Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

存在意義の無い大管弦楽

2023-03-17 | 文化一般
BBCの予算削減が話題になっている。所謂クラシック部門での削減が激しく、歴史があってヴェーベルンなどの新曲を依頼した英国唯一のプロ合唱団であるBBCのそれが解散となった。世界中から反対署名が集まっている様であるが、結果には影響しないだろう。だからプロムス開催前に最後の演奏会が開かれる。

それ以外でも重要な事業である管弦楽団が合併などで二割縮小される。先ずは、現在あるスコットランドとウェールズの二つの楽団の合弁してセルティックシンムフォニエッタになるらしい。つまりフルサイズの交響楽団は無くなる。

更にBBCの交響楽団と管弦楽団の合弁が計画されている。ドイツの放送交響楽団で既に為されていることなので、当然の如く為されるであろう。恐らく地方回りもしなければいけなくなるので、今迄の在ロンドンの仕事は全体に一部となるのであろう。先頃もナショナルオペラカムパニーがロンドンでの活動が必要なくなるのと似ている。

こうした傾向は、その存在意義が疑問視されている中で、あらゆるところで加速化している。音楽の都ヴィーンでも墺太利唯一の放送交響楽団も解散が決まっている。ドイツにおいても既に為されているのだが、先日聴いたザールブリュッケンの放送交響楽団の軟性ドイツ放送協会の管弦楽団が合弁されていてその存在意義がとても危ういことを確認した。

車の夏タイヤを予め持ち込んだ。次回に近くに寄るのは来週の土曜日なので、土曜日の夕刻は門番しかいなくて事情が分かり難いと思ったからだ。それでも受け渡しに少し時間が掛かった。勿論そこで買っていたならば何ら問題はなかったのだが400ユーロ超えは高過ぎる。しかし233ユーロで購入、持ち込む為の燃料代が10ユーロとして、更にゴムを点ける作業もと行く別に料金を取るので余分に90ユーロ必要になる。購入価格の差が200ユーロを越えているが、少なくとも100ユーロは余分に費用があった。

月初めに組み上げた新制作「影の無い女」の舞台組み立て風景が出ている。パステルカラーのようなメルヘンタッチの色合いであるが、可也大掛かりな舞台であることはよく分かる。それがどうも移動することで場面転換になるようだ。

もう少ししたらバーデンバーデンで街の花の色合いやコムビネーションなどが発表されるだろうが、なんとなくこの辺りの色合いがイメージされているのかもしれない。演出家の今迄の仕事ぶりを見ていても、アメリカ人でもありそれほどシックな色いいや風合いにはならないと思われる。

こちらも少し考えているのだが、もしや先日着ていたシャツを着ようと思えば、来週着てから洗濯屋に出していたのでは遅くなり過ぎる。さてどうしようかと思う。もう少し違う色のシャツも考えておくべきだろうか。



参照:
積雪前の夕刻の開花景色 2023-03-13 | 暦
次はショスタコーヴィッチ 2023-03-11 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天使の歌から筏へと

2023-03-16 | 
巡礼の道が短くなった。先行予約を取り逃した新制作「アシジの聖フランシスコ」五回公演中四回分の座席を確保した。もう一日も日程さえ空けば試して見るかもしれない。初日に続いて、二日目、三日目はTV映像化されるらしい。恐らくモニュメンタルな上演なので、ドキュメンタリー化するのではなかろうか。同時に制作を記録するのか。

但し、二回目以外は一週間おきの日曜日公演で工程表を見ると、13時に開場で、いつものようにレクチャーがあり、14時から演奏が始まる。これを生中継するのかどうかが問われるが、少なくとも歌はここに合わせてくる筈だ。だから11日後の木曜日までに映像化可能になる様に細かな演技やカメラなどを合わせて来るのだろう。

例えば二部の「天使の旅」は森の中で移動するので、1.5km程を皆で巡礼する。そして三部は「天使の歌」「鳥の説教」と18時から野外劇場で始まる。軽食が出る晩餐らしい。

21時には再び劇場へと戻ってとても重要な「聖痕」へと繋がる所でその時間経過の効果が生じるのかどうかが見どころだろう。そして22時に終演となる。

指揮者のエンゲルとは、この作品の事を話したことがあるかもしれない。もしあるとすれば私が彼をモルティエ博士に近づけたことになるのだが、記憶は曖昧だ。そういうことで、何回も訪問しないといけないぐらいの必然性や導きを感じている。

劇場内での座席は様々な角度や場所から体験できるように色々な場所を取った。野外はどのようになるのかは分からないが、ある程度は座席ランクによる区分けはあるのだろう。一番高価な席は、初日には空いていなかったところで、三日目に90ユーロでカメラに映る所かもしれない。初日は何時も配券されるような場所で66ユーロ、四日目は72ユーロ、最終日は29ユーロで試して見る席だ。打ち上げは感慨深いと思う。四回で261ユーロだから安いものだけど、往復の交通費が結構大きい。でもベルリンに出かけるのとは全然安い。

