝った作りになっていて、これでもかこれでもかとグロテスクに訴えかけてくるのである。こうした西欧のモスリムにも強く打ったえ掛けるようなメディア戦略がイスラム国の特徴である。

偶々YOUTUBEでオウム真理教の様々な映像が解禁されているようになっているようで、これもとても興味深かった。事件が起きたときはこちらでも話題になったが、その真相はあまり知らなかったので、「麻原尊師の説教」などがとても面白かった。国政選挙での失敗が過激化させていったとどこかで読んだがなるほどと思った。

同じ意味で上の火炙り動画も彼らの狭窄した視野がよく分かる。そしてそうした狭窄は直ぐ身近にもあって、そのような原理主義者はムスリムには限らないが、先週もモスリム家庭で「名誉の殺人」があったようで事件となっていた。19歳の娘が結婚を反対された挙句、両親や叔父叔母に惨殺されて、近所の公園に無残に捨てられたというものだ。連邦共和国のモスリム家庭では後を絶たない事象であり、我々の感覚からすれば理解できないものであるが、「預言者の像」に対してあれ程反応しなければいけない啓蒙されていない人々にとっては、きっと理解できる行為なのだろう ― 因みにPEGIDAなどはこれ見よがしに預言者像を翳して町を行進するらしい。

その点、イスラム国の主張は、西欧的な社会からの参加者が後を絶たない様に、大まかなところでは理解可能なのだが、そこで実際に行われている蛮行は、イデオロギーとしてイスラムの世界観に根ざしているからとても厄介なのである。イスラム国が、イスラエルのように国際認知されるような帝国になることは仕方がないとしても、イスラム社会やイスラムの教えこそが近代化しない事には現在の世界においてその居場所などはないのである。まさしく、大東亜共栄圏や八紘一宇などのイデオロギーなどを我々は決して受け入れられない様に、イスラム主義や啓蒙されていないイスラムに妥協してはいけないのである。

しかし、そうは言っても現実は異なることは、独第一放送の番組をネットで二つほど見ると明らかになる。若い少年少女たちが、シリアで起こっているような悲惨な情景にどのように反応してジハードへと駆り立てられて、トルコ国境を越えていくかである。そこには「容赦のない無信仰への戦い」がある。それ故に嘗て左翼の過激派として12年の懲役を受けたドイツ人の爆弾魔までが転向して、サラフィストとして活躍しているのが描かれていて、その昔の左翼過激派以上に危険な存在となっている。要するに、俗に言われるようなドロップアウトした麻薬などに群がる移民家系の愚連隊だけがイスラム国に引き付けられるのではなくて、リベラルな世界観に違和感を持つ極左過激派や不満の多い若い世代の症状でもあるようだ ― これは何時か扱った学校の制服への憧れのあれにも似た病理なのだろう。

CNNが「イスラム国のメッセージを媒介することはしない」としたようだが、啓蒙された現代人は、ああした思想にも目を開くことが重要であるから、メッセージを十分に伝えることが肝要なのだ。もともと垂れ流しのような放送を行ってきたマスメディアであるから、そのような姿勢にも理解できるのである。その証拠に、嘗てはあれほど大事件の時にはTVを点けて確認していたCNNなどは昨年は一度も観なかった。ネットにおけるその報道も殆ど速報性も含めて意味を失ってきているのを実感する。その点、ネットを使った直接の広報を繰り広げるイスラム国はその点でもクールだとされる所以なのだ。時代はどんどんと変わってきている。

少なくとも連邦共和国においては、ガザ虐殺に対するイスラエル批判などが出来るような社会状況にならなければ、国内のモスリム社会を納得させるだけの世論の形成も出来ないかもしれない。やはり、サラフィスト問題と対峙することは、連邦共和国の社会に対峙することにもなるようだ。

