Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

実像をうつす鑑

2015-03-17 | マスメディア批評
週は比較的順調に明けた。目覚めも五時前ととてもよい時間であった。一時間ほど悪い夢を見ていた気はするのだが、それほど深刻なものではなくて、山小屋で無駄な時間を過ごしているという実体験の感覚が戻ってきただけだった。

だから昨日の山登りの疲れが残っていても軽く体を解すには丁度良かった。そしてゆっくりと沢沿いを走り出す。遅々として歩みが進まないのにいらいらしていると体が温まってきて、真面目になってしまった。それで往路は2113歩12分。復路は本気で、最後も長いスパートを掛けた。結果前回よりは悪かったが、4070歩24分で最初の遅れを大分挽回していた。脈を診ると117ぐらいで、これまたあまり上がらないようになっている。以前よりも心肺系が強くなっているようで、現在のトレーニング法を続けると更に強くなりそうなのだ。強化できた実感を持つのは生涯初めてのことなので疑心暗鬼なのだが、脈が二三年前のように130を越えるような事がなくなってきているので健康上問題はないであろう。

ラディオでは、憲法判断所の「教師の頭巾禁止は憲法に反する」という判断が出て、その反響が伝えられていた。一番分かりやすいのが、「モスリムに育ちながら女性教師として社会進出を果たしたその人から頭巾を取る」という事実への想いであろう。更に世俗化していくであろうこの世界では、フランス風のレイシテが宗教性としても最も高品位であると信じるが、そこに至る道程があることも理解すべきであろう。

ネットで「原子力明るい未来のエネルギー」の標語を作った大沼勇治さんがその世界的に有名になった看板の撤去に反対しての現地での写真をみた。小学生の頃の応募であったようだ。400万円も掛ける撤去予算計上に対して負の遺産として残してほしいとする意見を述べている。被災したご本人などの心情を考えるととても穏やかではないものを感じる。殆ど壮絶さを感じさせる。

モスリムの頭巾で、「掃除婦のおばさんがそれを被っていても誰も気にしないが、教師となると違う」という話され方もしていた。そうした世界の実像を伝え、開かれた議論を呼び起こすことこそがメディアの責任であり、ジャーナリズムの本質であることを忘れてはいけないのである。



参照:
原子力明るい日本の行政組織 2011-05-21 | アウトドーア・環境
なぜ頭巾先生は駄目? 2008-12-20 | 文学・思想
解決へのヴェクトル合力 2015-03-13 | アウトドーア・環境
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「自由な選択」のファーネス

2015-03-16 | 雑感
土曜日、銀行のキャッシュコーナーに行くと例のおばさんが居た。片付けて出ていくところだったようだ。それでも生臭い匂いが漂っていた。既に十時を過ぎていたはずだが、その時刻まで粘っていたようだ。かなり多くの人がそこを通ったと思われる。ドアを開けるとそこにいたので、いつものように挨拶をした。正直匂いが漂っているのは迷惑なのだが、益々気になる存在となって来ているのである。

先日日本からのお客さんと非正規雇用者について話すと、どうもファーネスに関する意識が欠けていたように感じた。要するに上のおばさんに代表されるような好き好んでと思われる「浮浪者」に対する認識の仕方である。もちろん、上のおばさんが普通に暮らそうと思えば全く問題がなく税金による支援だけでなく様々な支援が用意されている。しかしそうはなっていないのだ。

理由は分からないが、おせっかいの中産階級プロテスタントドイツ人のように彼女にそれを質そうとは思わない。それは彼女の自由であるからだ。つまり彼に意思は、その自由を謳歌しているのと同じように、日本における非正規雇用者のワーキングプア―もその自由を謳歌しているとする見解であった。

なるほど、衣食住には困らないような生活は、流石に日本の程度の福祉程度でも、彼らワーキングプーアーでも可能だろう。だから、その「自由な選択」を尊重すればよいとする見解であった。確かに一理はあって、それは社会にフェアーネスが存在しているという証明があっての事であろう。まさしく日本社会の如何わしさはそこにあって、表面上の立憲君主民主主義における報道の自由などと同じで虚構化していることが問題なのであろう。当然のことながら、上の日本人は日本の報道のそれもフクシマ報道の真実を理解していなかったようである。

テプコの会見や官僚の東大話法に代表される巧妙さが日本社会における管理能力とされて、本当のエリート層が育たない原因となっているのである。



参照:
浮浪のおばさんとの再会? 2014-10-21 | 文学・思想
戦後レジームからの抑圧 2014-12-12 | 歴史・時事
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26CMで解決へのもう一歩

2015-03-15 | アウトドーア・環境
頂上まで、久しぶりに日曜日に、駆け上がった。35分5441歩なので、朝一番の記録としては悪くはない。曇天で正直あまり気乗りがしなかったのだが、金曜日の疲れのようなものが残っており、気持ちの良い週明けのためには運動が必要と思い重い腰を上げた。必ずしも記録への意欲なども無く、前回が比較的早かったのでどうしてもプレッシャーが掛かるのである。だから完走を目的に軽く流すつもりで走り出すと、ハイカーを抜くころになるとどうしても欲が出てくるのだ。悪くても35分は達成できる感じだからだ。前回とは違って足元は悪くはなかったが、同じ身なりでも陽が射さなく、湿り気がある空気で指が冷たい。若干様子が違ったのは、鼻での吸気がスムーズなって、ここ暫く困っていた鼻の抜けが良くなったことだろうか。それでも不思議なことに15分を過ぎる辺りで足に若干の疲れを感じた。こうしたことも久しぶりである。兎に角、頂上について急いで降りて来ると、登ってくる登山者が一挙に増えていた。

降りてきて、61分9478歩は前回とほとんど変わりなかったが、下りを飛ばした感じが若干数字に反映されていた。朝一と前回の悪天とが丁度相殺される感じだった。但し下りでの足の出方と腰の回転などがかなり良い感じで、下りに関して靴が新しくなって底が新品であればもう少し飛ばせる感じがした。帰って体重を量ると70.1KGでもう100グラム以上減量できれば、念願の60KG台へと復帰できることになる。今週の運動量と食事量などを考えれば、順調な減量であった。