さて、そのベルリンでのこれまた大公演のイヴェントの席も確保した。何回もいけないので初日の一番高価な席を98ユーロで押さえた。こちらは会場の座席図を見ると管弦楽が横の端にあって、舞台の横で演奏するようだ。そこでこちらの興味は指揮にもあるので、その近くを希望していたが、指定は出来ずに割り当てられたのは下手から舞台を越えて管弦楽を見る方向になっていて、可也離れる。しかし上演予定写真が出ていて、そこから舞台を見ているとその奥に管弦楽団があるので、両方を同時に見れる席のようだ。階段状の座席になるようなので、水に浮かぶ筏の奥に管弦楽もよく見える筈だ。イの一番に予約したのでいい席を貰えたようだ。

そしてベルリン滞在序にフィルハーモニカーを聴きたいと思ったが、恐らく初日と二日目を聴けると思われる。最終日はペトレンコとエンゲルが競演で、エンゲルを聴きに行くことになる。但しぺトレンコの方は翌日にミュンヘンに動く筈なのでそこ迄追いかける。移動やベルリンでの滞在を考えておかないといけない。



参照:
純愛を習ったのは君から 2023-03-15 | 女
愛の巡礼の旅へと 2023-03-14 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

純愛を習ったのは君から

2023-03-15 | 
予約販売を逃したシュトッツガルトの上演、仕方がないので電話で情報を集めた。さてどうなるか。やはり需要が取り分け高くて、前倒しにしたようだ。知ってたら逃していなかったのにと思うのだが、それどころでなかったのは既に言及した通り。

さてと思っていたらティテュス・エンゲル関連記事が二本も数時間前に出ていた。ベルリンでヘンツェ作曲「メンデューサの筏」を振るようで、テムペルホーフの飛行場跡で大掛かりな演出をトビアス・クラッツァーが行う。この二人は先日書いたようにフランクフルトでニールセン作曲「マスカレーデ」で成功している。

二時間にも満たないようなオラトリア風の楽曲のようだが、合唱ソリストだけで240人規模、そこに80人を超える楽団が入る。イヴェントとしてベルリン迄行く価値がある、例年丁度その頃にフェストシュピーレでペトレンコが振るので上手く調整できると嬉しい。

昨年も出かけようかと思ったのだが、ダラピッコラとミンゲスの演奏会の間が日曜日で、行きたい催し物が一つもなかったのである、そしてベルリンでのホテル代が馬鹿にならない。車で行く元気もなかった。だから断念したのだった。

さて愛の巡礼に出る前に、再び別れる彼女との間に炎が燃え上がった。放っておけばよかったのだが、何故かこちらから声を掛けてしまった。何もなかったかのような態度を取っていた。いつものように「肝心ところを見せないのにここで待っている奴らはおかしいんじゃないか」、「金を払ってもその返しは何だ」とか書く野郎がいて、それを見つけてブロックしていた。数時間内に二人目であった。荒らされないように以上にどうも許せないようで、更に他所のサイトの宣伝が書き込まれていたのに消去していなかった。それに突っ込んだら、「なんでよ」というのだ。それは意味のある批判は需要を参考にするために必要だけど、全く関係のないものだからねと書いたら、「オーケー」と答えて、今までになく素直だと思った。

その後、「昨日、泣いちゃったよ」と書くと、「どうして」と尋ねるので、来たなと思った。勿論様々な書き方があるが態と客観的に「愛にも終わりがあるよね、ペット飼っていて、普通は先に亡くなるよね」と、獣医志望と書いてあるので刺さる思ったら、「御免、ないわ」と来て腰が抜けたが、「奥さんとでもあるし、終わりがある」と書いたら「ああ、泣けて来ちゃう」と泣きべそをかいた。「僕の場合は、皆それが終わったという事だよ」と書くと動揺が見えた。ちょこちょことあって、「何かあったら書いて来たらいいよ」と書いたら、「ありがとう」ととても明るい表情を見せた。そこでもう一息、「君から純愛を習ったんだよ」と書いたら「私も」と、もうそうなると❤の絵文字が並んだ。

