Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

大演奏旅行は控えめに

2021-01-02 | マスメディア批評
珍しく元旦としては早く目が覚めた。花火も少なくて早めに終わり、興奮が無く早く深く眠れたのだろう。ヒーターを弱くしたことで朝に少し冷えたのも良かったかもしれない。出来れば睡眠中は冷やしたいのだが、その室温の加減が難しい。

お蔭で、クロワッサンの朝食もコーヒーも飲んで、昼にもノイヤースコンサートを流しながら軽食の準備も出来た。例年ならば昼酒が効くところだが、指揮者のムーティのキャラクターもあって朗らかに軽く済ませた。それだけ前夜の気持ちの揺さぶられ方が大きかった。

ジルフェスタ-コンツェルトの途中まで聴いていたラディオ放送の録音も改めて流す。始まる前の支配人ツェッチマンの話しの内容がやはり興味深い。

「レオノーレ三番」に関して触れたように、今年一年の喪失としてバーデンバーデンなどのキャンセルを上げた。しかし、特別な環境下でプロジェクトごとへの楽団員の関わり方や指揮者キリル・ペトレンコとの協調が大きく進化したと最大の成果としていた。

つまり、オイローパコンツェルトでの抜け道の全く見えない所での成果、そしてオープニングからの観客を入れてのフィードバックに依って初めて分かった、芸術的な創造での観客の不可欠さが語られる。勿論彼女が話している内容は、楽団としてのコメントとしても良いものだろう。

そしてポストコロナに触れて、若しくは先を観る時に、現在も本年来年と米国、アジアへの演奏旅行に関して日夜同地の興業師と調整をしているが、ベルリンに眼を向ける時に、今後は演奏旅行は以前程ではないのではないかという見解を述べた。

ベルリナーフィルハーモニカーは毎年11月に演奏旅行を入れているが、恐らく三年に一度ぐらいになるのではなかろうか。その他のロシアとかへの国へと使節として出て行くとなると限度があるだろう。大きなツアーを毎年こなすというは多過ぎるだろう。

元旦の晩は土曜日の朝の峠攻めに備えてジャガイモでも食して、ダウンロードしたフランクフルトでのロイ演出「こうもり」でも観ようかと思う。ザルツブルクでの「コシファンテュッテ」が良かったのでそれなりに期待しているのだが、さてどうだろうか。



参照:
想いが詰まった演奏会 2021-01-01 | 音
怖れや喪失や萎縮、孤独感 2020-05-03 | SNS・BLOG研究


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想いが詰まった演奏会

2021-01-01 | 
夜中に雪がちらついていた。街道湿気ってはいたが真っ黒だった。現金引き下ろしに一人待って、後ろに人が並んだ。暮れにどうするのだろう。

パン屋には誰もいなかった。二日に開くので軽く見繕って、森へと向かった。標高は大したことはなくとも白くなっていた。常連の車が停まっていた。林道は濡れているだけだが草原は真っ白に積もっていた。走り始めると雪が降りだした。

濡れるまでに手早くと思うと結構いい走りが出来た。途中で常連に出合うまでも良かったが、折り返しから再び追い越した。往復20分は一度も切ったことは無いが25分ほどで満足な経路を28分であるから、今年の特にコロナ禍以降では一番良かったのではなかろうか。

午後には昨年のジルフェスターコンツェルトのヴィデオを流しながらワインを取りに行ったりしていた。色々と不満もありエンタメのコンサートであるからこんなものだと思って、繰り返し聴くようなことは殆ど無かった。

そして、2020年の無観客の生中継。先ず地元のRBBラディオで聴き始めた。台所に立ちながらだった。それでも引き締まった響きが聴こえた。35分して時差生中継TVが始まった。独占のArteの中継だった。ラディオとは異なり、丁度スカラ座のガラと同じようにTV中継に合わせた放送だった。

そして一曲目のレオノーレ三番に先立ち上演する筈だった「フィデリオ」がと話されるとそれだけで胸が一杯になった。そしてとても真剣で尚且つどこまでも精緻にアンサムブルがなされて、舞台の間での演奏を想像するまでもなく、楽聖の精神へと触れるような演奏をした。

素晴らしいアバド指揮のエグモント序曲、全曲も今後とも思い出に残る演奏だったが、あの当時のルツェルン音楽祭の楽団と現在のベルリンのフィルハーモニカーならば全く遜色がない。それどころか伝統的な高弦の弦楽はフルトヴェングラー当時のそれを彷彿させるとてもドイツ的な表現力である。このようなベートーヴェンをこのように聴けるとは。あのアンサムブルは流石にミュンヘンではとても出来なかった。

ペトレンコのベートーヴェン解釈の基本は変わらないと思うが、こうした劇場作品や声楽作品において今迄の誰もカラヤンが達成できなかった表現の深みへと入って行くと思う。

個人的なコロナ禍は、自身の疾病に続いて、新制作「フィデリオ」上演や「ミサソレムニス」が演奏される筈だった復活祭の中止から始まった。そして年内最後にこうしてそこからの道というようなものを示されたように思う。今回の演奏中継は今後も何回も繰り返し聴いたり観たりすると思う。今年の想いが一杯詰まった無観客演奏会中継だった。

ラディオではメルケル首相の年末年始の挨拶が流れていた。陰謀論などの反対策の身勝手と残酷さを厳しく糾弾していた。確かにクヴェーアデンカーのような連中には楽聖の意志などは分かるまい。それを通してこうして世界中に示されたジルフェスタ―コンサートの意味は途轍もなく大きかった。



参照:
幻の「フィデリオ」中継録音 2020-04-19 | 生活
ネットパーティー予定表 2020-01-01 | 暦


コメント (2)
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