就寝前に寝室で新しい靴「ソリューション」を履いてみた。今回は初めてあまり伸びていない下履き靴下を履いての試着である。前回に比べて、室内試着としては、また少し履きやすくなっていた。爪先の足の指を曲げて入れるボックスの部分に更に突っ込めるようになり、ラバーが伸びて密着するような感覚が得られた。踵は特に左足でまだ当たりの感じがあるが、室内で爪先に力を入れたり横向きの荷重をしたりと明らかに出来ることが増えてきている。

ネットを見ると二週間ほどの足合わせの期間が述べられているが、週明けには天気が良くなりそうなので、二回ぐらいは試せるだろうか。もう一週間でもう一息荷重できる可能性が増えれば本格的に使いだせるだろう。参考のために、他の靴の履き慣らしとサイズについて回想しておく。同じラ・スポルティーヴァ社の「刀」は、41EUを二つ購入していて、これは最初から痛みがほとんどなかったので、長いアルプスのルートの使用を考えていた。その後のスカルパ社の「ヴェローツェ」の41EUを室内壁用にまた24ピッチ登るために二足購入した。これは「刀」に比べると最初は爪先横が当たったが比較的楽な靴だった。それでも41ピッチの長さのルートを登った時には指先が陽に照らされて熱をもって、そして小指の上あたりが破れた。要するにツアースキー靴でも同じだが我が足の長さは26CMなのだ。

その次に購入したのは5.10社の「アナサジ・ヴェルデ」で紐締めだった。これは爪先が細く、踵から抑え込むように爪先を先端に入れていく。足の胴辺りが狭いのであまり足に合わないが、UK7つまり41EUを使っても最初から爪先が少々痛む程度だった。但し爪先があまり守られていないので岩に当たると痛いのだ。そして長く履いているとそこがやはり熱を持った。個人的には、後ろから爪先へと張力を掛ける感じの荷重なので、左右へのバランスも悪く、更に荷重方向もあまり多様性ではない感じが強かった。それは摩擦登攀においても同じなので綺麗な足場に足を置かないと安心ならなかった。

その後に購入したイヴォルヴ社の「ポンタスII」もUK7を二足選択した。これも最初は爪先を中心に先端のラバーに押さえつけられる感じがするが、痛みを感じるのは最初だけで履いているうちにあまり感じないようになる。踵も抑えられた印象がある。もう一足新品が残っているのでいづれ試してみよう。底を張り替えるようになると可成りボカボカになって、幾らでも長いルートを登ることが可能だ。

昨年購入したのが同じイヴォルヴ社の「シャマーン」で、これは大きめのUK8を購入した。確かUK7ぐらいまでは足が入ったが、指を曲げなければ入らなかったので敢えて大き目のを購入したのであった。オヴァ―ハング用に選択した靴であったが、ボールダーにも問題なく使えた。勿論とても快適で、「刀」よりも快適だったかもしれない。

ネットには、街履きの2.5EUサイズ小さいのが「ソリューション」の適切なサイズだとあるが、なるほど街履きには41EUを使っているが、トレイルランニングシューズはマムートの42EUを使っている。それの41EUも試したが足指の先端が当たるので止めたのだ。長い距離を歩く場合に不安で、また爪先が石などに当たりやすいのは向かないと考えたからである。勿論厚めの靴下を履くことも考慮してある。

そして今回購入した「ソリューション」は38.5EUだったのだ。爪先を立てて先まで押し込むのである。金曜日に眼鏡親方に見せると「ああ」と声を出した。流石に長さとかサイズとかには敏感に反応してくれる。



参照:
解決へのヴェクトル合力 2015-03-13 | アウトドーア・環境
笑窪が嬉しいダウントー 2014-01-30 | 雑感
ゴムの柔らかさを変えてみる 2013-03-27 | 生活
垂壁の5.10への米国製靴 2012-03-22 | 雑感
足に合うイタリアの靴型 2011-03-03 | 生活
渋い切れ味の刀への愛着 2009-07-08 | 雑感
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カモシカのようなしなやかさ

2015-03-14 | 
二三年ぶりにある女性に出会った。一度口説いたことのある女性である。もともと恐らく実年齢の割には若めの感じがしたのは、確かハンドボールの俊敏な身のこなしゆえだったのだろうか。だから彼女が州立機関のある専門ポストについた時に驚いたのだった。それでもその専門的な知識などは窺い知れることはあったのだが、若い感じがその実力を隠していたのかもしれない。

そのようなことで急いで口説いたときは、新しい仕事についてから一年も経っていないときであった。そしてそのときの彼女の対応がとても秀逸で、私にとっては唯一無二のものだった。決して美しい女性ではないのだが、さわやかさのようなものがあり、そこが魅力なのだが、更に少し落ち着いて雰囲気もよくなった。

仕事の関連で、ポストメルケルと目されるラインラントプファルツ州の保守党代表ユリア・クロックナー女史とも仕事をしていることから、「一体何時になったら政界に出るの?」と質問したら、即その意味を理解した。その反応の速さや頭の回転も抜群で、またそこが魅力の女性である。まだまだ広く活躍しそうだが、一言興味深いことを呟いた。仕事場がヴュルテムブルクなので「生まれ故郷だからいつも戻ってくるのよ」と。一体彼女はなにを謂わんとしたのだろう?

金曜日はミドルティーンの女の子と室内で登った。まだ半年ぐらいしか登っていないようだが、身が軽いので、男の子よりも上手い場合が少なくない年齢である。登るのがカモシカのように早いので、どうしても登る量が増える。漸くこちらも本格的に力が出てきているので、最後までその前の一本を含めて二時間以上登った。

こちらは民間の室内壁なので出来るだけトップロープで登ることを考えていて、無駄な怪我や無駄な動きを避けようとしているのだが、彼女の方はリードするのが楽しいらしく、それほど難しくないところをどんどんと登る。それについていきながら、時々難しいのを入れるのだ。そして、結局汗を掻いてふらふらになった。仲間のおっさんたちが苦笑いするのは当然であろう。それでも少なくとも彼女の登り方は、オーヴァーハングでもどこでも幾らでもこちらは出来る訳で、技術的には自由自在なのだ。しかしこのような動きを先十年ほどは出来ても、その後はどうだろうかと考えてしまう。

そしてなによりもミドルティーンの破竹の勢いの動きは改めて凄いと感じた。自分自身のその頃を思い出す。まあ、それをこの歳で再現しているのは我ながら凄いと感じる。クライミングに関しては、彼女が今の感じで登れるのはここ一二年の事だろう。そこに怪我などが付き纏う場合が多い。



