Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

時の管理の響き方

2016-09-16 | 
承前)ベルリンのフィルハーモーからの中継を見た。デジタルコンサートホールの無料クーポンを使っている。ミュンヘンの座付管弦楽団のヨーロッパツアーの一つの山として開かれたものだ。ボンでの演奏会との相違は後半のチャイコフスキーの五番の代わりにシュトラウスの家庭交響曲が演奏されたという事だろう。この演奏会に関しては改めて書こうと思うが、その番組の中で通常は挟まれる指揮者のインタヴューの代わりに管弦楽団の宣伝映像と今回の演奏旅行中の映像と、そしてボンでPVのためにコンサート生中継したドイツェヴェレによるインタヴュー映像が挟まれた。

興味深かったのは中堅ヴァオラ女性奏者へのインタヴューで、この楽団の特徴を述べるところだった。それによると、「多くの古いドイツの楽団のように音出しが遅れることと、その音色が比較すると明らかに暗く、口当たりがよいぐらいだ」という事だ。最近ではポーランド人の指揮者マレク・ヤノフスキーが「そのような特徴は無くても良いこと」と溢していたようだが、彼女に言わせると「気を溜めた感じのように合わせることで音のパワーに繋がる」という事らしい。

前半二曲目のフランク・ペーター・ツィンマーマンをソリストに迎えたバルトークの協奏曲は、ボンでは会場の音響のゆえに鳴りが悪かったのだが、少なくともベルリンのマイクロフォンは上手に捉えていた。アンコールのバッハの無伴奏が示すようにこのヴァイオリニストはユリア・フィッシャーのように充分に新しい世代ではなくて、その音楽は古臭い。それ故にか余計に伴奏をという風に聞こえるのだが、それはそれなりにベルリンでは演奏回数が重なってスリリングな競演となっていた。

今回ボンでの演奏会を経験して、またベルリンでの過去のアーカイヴを繰り返して視聴して、キリル・ペトレンコが演奏会指揮者として示したその特徴は、先ずはそのプログラム構成にあって、あの運動量の多い指揮は頸椎を痛めるだけでなく一回の演奏会においてもメリハリを付けなければ不可能な行為であるという事で、管弦楽団にとっても同様に要求されるという事だろう。シュトラウスはチャイコフスキーほどでは無かったからか、バルトークでの追い込みの激しさはベルリンでは顕著で、あの後に休憩を挟んでチャイコフスキーのスリリングなそれを持ってくるのは難しく、全体のドラマトュルギーと実質的な集中力などのマネージメントが重視されたとなるか。反対に、チャイコフスキーが控えている中では前半の可能性が変わってくるという事であり、これはミュンヘンからの生中継があるのでそれで確認できるだろう。

歴史的な管弦楽演奏会の実践、少なくとも職業指揮者が出現してからのそれではそのようなプログラミングや時間配分などのマネージメントが存在していたのではないかという思いと同時に、そうした現実的な興行的な実践以上に芸術的な関心が沸き起こった。これについては期間の残っているクーポンで他の映像などを見乍ら更に考察しよう。

ボンでのコンサートで指揮者が登場するなり、隣の孫娘と一緒の婆さんが呟いた「ちっちゃ」、そして休憩後にチャイコフスキーの第一楽章が終わって「興味深い」と呟いた。私はこれらの素朴な反応を聞き逃さなかった。こうした反応の積み重なりが一同のスタンディングオヴェ―ションに繋がるのだ ― 勿論ベートーヴェンハレの平土間は椅子を並べているだけで、舞台にも起伏はないから前で立たれるとほかにどうしようもないのだが。(続く



参照:
楽譜から響く管弦楽サウンド 2015-06-24 | 文化一般
寂しき春の想いなど 2016-04-06 | 雑感
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身体に堪える今日この頃

2016-09-15 | アウトドーア・環境
予報通り、稀な残暑が続いている。夜間の冷えがあるのでそれほど暑くは感じないのだが、気温摂氏30度を夕方になると軽く超える。それも陽が陰るまでの四五時間が限度である。だから暑くて堪らないという人はいないだろう。個人的には心臓に堪えるというか、息苦しさがある。特に朝のランニングは厳しい。そして一番厄介なのは部分的に山の疲れがあることだ。また部分的にはそのあとの石切り場で余計に疲れを溜めた。

そのような背景があるものだから余計に走れば走る程疲れが溜まるような傾向もあり、自宅の階段を登るのにも息苦しくなるところを走るのだから、記録は望めなくともある種の限界にチァレンジしているようなところがある。朝の森はなるほど摂氏20度に至らないばかりか、ひんやりとした空気も残っていて気持ちが良いのだが、陽射しがあると暑さを感じる。それでも沢往復のコースで、片道150mほどしか照らされていないのは、陽射しに角度が強くなっていて、直ぐに森に隠れてしまうからだろう。この時期の森は春とは違う光が美しい。

二週間前のアルゴイでの最終日に一日中GPSを入れてみた。興味は壁の中でどのような標高を示すだろうかという事だった。それほど大きくない壁で、傾斜もそれほど急峻でもなくても綺麗にマッピングされているとは思わないからで、GPSの届き方も興味あるところだ。

結果を見てみると、速度などは全く宛てにならないが、標高に関しては取り付き点と終了点で帳尻を合わせていることになって、その間も微妙に動いている。途中で尾根上の渡り廊下的な場所もあったので、そこでの動きも反映されているようで、時間軸に沿って観測するとなんとなく辿ることが出来そうだ。つまり全くいい加減なことにはなっていない。肝心なのは標高で、登攀最中は確認しなかったが、取り付け点での標高低下を除いては自然な感じで上昇しているのである程度はGPSが正しい値を捉えているようだ。もう一つは、所謂一人づつがリードを順々に代わっていく釣べ状の登り方をしているので、その都度速度に山谷が出来ているようでもある。しかしなぜ確保中の速度が零になっていないのかは分からない。これもGPSの帳尻合わせの仕業のようだ。

もう少し研究してみたいが、ある程度の標高が提示されているとすれば、従来の気圧高度計との併用でより多くの情報が得られることになる筈だ。壁の標高差が大きくなればなるほど重要になって来る。特にアイスの壁では大きな目印となるからだ。

キノコの季節で、三十年の半減期を迎えたチェルノブイリの影響を社会面に載せている。それによるとキノコの種類によっては今でもキロ当たり3000bqを超えるものがあり危ないという。これ200グラムの摂取で、一度のレントゲンや飛行の外部被曝に相当するという。その一方でキノコの種類によっては全く問題が無くなってきているという。つまり一桁台のbqという事だ。ドイツの森は現場から2800kmも離れていたが、降雨によって数百メートル単位で汚染に大きな差が出た。勿論フクシマによる関東圏とは大きな差がある。