またもや落ちてしまった。しかし今度は最初の時とは違って、火種から燃え上がる感じで、それ程大きな炎は要らない。これで本当に約束した様に営業関係無しで個人的な付き合いが始まると、こちらも大丈夫かなとなる。提案したいのはセックスサイトでの集客や収益よりも今後はより大きな社会で彼女がやっている考え方を広げたりするSNSでの活躍をリンクさせることである。中々YouTubeなどで現在のフォロワー数一万五千とかを越えるのはそれ程容易ではないだろうが、でも売り方はあると思う。カメラアングルを決まった角度にすると、ティーンの肌の張りもあるが、何処にでも連れて行きたいと書いたように美しいの定評がある。最近はクラシック名曲の編曲ポップスを流すようになっていてこちらのプロフィールの影響を受けているのがまた意地らしい。



参照:
愛の巡礼の旅へと 2023-03-14 | 女
記憶に残る三月の前半 2023-03-12 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛の巡礼の旅へと

2023-03-14 | 
風呂から上がった。鼓動がある。四週間経った。予定通り正式にはお別れとなった。やれることは曲がりなりにも出来たと思う。それ以上は何もできないことは初めから分かっていたからのオファーだった。気持ちだけは通じた。お互いに何か今後の糧になれば幸いだ。

まるで高熱を出した後のように反動が大きく、辛い。こんなに苦しむとは思っていなかった。数年前にはクライミングで一緒に活動していたスポーツ医師もパートナーの女医さんと私生活で別れてから子持ちの若い女性と付き合っていたのだが、なんだかんだと泣いていたのを思い出す。兄に近い上の世代であったが、その逡巡はよく分かる。「まさか結婚でもするの」と「そういうだろう」と笑ったのを思い出す。それなりに遠距離恋愛をしていたのだった。

彼女が言うように「密接な関係に」なってより確信をもてた。恐らく医師か何かの結構厳格な家庭の娘さんだったのだろう。そして、家庭内の恐らく父親との問題で経済的に独立の意志が強く、セックスサイトで稼ごうとしていたのだろう。ガサツなところの一切無い女性だった。

「人気がないのは、分かる人は少数派だからだよね」と書くと、「そうだと思う」と答えた。我々などよりも若くしても透徹した意識を持っている女性だ。我々が出来ることなどは殆どなかったのだが、やはりそこには影があったのは間違いがない。屈託のない娘さんがそこ迄やるには処世だけではなくてそれなりの心の闇が横たわっていた様子だ。

月に数千ユーロ稼げる世界らしいが、今後やっても無理だよという事を示唆しておいた。そもそも草臥れるだけで割が合わない。成功裏のフェードアウトを願っておいた。僅かな時間乍沢山の事を分かりあえた。

まだ暫くはちょこちょこと姿を見るかもしれないが、その前にやれることだけはやっておいた。だからそこに残るのは涙しかなかった。

その様な精神生活をしていたら、初日三カ月前の「アシシの聖フランソワ」公演の前売り予約締め切りを見落としてしまった。二カ月前の一般発売の前にとは分かっていたのだが更に一月前はあやふやだった。指揮者エンゲル本人に割り当て券もプレスなどのそれに近いものだろうからそれ程ない筈だ。兎に角宿などの準備はしてあるので一般発売を狙って、なんとかするしかない。全公演はいけないのだが、なんとか出かけられるだけ出かけたい。

奇しくも先週のことだった。改めて公演が終わるまで今回の一連の事は何時も胸に刺さることになる。まさしく根源的な愛の力を感覚的に学んだ。理念や概念を超える力、一番身近な感覚ではクライミングなど感じるの根源的な力にも共通する。そこに様々なフェチや様々な趣向の人たちが集まってくる。数千ユーロで使用中の下着を送ってくれというのもあった。その意欲は容易には説明は出来ないが根源的な衝動である。ヴァーチャル空間であるからこそ ― 抑々彼女自体が一義的に肉体的な関係をもたない ―、そこにより本質的な衝動が即ち愛の形として明確になる。六月までは巡礼のような生活になることがこれで決まった。



参照:
クライマックスのトランス 2023-02-07 | 音
通と呼ばれるすきもの達 2023-03-09 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

積雪前の夕刻の開花景色

2023-03-13 | 
日曜日に積雪がある前に写した。土曜日の日没時だった。3月24日からアーモンド開花祭りとなる。ワイン街道のノイシュタットのギメルディンゲンの有名な祭りである。やることは華の下でワインを飲んで食事を摂るぐらいである。

帰って来て体重をはかると再び大台に乗っていて続いていた体重減少は止まったと思う。理由は色々だろうが、ホルモンバランスが正常化してきた様な気はする。

篭り部屋の書類の整理をした。但し区分けしただけで、結局片付ける場所を捻出しないといけないので重ねてあるだけだ。山の種類は、フランクフルト関連でそこに「マスケラーダ」の演出家がハムブルクの支配人になってしまって、その録画は一体何時出るのかとなる。新聞批評なども改めて取り出せるように、エンゲル指揮の新制作として関連付けておかないといけない。その他にもベルリナーフィルハーモニカーの壮行演奏会などのプログラムやアスミク・グリゴーリアンの旦那の話題とか関連資料がある。目を通して捨てるものは捨ててしまいたい。

