週は比較的順調に明けた。目覚めも五時前ととてもよい時間であった。一時間ほど悪い夢を見ていた気はするのだが、それほど深刻なものではなくて、山小屋で無駄な時間を過ごしているという実体験の感覚が戻ってきただけだった。
だから昨日の山登りの疲れが残っていても軽く体を解すには丁度良かった。そしてゆっくりと沢沿いを走り出す。遅々として歩みが進まないのにいらいらしていると体が温まってきて、真面目になってしまった。それで往路は2113歩12分。復路は本気で、最後も長いスパートを掛けた。結果前回よりは悪かったが、4070歩24分で最初の遅れを大分挽回していた。脈を診ると117ぐらいで、これまたあまり上がらないようになっている。以前よりも心肺系が強くなっているようで、現在のトレーニング法を続けると更に強くなりそうなのだ。強化できた実感を持つのは生涯初めてのことなので疑心暗鬼なのだが、脈が二三年前のように130を越えるような事がなくなってきているので健康上問題はないであろう。
ラディオでは、憲法判断所の「教師の頭巾禁止は憲法に反する」という判断が出て、その反響が伝えられていた。一番分かりやすいのが、「モスリムに育ちながら女性教師として社会進出を果たしたその人から頭巾を取る」という事実への想いであろう。更に世俗化していくであろうこの世界では、フランス風のレイシテが宗教性としても最も高品位であると信じるが、そこに至る道程があることも理解すべきであろう。
ネットで「原子力明るい未来のエネルギー」の標語を作った大沼勇治さんがその世界的に有名になった看板の撤去に反対しての現地での写真をみた。小学生の頃の応募であったようだ。400万円も掛ける撤去予算計上に対して負の遺産として残してほしいとする意見を述べている。被災したご本人などの心情を考えるととても穏やかではないものを感じる。殆ど壮絶さを感じさせる。
モスリムの頭巾で、「掃除婦のおばさんがそれを被っていても誰も気にしないが、教師となると違う」という話され方もしていた。そうした世界の実像を伝え、開かれた議論を呼び起こすことこそがメディアの責任であり、ジャーナリズムの本質であることを忘れてはいけないのである。
参照:
原子力明るい日本の行政組織 2011-05-21 | アウトドーア・環境
なぜ頭巾先生は駄目? 2008-12-20 | 文学・思想
解決へのヴェクトル合力 2015-03-13 | アウトドーア・環境
だから昨日の山登りの疲れが残っていても軽く体を解すには丁度良かった。そしてゆっくりと沢沿いを走り出す。遅々として歩みが進まないのにいらいらしていると体が温まってきて、真面目になってしまった。それで往路は2113歩12分。復路は本気で、最後も長いスパートを掛けた。結果前回よりは悪かったが、4070歩24分で最初の遅れを大分挽回していた。脈を診ると117ぐらいで、これまたあまり上がらないようになっている。以前よりも心肺系が強くなっているようで、現在のトレーニング法を続けると更に強くなりそうなのだ。強化できた実感を持つのは生涯初めてのことなので疑心暗鬼なのだが、脈が二三年前のように130を越えるような事がなくなってきているので健康上問題はないであろう。
ラディオでは、憲法判断所の「教師の頭巾禁止は憲法に反する」という判断が出て、その反響が伝えられていた。一番分かりやすいのが、「モスリムに育ちながら女性教師として社会進出を果たしたその人から頭巾を取る」という事実への想いであろう。更に世俗化していくであろうこの世界では、フランス風のレイシテが宗教性としても最も高品位であると信じるが、そこに至る道程があることも理解すべきであろう。
ネットで「原子力明るい未来のエネルギー」の標語を作った大沼勇治さんがその世界的に有名になった看板の撤去に反対しての現地での写真をみた。小学生の頃の応募であったようだ。400万円も掛ける撤去予算計上に対して負の遺産として残してほしいとする意見を述べている。被災したご本人などの心情を考えるととても穏やかではないものを感じる。殆ど壮絶さを感じさせる。
モスリムの頭巾で、「掃除婦のおばさんがそれを被っていても誰も気にしないが、教師となると違う」という話され方もしていた。そうした世界の実像を伝え、開かれた議論を呼び起こすことこそがメディアの責任であり、ジャーナリズムの本質であることを忘れてはいけないのである。
参照:
原子力明るい日本の行政組織 2011-05-21 | アウトドーア・環境
なぜ頭巾先生は駄目? 2008-12-20 | 文学・思想
解決へのヴェクトル合力 2015-03-13 | アウトドーア・環境