先日も日本のネットは「外部被曝と甲状腺がんの因果関係無し」との記事が出ていたが ― そもそもこうした疫学調査をしている専門家の資金の出所が知りたい、当然であろう。これは逆に如何に雨が降らなくても口や鼻から直接ヨウ素を吸引していたかという傍証である。少なくともそれぐらいのコメントは載せるのがまともなジャーナリズムだろう。一度被曝すれば、不可逆なものでそれがどのように出て来るのか出てこないかの相違でしかない。



参照:
収支決算をしてみる 2016-09-08 | 生活
木に纏わる汚れの数々 2014-05-01 | 暦
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管弦楽演奏のエッセンス

2016-09-14 | 
開演一時間前から楽曲のオリエンテーションだった。価値がある場合とあまりない場合と様々だが知らないところではどのようなことをやっているかだけでその公演の程度が知れる。ケルンの老音楽学者のもので ― 因みにプログラムはBLOGでもお付き合いのあったマインツの比較的若い音楽ジャーナリストが書いている ―、プログラム順に音資料を使っての楽曲解説である。先ずはリゲティ―の「ロンターノ」。最も良かったのは音を鳴らして特定のAsやGなどに注目させるのと同時にそれによって全体の音のスペクトラムの空間占有感を意識させれたことだろう。要するにざっくりとした遠近感を以て全体像を上手く示していた。二曲目のバルトークの曲に関してはヴァイオリンの主題の音程・音階をしっかり追うことでその展開の仕方まで示していたことだ。勿論作曲の背後関係の男女問題への言及も忘れないどころか、しっかりと「二つのポートレート」そして「バガテル」へのパロディーつまり死のメロディーを付き添わせる方法にも言及していた。さて、最後のチャイコフスキーはどうだったか。基本的なアナリーゼの域を出ていなかったのはなぜか?

今回はもう一つの冊子がある。それはツアー全体を扱った劇場が出しているプログラムである。そこには全楽曲へのキリル・ペトレンコのコメントが書かれている。そのチャイコフスキーには次のようにある。「チャイコフスキーは西欧では屡々一面的にしか見られていません。私にとっては、ブルックナーに言及して決して線香臭い訳でもなく熟練した交響作曲家を示したいとしたギュンター・ヴァントに近いのです。チャイコフスキーに関しても全く同じで、交響曲を書き、それは交響的な展開、頂点と奈落がそれを可能とするテムポの中に有機的に存在するのです。ノスタルジーやセンチメンタルを付け加えることなど必要なく、さもなくば歪められ、直ぐにキッチュなものとなってしまうのです ― しかしそれが演奏解釈という事になっているのです。作品自体が内面から来るもので書物から来るものではありません。ハンス・マイヤーが、ヴァイオリン協奏曲と第五交響曲に関して、アウトサイダーについてのスタディーで、全く強い調子で、それらの作品について解説しています。この交響曲は作曲家の代表作で、それ以下でも以上でもないというのです。チャイコフスキーのエッセンシャルは、人生において幸福に至るという不可能を扱うということです。このコンフリクトを音楽的に提示する試みは、第四番においてはベートーヴェンから借用した夜を通っての光のドラマトュロギーで終わったり、第五番では更に深く、曲がりくねった苦労と懐疑と戦いで以て乗り越え、第六番では暗い諦念でと様々なのです。チャイコフスキーの音楽はいつも繰り返し全く個人的な恐れを語るのです。」

そして実際に鳴り響いた音楽は如何なる響きだったか?なによりもそのテムポについて語るべきなのかもしれない。それは楽曲の事前勉強としても確認していたことであり、本来ならば何一つ付け加えるべきではないのかもしれないが、上の文章にあるように再現芸術における演奏解釈というものがこの業界には存在していて、宿命的な問題となっている。なるほど、当日のリゲティの楽曲分析に関しての話にあったように、楽譜に全てが書き込まれている訳であり、ある意味解釈の余地がないとなれば話は早い。実際に一曲目に演奏されたそれは楽譜の指示通りに、「アクセントなどを避けるために」などとあるように、とても柔らかな音色で、丁寧にむしろ抑えられた音響で演奏された ― その意味からはジョナサン・ノット指揮のベルリンのフィルハーモニカ―の演奏録音などでは指揮者エサペッカ・サロネン以上に作曲家に批難されるのかも知れない。会場のデッドなベートーヴェンハレはこうした響きの減衰が命の曲には残念ながら全く向かなかったが、少なくともこの座付き管弦楽団はヴィーンのそれのような独特な響きがない分、柔軟な音色を奏でていたことは確かであり、団子になるようなことも無く、ダイナミックスを正しく再現していたことは事実だろう。指揮者カルロス・クライバーがこの管弦楽団に対して評した「やる気満々で、大胆で、これほど生気溢れる管弦楽団は無い」というのがここでも十分に当てはまる。

チャイコフスキーにおいても、楽譜にしっかりと書き込まれていて過不足がない筈だとするのがインタヴューでも暗示されていたのだが、現実にはそのテムポすらなかなか正しく再現されないということかもしれない。ストップウォッチを見て確認したわけではないが、かなり快速なテムポでありながら、絶妙なテムポ変化と電光石火のギアーチェンジによって、大きな対照と自然な構造を表出していた。この指揮者の奈落での指揮とコンサートでは最も異なるのは、ここではもはや伴奏ではなく主役であり、指揮者自らが演奏家であるということだろう。つまり、楽曲の変化は指揮そのものなのだが、おそらく小澤征爾ぐらいしか比較しようのない見事な指揮であり、ショウである以前に演奏行為そのものなのである。小澤と比較してもはるかに情報量が多く、まるで千手観音のようで、腰まで使い熟すのには驚いてしまった。なるほど、そのテムポだけでなく、リズムの精査も比較しようがないほど精妙だ。なるほど昨今は指揮の技術に関しては、卓越した人が多いようだが、それがこうした実質的な楽曲演奏に直結する例はあまり多くないのではなかろうか。一瞬の局面の変化にまた刻々移り変わり行く音楽にその指揮が直結しているという意味においての緊迫・緩急感は秀逸で、フルトヴェングラーにおける曖昧さと同じように楽員共々目が離せない。