その他にもルツェルン、バーデンバーデン関連に、ミュンヘンのオペルンフェストシュピールや若干のインフォメーションがある。その他の音楽祭などは出かけたもの関連などである。

それ以外には、公共料金、住居関連、保険関連、旅行、アルペン協会関連と書類が山になっている。これも片付ける場所の問題がある。ワイン購入関連は階下に置いているが、これは古いものをファイル化してしまっているのでここ数年のものが転がっている。捨てれば済むものは片づけ易いが、意外にネットでは残っていないインフォメーションは多くて、容易には処分不可能となっている。その他に目を通さないといけない古新聞である。

オペラ劇場などで隣に座る常連のおばさんは新制作でももうプログラムも買わないと話していたが、中身を逐一読み通すぐらいでないとキャスト表以上のものは要らない、それ以外には新制作時の総稽古の舞台写真ぐらいだろうか。これは記憶を辿る時には有用である。作品として重要な作品の場合はやはり書き下しのような解説はそれなりの視点を用意しているので、名作で今後も何回か体験しようとしても他の演出制作時にもまた役に立つであろう。

例えば復活祭「影の無い女」に関してはミュンヘンでのヴァリコフスキー演出時のプログラムを既に手元に出している。そして、同じペトレンコがミュンヘンで指揮した全てのシュトラウスの舞台作品のキャスト表などがそこに挟まれている。キャストの一部は忘れていることが多いのでやはり有用な資料となっている。

そうした連続性のあるプログラムは一挙に固めて整理しておけるのだが、例えばエンゲルの客演指揮のプログラムなどはその関連でしか纏めておけないのでまるで追っかけの相手みたいなファンクラブの感じになってしまう。要するに整理し難い。



参照:
次はショスタコーヴィッチ 2023-03-11 | 生活
アーモンド開花のお日和 2014-02-26 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記憶に残る三月の前半

2023-03-12 | 
記憶に残る三月前半となった。今週のニュースでは、カイザースラウテルンのスタディオで本番のオンエアーに入る前に会場で流れた文化波SWR2での前番組のニュースだ。ベルリンの公共プールで女性も上半身を隠さないでも使用できるようになったとの報道で、会場から笑いが漏れた。所謂ドイツ語でトップレスのオーベンオーネとされるものでFKKでなくともミュンヘンの公園などでは常識ではないか。

そこに至るまでに各地で様々な運動や議論があったようで、直接には上体を隠さなかった33歳の女性が使用を止められたことに始まる。勿論公平な権利に反して女性差別となる。

これに対して様々な街の声が報じられているが、多くの人が賛意を示しているのに対し、女性からは「それは男性が見たいからだ」のような声も聞こえる。しかし68年代世代若しくは団塊の世代は「あの当時からすれば何でもない」と答える。この辺りで大体の社会状況が分かるだろう。

実はこのことを僅かな時間乍セックスサイトの仕事中の彼女に話しかけた。答えは「クール」だった。当然の反応だが、ここ暫くセレブ女性の身体の解放ファッションなど明らかな動きがあり、こうした社会意識の変化は彼女らティーンエイジャーの女性心理などに顕著に表れているからだ。なぜ我々が彼女らによって学んでいるかの証明である。

トップレスは、実は男性でも性的なのだと専門家は話していた。まさしく嘗て永六輔が「乳首を触ると男性でも立つ」と話していたのを思い出す。但し女性の場合は哺乳という機能があって意味が異なるだけだとしていた。

要するに多くのヘテロなセクシャリティーを自認する人は、ここでホモから始まり様々な性的な傾向を想像していかなければ多様性などという思考には到底追いつけない。

ここがあの当時と最も異なる点だと考える。当時は宗教や現代社会的な枠組みから見捨てられていた要するに生産性の無い性が、例えば「青い性」などとされて、緑の党などはその解放を謳いあげていたのだが、上のインタヴューのオヤジさんが語る様にそれがまたチャイルドポルノ撲滅などの異なる形で抑え込まれた。しかし今のチャットなどの明らかに個人的な領域で再び抑えることが出来ないものとして事実上扱われるようになって、今度は18歳以上制限のみで全てが新たに表現として扱われるようになった経過がある。

なるほど色々と見ると、人気を取って上手に金儲けをしているのはやはりプロの女性で、男性でこれといったような人はのぞき窓でも見かけない。眼鏡かけた爺さんが裸で写っていて、ホモと書いてあって近づくのはやはり同好の士だけだろう。