近所では、「日本人人質が斬首刑となったのは、安倍が米国に追従することになったからか」とする疑問が呈される。肯定も否定もできないのが実際であるが、最初からイスラム国に邦人の首を差し出していたのは否定しようがない。新聞にメルケル首相がブタペストを訪れ、国粋主義政権に苦言を呈した。圧倒的過半数を保持していても少数意見に耳を傾けろと言うことで、民主主義を更に進めろと言うことである。病的に頭脳が狭窄している安倍政権に三月に言わんとしていることがここにも含まれている。社会的な議論を繰り広げていくしか、その社会の安定はないのである。



参照:
モスリム生徒解放への教育 2015-01-30 | 文化一般
首を喜んで差し出す外務省 2015-01-21 | 歴史・時事
疑似体験のセーラー服 2005-06-12 | 歴史・時事
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スキーツアー事始めの眠り

2015-02-04 | アウトドーア・環境
スキーツアー事始めだった。貸しスキーを受け取ったときは、既にシールが貼ってあった。短めでフリッチュ締め具なので初心者向きで、やや重かった。予定の峠に雪が乗っていたのでタンハンマー谷のコースを目指した。駐車場から約600mを頂上まで上がるコースで、予定のそれよりも標高差が大分大きかった。

雪が降り続く中なので、完全装備が必要で、リュックサックもスコープなどで結構重い。ピープの使い方からの講習で、歩きはじめるとそれなりに歩けることが意外だった。雪なので殆ど休みなく頂上直下に辿り着く。途中で向きの変え方などを練習する。それでも意外に問題なく頂上に達した。

実は登りでバックルを比較的閉めていたのだ。それが災いして、折角の下りで足が痛い。十年ぶりの本格的なスキーで、うまく乗れないのだ。それで余計に足に力が入り、空気椅子のように太ももが堪えられない。新しい靴で足が下から突き上げれれて、立っているのも辛いのだ。当然ボールを踏みつけるような荷重も出来ないのだ。それでも新雪のスキーは楽しい。

登りの所有時間とみると大体ハイキングのスピードで、雪があるのでスキーを付けてと言った感じで、勿論下りはどんな滑り方をしても早い。スキー学校で林の間を滑り抜けたりの経験はあるが、短い距離ながらそうしたものを超えていくのもスキーツアーである。そしてなによりも、処女雪の上を滑降する喜びには代えられない。

日頃のトレーニングの成果は、当日はあまり感じられなかった。四時起きで十二時前に登りだして、二時間。降りてきて夕食である。ユースホステルの雰囲気もあり、一滴もアルコールを飲まずにもぐっすりと眠ったのであった。

新聞に、コペンハーゲンから最新のジョギングに関する健康調査が載っている。それによると週に二時間半以上、三回以上走ると死亡率が高くなったとある。それも適当な速さで二回ほど駆け抜けるのが健康で、それ以上は不健康になる可能性が高くなる。時間はこの範囲に収まっているが、三回走ることが多くなっているので、この点は注意しなければいけない。速さは大したことはないのだが、山登りになるとどうしても過負荷になるだろう。心肺系を強くするどころか不調にする可能性があるので無理をしてはいけないだろう。



参照:
ポストモダーンの歴史化 2015-01-19 | 歴史・時事
合わせものの楽しみ 2015-01-27 | 生活
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風に吹かれて喉が痛む

2015-02-03 | 生活
スキーツアーの疲れが残っている。帰宅翌日のランニングにそれがよく表れていた。兎に角足が前に出ない。太腿や腰など更に下肢も、振る上腕も疲れている。往路14分3214歩も掛かってようやく折り返し点である、帰りも30分3661歩と殆どワースト記録に近い。如何に普段とは違う筋肉を使って疲れたかである。

留守にしている間にCDが届き、もう一つのスピード違反の警告金も届いた。これまた10ユーロで、ミュンヘンからの帰りに20ユーロ超過料金払ったようなものだ。現行の燃料代からすると100KM以上は楽に走れる費用である。倹約のためにもスピードは守らなければいけない。