なるほどいつものようにホルンのフラジョレットトーンなどが明白に指示されて紛れもなく鳴らされるのだが、そうしたものが強調されて原色的に響くというよりは構造の中での意味合いを主張するということで、耽美的なクラウディオ・アバド指揮などのサウンンドとは全く異なるものなのである。敢えて挙げれば、今回試聴した録音の中で、音楽的に立派なイェフゲニー・ムラヴィンスキー指揮のものと、ミュンヘンに客演?していた当時のチェリビダッケ指揮のものが比較対象になるだろうか。前者のそれとは全く異なるのが、其とは比較不可な柔軟性であり、同時にチェリビダッケ指揮のものよりも遥かに合理的な構造が浮かび上がることであろう。そうしてこうしたものが、必要悪の演奏解釈というものなのだろう。(続く



参照:
今こそ睡魔と戦う時 2016-09-12 | 音 
斜陽のボンに涼むとき 2016-09-13 | アウトドーア・環境
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斜陽のボンに涼むとき

2016-09-13 | アウトドーア・環境
久しぶりにボンに出かけた。前回はロシア領事館に招聘ヴィザを取りに行く時だったろうか ― ロシア文化庁の招聘と言っても取りに行くぐらいだから大した扱いではない。その前は、フンボルト財団が宛がった宿舎に滞在していた友人を訪ねた時だったろうか。いづれにしても、二十年ほど前のことになる。いや、ケルンの音楽見本市?の帰りにボンに立ち寄った時に夕食に立ち寄った時だとしても、これらと前後するぐらいの時期である。思い出話をするのは話題にされているように嘗ての西ドイツの首都の沈下を肌で感じたからである。

調べると人口では今でも30万人都市のようで、連邦共和国では大都市となり、マンハイム市単独よりも大きくカールスルーへ程度のようだ。要するに自分自身の生活圏からするとやはり田舎である。嘗てはそれでもバートゴーデスベルクなどは大使館関係の特殊なエリートな雰囲気があったのだが今や難民やモスリムのスラム化が始まっていると言われる。要するにワイン街道の大都市通勤圏からすると可成り朽ちている印象さえ受けた。それでもドイツェポストやテレコムなどの所在地であり、ベルリンへ移動しなかった連邦共和国政府機関も少なくない。なによりもベートーヴェンハウスがある。大学はボンの大学もありケルンも通勤圏なのだが、そもそも西部ドイツ自体が産業構造の変化で所謂ルール地方の没落と斜陽で地盤沈下が甚だしい。

ベートーヴェンハレもそのような訳で、取り壊しや新祝祭劇場への移転などの議論があったのだが、ポストがプロジェクトから降りることで御和算となり、歴史的建造物としてこの十月十日から補修拡張工事が予定されているというものだ。バーデンバーデン祝祭劇場でも倒産騒ぎから軌道に乗せるまでの苦労があったが、政治的な決断がなんとか繋いできた。べ―ト―ヴェンハレの改修費が当初よりも一千万ユーロ大きくなるとして、否定された新祝祭劇場案七千五百万ユーロと同額になるとあって話題になっているが、そのような費用では新劇場などは出来なかったに違いない。

行き帰りはいつものようにエコ運転を心掛けた。ミュンヘン往復に比べれば300km近く短く、時間的にも三時間ほど短いという事になろう。実際に帰りは八時半ごろに駐車場を後にして、帰宅は十時半前だったので、出かけたのが二時前で、滞在移動時間は八時間半ぐらいだった。演奏会が二時間半、その前一時間がオリエンテーリングと、五時間の移動となった。燃料も金曜日のナーヘへの往復と合わせて消費70L以下であるから、まあまあだろう。そして以外に川下に降りていくにしても、途中のフンスリュックを超えるのに燃料を費やすことになる。ボンが標高60mなのに対してこちらは140mぐらいなのでそれほど変わらないという事になる。

パンをピクニック用にアイス手提げの中に入れて持って行った。冷たいハーブティーを楽しみ、ボンの専用駐車場のこちらよりは五度も低い木陰に停めた車で早めの夕食とした。自宅から往復ノンストップで移動した。当日はボン周辺は若干曇りがちで涼しかったのだ。ワイン街道が摂氏30度を超えていたのが嘘のようで、ラインへと降りていく高速道路の外気温が26度しかなかったのには驚いたのである。まあなによりも車の移動中はエアコンが効いて気持ちが良い。途中工事が一か所しかなかったのも功を奏した。



参照:
天候不順な中を往復 2016-06-02 | 生活
中立エコ試験の一覧表 2015-11-10 | テクニック
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今こそ睡魔と戦う時

2016-09-12 | 
お勉強をしていると直ぐに眠くなる。特にモニターで中途半端な大きさのスコアなどを見ていると、直ぐに意識が失せてしまうのだ。集中力がついたなどと格好の良いことを語っても、身体も適当に疲れていると、中学生が机に向かうのと何ら変わらない。要するに直ぐに酸欠状態になってしまっているのである。身体を動かさないと血の巡りが悪くなると言って身体を動かすと今度は疲れる。空腹を感じたと言って暖かいものでも腹に入れればもう駄目だ。まあ、同じようなことをしながらマルティン・ルター博士も悪魔と戦っていた訳で、所詮そのようなものではなかろうか。

バルトークの協奏曲は若書きとしてもどうして紛れもない天才作曲家の創作だと分かる。後年のような構造的な独自性はなくとも紛れもない音の選択をしていて、お蔭でヴァイオリンと管弦楽の織りなす音響もとても魅力的になっている。特に第一部のアンダンテにおけるヴァイオリンへの管弦楽のまるで影のような絡みは、その曲が気のない男からの献呈としたら到底受け入れられないものだっただろう。あれ程の絡みつきは珍しい。決して粘着的なものではないのだが、痒いところに手の届く様なまるで分身かのように管弦楽が付き纏うのである。

そして第二部のまるでリヒャルト・シュトラウスの交響詩のような嘲笑ありで、バルトークも後年には全く異なったパロディー的な手法で表現しているものなのだが、この作曲の経過などからしてあまりに直截的なので、その表現がとてもそこの作曲家への理解を助けてくれそうだ。なるほど今回のヨーロッパツアーで一回だけベルリンで家庭交響曲と組み合わせれていることも明白であり、その一部の対位法的な絡みもまさしくリゲティの「ロンターノ」のそのものだ。要するにプログラミングビルディングからして立派な演奏会になっている。

それではチャイコフスキーの交響曲五番は?今回はどうしても指揮者ムラヴィンスキーが語っていたようなロシアの古典音楽としてのチァイコフスキーを考えてしまうのだが、すると気になるのがやはりテムポ設定と拍である。12拍子だけでなくて6拍子、四分の二拍子などこれらの組み合わせがどうしても気になり、ストラヴィンスキーとまではいかないでもその構造的な扱いが注目される。その意味からはこの交響曲は分かりやすいのかもしれない。具体的な実証は生演奏を聴いてからとなるのだろうが、そうなると今度はまたバルトークが気になって来るのである。