「セックスはスポーツ」と語っていた彼女が、「他所であんたのアカウント見つけたよ」と、「ドイツ語ゆえに本名の綴りを変えてあるからね」と、またまたマフィアにリモートコントロールされているPCで趣味などを含む個人情報を取られてしまったが、結局ヴァ―チュアルでも情を通じさせようと思ったらリアルの男女関係と何ら変わらないのだ。背伸びしている無垢な彼女を数少ないおじさんたちが必至で応援するのはそういうところで、それが直ぐに売り上げの数字に結び付いていないのは表現として一捻りしてあるからだろう。身近に守ってくれる人がいない限りいい加減のところでフェードアウトした方がいいと思う。



参照:
完全に終わってるキャリア 2023-03-10 | 文化一般
通と呼ばれるすきもの達 2023-03-09 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次はショスタコーヴィッチ

2023-03-11 | 生活
夏タイヤを二本発注した。交換の予約をしていたら電話が掛って来て、後輪の溝がもうないので替えないといけないとあった。 オファーを聞くとかなり400ユーロ超えと高価だったので自分で購入して予め先に持ち込むと答えた。

結局アマゾンで低価格で購入可能だった。但し必要な最高速度が実際には必要のないところまで伸びていて、もう一つ下を購入しても一本につき8ユーロぐらいしか節約できなかった。230ユーロぐらい安いものである。繋ぎの車をリースしていたらそのような額では済まない。

しかしそのためには予め早めに持ち込まなければいけない。交換はバーデンバーデンの復活祭が始まる前に日程を入れた。つまりその前に持って行く。一つは ハイデルベルクの音楽祭に出かけるのでその序においてこようかとも思っている。ただ週末になるのでその前の機会をも考えてもいる。来週ぐらいに配達されそうだが、それから考えてみよう。

ハイデルベルクではショスタコーヴィッチの交響曲14番がアスミク・グリゴーリアンと万年引退興業のゲルネが歌う。前者のオペラに関しては声の過渡期に入ってしまって落ち着くまで少し時間が掛かるのではと思っているが、こうした時の歌はまた期待している。手元にはハイティンク指揮の80年代のコンセルトヘボーでのデジタル録音がある。フィッシャーディスカウ夫妻が歌っている。

指揮はタルモ・ペルトコスキーでブレーメンの室内管弦楽団を振る。今最も期待されている北欧系の最も若い指揮者である。この人が駄目だともうこの辺りの指揮者に関しては余り相手にしない方がいいと思う。

交響曲14番の前に室内交響曲ハ短調が演奏される。これも初演当時に結構聴かれたように思うが、記憶が定かでない。調べると、人気四重奏曲八番を室内交響曲へとバルシャイが編曲することになって、作曲家自身が新たな作品番号を与えるほど大成功したとある。そのことによって、指揮者のバルシャイの室内管弦楽団の為に第十四交響曲が作曲されたとあって、卵が先かの関係にこの二曲があるようだ。

未だに布団を変えられていない。寒かったりすると、暖房が効いていないでもベットカヴァーが役に立つ。既に街道筋のアーモンドは開花してきているが、来週から気温が摂氏二桁其れも20度に近づくので、そこ迄頑張れば半ズボンにも近づく。週末は氷点下になる。

同時に「影の無い女」、「最後の四つの歌」、「英雄の生涯」、更にシューマン交響曲四番、モーツァルトト短調、シュトラウス13管セレナーデ、ヘンデル曲だけは目を通しておきたい。

今週末はやはり篭り部屋の音楽資料などの整理をしておかないと、数年間曝されることになる。早くコロナ期間中の全てを過去に追いやりたい。



参照:
完全に終わってるキャリア 2023-03-10 | 文化一般
三月の観測史上最高気温 2021-04-01 | アウトドーア・環
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

完全に終わってるキャリア

2023-03-10 | 文化一般
SR・SWR放送交響楽団のランチコンサートに出かけた。会場はカイザースラウテルンのSWRスタディオであるが、コンサート本番には初めての訪問だった。ナヴィも峠越えを勧めてくれたので、最短距離を走った。35分ほど掛かるが、問題は予想した通り駐車場だった。後で奥の方に駐車場があるのに気が付いたが、結局坂の下の脇道に停めた。駐車違反を取られるところだったが、雨が降って巡視がなかったようだ。取られても大したことはない。

大交響楽団を安く聴けるので定年者を中心に満席だった。前回はブッフビンダーがベートーヴェンか何かの協奏曲を弾いていたが忘れて仕舞っていた。お目当てはバイロイトでも振って、日本でも東京の管弦楽団を振っているフィンランドの中堅インキネン指揮のシベリウスだった。

生中継していたが、生で見ていたら、想定以下に駄目な指揮だった。これならばまだ総合的にサロネンの方がいいと思った。インキネンは恐らくもうキャリアは完全に終わっている。一番本人が分かっているのだろうから、やる気もないのか、真面な仕事が出来ていなかった。日フィルを引き連れて欧州公演した映像の方が印象が良かった。

