Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

三つの穴を埋めた気持

2016-09-01 | テクニック
空いていた穴を埋めた。新規モニターBenQ製GL2250HMの三つの入力穴である。アナログD-Sub入力にはデスクトップのアナログ出力、デジタルDVI入力にはデスクトップからの出力を繋げ、HDMI入力には音楽再生用の延長コードを外してノートブックから短くつけ直した。

同じデスクトップからアナログとデジタルの同じ画像を二種類並行して接続した。最初はアナログが優先されてデジタルに切り替え出来なかったが、外したり優先順位を変えたりしながら、先ずはLINUXで双方を切り替えれれるようになった。XP32Bitでは切り替えが分からなかったが、最終的にはNvidiaのソフトで切り替え方が分かった。なぜ切り替えだと思ったかといえば、LINUXでそのようになっていたからで、同じモニターでありながら同時に出力していることになるので拡張もクローンも出来るのだ。このようにしかケーブルを付けたままでは切り替えはできないようだ。

何よりも驚いたのが、同じヴィジュアルカードでありながら、アナログ出力とデジタル出力の画像の質の差だった。空に浮かぶ淡い雲の背景画像でも、シャープに再生されるとその淡さが際立つのだ。まるでドビュッシーのある種の曲や後期ロマン派の幻想的な響きでも明瞭に音響が鳴らされてこそ初めて現出するのにも似ている。

そして、メインのノートブックもPCオーディオ使用時とは異なって、机周りに置くことから拡張マルチモニター設定とした。仕事をしながら、ネット放送も流して起きやすく、ヴィデオもまるで乍らTVのように横で流してもおける。平素はあまり役に立たないが、速報などの時には役に立ちそうである。なるほど古い小さなモニターは捨てるなというのはよく分かる。それは既に冬籠りのために寝室の机の前に据え付けて置いた。

これで計画通りに、HDMI接続アダプターがシナから届けばモニターの後ろに手を伸ばさないでも、三つの入力を切り替えながら問題なく使えるようになるだろう。これなどを見ると長くアナログ入力のモニターばかり使ってきて損をした思いがする。あの目の前のもやもや感が無くなるのはデジタル再生の成果である。これに関しては映像も音響もあまり変わらないだろう。

ハイレゾリューションの音を体験すれば余程の年老いた耳でなければ、よほどの酔狂でなければアナログ音響には戻れない。嘗てLP時代にもSP趣味の人の懐かしの耳を古めかしいノスタルジーだと思ってはいたが、CDを超えて漸くLPもそのような趣になってきている。夏の暑さもあって、一月ほどLPも回していない。また涼しくなったらと思う程度のものである。

オペラ画像も出来ればHD対応の映像が欲しくなって来た。要するにYoutubeでDLした映像ぐらいでは保存しておいて観る気もしなくなって来た。音質はそれほど変わらなくとも、暈けた感じの映像では物足りなくなって来るのだ。まるで眼鏡屋の陰謀のような映像の高品質化である。

発注するケーブルを安く上げたので送料無料までに金額の余裕が出来た。するとBluetoothがUSBアダプターとして安く入手可能なことが分かった。丁度差額に合う価格帯である。多くのデスクトップにはこれがついていなかったので使える小物である。



参照:
感動のエコノミー症候群 2016-08-26 | テクニック
PCオーディオの吟味 2016-06-22 | テクニック
コメント
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