ブーレーズの90歳記念第二コンサートについては触れた。第三コンサートの二部では、大管弦楽曲が演奏された。1980年にパリ管弦楽団で披露された「ノタシオン」の1984年の補筆版でI,VII,IV,III,IIの推薦順で演奏された。舞台の管弦楽団を見て、これほど大きな編成だとは思っていなかった。曲自体は、新ヴィーン学派のそれとほとんど変わらないが、これほど大きなパレットを使っているとは思わなかったのだ - 実際にはバレンボイム指揮シカゴ饗など何度かは生で聞いている筈だが。
大時代的な丁度ヴェーベルンの「パッサカリア」のような曲であるが、なるほど大管弦楽団の使い方は流石に二十世紀後半に相応しいのかもしれない。特にバスなどが管弦楽の和声ベースとしてならないような処方は、当日のバーデン・バーデンの管弦楽団の得意とする音響の世界である。I,IV,III,IIの初演がバレンボイム指揮のパリ管であったことが示すようにとても保守的な管弦楽曲となっていて、新ヴィーン学派の大曲と同じように演奏される可能性もあるが、直接エリオット・カーターなどの同種の創作と比較して、今後どれほど演奏されるかは分からない。
休憩前にはこの曲のピアノオリジナルが、地元小学生のダンス音楽として披露された。ベルリンで春の祭典をやった英国人のプロデュースで、ルールのフェスティヴァルとの共同作業である。子供たちの創造するダンスの動きで、若いブーレーズのセリエルな創作を具象化していた。
その前には1985年にロンドンのシンフォニエッタで初演された「デリーヴ」が演奏された。これは、パウル・ザッハーにささげられた曲らしく、適度な楽器編成と、そもそも第一のコンサートで演奏されたらしいロストロポーヴィッチの掛け声での六つのチェロの曲に由来している。
その前には、有名な12音音楽としてのピアノソナタが演奏された。当日の楽曲紹介でこの曲が扱われたように、この手の作曲手法の曲に馴染みがない人にとっては、もっとも厄介な音楽なようだ。理由は、その素材の制限によるのだろうが、有機的な関連を認知し難いからであるようだ。勿論、こうした曲に馴染みのある音楽愛好家にとっては、可成り保守的な作曲であって、本当ならば一流のソロピアニストのピアノ芸術で味わいたいところだろう。しかし残念ながら当日はIRCAMのアンサムブル出身のピエール・ローラン・エーマールがこれを受け持った。前のコンサートでも舞台で思い出話をしていたが、このコンサートでも出番以外でも会場の特等席でうろうろしていた。流石に、弾き込んでいるのは紛れもない事実であり、その声部の颯爽とした扱い方は見事だったが、所詮クロード・エルファーやミッシャル・ベロフなどのピアニズムを期待しようがなかった。
そしてこの日の圧巻は、それでも第三のコンサートで最初に演奏されたライヴエレクトロニクスの「エクスプロザンテフィックス」だったに違いない。初演者のソフィー・シェリエー ― クリスティアン・ラレードの弟子らしい ― のMIDIフルートに二つ目、三つ目のフルートがエレクトロニクスと並んで合奏する。その効果たるものまさしく新しいサウンドそのもので、音楽が新たなパラメーターを確立して、そして今それがライヴとして現実化するのに立ち会った思いだ。この曲の演奏歴は知らないが、想像するにここ二十年ほどのデジタル音響機器の発展を考えるにこれだけの成果を実現化するには長い年月が必要だったろう。
その音響の扱い方は、1950年代に実験音楽として大コムピューターを駆使して制作された所謂コムピューター音楽のそれを一挙に飛び越えており、たとえば音の減衰だけを考えれば分かるが、それを「立てる」だけでどれだけの音響となるか。それをライヴとして合奏することで、音響的な可能性は、嘗てのコムピューター音楽とは比較できないことは分かるだろうか。要するに1950年代のそれは本当に実験であって、我々は今それを容易に実現化することが出来ているのである。これだけを考えても、西欧の音楽が行き詰るどころか、ここにきて新たに大きな可能性を感じさせることになっている。
今回の実現化の出来がとても素晴らしく、ここに音楽が実現化したという印象なのである。これほどに素晴らしい音響を創作した作曲家というだけで、この作曲家がフランスの伝統を引き継いでいて、それをここまで精緻にやり遂げた芸術家として改めて大いに評価したい。