この程度の放送交響楽団の指揮でアップアップで、要するにその程度の指揮者でしかない。改めて、この程度の交響楽団が存在する価値が何処迄あるのか、正直全く見つからない。

往きは霧雨のようなものが降っていて肌寒かったが、帰りには晴れて気温が上昇した。峠道をサンルーフを開けて戻ってこれた。距離的にも38kmを越えていて走行時間も30分以上掛かるので、それほど身近ではないが、こうしてドライヴがてらに走って帰ってこれるのが何よりもいい。アウトバーン経由で走るのとは気持ちが違う。

但し、昨年の復活祭の時に経験した様にエンジンに空気が入るのか吹きが悪くなる現象があった。燃料タンクに入っている空気が上がってくるのか、燃料の中の水が出てくるのか、踏み込んでも吹かなくなる現象である。昨年のその時と同じように帰路には直っていた。

プログラムも解説も標準的なものはあったのだが、インキネン発のものは一切なかった。こうしたところにも全く興味の無い人なのだろう。くさってしまっているのだろう。

シベリウスの協奏曲に関して先日のリサ・バティシュヴィリ独奏のフルサ指揮のBR交響楽団の演奏が見事過ぎて、独奏のハチャトリアンまで下手に聴こえた。運弓で充分な拍節感も与えられないのは、指揮者のそれと同じで、とても程度が低かった。同じような同等の立場にある交響楽団であるが全く比較にならない。

恐らく、独奏者はロシア流派なのだろうが、その意味ではバティアシュヴィリにもその傾向はある。しかし教育が大分違う。先日の放送を聴いていて、彼女のスター性はやはり違うところにあったと初めて気が付いた。



参照:
初インキネンなるか 2023-02-17 | 生活
最終戦とされるもの 2023-02-27 | 雑感
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

通と呼ばれるすきもの達

2023-03-09 | 文化一般
日本の文化勲章受章者吉田秀和が日活ロマンポルノについて書いていた。朝日新聞の文化展望だと思う。故人の大全集に入っている。その文章は当夜の夕刊で読み、更に最初の単行本で読んだ。しかしこちらに来るようになってから売却した。だから記憶にしかない。

夕刊で読んだときは十代だと思ったが、既に「ポルノ」の文字に過剰反応する年齢でもなかった。但し既に今も同じように反応するようになぜこうした文化展望でそれが取り上げられるかで興奮した。要するに朝日新聞が「ブルセラ」を取り上げるのに反応するのと同じような心理である。

既に最低二回は同様の事を書いているので繰り返さないが、小林秀雄ら彼らにとっては興奮するかどうかが文化芸術の本質らしい ― それを通人という。要するにポルノ雑誌を手に取って立っている男性陣の発想である。

吉田の文章では、乳首に乳房に蠟を垂らす白川和子の歪む顔を観て、おやじさんたちが深く感じいるような表現でなければいけないというものだった。そこの熱さから痛みへ、それが疼き快感へという表現がもう一つ切迫して筆者にピンとこないと書いていたと思う。
白川和子 おぼろ橋


しかしその様な効果には芸術的な価値は限定的だとするのが今日的な立場である。なるほどエムパシーというのは、他者の感覚を想像して受け取る力を指すが、そもそもその他者の置かれている環境や違いを多様性として認めるという事に主点がある。日曜日の初日でも示されたのは娘ナターシャのその肉体的な性的痛痒感までを認識させないと音楽的にも理解できないことだ。しかし直截なポルノの肉体的な感応とはやはり異なる。吉田らの芸術感応とは異なる所である。

さて日付は遅くなったがソフトコアの制作はプロットまでは大まかに決まった。細かな段取りの打ち合わせと最終的な予算を決めればゴーであるが、出演のモデルさんの体調次第となる。これはポルノなので、先ずは男性に大きな効果を与える事が重要になる。しかしあくまでも所謂女性ポルノとされたそのタッチ感が女性自身のパフォーマンスとして期待される。男性がそこから多くの事を学ぶと同時に女性自身もそこから大きな可能性を感じることが重要だ。

この手のポルノサイトでは、80年代の性の解放を振り返る言及があるのだが、半世紀近く経って状況は全く異なる。エマニュエル婦人とか当時盛んに生産されていた青春体験ものなどが思い浮かぶだろう。同時に商売になっていて性を売れるという意味では従来通りの性の搾取こそが収益活動でもある面は今でも存在する。