手元にあるバルトークの音資料ではブーレーズ指揮で分かりやすい音響となっているのだが、クレメルのヴァイオリンに影のように寄り添うということも無く、同時につけられているダイナミックスで何かを調整しているということも無いいつものこの作曲家の指揮であった。シカゴ交響楽団のそれに比べて座付の管弦楽団が何か違うことを聞かせるとすれば、まさしく寄り添う形の管弦楽なのだろうか?徐々に想像が膨らんできた。



参照:
夜更かしの夏の日々 2016-08-28 | 生活
インタヴュー、時間の無駄四 2016-08-03 | 音
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検問逃れの試飲会帰り

2016-09-11 | 試飲百景
眠い、連日の疲れが取れていないようだ。そこに通常より少し超えたアルコールが入っただけで、分解能力が追い付かなかったようだ。まるで二日酔いの朝のような寝起きなのだが、それほど飲んでいる訳でもなく、夕食が遅くなったことぐらいだ。それでもムズムズする。どうも最近はあまり飲まない体質になったようで、以前ならば飲んでいるうちにスイッチが入って、止まらなくなってしまうというものだ。このようなことは無くなって、その前に感覚が鈍ったようなところでブレーキが入るようになって来た。理由は分からないが、飲酒運転の規制が厳しくなってきたので、少なくとも感覚が麻痺してくるような時点で自然に止めるような習性が身についてしまったのだろう。昔一緒に飲酒していて同じようなことを語っていた女性が居たように記憶するが、それが誰だったかは定かではないが恐らく学者だったと思う。なるほど感覚が鈍るような麻痺状態になると一種の不安に陥ってしまうというのは最近よく分かる。

試飲会に出かけるのに車を走らせると、バイパスの乗降口ごとにパトカーが停車していて、いつでも検問を始めれるような態勢だった。ヴルストマルクトでこのようなことはなかったので、流石に驚いた。飲酒運転規制か、テロ防止かは一向に分からないが、調べてみるとやはりテロ防止対策だったらしい。それでも帰り道つまり会場から離れる方向へは怪しい運転は止められると思い、帰り道を考えておいた。

先ずはいつものように発注したグローセスゲヴェックスを引き取りにデーノッフ醸造所に出向くが、少し17時を回ってしまって、態々自宅から出てきてもらうことになった。その妹さんに話を聞くと、雨量もそれほどではなく天気予報の様に晴天が続くと可成り健康な葡萄でよい年度になりそうだという事だった。何とか無事にワインを受け取り、お目当てのシェーンレーバー醸造所に向かう。

今回は自宅増築のこともあるのか、地下ではなく上での試飲だった。買い付け葡萄ものの「ナーヘリースリング」は特徴的なアルコール臭さと言うか如何にも造り込んだ不自然な味筋で、グーツリースリングの方も2015年特有の味の強さが感じられて興醒めだ。昔はそれでも食中酒として楽しんでいたのだが、もうこの手の酒は要らなくなった。同じような傾向はあっても流石に「ミネラール」は甘みを上手に効かしてミネラルと酸とのバランスが取れている。そして、「ハルガンツ」と比較すると、今度は逆にその雑味などに物足りなさを感じた。そして今年から初めてフリューリングスプレッツヘン産が「フリュータウ」と名付けられていた。全く同じものであるがあの長めの名前が無いと有難味が薄れる。勿論それはVDPの御意向である「グランクリュの名前はグローセスゲヴェックスとしてしか名乗れない」という方針に従っただけに過ぎない。そのお蔭かフリューリングスプレッツヘンは試飲は出来たが業者に全てが買いつくされてしまっていた。

さて、その「フリューリングスプレッツヘン」と「ハレンベルク」を比較する。毎年出来不出来があるが、今年は「ハレンベルク」でも悪くはないと感じた。理由は明らかで充分に味が強いので、態々雑味感の広がりまでは待つ必要が無いと思ったからだ。その点、オークション物の「アウフデアライ」は地所も冷却があって土壌の砂利が多く、涼しいリースリングとして秀逸だった。要するに高級リースリングなのだ。これならば充分にグレーフェンベルクなどと比較可能である。

そして古い年度の「ハレンベルク」、つまり2014年、2013年の「ハルガンツ」と2011年、2008年、2007年の六種類の同じワインを垂直試飲する。2014年は秀逸で、2013年は蜂蜜香、2011年は例の過熟性が厳しい。2008年もそれほど広がることが無く悪くはないが、個人的には2007年が好みである。若旦那に言わせると2007年は部分的にはそれほど良い年ではなくて、2013年と比較するが、あの独特のスマート感がいいのだ。

結局2015年産に関しては結構寝かせるワインである一方、つまりグローセスゲヴェックスで数年、「フリュータウ」でもまだ開かれていないのでもう少し置いておきたいという事になった。結局、高級リースリングばかり飲むとなると、溜めとかないと駄目なので、幾らあっても飲み干してしまうようなことではいつも在庫が足りなくなるのである。

帰りには、バイパスをバイパスする道に入った。以前はマンハイム方面に出かける通勤道路だったところで馴染みがあるのだが、なぜか賑やかだった。多くの人が同じことを考えたようで、その道を通って、ダイデスハイム方面へも車が流れていた。皆が検問を避けて車を走らせていたのだった。



参照:
土産になる高品質甘口ワイン 2016-05-30 | 試飲百景
飲み頃を探る試飲談話 2015-09-15 | 試飲百景
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雑食砂岩での怪我の功名

2016-09-10 | アウトドーア・環境
春以来、今年二度目の石切り場でのクライミングだった。アルプスに行く前に誘ったパン親方からの誘いだった。本来ならばザイルを使って登る練習を兼ねてのつもりだったが、八月はスイスやイタリアなどへと飛行機を飛ばしていたらしい。爪先も傷んでいるので特に登りたい訳ではなかったが、技術などの調整のためにも今後の練習を考えて登りに行った。

いつものことで最初は簡単なところを手掛かりなどを制限して拘りの登り方をするので、こちらもそれに合わせて登ると簡単なところが結構厳しい。徐々に難しくなって来るが、四本目は凹角のところで、恐らくこの二年以上は登っていないところだ。肩を痛めて避けていたのを今更ながら認識する。治っていることでもあるが慎重に登る。以前ならば簡単に両腕を広げて突っ張っていたところを、余裕を見て広げ過ぎないように登るので以前よりも丁寧な登り方になる。ブックコーナー形状の得意にしていたところである。以前よりは大分力を抜いて登れるようになっていることに気がつく。まさしく怪我の功名だ。