参照:
中空に曝け出される意識 2008-10-18 | 女
闖入する手習いの町医者 2012-11-18 | 生活
5.13を登るフランケンの家族 2014-08-07 | アウトドーア・環境
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解決へのヴェクトル合力

2015-03-13 | アウトドーア・環境
氷点下で霜が降りていた。火曜日に続いて早朝走りだ。朝五時前に目が覚めたから出来ることである。誰もいないところを手をこすりながら走る。往路12分2032歩であった。往復しないときは11分で1800歩ほどで通過している。だからあまり良くないと思ったが、往復で24分3992歩と記録的なのだ。なるほど復路は早目からスパートが出来た。どうも往復では記録のようだ。

水曜日に注文した靴が届いた。早速室内で足を入れた。最初は片足づつだ。それでも足を入れてたつことが出来ない。痛くてたまらない。特に踵が収まらないので床に叩きつけて踵を収めるがしっくりこない、一時間のうちに左右を脱いだり履いたりと繰り返した。長く履いていることが不可能だからだ。それでもまだ立つことが出来ないのである。店頭で返品を履いていなかったら、この時点で諦めて送り返す準備をしていただろう。それでも数時間うちに何回か試しているうちに立てるようになった。こうなれば両足に着用して立ってみる。特に右足の踵はきっちりと収まるようになった。

そこで愈々ボールダーの現地へ向かう。予備の靴として持ち運ぶが、クラッシュパッドに座って履いてみると、それほど苦労しなくても履けた。それで色々とやってみるが長くは立っていられない。足を上に引っ掛けて見るがなかなか収まりが良い。全然悪くはない。長く履いていられないので早めに靴を脱いで次の場所へと移動していく。最もこの靴で解決しそうなアクセルシュヴァイスへと向かう。そこで靴を履いて試してみると、今までの靴のように無理して足を押し込まないでも軽く当てる感じでホールド出来るので上体の姿勢に余裕が生まれ、だから足元が良く見えるようになる。適当なところに押し付けると可也効くのだ。これならば解決しそうである。

足が痛くてたまらないので次の課題へと向かう。そこもとても小さな突起に足がかりを求めるので、今まで不可能だったのだが、ミクロの突起に合わせると何とかなりそうな気がした。しかし、低めの位置にある左右の手掛かりとの足の合わせ方が課題だと分かった。明らかに、今までとは違うのだ。

よく考えてみると、山靴やシュタイクアイゼンで登り、クレッターシューヘでこうして登って来たが、今まで足に立つということでどうしても足場につま先等を乗せるという加重の仕方しか意識してこなかったことにはたと気がついた。手掛かりに関しては自由自在に使う技術をここ二年ほどで身につけたが、足がかりを左右上下自由自在に使うまでには至ってない。要するに、飽く迄も上から下へのもしくはオヴァーハングの下で突っ張るという使い方しか使いきれていないことに気がついたのだ。

この靴が手袋感覚でフィットするようになれば、その手掛かりに合わせて自由自在に加重する技術を身につけることが出来そうだ。引力に反する力をベクトル的に作ればよいのである。これまでそれを意識することがなかったのはやはり足の加重方向の可能性が小さかったのが、こうしたハイエンドの靴で会得可能の技術と理解した。

その後、帰り道途上に違う解決済みの課題を試す。不思議なことに右足の踵を入れるときに鳴って収まっていたのが、左足でもなるようになった。徐々に足の形に形成されてきているようだ。少し試してみるだけで足場の位置を最初に設定しておかないでも適当に重心を移動できるのがわかった。とてもヴェクトルの向きを変えやすいのだ。上まで登ったので当然のことながら歩いてクラッシュパッドまで戻った。歩いて下れるではないか。その後割れ目課題をやったが、これはコブシ手掛かりがまだ自信がなく、足場も作りにくかった。

見えてきたのは、痛みがなくなってしっかり加重できるようになれば、とても可能性が拡大することだ。靴自体は、つま先部と踵部が分かれていて、その間には革とそこに張ってある薄めのゴムだけなので、そこが伸びることで踵が合うようになるだろう。つま先は、つま先ボックスに十分にボリュームがあるのでそこが痛むこともあまりなさそうである。



参照:
二度寝することなく早朝走 2015-03-11 | 生活
軽々しくギアーチェンジ 2015-01-29 | 生活
トレーニングでEQ向上? 2013-09-14 | 雑感
ソリューションの本当 2015-03-10 | アウトドーア・環境
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ライフスタイルに合わない

2015-03-12 | 生活
代車はメルセデスのBクラスであった。Aクラスのほうが安いのでそれが良かったのだが、人気があるから無くなっていたのだろう。前回は2012年に借りているようだ。それを読み返すが、その騒音に関しては全く異なって甚だしい。今時ディーゼルエンジンでもこれほど酷い音の車は無いであろう。そして借りた車自体が走行700KMに満たない新車そのものである。

実はマンハイムの地下の駐車場に停めて出ようと思ったときに、エンジンが掛からなくなった。電話をして、取り替えてもらう約束をした。そして地下で待っている間に更に試すとエンジンが掛かった。どうも理由はクラッチを完全に踏み込んでキーを回し切らないと起動電動モーターに電源が入らないようになっているらしい。その出来が大変悪い。

なるほど今回のものはエンジンも2リットルなさそうでひ弱だが、ダッシュボードあたりのデザインもしっくりと来ない。これならばフランスの会社の遊びの方が遥かに素晴らしく、とんでもないと思った。新車価格は二万八千ユーロぐらいで、さまざまな装備が付いている。

たとえばサイドミラーの警告ランプなども紛らわしく、視覚に邪魔になるようなディスプレーなど今までに乗った車で最も悪質なものだった。乗り心地もクラッチのつながりも悪く、ギアーを入れ替えるとロケットの切り離しのように鞭打ちになるような発射があるのだ。これほど繋がりの悪いクラッチならば昔借りたことのあるフィアットのプントの方が良かった。

正直、音だけでも日本車の方が価値があり、部品の集め方がとても悪く、嘗てのオペルの没落期よりも調整が悪い。どうしてこのような車を製造したのか分からないのだ。実はこの車の初期タイプをお隣さんが乗っているのだ。その人はEに乗っていて壊れたので乗り換えたのだ。余程そのEが良くなかったのだろうか。下取り値段に上乗せして購入したのだろう。