参照:
主の居ない打ち出の小槌 2015-01-26 | 音
至極当然のことなのか? 2015-01-20 | アウトドーア・環境
ポストモダーンの歴史化 2015-01-19 | 歴史・時事
大時代的な丁度ヴェーベルンの「パッサカリア」のような曲であるが、なるほど大管弦楽団の使い方は流石に二十世紀後半に相応しいのかもしれない。特にバスなどが管弦楽の和声ベースとしてならないような処方は、当日のバーデン・バーデンの管弦楽団の得意とする音響の世界である。I,IV,III,IIの初演がバレンボイム指揮のパリ管であったことが示すようにとても保守的な管弦楽曲となっていて、新ヴィーン学派の大曲と同じように演奏される可能性もあるが、直接エリオット・カーターなどの同種の創作と比較して、今後どれほど演奏されるかは分からない。
休憩前にはこの曲のピアノオリジナルが、地元小学生のダンス音楽として披露された。ベルリンで春の祭典をやった英国人のプロデュースで、ルールのフェスティヴァルとの共同作業である。子供たちの創造するダンスの動きで、若いブーレーズのセリエルな創作を具象化していた。
その前には1985年にロンドンのシンフォニエッタで初演された「デリーヴ」が演奏された。これは、パウル・ザッハーにささげられた曲らしく、適度な楽器編成と、そもそも第一のコンサートで演奏されたらしいロストロポーヴィッチの掛け声での六つのチェロの曲に由来している。
その前には、有名な12音音楽としてのピアノソナタが演奏された。当日の楽曲紹介でこの曲が扱われたように、この手の作曲手法の曲に馴染みがない人にとっては、もっとも厄介な音楽なようだ。理由は、その素材の制限によるのだろうが、有機的な関連を認知し難いからであるようだ。勿論、こうした曲に馴染みのある音楽愛好家にとっては、可成り保守的な作曲であって、本当ならば一流のソロピアニストのピアノ芸術で味わいたいところだろう。しかし残念ながら当日はIRCAMのアンサムブル出身のピエール・ローラン・エーマールがこれを受け持った。前のコンサートでも舞台で思い出話をしていたが、このコンサートでも出番以外でも会場の特等席でうろうろしていた。流石に、弾き込んでいるのは紛れもない事実であり、その声部の颯爽とした扱い方は見事だったが、所詮クロード・エルファーやミッシャル・ベロフなどのピアニズムを期待しようがなかった。
そしてこの日の圧巻は、それでも第三のコンサートで最初に演奏されたライヴエレクトロニクスの「エクスプロザンテフィックス」だったに違いない。初演者のソフィー・シェリエー ― クリスティアン・ラレードの弟子らしい ― のMIDIフルートに二つ目、三つ目のフルートがエレクトロニクスと並んで合奏する。その効果たるものまさしく新しいサウンドそのもので、音楽が新たなパラメーターを確立して、そして今それがライヴとして現実化するのに立ち会った思いだ。この曲の演奏歴は知らないが、想像するにここ二十年ほどのデジタル音響機器の発展を考えるにこれだけの成果を実現化するには長い年月が必要だったろう。
その音響の扱い方は、1950年代に実験音楽として大コムピューターを駆使して制作された所謂コムピューター音楽のそれを一挙に飛び越えており、たとえば音の減衰だけを考えれば分かるが、それを「立てる」だけでどれだけの音響となるか。それをライヴとして合奏することで、音響的な可能性は、嘗てのコムピューター音楽とは比較できないことは分かるだろうか。要するに1950年代のそれは本当に実験であって、我々は今それを容易に実現化することが出来ているのである。これだけを考えても、西欧の音楽が行き詰るどころか、ここにきて新たに大きな可能性を感じさせることになっている。
今回の実現化の出来がとても素晴らしく、ここに音楽が実現化したという印象なのである。これほどに素晴らしい音響を創作した作曲家というだけで、この作曲家がフランスの伝統を引き継いでいて、それをここまで精緻にやり遂げた芸術家として改めて大いに評価したい。
参照:
主の居ない打ち出の小槌 2015-01-26 | 音
至極当然のことなのか? 2015-01-20 | アウトドーア・環境
ポストモダーンの歴史化 2015-01-19 | 歴史・時事