このルートは実は最上部の凹角ハングの乗り越しから最終の折り返しのハーケンまでが核心部である。流石に親爺は丁寧に態々フレンズ楔を掛けて万全を期す。それをそのまま置いておいてもらって登ったので、こちらも余裕を持って登れる。今までではやらなかったような凹角奥の右手のリスに手腕を突っ込んで乗り越すが、オバーハング乗り越しのしっかりした手掛かりを左手で掴むことになって、それより左上部にあるハーケンにザイルが掛け難くて、思わずカラビナを掴んでしまう。それでも以前からすると無理のない登り方が出来ていて、登り方の可能性が三倍ぐらいに拡大している。それゆえか雑食砂岩の割れ目に入れた肘を擦りむいて出血していた。

そしてその次はこの石切り場で苦手にしている垂直壁を最初の一本目のハーケンにだけザイルを残して登り始める。今までは左側にある穴を使うことでしか登れなかったのだが、真っ直ぐにそれを使わずに最初の足場に攀じ上がれた。理由は細い両手指先掛かりで体を持ち上げることが出来るようになったことで、勿論ボールダーからすれば容易なのだが、今までは出来ていなかった。原因として以前は手掛かりと足掛かりの力配分のバランスに拘りがあって、丁度車の四輪駆動へのバランスを臨機応変に変えられるような登り方がやっと身についたという事だろう。これもボールダー練習の成果である。その上部の本当の核心部は手にチョークなどを付けないと不安であるが、これもきっちりと超えられる実力はついてきているのを実感した。

親方は全部で六本を登ろうと思っていたようだが、五本で終了した。時刻が早いうちは汗も出たが、涼しくなって来ると秋らしくて気持ちが良い。蚊が石切り場の足元を飛び回っている。久しぶりに寝室にも蚊取り線香を付けたことを話して終了とした。なによりも脚に堪えたが、腰や臀部などは日曜日からの疲れやこけた痛みも残っているので新たな疲れは分からない。パン親方親爺は、金曜日にアーヘン辺りまで飛んで行って、そこから帰って来てから世界最大のヴァインフェスト、ヴルストマルクト600周年を13番テントで祝うようだ。

今後の課題は徹底的にボールダーで出来ていない技術を身につけることで、それによって5.10を完全マスターして、5.11への可能性を繋ぐところまで行けるかどうかである。もはや怪我の元となる室内壁に頼る必要もなくなった。それが出来れば大きな壁でも同じことが出来ることが分かったので、大いなる野望が広がる。



参照:
モンサントがバイエルになる 2016-05-22 | アウトドーア・環境
延長にも限界があるが 2016-08-19 | アウトドーア・環境
収支決算をしてみる 2016-09-08 | 生活
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国際的競争力が無い実証

2016-09-09 | 雑感
コンサートが週末に迫って来て焦っている。正直ロシア音楽は難しい。直感的に理解できるものが殆どない。ロシア文学などに十代の頃に馴染まなかったからかもしれない。ペテルスブルク生まれのロシア女性と一年ほどお付き合いもしたことがあるのだが、結局それ以上に理解することも無かった。なるほど文化圏によってはつきあい易いとか難いとかの差はどうしてもあるのかもしれない。それは御互い様で、それが文化なのかメンタリティーなのかも不明である。勿論一つの文化圏の中でも様々なので一概には言えないのだが、大多数というか典型とかいうものが存在するのではなかろうか。

そのようなことでチャイコフスキーの交響曲ですら苦労する。一方、12月の準備も並行して、資料を収集し出した。ロシア人のお蔭でショスタコーヴィッチの楽譜も準備できた。少しでもキリル文字を読めるお蔭でなんとかなるものである。オペラ「マクベス夫人」の序に同時期の交響曲もお勉強してみることにした。リヒャルト・ヴァークナーの楽劇のお勉強は量感があったので苦労したのだが、チャイコフスキーの億劫さは全く別物であり、このように進めて来るとショスタコーヴィッチが如何にも風通しが良くて気楽である。どうせ独特のシニックな感慨などは分からないものは分からない。そう言えば芝居で見たロシアものも本当の意味で理解していたかどうかも今や定かでなくなってきている。

新聞にシナで開かれたG20の記事を見た。その写真にはど真ん中にメルケル首相が居て、それを囲むように中共の習首席とオバマ大統領、外れてエルドアン大統領が立っていて、そこで写真は切れている。幾ら新聞広告で世界の指導者の一人のような顔をした安倍首相の写真の広告を出しても、必要ない人物の写真などは綺麗に切り取られている。この記事を見ていて、日本がG20に参加していたなど気がつく人などはいまい。それが安倍の、日本の政治的な実力そのものであるが、それを正しく日本で伝えるジャーナリズムなどは存在しないのだろう。

2011年産ゲヴュルットラミナーの最後の瓶を開けた。案の定、酸は大分丸くなっているが、効いていることには間違いない。その意味からはまだ寝かしておいても良かっただろうが、そもそも2011年産の力強い個性はリースリングでも同じで、南ティロルの涼しさなどはここにはない。それでも十年に一度ほどのトラミナーの良年であったのは事実である。その証拠にまだまだ飲めるワインなのだ。

食事は二度炒め中華を合わせた。味噌ソースであっても負けない強さはこの手のワインの持ち味である。それでもあの涼しさがあれば、乾いた気候の中でさらに食事に楽しめるのである。南ドイツは北イタリアともまた違うのは当然のことかもしれないが、如何にドイツのワインはリースリング以外では国際的競争力が無いかという証拠でもある。



参照:
一寸した料理でさえも 2016-09-06 | 料理
グッスリ二度寝をして気付く 2009-12-05 | 雑感
瞳孔を開いて行間を読む 2006-10-22 | 音
TICAD新聞広告の意味 2016-08-30 | 雑感
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収支決算をしてみる

2016-09-08 | 生活
帰宅後初めて走った。二日間はお休みしていた。左膝の調子もあるが、なによりも足の指が逝かれてしまっていたので爪切りをして養生していた。内出血だけでなく出血しているところもあり、指が弱くなっていたのだろうか ― 嘗て長い距離を登った時に一回の登攀で靴に穴が開いてしまったことを思い起こした。柔軟体操に音が上がる。まだまだ身体が凝っている。沢往復で少しが解れるだろうか。

知らぬ間に里には秋が近づいていた。背伸びをしながら上を見上げると、黄色い光が輝いていた。外気温も摂氏14度と秋に突入していた。なるほど日陰では涼しかった筈で、日向での走り難さに比べてもそれほど快適ではなかった。

帰宅すると想定通り幾つもの用件が山積みになっていた。いつものことながら中々片付かない。そうこうしていう内に来たる日曜日にはボンでのコンサートがあるので、これまた忙しい。