2014年のワインはかなり良いと書いた。ボディー感があっても酸が効いていて、2011年とは大分異なり、2008年よりも酸が構造的で繊細なので期待が出来るかもしれない。ブルグンダー種に関しては全く心配が要らない。

さて、グーツリースリングで、モスバッハ―醸造所はなにを示していたか?VDPの基準としてはそれなりにテロワールを示して尚且つ上級のリースリングへの興味を喚起しなければいけないのだ。前者の点では、石灰質の抜けの悪さのようなものが顕著で、個人的には傷だと思われた点がある。なるほどグーツリースリングに本格的なそれを求めるのはお門違いである。2013年のビュルクリンヴォルフのグーツリースリングが評価本で著しい高評価を受けていたが、なるほどその様々な地所の土壌感は示せていても、それ以上のものではなかった。要するに、ミネラルの質が一定しないときのミックスされたテロワー感であり、ただ酸が効いておいしいだけなのだ。VDPではグーツリスリングに美味しさを求めていない。重要なのは、本格的なワインへの興味を引き付ける素材の良さである。

なるほどモスバッハ―のグーツリースリングはビール代わりに食事を流し込む飲み物としてはこれ以上いうことはない。但し単品として楽しめるかというと、先ずややケミカルくさい香り以外にはほとんど鼻では楽しめないのだ。味も目視できる炭酸の粒など新鮮さ以外の何物でもない。要するにヴァイツェンビーアなら一ユーロもしない缶で楽しめるものが、グラス一杯で二ユーロ半を越している。そして何よりも高くつくのは、こうしたワインはどうしてもがぶ飲みになって、大事に飲まないから高くついてしまうのだ。この手のワインを三本飲むなら、12ユーロのワインを二本一年を掛けて味わいたい。要するに高くつくのである。

自動車でも市場は様々で、そうしたニーズがあるのは分かるのだが、個人的にはなんとも不可解な商品が存在していることがある。ワインの場合も現在のライフスタイルからして、もはやと思われることも多い。しかしよく考えてみれば十年前には今では考えられないような生活があったことも事実である。少なくとも五年前までは毎日のようにワインを開けていたのである。リッターワインを購入していたこともあったなと思い出すのだ。



参照:
新Aクラスのターゲット 2013-08-23 | 雑感
市場が見え難い車Bクラス 2012-08-14 | 雑感
なんと内容の濃い試飲会 2014-10-29 | 試飲百景
週末の走りと喉越し 2014-09-02 | 生活
初の13年ラインガウ試飲 2014-05-31 | 試飲百景
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二度寝することなく早朝走

2015-03-11 | 生活
三月になって初めて久しぶりに、沢沿いを往復した。それも7時前にパン屋へと向かったのは久しぶりである。それほど春らしくなってきたのだ。それでも長袖と長ズボンであった。肌寒さがあった。最低気温は零度だから仕方がない。何よりもそこに向かう代車の感じも悪く、レンタカーのキーがカタカタとなるのも気分が悪い。ちょっとしたことだが、とても気分に影響する。こうしたものを含めてのライフスタイルなのだ。往路は途中からエンジンが掛かって12分2100歩で歩数が多い。案の定往復で25分4070歩とまずまずだ。

マンハイムに車を取りに行って、駅前の公認会計士事務所に郵便を投げ入れた。丁度郵便局の車が二重停車していたので、その前に付けて同じように二重停車兼駐車をした。まるで大阪の問屋街のような風景だ。用を済まして帰宅する方向へとワイン街道の方向へと車を走らせる。燃料が切れているのでルートヴィッヒスハーフェンの安いスタンドにつけると、閉店になっていた。仕方がないのでBASFの本社前を通って次のスタンドへと向かう。

久しぶりに通ったので、保存運動があった戦後のモダーンな建物である本社ビルが完全に解体されていた。なるほどワイン街道からいつの間にか見えなくなっていたはずである。解体前にもう一度写真を撮っておきたかったのだがならなかった。結局次のスタンドで最低限給油して、オーガースハイムを通ってアウトバーンに乗った。オイル安で一時下がっていたほどには安くはないが、ユーロ安にわを掛けて再び原油価格が落ちたようなので、再び下降傾向にある。

予想していたほどにエンジン音が静かにはなっていなかったのには何か理由があるかもしれない。入れ替えてあるので粘度は下がっている筈だが、それほどではない感じがした。帰りにスーパーによって、いつもの買い物を済ませる。

先週の疲れだろうか、朝早く走ったお蔭で、指や筋肉痛などを強く感じた。疲れが溜まってきているのかもしれない。ここ暫く、夕食にアルコールが入ると床に入ってしまって、夜中三時ごろに目を覚ますことが多く、二度寝することも多かった。しかし今朝は四時まで寝ていたので、朝早く一っ走り出来たのである。



参照:
高品質にありがちな滑らかさ 2014-09-05 | 試飲百景
詰め込み過ぎで増えるもの 2015-02-20 | 生活
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ソリューションの本当

2015-03-10 | アウトドーア・環境
マンハイムに出向いた序に、クライミングシューズを試着した。ボールダーに使っていたイヴォルヴ「シャマーン」の底の張替えが必要となったからだ。また手遅れとなったので直すと元通りには戻らず、新しいのをもう一つ買うほどの必要性も無い。ボールダーには快適に使えたのだが、更なる課題には更なる靴が必要なのだ。ボールダー専用靴である。シャマーンは先端がちびっても、まだ本来の使用目的であった庇の下の足場には十分に使える。そうした足場の使い方も大分慣れてきた。

そこでネットを探してみると、ラスポルティーヴァの「ソリューション」というのが出てきた。可成り積極的に攻める靴のようで、可成り小さなサイズを無理やり履くような靴のようだ。街履きの靴の2.5EU小さなサイズ以下を使えとなっている。そこでそれを試してみた、先ずは38からだ。薄い滑る靴下を履いて足を入れようとするが踵が入らないので断念した。そこには39しかなかったのでそれを試すと今度は踵が入ったが、そのサイドががさがさとしている割には踵のあたりが痛い。爪先も痛くてまともには立てないのだが、決してベストフィットの感じではなかった。爪先が張り詰めていない。