CDの方は鳴らし始めているが、初めてのフォン・カラヤン指揮のデジタル録音が興味深い。オペラの方は張りのあるドミンゴの声が圧倒的だが、デジタルでこの指揮者のヴィーナーフィルハーモニカーを耳にすると、当時の生放送などの印象が甦ってくる。やはり特別なバイオスが掛からないデジタル録音の方がその新鮮さで圧倒的に生のサウンドを想起させるのは間違いなさそうである。1980年の楽友協会でのベーム指揮の第九の録音がとても楽しみになってきた。

市から電気代の計算書が届いた。それによると消費量2199kWhと2013年に比較して、98kWh少なくなっている。 多くなる要素は、オーヴンが壊れたのでそのあとで空焚きなどに余分に使ったのと、秋以降火力の強いIH炊飯器を使うようになったのと、冬季の夜間の自宅での生活が長くなったことぐらいで、少なくなる要素は必用の無いトランスをオフにしたのと、スイッチ付きのタップを多用するようになったのでスタンバイ電流が少なくなったことだろうか。その他は殆ど変わりようがない。強いて言えば、タブレットを上手に使うようになったぐらいだろう。要するに増える予定はなかったので、メリハリをつけた節約、つまりスタンバイ機能などを使わないことで強い電流を使っても差し引きできるということになる。

結果、23ユーロほどが返金され、電気代は月払いで5ユーロほど上がる。しかし、現在に使用量を削減するのはかなり難しい。冷蔵庫を取り換えるのは一番早いかもしれないが、五年ぐらい償却に時間が掛かるかもしれない。それ以外には電球をもう少し省エネタイプにして暗めにするぐらいしか思い浮かばばない。卵茹器は節電にも寄与していそうである。

吹雪の中で行動したからか、火曜日になって喉の調子が悪くなった。喉と言えば、後藤氏の晒首の写真などを見ると、喉元から切られてしまうのでどうしても開口してしまい晒されるのはとても気の毒なことである。どうしても今ドイツで注目されている北斎の浮世絵の名作「晒首」のリアルを思い浮かべてしまうのだ。記憶では、三島由紀夫のそれは大分違った印象がある。やはり切腹と介錯ではそこが違うのだろう。しかし大日本帝国でも明治七年には江藤大臣が晒首にされるなど、また帝国陸軍などのお得意の処刑の仕方であったのは、イスラムと国家神道の国も殆ど変わらない。ドイツではナチ時代のギロティンでソフィー・ショルのそれが有名である。死刑もその方法も色々と議論もあるが、生物を無闇に損壊するようなことはしない方が宜しい。

陽射しが強く、ハイデルベルク周辺の山の白さがスキー場のようだ。



参照:
安全保障上去勢された日本 2015-02-02 | マスメディア批評
軽々しくギアーチェンジ 2015-01-29 | 生活
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安全保障上去勢された日本

2015-02-02 | マスメディア批評
アルゴイは雪だった。帰路もアウトバーンに雪が付いていた。日曜日としても交通量からすれば珍しいことだった。既に日曜日の朝、オーバースドルフのユースホステルでタブレットで知っていたが、ラジオは後藤さんの殺害をトップニュースで報じていた。音声であるからVIDEOの声明を所々採用して、安倍への急告と日本への脅迫をピックアップしていた。個人的にはこの事件の不可解さもありながら、米英人の処刑の場合は更に何か裏があるかと思っていたので、正直、正確に安倍政権を強く非難して処刑に及んだ経過には驚いた。

フランクフルターアルゲマイネ新聞は、月曜日の社説で短く的確にこの状況を描く。

今、日本政府にも、他の諸国が経験しなければならなかったことが起きた。一人の国民が、カメラが回る中でイスラム国のテロリストによって殺されて、誰もそれを抑えることが出来なかった。遅ればせながら、今、日本はテロの被害者同盟の一員になったのだ。政府は、ジャーナリストの後藤さん殺害を、彼らの安全保障政策の承認とも見做すだろう。その実、なぜ日本のように世界経済分野で活動的な国が、それとは反対に安全保障政治においては去勢されたような存在となるかが顧みられていないのである。現実の世界情勢は、なにも日本の直接の近隣のそれを挙げるまでもなく、変化に率直な事情を与えている。それでも残念ながら日本政府は、過去の論拠を借用採択して、今日の変化を過去の日本の戦争犯罪の白紙化へと利用することに決断してしまったのだ。後藤の死は、日本が友人を必要としていることを示している。日本政府は、それからの多くを台無しにしていまっている。一体、彼らはそれに何時気が付くのだろう?