想定外は、LINUXの二機とも同じようにストレージにアクセス出来なくなっていて、その原因は未だに分からない。この間にアクセス権などを強化する方向にはあったが、WIFIに限らず同じようにアクセスできなくなった原因は追究していかなければいけない。正直LINUXの動きなどが遅くて、マルティメディア対応以外にも若干不満を持つようになってきている。またストレ―ジの容量があと一週間も持たなくなってきていて、外付けとして拡大しなければいけなくなってきている。現在使用中の1TGを購入してからまだ丸二年も経過していないので、倍の2TGを購入してもどれほど長く使えるか正直不安だ。価格も安くなっていない。しかし3TGとなると100ユーロもする。

今回の収支決算を見ると、宿代が素泊まりで一泊10ユーロと昨今からすると破格の価格で、朝食・食事・飲み代など八食分ぐらいで140ユーロとこれも格安だった。昨今は一泊60ユーロでは効かなくなっているので、今回はその範疇に収まった。冬と夏の相違もあり、シャワーが使えないことも大分違うだろう。

その他では落石でパートナーのヘルメットを壊したので、弁償代が必要になった。既定の参加費を全く徴収しなかったこともあり、燃料代を含めて100ユーロで話を付けた。その他では、確保の時に下降道具でもあるATCを落としてしまったので、これは損失である ― 調べてみると丸々五年以上使っていた。

ヘルメットの件とこの紛失は、自分自身にとっては今回の最大の反省点である。前者は懸垂下降時に早めに降り口で準備するかそれとも最後まで上で待っているかにすればこのようなことは起きなかった。素人ではなくてもどうしても下を覗きこみたくなるので仕方がないのだ。後者は稜線に出る最後の確保地点で明らかに気が緩んでいた。そもそもザイルの設置などに問題がある道具であるが、手が縺れて落としてしまったのだ。勿論その後に懸垂下降の必要があったとしてもそれなりの対処は出来るのだが、気の緩みの事実が顕著に表れてしまったのである。

それ以外の装備は出かける時と同じようにそこにある。そのように装備が整頓されているのは、パートナーが経験あるクライマーであることを如実に示している。小さな拘りもよく分かっているのだ。クライミングにおいてはそうしたこまごまとしたことで意思疎通が出来ているかどうかでクライミングスピードが全く異なって来る。今回ほどストレスなく登れたためしはないのである。流石にミュンヘン工学出身の人だけあって、その辺りの理がよく分かっている。



参照:
限界まで出せる登攀実力 2016-09-07 | アウトドーア・環境
収容所送りとなる人たち 2011-04-04 | 雑感
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限界まで出せる登攀実力

2016-09-07 | アウトドーア・環境
四日間で可成りの標高差と距離を登った。長くザイルを使って登っていなかったことから、容易なルートから始めたからでもある。それでも入山二日目13ピッチの日だけでなく、初日の夕食前の練習ゲレンデ、そして同じように毎日登り続けた。その結果得られた結果は今までになく大きかった。なによりも同行の協会指導員に自身の限界まで登れると言わせるまでに至ったことだろう。

肩の故障が直って技術的な不安はなかったのだが、全身の体力と腕や足の持久力に自信が無かったので省エネ登攀のみならず、技術的に精査された登り方を心掛けたことで、ルートの最後まで余力を残して登れたのは初めての経験だ。同じことは以前から考えていても、登り出しは勢いもあり、集中力満帆で登っていたのだが、少し登ると直ぐに集中力が切れるようになっていて、ただただ惰性で登り続けていたに過ぎない。要するに技術的に余裕があれば、ヘロヘロになっても登れるとしていたのが、今回は違った。オーバーハングも含めて如何に足を使うという事に他ならないのだが、ボールダーのお蔭で手の使い方と同時に本当の足の使い方も分かって来たのだった。

リードを替わるごとに、その都度集中度を百パーセント漲らすと同時に、再び新鮮に取り組むことが出来るようになったのだ。それどころか指導員に言わせると、「取り付き最初よりも、登れば登るほどどんどん技術程度を上げて登れるようになっている。」と、アルパインクライマーにとってはこれ以上の褒め言葉が無いことを聞けた。勿論、リードから引いている間はどこまで行けるだろうかとの不安が過ぎることもあったが、登り出すと勢いがついてくるのである。そしてパートナーが確保している場所に近づいて追い越してリードに出ると、これから、自分がリードする岩場を見上げながら更に活力が湧いてくるのである。今までに経験したことが無いような漲り感なのだ。

要するに彼が言うように、最初はぼちぼちと力を抜いて温存しながらだらだらと慎重に登り始めているようなのだが、アドレナミンの発射を感じることすらなく、適当にスイッチが入って行く様だ。昔から一般的に最初の40mほどの高所感とその後との差異などとは言われるが、そうした高度感とは異なる純粋にスポーツ的な何かのスイッチがあるようだ。要するに体が温まるというやつだろうか。その意味では朝のランニングともあまり変わらない。

なるほど取り付きまでに適当な汗を掻く訳だが、今までと違って、なんらいきり立つこともなく、落ち着いた気持ちで登り始め、途中で直面する状況に応じて冷静にスイッチが入って行くといった感じである。なるほどこれならばその場その場の状況に応じて、自身の最大の力を発揮することが可能となる。こうなれば岩や気象やその環境条件と語り合っていく登山の醍醐味そのものである。そして最後の最後まで挫けることが無いのである。

なるほど今回は自身の限度に迫る困難度はなかったのだが、アルパインクライミングと言うのはどのようなゲレンデでもちょっとしたことで厳しい壁が目前に立ちはだかるものなのだが、まさしくこうした障壁を乗り越えるためには先ずは何時でも自身の力を最大限発揮できるノウハウが必要なのだ。それがいまこうやって確認された。

十代からやってきていてもなかなか得ることが出来なかったこのノウハウ、やっと一人前のアルパインクライマーであることが身についた思いである。こうなれば技術的にもう少し練磨して、体力を強化すれば、登りたいと思う課題も克服可能となって来た。



参照:
一寸した料理でさえも 2016-09-06 | 料理
名人E・コミーチの影を慕う 2013-08-09 | アウトドーア・環境
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一寸した料理でさえも

2016-09-06 | 料理
皿を洗うだけで指先が痛い。石灰には珍しく摩擦の効く岩肌を四日間捩っていたからだ。同時に石灰特有の尖った岩質で、脛や腕など傷だらけである。自宅に戻って、平常生活に戻ると痛むところもあるのだ。