店頭には、38.5がなかったのと、あまりにも足が痛いので、スカルパの「ヴァッポー」の39も試してみた。足は問題なく入り、何とか履けるが爪先の感じは荷重位置が曖昧で、鈍い感じがした。これだけ小さめを履いて苦労するほどの成果がない靴に感じた。なるほど普通のクライミングシューズとしては良いのだろうが、それならばイヴォルヴのポンタスIIの方が遥かにバランスが取りやすく、立ちやすい靴である。もしくはファイヴテンの方が良いか。もう一つロックパイラーを試すがこれは足形が細すぎて全く合わない。それにしても立つことも出来ないような靴では仕方がないと思ってため息をついていると、38.5の返品が提供品となっていたのが見つかった。室内で使ったと思われるそれに足を入れると入るのだ。それどころかフィット感が良くなって、十分に広がっている。

よくもここまで靴を広げておきながら返品するなと思うと同時に、それを110ユーロにしか割り引いていないお店の厚かましさも感じた。少々その広げ方に不安もあり購入するつもりはなかったが、とても参考になった。最初から足が入らない38は諦めておいても、これならばなんとかなると感じた。在庫があるというので無理やり仮予約となった。135ユーロである。

さて帰宅して調べると同じお店がネットで同じものを121ユーロで販売している。予約や電話などを待っているまでもなく先ずはこの価格で一足確保しておいた。店頭でもネット販売について聞いたのだが、その差額に関しては正直に教えてくれなかった。恐らく、店頭で売ることの業績を確保したかったのだろう。実質にはマンハイムの倉庫から店頭に持ってくることを意味するだけである。郵便の方は明朝に届くかどうかは分からないが、明日は天気が悪いようなので、それはそれで構わない。

むしろ更に安いネット販売で109ユーロを見つけたが、こちらの方は未知の販売者であり、電話が掛かってきたときに同じ店の販売ならば少なくとも客側としては全く問題なく断れるので、12ユーロの差額ぐらいは仕方がないと思った。少なくとも店に行って足を入れて購入すると、駐車料金だけで2ユーロほどは取られる。137ユーロは高過ぎる。そこまでは付き合っていられない。

要するにスポーツ用具屋が大都市の真ん中で店を構えようとすれば、自らの通販部門を含めてネットでの競争でも勝たなければいけない。しかし靴に関しては試してみなければどうしようもないので、やはり店頭販売が無くなってもらうと不便なのだ。そして今回のように伸びあがった返品があってとても参考になった。これも店売りの成果か?



参照:
新しい靴でボルダーリング  2014-02-14 | アウトドーア・環境
大きな成果は無かったが 2014-05-18 | アウトドーア・環境
笑窪が嬉しいダウントー 2014-01-30 | 雑感
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スローフードの塩辛さ

2015-03-09 | 試飲百景
今年初めてVDPプファルツで樽試飲が催された。その支部長であるレープホルツ氏の講話を聞きに行った。一回目の試飲は醸造蔵で行われたようだが、二度目は試飲室で行われた。先ずはピノノワールのロゼが出された。二週間前までは酵母と一緒にあって、そこから檻引きをして、こうして試飲される。2014年は春が早く、所謂五月の「アイスハイリゲの霜」の影響を受けていない。そもそもブルグンダー種のワインが、ドイツでは難しいのはこの春があるからで、南フランスのように簡単には出来ない。それでも2014年は良いブルゴーニュ種ワインが出来上がった。

酵母の影響があってまだ酵母臭があるが、四週間もするとこれは抜けるという。同時に肉眼では見えない自然の炭酸が残っているのがこうした樽試飲の特徴だという。それが爽快感を与える。次に供されたのが、同じようにソーヴィニオンブランである。いつものように糖を落とすことで、ロワール風のそれを誇る。ピーマンや西洋スグリの味に、パッションフルーツのそれが乗るニュージーランド風のそれを望んでいない。糖を残すかどうかでそこが変わるようだ。チーズっぽい味を一瞬感じるのは酵母臭の一種のようだ。

さて、いよいよ「オェコノミラート」のリースリングである。11%しかアルコールがないのだが、素晴らしい。ミネラル感と濃くが昨年より強く出ている。塩味だ。糖が残っていないなどとは考えられない濃くである。2013年のスパイシーさはないが、決して酸も悪くはなく、よくこなれた構造的な酸である。「フォン・ブントザントシュタイン」も更に濃くがあるが、若干柔らかすぎる感じもした。秋までの熟成を見届けたい。

ムスカテラーも流石に良い。ピノブランの酸が素晴らしく、レース土壌のものも幾らでも酌が進む感じである。

その前に、フォルストのモスバッハ―醸造所に出向いた。そこではグーツリースリングとソーヴィニオンブランを試した。流石にブルゴーニュは今年は良い。これに関しては自宅で飲んでから紹介しよう。

先ずは、日本からのお客さんを連れてビュルクリン・ヴォルフ醸造所で2013年を中心に試飲した。先方が用意していたようで、「キルヘンシュテュック」を二種類試飲できた。2009年と2011年だった。前者は驚くほど色がついていて、ぺトロール臭があった。2003年ほどではないだろうが、日焼けのストレスがあったのだろう。正直驚いてしまった。2011年はそのような傷はなかったが、繊細さに欠ける年度のリースリングである。しかし、これで2011年も徐々に飲み頃になってきたような感じがした。

結局その前に試した2013年の「ウンゲホイヤー」が最も素晴らしかった。直接に「ランゲンモルゲン」と比較すると、酸が弱いが、そのスパイシーさは見事で、昨年の九月の試飲会以降の成長を感じた。これは金があれば買ってもよいと感じた。しかし、90年代にワイン街道に住んでいたお客さんは、とてもこの懐かしいウンゲホイヤーの味とともに、ドイツワインの大改革に当惑していた。それは価格だけではない。勿論その評価の仕方やコンセプトの変化である。なるほど90年代はまだごく一部の醸造所しかビオデュナミーもビオワインも目指していなかった。当時はまだ不凍液騒動の余波があって、またチェルノブイリ禍の反動のスローフード化も模索中であった。当然のことながら、先駆者のビュルクリン・ヴォルフ醸造所でさえブルゴーニュシステムどころか、グランクリュも2007年まで待たなければいけなかった。要するにシュペートレーゼなどの糖価による等級も存在していて、アインツェルラーゲンの地所がワインの名前として表に出ていたぐらいである。