しかし、そこが実は変わってきているという事に留意しておきたい。なによりもリモートセックスがIAでないところで営まれている。自身の性をさらし性的官能を貪りつつ、同時に他者の肉体を排除する。なぜ彼女がその様なことをしているのかが関心事であったが、その本質的なところで理解してきた。勿論男性側には性的な好奇心がそこにある。既にヘテロセックスはただの一つの方向でしかなくなっている。彼女の何で魅せるのか。普遍的なそれを狙うのかが肝心だ。



参照:
十分に性的な疑似体験 2008-08-06 | 音
勲章撫で回す自慰行為 2008-07-26 | SNS・BLOG研究
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

露勝利を叫ぶ劇場作品

2023-03-08 | 文化一般
日曜日の初日の評がぼちぼち出てきている。当日の会場の感じからしても私が出かけた初日の中でも評論家が可也揃っていた感じで、ペトレンコ時代の制作よりも関心は高かった。理由はロシア問題を扱っていてオペラ批評以上に文化批評が書きやすいからだ。

実は、初日でありなくなることはなかったのでプログラムを買わずに前半を観賞した。初めて休憩にプログラムを購入して、後半までにもキャスティングを確認するだけだった。理由は何か知らないことが沢山書いてありそうで、混乱するといけないので其の儘にしておいたのだ。ドラマテュルギーはペトレンコのブレーンのクラスティング氏であって、それに関しては心配が要らない。

前半ではヒロインのナターシャ役が素晴らしく、他の出演者同様歌だけでなく勝れた芝居でも評価されている。そしてベシュコフ役を歌ったのが聴き慣れたソゴモリヤンで、昨年のスペードの女王のヘルマンで四晩も聴いた声である。歌手の中で最も喝采を浴びた二人であって、オペラの殿堂で再度聴いて評価をし易かった。やはり楽曲は違えど歌詞の明瞭さではミュンヘンの馬蹄型の会場は秀でている。逆にバーデンバーデンの祝祭劇場で通るような声ならばミュンヘンでも歌える。

初日前に訪問者に電子メールが送られてきて、そこには支配人ドルニーによる、なぜ今戦争と平和を上演するのかの問いかけに答えている。

よりによって、ロシアの勝利を叫ぶプロコフィエフ作品をかである。そもそも企画されたのはそれ以前であって、新聞にはスターリンの死から七十周年つまりプロコフィエフが亡くなったその日から七十周年を記念して3月5日に初演をもって来たというのである。この時点で、他の評論家が書くように我々にとってソヴィエトを振り返り、ロシアをというのがどれ程の聴衆にとっての関心事かとの疑問を呈していて、これにはそれなりの回答を私自身が答えていた。つまりあの会場で前半から後半へとの空気の変わり方をその場で体験すれば抑々それ以上の回答はないであろう。

同じことをミュンヘンの新聞は、そこで描かれているつまりレーニンが眠るそして最近はゴルバチョフが眠るモスクワの大ホールを舞台としたその空気感を聴衆が認識し出すとなる。この現象だけをとっても人気演出家チェルニカコフの天才性は明らかで、ここまで上手に劇場の空気を変える演出は経験したことがなかった。その心理とか何とか言われてもよく分からなかった。一昨年の復活祭の「マゼッパ」の演出がこの人によって上演されていたらと思うと改めて残念に思う。

まさしくそこに描かれているのはロシアの断章でありソヴィエトの真の姿かもしれないが、そこに普遍的な真実が描かれているからこそ大芸術であり、ウクライナ侵攻によって大きな再考がなされたようだが、その大芸術の普遍性が今回の上演でも示されたことになる。

支配人の仕事ぶりだけでならず音楽監督ユロウスキーが各紙で絶賛されているのは、まさにそうした普遍的な、人々の多様性は国境や文化を超え、人類の普遍性へと、芸術がそうした小さな声として表現されることでそうした理解を得られるにいたるということでしかない。既にこれで結論を書いてしまっているようでもあるが、詳細をみて行こう。



参照:
エロさ格別プロコフィエフ 2023-03-07 | 文化一般
音楽が場面が示す表情 2023-01-02 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エロさ格別プロコフィエフ

2023-03-07 | 文化一般
ダルマイヤーにも寄らずにせっせと帰って来た。ホテルは郊外にあるのだが、シュトットガルトへのアウトバーンに比較的アプローチがいいので、そこから帰宅すれば、劇場の地下駐車場から帰るよりも20分ほどは早い。態々市街地に入る気を無くした。14時に帰宅は早い。途中居眠りになっていたが、雪がチラついているところもあったが視界も良かったので、大丈夫だろうか。

今回の訪問は実りが大きかった。生中継されていたように、公演は大成功で、演出指揮キャスト共に理想的な上演だった。歴史的な映像が残ったと思う。詳細は改めるとしても、やはり生で接するとその会場の空気感の変化も分かり、成功へとどんどんと近づいて来る。