なによりも気がつくのは脹脛の日焼け火傷である。半ズボンで座ると擦れると痛い。日焼け後クリームを塗ることも無かったが、皮が捲れるぐらいになるまでは暫くひりひりしそうだ。同様に日焼け止めをしっかり塗っていた顔面も洗顔の度に脂が滲み出ているので再生中なのかもしれない。秋の陽射しでも山の陽射しは充分に強いという事だ。

戻って来て郵便を開けるまでも無く、メールを見ると、先日依頼していたミュンヘンの新シーズンのオペラの券が配布されていた。安い39ユーロの席で立見席と比較しても殆ど価値はないかもしれないが、初日を自宅で録音してから出かけるので、それなりの観賞価値はあるだろう。12月の公演ショスタコーヴィッチ作曲「マクベス夫人」である。

迫るコンサートの準備があって、12月はまだまだだと思うが、こちらもぼちぼちと準備しておかないといけない。音の資料はロストロポーヴィッチ夫妻共演のLP盤が手元にあるが、ネットを見るとVIDEOなどもあるようだ。今回はハリー・クッパ―の演出なのでそれなりの新演出にはなるのだろう。一体どのような上演がなされいているのかなどは殆ど無知である。演奏自体は、ロストロポーヴィッチ指揮の重い響きとは異なって、キリル・ペトレンコ指揮のレニングラード交響曲などを耳にすると、明快明晰に鳴るようなので、細部まで解り易い演奏になって余計に演出のデタイルも気になるところである。 

まだまだ肩などが凝っていて、食事など一寸した料理をするのも億劫である。やはりそれなりに疲れていることに気がつく。四日間続けて登ればある程度の疲れが溜まり、重い荷物を担いで小屋まで上り下りすればある程度は当然なのかもしれない。それでも今回は今までとは異なる面もあったので自己分析してみなければいけないのだ。

山小屋では二回グーラッシュを食した。二回ともティロルのヴァルナッチを飲んだ。ドイツではトロリンガーとして有名だが、クオータを食事に飲むぐらいならば全く問題はなかった。寧ろこの食事にはこれで充分だと思わせる。一寸したナッツ系の苦みが香辛料の様に食事に合うのだ。



参照:
乗り越えただろうか 2016-09-05 | アウトドーア・環境
前夜際から始める 2006-08-31 | 生活
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乗り越えただろうか

2016-09-05 | アウトドーア・環境
昨日まで可成り体を動かしていた。殆ど四日間シャワーを浴びなかったのは何年ぶりだろうか?あまり記憶にない。最近は優れた濡れ紙のお蔭で清潔感を保てるのだが、それでも全身の汗を水で流すのとは訳が違う。親爺たちが小屋の裏で素っ裸になってホースの水で洗うのは理解出来るのだ。帰宅してシャワーを浴びて、すっきりしたところで、身体の隅々まで評価する。

先ずは、日焼け止めクリームを塗り忘れただろうと人にも指摘されたように、脹脛の後ろが熱い。真っ赤になっている。前部がなんでもないのは、明らかに登るときに壁に向かっている方には陽が当たらなくて。陽射しを後ろから浴びていることになる。膝までパンツを上げていたからだ。

その次には、下りを含めて、太腿から鼠頸部にまで疲れが来ている。同時に登る時にも感じていたが爪先が腫れ気味で、爪が一部変色している。靴が悪かった訳でもないが、長いい時間履いていることが無かったので、弱くなっているのかもしれない。不安のある膝は何とかやり過ごせた感が強いが、疲れはあり、左膝の若干違和感があるのは間違いがない。腰も下りのリユックサックの重みが堪えているようだ。

その他は、出かける前に靴を履くときの右ヒトサシ指の捻挫以外には指先が摩耗でひりひりする以外には殆ど手や腕や肩などは疲れが無いのは素晴らしい。要するに長く休んでいた割には、登れるような体になってきていることで、膝が回復すれば可成り行けようになってきている。体の柔軟などは準備体操を含めてもう少し詰めていきたい。

天候が変わり、寒気前線が張り出してくる前の夕方は空がきれいに焼けた。皆がカメラを持ちだして写し出した。パノラマで写す人もいたようだが、ああした大きな風景を写し取るのは難しい。実際に自分で写したものを見ると空が焼けていたのではなく、中景の山々が赤く染まっていたのだった。遠景に目を転じると、遠くの雲が着色されていて、その渦が面白かった。

オーストリアティロルやドイツのツーグシュピッツェなどが一望できる訳だが、中部、西部アルプスなどのような鋭さも豪快さもないが、山並みの広がり方は大きいかもしれない。今回はアルゴイのアルプスも色々な意味で見直した。なるほどあれはあれで独自の近代登山の歴史の発展があったのを感じた滞在だった。個人的には何よりも一昨年昨年の肩の故障から一年ほどの休憩を挟んで、それを完全に乗り越えた実感を得ることが出来たのが何よりもの成果だったろうか。



参照:
再び夏のアルゴイの山へ 2016-09-04 | アウトドーア・環境
自主練成の方向性の正しさ 2012-09-17 | アウトドーア・環境
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再び夏のアルゴイの山へ

2016-09-04 | アウトドーア・環境
週末はアルゴイアルプスの山小屋である。スキーで有名なオバーストドルフとレッヒ・ツュルスの間ぐらいになる。実際アプローチは、ツュルスの冬に行き止まりの道を先に進むその谷の途中から歩きはじめることになる。国境線の向こう側だが山並みは小さな谷を挟んで続いている。実は十年ほど前に皆でそこに行く予定だったのだ。その時も同じ時期で、雪が来た。そして積雪のために小屋にも上がらなかった。結局急遽目標を変更して、小屋の空いていたドロミテの丁度ラヴァレドのチンネの裏側だった。このBLOGにも書き記している。

今回は積雪は避けられそうで、初日にお湿りがあるぐらいで、とても天候は良さそうだ。それも気温も陽射しも極端ではなさそうなので、特に暑さに弱い私には幸いである。強いていえば小屋までの距離が6キロ強あるのでいつものように鉄モノを運ぶのは億劫である。それでも標高差を1100mを長い距離で登っていくのでそれほど厳しくはないだろうか。なによりも森から出て白い石灰のモレーン地帯になれば風が拭き通ってくれるぐらいが丁度よい。

左膝には不安があるが、スキーの時もそうだったが、歩くよりもむしろ長い距離の時間掛かるクライミングでガクガクにならないかどうかが不安である。なによりも昨年のジュラ以降一回の石切り場以外ではザイルを使っていないので久しぶりなのである。

そのような訳でぼちぼちと登っていかないと、なかなか自身の限界の域までは大きな岩壁で登れる可能性はないのだが、石灰質の岩場は腕力や体の動きさえよければそれほど苦労することはないのである。問題は長い区間を熟していくだけの頑張りや粘りが沸き起こってくるかどうかである。