その後、怒涛のごとくのビオ農業化とケミカルを使わない高級ワインへの道程が本格的に始まったのである。要するに浦島太郎状態になってしまうのは致し方がない。地元に住んでいる人たちは熱心にならなくとも色々な話から等級付けやその農業の在り方を肌で感じている。しかし、地元に住んでいない限り文献等で知識から方針を理解しなければ分からなくなる。このブログでもVDPの方針は直接説明してきたのだが、なるほど昔のドイツのワインを知っている人ほどその落差が大きいとは気が付かなかった。日本の反応をネットでみていてその分かり難さが十分に理解できなかったのだが、こうして直接体験したのは初めてだった。そもそも知識から入っている人は知識としてアップデートしていけるのだが、体で覚えている人にはあまり有効な情報を出せていなかったのである。



参照:
熟成する力関係の面白味 2008-05-30 | ワイン
伸び代に先払いする飲み代 2009-09-16 | 試飲百景
隠れビオデュナミニに驚愕する 2010-05-09 | 試飲百景
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パンチの効いた破壊力

2015-03-08 | 文化一般
ミュンヘンに問い合わせしていたティケットが入手できた。ナチョナルオパーでの「ルル」の初日である。このオペラの未完成版はザルツブルクで体験したが、主役の歌手シェーファーのあまり見たくない顔が大写しになるような演出で興醒めして、ドホナーニ指揮のヴィーンの劇場管弦楽団の演奏もあまり感心しなかった。理由は補完版のパリでの録音がとても強い印象を与えていたからである。なるほどこの指揮者の統制する軽やかな管弦楽団はそれはそれで素晴らしいのだが、やはりこのオペラやこの作曲家の音楽にはそれなりのパンチ力と破壊力が欠かせないのである。

うかうかしていて問い合わせが遅れたのだが、64ユーロのまずまずの席が確保できた。今度は、視界が効かない席を総譜席もしくは聴席というらしいが、それはやめて貰った。折角の新演出の初日であるからこんどは演出家チェルニアコフの仕事ぶりも見極めたい。歌手陣はあまり知らないが、暮れの「影の無い女」でも平均水準は流石に高いのはミュンヘンのオペラの地位でもあるのだろう。管弦楽団は、バイロイトで成果を示したようにペトレンコ指揮のもとでは全く不安が無くなるどころか、今までは聞けなかった音楽が奏でられるのを皆が期待するのである。バイロイトにおいてもピエール・ブーレーズのそれをいとも簡単に乗り越えてしまっていたのだが、さて今回のアルバン・ベルクではどのようになるだろうか。指揮者ペトレンコは、三十歳代であるのにも拘らず病気のためにキャンセルすることの多い指揮者で、2007年にはヴィーンの国立歌劇場公演を、昨年12月5日に次期監督への面接試験のようなベルリンのフィルハーモニカ―とのマーラーの六番をキャンセルしているなど、背中の痛みをキャンセルの口実に上手に使っているようである。その証拠にミュンヘンでは再演を熱心に振っていた。

春の月を写してみた。新しく入手したサイヴァショットでの撮影である。プログラムの細やかなつくり方やそのコンセプトはまだよく分かっていない。色々と試してみるとこうしてある程度写すことが出来た。三脚がないので窓枠に乗せての撮影であるが、予想以上にズームの揺れを抑えてくれる。コムパクトカメラでこれだけ地形が分かればまずまずではないだろうか?



参照:
竹取物語の近代的な読解 2014-12-31 | 文化一般
心躍らされるお知らせ 2014-09-23 | 雑感
意味ある大喝采の意味 2014-08-06 | 文化一般
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オーヴァーヒートさせない

2015-03-07 | アウトドーア・環境
今年最初のボルダーは全然駄目だった。途中で力が尽きた。使い慣れていない筋肉と、冷たい風が堪えた。十分に晴れていたので前夜の雨は殆ど乾いていた。それでも冬は雪の滴が垂れていたところからの水滴が顔を打って戦意を喪失させた。体の動きは悪くないように思えたが、もう一つ慣れが無くなっている。それに靴の先がすり減って駄目になっているので、気力を無くした。新しい靴の購入を考えている。ボールダー専用靴である。

翌日の朝走る時間も無く、寒さが押し留めた。日差しの割には一日中肌寒くて、頭が痛くなりそうな夕方、走りに出かけた。金曜日のパンを購入してから、密かに狙ったが、月曜日の山登りのようにもう一つ意気が上がらなかった。それでも踏ん切りをつけて走り出す。テムポもピッチも悪くない。早めに息を整えて走り続けると、なかなか順調なペースで走れることが分かった。これならば20分からそれほど遅くなることはないだろうと見当がついた。

最近の特徴として、以前は走り出しに感じた足などの不調は全くなくなり、走り出しに考えるのはそのテムポで最後まで走れるかどうかの心配なのだが、それが徐々になくなってきている。それは同じコースを走り慣れたからだけではなくて、高度差千メートルならばこれぐらいとかの計算が出来るようになったからで、走ってもある程度のテムポ配分が出来るようになってきたのだ。つまり域使いなどで、無酸素運動になって足が動かなくなるようなことは無くなり、あり得るのはオーバーヒートだけで、これは確りと管理すればどのような斜面でも避けることが出来るのだ。少なくとも月曜日の山登りコースの急坂程度ならば配分が出来る。

そこで、結構飛ばして吹かすこともそれ程押されないでもよくなった。問題は最初から最後まであまりテムポを動かさないことである。そのテムポ感と、それほどピッチを調整することも無く、中間部までやってきた。一番辛く感じたのはそこで、そのあとは峠を目指して逆算する形でテムポを保った。そして殆どテムポを下げることなくゴールまじかとなったので、最後の吹かしをした。万歩計を見ると18分3009歩である。前回一月に19分3075歩、その前が九月の19分3099歩なので、完全に我が最高記録である。歩数からするとタイムも一分近く短くなっているかもしれない。長いパンツで、フリースを羽織った形での記録達成となった。

なるほど峠を下りだす時は少しは苦しかったが、直に息は落ち着いた。降りてきて、33分5220歩もそれほど悪くはない。但し足元の疲れは若干あった。月曜日に続いての走りであるから、それは仕方がないだろう。連日のように可成りの標高差を熟すことはスキーツアーである程度自信も付いたので、その点でもあまり不安は無くなった。車の中で心拍数を計ると108であった。下りの間に息が整っているのだろうが、以前からするとこれも大分落ち着いた値になってきている。