雪崩のように、今変化が起こっている時にこそ、動くのが大切である。一度固まってしまうともはや逆戻りなどは不可能である。安倍独裁政権が、今回の件を安全保障政策の決定に利用しようとしたことは否定しようがない事実であろう。少なくとも世界はそのように見ている。日本のネットでは、上のイスラム国の脅しの内容すら正確に伝えられていない場合が多い。日本や日本人の世界での孤立は益々進んでいる。

新聞には、アジテーター火炎瓶氏らのサイレント示唆行為の大きな写真の下に、「後藤さんの死での安倍の責任を問う」と書かれているが、この程度のデモンストレーションでは小さ過ぎる。サッカーや野球の試合などであれほど集まる日本人はどうしてこうも集まらないのか不思議である。



参照:
Ohnmacht, Peter Strum,
Ein pazifistisches land schwört auf Rache, Carsten Germis, FAZ vom 2.2.2015
一言、独裁者安倍晋三に 2015-01-31 | マスメディア批評
首を喜んで差し出す外務省 2015-01-21 | 歴史・時事
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歴としたシナ製を愛用する

2015-02-01 | 雑感
日本のネットを見ていると、以前から書こうとしていたことが書いてあった。それはメードインチャイナの代わりにPRCと書いてあって、不当表示だということである。実は、この話題は以前から中華新聞には笑い話として書かれていたことなのである。そこでは、バカな日本人が騙されて喜んで買っているという風に書いてある。今回IZAではその騙された恨みか、不当表示だと書いてあるのだ。

私が愛用しているシナ製の商品は、スイスのマムート製の商品で、先ずはトレールランニングシューズだろうか。仕事はスイス製には劣るが、安くて商品がとても良いのでとても満足している。毎年一足新しいモデルに買い替えることになるだろう。先日購入した手袋もしかりだ。これから使い始めるソニーのサイバーショットも歴としたシナ製である。その他でもアウトドーア商品を中心に衣料にシナ製が少なくないが、その場合の表示はCHINAとPRCの半々だろうか。最初にその差に気が付いたのは既に十年ほど前になるので、シナ人がここにきて知恵をつけたとは思われにくい。

日本人は、日本語の商品タグなどに拘っているようでは、日本市場向けに品質の悪い商品をシナで分別して生産していただけかもしれない。日本市場のそうした閉鎖性は、様々な商品でも日本語のタグなどが目立つようになっていることでも気が付く。以前は合衆国がその市場の大きさから特別の表示を輸出国に求めていた状況に似通っているのである。

もちろんそうした市場規模の関係から、最近は電化製品などにも中国語が目立つようにもなってきている。だから、それがシナで生産されていようがいまいが、中国語が書いてあるような印象を持っている。衣料に関しては、ヴェトナムやラオスなども増えてきていて、ある種のものはシナ製の方が価値がある感じにもなってきているのだがどうだろうか?

産経新聞は、シナ人に張り合って書こうと思えば、次のように書かねければいけない。

シナ人旅行者が日本の量販店で、メードインジャパンを探している。そこにはパナソニカしかない。山寨かもしれない。それでは駄目だから、オムロンの血圧計を喜んで購入した。そして帰国してお土産を開けると、期待していたようにメードインジャパンとは書いていなかったが、メードインPRCと書いてあった。「ああ、よかった、メードインチャイナではなくて」と胸を撫で下ろした。



参照:
天を仰ぐ山寨からの風景f 2009-01-12 | 文化一般
DAX企業法人税平均税率f 2015-01-08 | マスメディア批評
原音再生を意識させるCDf 2014-08-08 | テクニック
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