出来れば先に繋がる登りをしたいのであるが、欲張りすぎだろうか?一つの可能性としては以前と比べるとボールダーで細かな技術的な体の動かした方が分かってきたので、そうした技術が大きな岩壁で活かせるかどうかである。

天候が良いので少なくとも写真は良いのが撮れるかも知れない。せめてそれぐらいの期待で出かけた方が失望も少なくて良いのかもしれない。まあ、少なくとも一日中体を動かして、腹一杯食べて、オーストリアのビールをがぶ飲み出来ることだけは間違いないのである。

因みに麓の気温予想は、摂氏11度から26度であるから、小屋が2131mに建っているので、ざっと計算すると氷点下から14度以下となる。やはりフリースを一つ余分に持って行くべきか。



参照:
石灰岩の大地の歌 2006-09-03 | テクニック
永いフィットネスの精華 2009-07-17 | 生活スの精華 2009-07-17 | 生活
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Bluetoothアダプターを試す

2016-09-03 | テクニック
穴塞ぎにケーブル二本とDVI-HDMIアダプターが届いた。同時に発注したものがブルートュースUSBアダプターだった。手元にあるLENOVOヨガのためのキーボードが普通に使えると分かって、これを使いたいと思ったのだ。

先日からドッキングステーション化で無線キーボードをノートブックに使うことになったので、デスクトップのキーボードが無くなってしまったからだ。マウスでも出来ないのが、最初のLINUXとXPの切り替えで、一度LINUXを上げないとXPに入れなくなってしまっていた。そこで、先日から気になりだしたBluetoothの可能性を考えたのだった。

忙しいときは重なるものでそれが届いた時はどうしても早くそのアダプターを使って手っ取り早くキーボードで仕事を片付けたかったのだ。だから急いで設置してみるが、なかなかキーボードなどを読み込んで呉れない。時間のこともあったので、適当にやっていると全然駄目な感じになって来た。そこで不良品として送り返すことを申請してから、仕事を先に片付けた。

そして夜が更けてから再びこれを取りだしてやってみる。先ずはキーボード自体がノートブック内臓のそれでも読み込まれなくなったので、いろいろとキーなどを押して初期化に近いことをしてみる。交信LEDが点滅するようになって、先ずは今回のアダプターが本当に正常に作動しているのか、つまり他の端末と交信することが出来るのかを試してみた。感度は鈍いのだが、USBが温まり、夜が更けて、静けさが増すようになると隣近所の端末が見つかるようになって来る。これならば、我がキーボードが読み込めなければおかしいと思い、信じて何度か試してみる。先ずはノートブックにつけたアダプターとのペアリング可能となった。外してみると交信が途絶えたので交信は間違いない。

そこでデスクトップのUSBに差し込見直す。そして先に立ち上がるLINUXでは簡単にペアリング可能となった。これで道半ばである。XPなどと比較するとアップデートされ続けているのでこうした機能ではウィンド-ズを凌駕しているぐらいだ。そもそもこれには特別なインストールソフトも付いていないので、その秀逸さが計り知れる。それならばXPでも読み込む筈なのだが、こちらはLINUXほどには簡単に行かなかった。そして零時を大きく過ぎてからペアリングに成功した。但し、今使っているLogitechのUnifyingシステムとは異なり、これではそのままOSが開くまでは使えないことが分かった。つまり所期の目的には達成していない。まあ、10ユーロの投資だから使えるのでこれでよいだろう。

結局この状態ではいつもLINUXを先ず開いて、再駆動でXPを開けるようにするしかないようだ。少々時間が掛かるが、LINUXで済ませられることはそこで済まして、そこからXPをどうしても開きたいときには開けばよいのだろう。

ドッキングステーション化で、今後とも適当なノートブックを重ねて使えば何とかなることも徐々に分かって来た。嘗ての様にノートブックが割高ではなくなったので、冷却などに問題がならないような使い方ならば、それで充分だと思うようになって来た。



参照:
フリッカーフリーの実感 2016-08-24 | テクニック
感動のエコノミー症候群 2016-08-26 | テクニック
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オフロード最高時速に挑戦

2016-09-02 | アウトドーア・環境
先日走る時速の目標を書いた。天気が良く、敢えての短い距離だったので、我がトレーニングコースで最も高速の下り勾配で試してみた。大体どのようにすれば無理なく加速できるかが分かってきているので、直線に出る前から徐々に加速していった。あとで調べると時速7.7KMから330mほどを加速していく。足元は真っ直ぐではないが、轍ぐらいでそれ以外は比較的平らである。草も殆どなく、石の出っ張りなどがそこに隠れていることも無い。それでも万が一転倒したら負傷は避けられない。オフロードの怖さである。

足の置き場がないようなハイキング道路でもなくて、真っ直ぐに足を運べるとはいっても塗装道路とは全く異なる。加速し始めて、ピッチを広げて足がこんがらからまないようにと留意したが、速度が上がり始めると足場がしっかり固まらないので、踏み込みも蹴りも入らずにふわふわになりそうになる。そこである程度のピッチの限界を設定してから、テムポを上げるようにする。ピーク前の心拍計測定の最後のコブのところだろう。手足を早く振ると腕がちぎれそうな感じになるので、特別な短距離型の練習をしない限りはこれが現在の限界だ。速度のピークが出て、カーヴが迫って来るので、あとは流した。

最高速度時速12.91kmを記録した。大した速度でないのに、走っている感じは短距離のそれに近い。なるほど下りを使ったといっても、それを加速に使うには助走が必要だった。要するに蹴りで加速できる要素はこうしたオフロードの場合は少なさそうだ。なによりも足場が定まらない、そしてバランスを崩しそうになる。腕の振りももう少しコムパクトにしないと重心が振れて危ない。

もう少し研究してみたいが、スクリーンショットのアニメ画像では丁度人の前後が逆になっているが、もし逆コースの登り勾配であったならばこのような加速など全く考えられない。心拍数は上りは毎分168以下で安定していて、加速時に144から182まで上昇している。しかしその後も157までしか下がらずに高めで安定しており、上りよりも心拍が高いのが面白い。その後車に乗って移動しても心拍110ぐらいでなかなか下がらなかった。

計測のスナップショットを撮ると、マルチディスプレーの二つの画像が写っていた。このような形でのスナップショットは初めてだったので驚いた。なかなか面白いと思った。



参照:
MTBには負けないぞ! 2016-08-29 | アウトドーア・環境
人間は考える猿だろうか? 2016-08-27 | アウトドーア・環境
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