この春でどれぐらいの筋力を付けることが出来るか。怪我をしない範囲で試してみる価値はありそうだ。前日から昼食に掛けて炭水化物を多めにとっていたので、体重は71KGにしか落ちていなかったが、懸案の食欲はこれでまた出てきた。少ないタンパク質に対して炭水化物の摂りすぎかもしれないが、現在結果が出ていることを考えればもう少しこのような按配で進めてみよう。本格的に筋力を付けることになるとまたタンパク質主体の食事になるのであるから。  



参照:
ずぶ濡れで五合目の感じ 2015-03-03 | アウトドーア・環境
情報量の微分係数への思い 2015-01-05 | 生活
胸がパクパクする運動 2014-11-24 | アウトドーア・環境
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皆に課された責任

2015-03-06 | マスメディア批評
ロシアの野党指導者暗殺事件に関してヴァイオリニストのギドン・クレメルが新聞文化欄に書いている。この名人の最近の活動は知らない。最後にピアニストのアナファシスト(どうもマイセンベルクだったようだ)とのリサイタルに出かけたのはフライブルクの小さな会場で四半世紀前のことになる。冬の寒い夜だった。ゴルバチョフの時代だったろうか。だからその後の演奏活動の「仲間たち」などには関心がなく、今回も肩書が指揮者にもなっているが、演奏家活動の方はどのようになっているのかも知らない。ただし、この新聞には時々エッセイを書いていた。

今回の事件を受けて、「ロシアを愛し、自由を愛す正直者は黙っていられない」と書きはじめる。「野党政治家の死は決して偶然でも単純な示唆行為でもない」と断言する。警察当局が故人宅のがさ入れをしたことやクレムリンからの監視VIDEOの存在は知っているが、報道では断言できることはないので、政府の関与の有無に関しては多くの読者は確証をもてない。そうした中で、ここでは「これは嘱託殺人」であり、事件の経過だと明確にする。「国粋主義と不安の心理の社会の中では、肯定的な意志や思想は行き詰るとして、市民社会では極一般的な当然の自らの見解が無くなっている社会」を描く。つまり、政治的な殺人や、ばれるとばれないに拘わらず嘘が日常茶飯が放置されている国は、たとえその歴史的な偉大さに拘わらず、尊敬などはされないと嘆くのである。

故郷で起きることに対して責任を持つのは、決して一人の市民や一人の為政者ではなくて、皆に課された責任であるとして、殆ど「耐えられないまでの問いかけ」をする。なにをするのか?ゾンビのようなTVを見るのではなくて、自らの意識に従え!かくれんぼをしている場合ではないぞ!意識も何もないなどと思い違いをするな!

「人命よりも価値のあるものなどはない。ボリス・ネムゾフの悲劇的な死に償いするのは、犯罪者だけではない。彼の運命は、彼を護れなかった皆に射す影そのものなのだ」と力強く結ぶ。



参照:
Am Abgrund, Gidon Kremer, FAZ vom 3.3.2015
若手女教授の老人へのマカーブル 2010-03-19 | 音
日本右翼保守政権の計略 2014-12-14 | マスメディア批評
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石灰が詰まるか、花崗岩か

2015-03-05 | 雑感
中国からの旅行者が日本で沢山お買い物をするのはよく話題になる。炊飯器やドライヤー、便座などが人気商品らしい。そのなかでビデ付の便座は持ち帰ったシナで思うように使えていないことが多いらしい。そのようなことは日本のメディアでは読んだことがなかったが、実はシナは硬水が多いので石灰が詰まって上手く使えないらしい。

如何にも日本の商品があまりに微妙過ぎて日本国外では使いにくいよことがあることがここでも示されている。欧州でも日本のそれをまねたシステムが昨年度から市場を開拓しているようで、日本のそのものが使いにくいことで、日本製がそのまま市場を築けなかったことを示している。

アルザスのリースリングを開けた。コルマーのス-パーで購入したルネ・シュパールと称する地元の花崗岩のワインである。その時は、花崗岩を登って来た後で喜んで購入して、最後の一本を大切に置いておいた2009年物で金メダルを獲得している。決して悪くはなかったが、特に新鮮な感じは初めからなかった。理由は、そのミネラル風味と酸の出方が2009年風で華やかさがなかったからだろう。それでもこうして寝かしておいて、それほど悪くはなっていなかった。寧ろ2009年産の割には楽しめた。兎に角、ミネラルが独特で、ドイツではバーデンと同じ土壌である。しかしデュルバッハにしても二十年前に訪問した時には、ドイツのリースリングはそこまで綺麗にテロワーを出していなかった。そして最近花崗岩質を研究するようになってから、再びその土壌のリースリングが気になるようになったのである。そしてドイツの最近の成果がどうしても知りたくなったのである。今年は岩場の帰りに訪ねてみよう。

なるほどアルザスのリースリングは、シュペートレーゼ的なつくりで、アルコールも13%と高く、決して繊細ではないが、ボディー感があり、味も強い。現在のドイツのそれが香りなどに象徴される繊細さならば、ちょうど二十年前とはその立場が入れ替わった感がある。要するにドイツのよいリースリングは葡萄を過熟性をさせないのが基本である。



参照:
パンツとシャツで走り廻る 2014-11-08 | 歴史・時事
Ich war noch niemals in NY. 2012-10-22 | 生活
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「そこで聞くこれが最後ね」と

2015-03-04 | 
週末からの2014年産ワインの本格的なシーズン始動に備えて、2012年産の資料を整理した。大体一年分で大きなファイルが一杯になる。過去のことに目を向けている暇はない。2014年産は2013年産よりも2011年産のように熟成度は高いが、とても酸が良いようだ。2013年産の繊細を超えることはないようだがボディー感のある本格的なリースリングに出合えるかもしれない。週末は各地で樽試飲が催される。VDPプファルツでは初の試みだ。どこの醸造所に出かけようか思案しているが、2014年産はまだ若いので殆ど購入することはないであろう。それでもここで傾向を見ておけば、2015年の購入計画が大体たてられる。

