Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ハイデカーの辺境地の都会化

2015-03-02 | 文化一般
予想していたように降っていなかったので、久しぶりに頂上まで走ろうかと考えた。しかし暫くするとお湿りがあったのでやめた。それに予想外に肌寒かった。それでも土曜日から日曜日に掛けて一月ぶりに快眠した。二月は熟睡した気がしなかった。それで体調つまり調整力が戻ってきた。健康になればいつでも走れる。

バーデン・バーデンの復活祭音楽祭を考えているうちにSWR放送交響楽団の事が気になりだして、日程やカレンダーなどを調べた。どうも今月下旬のアルテオパーでの夜が最後のフランクフルト公演になるようだ。行きたいと思ったが、日程が詰まっていて何とも言えない。ミヒャエル・ギーレンが視力悪化から指揮棒を折ったことは知らなかったが、その代演に指揮者メッツマッハーが登場するようだ。その後の小さなコンサートとともに興味深い。正直、昨年のザルツブルクで話題となったギーレン指揮のマーラーには疑問が多かったので、ご本人が予定通り指揮するとなっていたら余計に迷ったに違いない。さらに調べるとお別れコンサートがマンハイムなどの各地で開かれていて、それでも圧倒的に本拠地のフライブルクが多い。これも序にシーズンの終わりに行けるかと思う。それにしてもあれだけのコンサートホールを立てながらホール付の音響体が消滅すると、ホールは只の箱以上の文化的な意味を消滅する。フライブルク市民はもっと運動すべきだった。

肝心のバーデン・バーデンでの演奏会はブーレーズのものが最終だったようで、これだけは聞き逃さないでよかった。ラディオ録音で同じんだったこの管弦楽団を初めて聞いたのはフライブルクの音大の大ホールだった。アルゲリッチとの協奏曲とギーレン指揮のシェーンベルクのプログラムだった。指揮者としてのミヒャエル・ギーレンの終わりと管弦楽団の終わりが前後するとは思ってもいなかった。

フライブルクの哲学科の椅子に収まる若いギュンター・フィガール教授が大学とその椅子を巡って争っているようで、その背後にはこのハイデカー協会会長の2010年以降の新しい研究の成果が問題ともなっているようで、ナチ協力者で反ユダヤ主義者としてのこの哲学者への評価と、世界中から喜んで集まる学生の哲学科のその椅子への威光と関連しているらしい。そしてその前任者フッセールが最後には住居を追いやられて、フライブルクで亡くなると言うナチの歴史にも拘わっているのだとなる。まさしくフライブルクが、ハーバーマスが評するようにハイデカーの辺境から都会化するということの意味なのかもしれない。



参照:
高みから深淵を覗き込む 2006-03-13 | 文学・思想
哲学教授と為らず聖人に 2006-03-18 | 女
技術信仰における逃げ場 2007-11-06 | 雑感
十二音の対位法の映像化 2013-12-20 | 音
嘗てのモダンなクラシック 2013-08-26 | 文化一般
辺境のバーデン・バーデン 2015-03-01 | 文化一般
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辺境のバーデン・バーデン

2015-03-01 | 文化一般
復活祭音楽祭の券を追加注文した。一年前に「ばらの騎士」初日を発注したが、今もベルリナーフィルハーモニカ―公演の券が大分残っている。一月前にこれほどの券が残っているのは有名管弦楽団の演奏会では珍しい。当時は2015年のカレンダーも無く予定がたたなかったので購入しなかった「ファウストの劫罰」もほとんど残っている。理由は分からないが、「ばらの騎士」の売れ残りも予想以上に多い。ラトルのオペラ指揮への批判も響いているのかもしれない。しかしこの指揮者がこの音楽祭で主役を務めるのも残り三年ほどしかないのである。後任の指揮者がキリル・ペトレンコぐらいになればオペラの上演の質が上がり、更に興味深くなるだろうが、交響楽団のオペラは副次的な特別な出し物であるには違いない。

作曲家ベルリオーズがバーデン・バーデンで指揮したと知って、またこの曲を何時生で接することがあるのかなと思うと、安いティケットに飛びつくしかなかった。65ユーロは決して安くはないが、ベルリンでもこのような曲はあまり聞く機会はなく、ご近所で演奏されるこのような機会を逃すわけにはいかないのだ。30ユーロの差額では済まないだろう。合唱はシュトラスブルクのでも良かったかもしれないがシュトッツガルトのそれも決して悪い筈はないであろう。

音楽ジャーナリストの追悼記事があった。FAZに長く係わってきた音楽評論家ゲルハルト・ローデである。年に一万キロもイヴェントを求めて旅していたというが、最後に訪れたのはバーデン・バーデンでのブーレーズ生誕九十年祭だったようだ。その時も足元は既に覚束なかったらしいが、享年83歳である。結局その記事は投稿されなかったようで、SWRの同管弦楽団の解散合併に反対活動を盛んに行っていたキール生まれの北ドイツ人としては心残りだったかもしれない。SWR放送管弦楽団がシュトッツガルトのそれとして合弁されても殆ど芸術的な価値は生じないだろうが、文化的な過疎地である黒い森のアルマン地方の観客動員数などが上述のようであれば、経済性からして困難であるのも頷ける。

機器のあるなしに拘わらず所帯や事務所ごとに強制的に視聴料を徴収される連邦共和国の公共放送機構であるが、「管弦楽団を潰すのは、教会を潰すのに等しい」とするほどの社会的な意味があるかどうかは分からない。ミュンヘンには東京のような立派な管弦楽団演奏会場は存在しない。東京を見習って、そのような公共投資が出来るのかどうかも、実は疑わしい。



参照:
主の居ない打ち出の小槌 2015-01-26 | 音
軽々しくギアーチェンジ 2015-01-29 | 生活
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