また週末に日本からのお客さんが来る予定なので、お土産用の購入に関しても物色して、少し話をつけておいた。限られた時間でスマートにスムーズに選択出来るようにするためだ。その足で、どこの樽試飲に出かけるかである。グーツリースリングを販売している醸造所もあるが、最近は本格的なリースリングに関してはあまり早飲みの価値がないことにも気が付いてきた。要するに分解した酸の場合の新鮮さもさることながら、そうした醸造所の場合どうしても酵母臭さなどの否定的な要素が隠せない場合が多いからである。最近はこう品質なリースリングばかりを物色しているので、酵母臭や亜硫酸臭があるととても喉を通らなくなってしまったのである。例えるならば、喫煙の煙を何とも思わなかった非喫煙者がそれから離れてしまうと、たばこ臭さにとても敏感になってしまうことに似ている。

YOUTUBEで日本の山スキーVIDEOを観た。ゴープロで撮影しているようだが、見ているうちに気分が悪くなった。理由は、低山の藪山などを滑っている感じは、木などが迫ってくるだけでとても視界が狭く、正直鬱陶しいのだ。普通に撮影しているならばそのような感じはしないが、ゴープロの写り方が面白いと感じるのは最初だけで直に草臥れてしまう。恐らくあの手の撮影方法は今後も素人撮影として使われるが、それほど定着しないと感じた。

藪山のスキーはスピードも出せないだけでなく、森林を滑るとの同じく視界が狭いので爽快さが皆無である。日本にも素晴らしい斜面は数えきれないほどあるのだろうが、森林帯の上部となるとどうしても場所は限られてしまうのだろう。苦労して登ってもそのような滑り方では何か報われない感じもある。反面雪崩の危険が少ないだけでも良しとするかであろう。昔から山スキーの紀行なども読んでいたが、こうしてヴィデオを観ても中低山でのそれはよく分からない。

自分自身マイスキーを手に入れたら、どこに行って試走してみようかと考える。雪の多い季節ならばシュヴァルツヴァルトなどでも試してみる場所はあるかもしれないが、春になればやはりアルプスまで行かなければ駄目だろう。いくつか候補はあるが、重要なのは駐車場から直ぐにスキーを履けるようなところでないと下って来て車まで歩くのも億劫である。やはりある程度の高度の駐車場から始めなければ駄目だ。

迷った挙句、SWF放送管弦楽団の最後のフランクフルト公演のティケットを購入した。日程が密なので結構厳しいが、当日自宅にいるのが辛くなるだろうと思って、兎に角購入しておいた。30ユーロを超えるので安くはないのだが、二部が無料で新しい曲を音楽監督のロースの指揮で聞けるのも楽しみだ。但しその前にマーラーの第六交響曲をメッツマッハーが指揮するので耳が戻るかどうかが疑問である。

兎に角、バッチをつけて当日は参上することで、文字通り名残りを惜しみたいのだ。新旧音楽監督以外の指揮では聞いたことがないので、どの程度の合奏をするのかも聞いてみたいのだ。アルテオパーのホールをどれぐらい鳴らせるのか?メッツマッハーの指揮も精々アンサムブルモデルン演奏ぐらいしか知らないので、大管弦楽団を上手に振るのか興味津々である。



参集:
なごり雪 イルカ、 
なごり雪 - イルカ、南こうせつ、伊勢正三
イルカ&南こうせつ なごり雪 (YOUTUBE)
無知蒙昧の大鉈の前に 2012-02-23 | マスメディア批評
ずぶ濡れで五合目の感じ 2015-03-03 | アウトドーア・環境
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ずぶ濡れで五合目の感じ

2015-03-03 | アウトドーア・環境
日曜日に走れなかったので、月曜日の夕方に頂上まで駈けた。前回は一月だった。親子連れのMBXが先を行くのでそれを追いかけると直に追い越してしまった。追い越せば再び抜かれる訳にはいかない。振り向くことなしに走り続けると風と共に雨が降ってきた。本格的な嵐模様になってきたので、断念することも考えて緑のベンチで万歩計を見た。15分2355歩だ。これは殆どベストに近い。雨脚が強く突風性の風が吹き荒れたが、ここで自転車に抜かれたくはないので先を急いだ。益々嵐模様だ。幸運にもあまりの暖かさゆえにパンツを脱いでショーツ姿だったので、パンツが足に纏わりつくことはなかった。それでも帽子も被っていない頭はずぶ濡れだ。もし上着にフリースを置いてTシャツで走っていたら凍えていただろう。実際頂上部は雪交じりの霙が横から降ってくる悪天候となった。今シーズン雪道を走ったときに並ぶ悪天候の登頂となった。35分5275歩はこの足元の悪い中での記録としては貴重である。ずぶ濡れにならないうちの急いで下山するが、冷えが直ぐに足の筋肉を強張らせた。それでも頂上部を降りて来ると風も収まり、雨も上がった。その後は調子が良かったので25分で降りれるかと思ったが、61分9468歩だった。

一月もマウンテンバイクを抜かしたと思うが、最近は抜かすことが多くなってきた。MBXは移動手段として魅力があるが、いよいよスポーツやトレーニングとして非常に疑わしく思うようになってきた。それは、スキーで登ることがいかに早く合理的であるかが分かったことで、あれだけ重い自転車で登るのは不合理であることが分かったからだ。モーター付きのそれが買えない妬みが混じっているのかもしれないが、モトクロス的な楽しみ以外に山を登るスポーツとしては正直興ざめである。下りもスキーの方がはるかに速い。

腰をかばいながら下ってきたが、心臓の弁がとれたように何か歯車が簡素になって走るのが早くなった。とても不思議であり、健康状態が大丈夫なのか心配になるほどだ。天候さえよければ34分は切れていたと思う。明日の朝、体を慣らしに走る時間がるかどうかは分からないが、今晩は風呂にでも浸かって体を温めてやるのもよいかもしれない。

ここにきて我が運動能力強化十年計画も予定よりも早く五合目に来たような気がしている。十代のころの思い通りに体を動かせる喜びなどは分からなかった。F1運転どころではないダイレクトな吹上感だ。それは当然かもしれない。三十歳ぐらいまでは身体が変わる。実際にはその後の変化の方が大きいのだが、ここまで来ると放っておくと退化するだけである。だから五年十年と時間を掛けて体を作れるのである。十代の五年はあまりにも変化があり過ぎ、二十代は時間も無くなる。やはり十歳になるまでに運動をしておくべきで、十代はなんとなく繋げばよいと思う。



参照:
抑制不能の衝動の確信 2015-01-09 | アウトドーア・環境
ネット相性診断を試す 2014-12-08 | 生活
初結ところの親爺さん方 2015-01-17 | 暦
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