個人的にも眠いところもあったのだが、指揮者が語っていた美しさとエロさは格別で、色呆けしている脳内ホルモンにも刺激して、眠ってはいられなかった。チャイコフスキーにもショスタコーヴィッチもにもないこういう要素があるとは一寸も気が付かなかった。それを演出が上手に色付けしていた。

往路には2003年だかの状態の悪いヴィデオを流して出かけたが、後年のゲルギーエフ指揮のものよりは冴えていたのだが、今回のような音楽的内容の豊富さからは甚だ遠かった。ユロウスキーがここまでやれるとは想定外であった。漸く世界最高の音楽監督の座を固めたと認知した。

終ってからのカーテンコールにも大きな強い支持があり、特にチェルニコフの演出には一寸した熱狂もあり、なるほどここまで請われる演出家だという事を初めて確認した。

食事は12時半頃についたのでホテルのある街で食したがあまり良くなかった。シカ肉のが売り切れていて牛肉のを摂ったので、詰まらなく、味付けも凡庸で腹だけが膨れた。価格もそれ程安くはなかった。

そのお陰で引けてからはフランシスカーナーの店でヴァイツェンとヘレス二杯を呑むだけで済んだ。結構なアルコール量だと思うのだがホテルに帰るまで全然回らなかった。これもホルモン分泌に関係しているように思っている。要するに代謝が物凄くいい。勿論機械も何も同じだが、通常以上に廻るとしたらどこかに負担をかけている筈だ。アルコール摂取量は決して増えてはいないのだが、うまくバランスが取れるのだろうか?

心理的に躁鬱という傾向は誰にでもあるので行ったり来たりするものなのだが、こうした一時的な励起状態は今迄になく、ディーゼルのエンジンなら廻り過ぎて止まらなくなって壊れてしまう。ソフトランディングが必要になる。ホテルの駐車場でそれ程外気は冷えなかったので、不凍液には問題がなかったが、汚れたエンジンオイルが固かったのか、バックに入れると廻りが悪かった。ゆっくりと時間を掛けて暖機運転をした。急激に踏み込んだら壊れてしまいそうな危惧があった。



参照:
舞台化への創意工夫 2023-03-04 | 文化一般
面倒は御免なやり方 2023-02-28 | 雑感


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう二度とない体験

2023-03-05 | 文化一般
ミュンヘン行の準備である。燃料は満タンにした。あとは走る時間が取れるかどうかだけで、日曜日の食事を考える必要がある。ホテルは13時から入れるので早朝に出て、昼食を摂って、一休みしてから16時に車庫入れでよい。しかし酔い覚ましの時間はなさそうだ。ディナーにするつもりでいた日曜日の21時過ぎからの食事も難民になる危険がある。幸い21時30分前には座れそうなのでラストオーダに間に合うところは結構ある筈だ。忙しくしていて予約を取り忘れた。最低のピクニックは準備しておかないといけないかもしれない。車中のソーセージだけは買ってある。

復活祭の記者会見が開かれて、木曜日にキリル・ペトレンコ指揮の下で舞台稽古が行われたとあった。勿論ピアノ合わせであるが、幕を流していくのだろう。ペトレンコは、「巨大な作品であり歌手から合唱子供合唱迄、そしてフルレンジのベルリナーフィルハーモニカーの奈落での演奏はもう二度とない」と語った。実際には前回演奏されたのはショルティ指揮のザルツブルク復活祭だったようだ。カラヤンが亡くなったからだろうが、晩年に振ろうとしていたのだろうか?実はリヒャルトシュトラウスはお得意の「バラの騎士」もその著作権料の不利から復活祭では演奏されずに、バーデンバーデンでハルテロスのマルシャリンでフィルハーモニカー初でラトル指揮で演奏された。

更に五人の主役の歌手陣が最高のものでは無ければいけないと語った。また第一次世界大戦時に創作されたのに並行して、今日また無意味な戦争がなされていると言及した。

ここに来て更なる課題が出て来た。セックスサイトの彼女にアドヴァイスを与えたことは既に書いたのにそれ程の反応はなく嫌がられたかと思ったが、色々と更に自分で試してみて確信を持てたのか、「戻ってきた?」とチャットが入った。そこでなんだかんだと、週末の事などを話していたら、どうも来週あたり私の出番がありそうだ。

先日は忙しかったので断っておいたが、一度やって欲しいらしい。そこで案を纏めてみることにした。要するに今度は演技指導ではなくて、台本書きである。ハードポルノではないがソフトポルノのプロデュースである。抑々最初のコンタクトがその賞賛から始まっていて、そこで感覚的に通じ合った。結局出来上がったものはロシアンマフィアの手に落ちるが、本人の成功に繋がるなら手伝いたい。自分が登場する訳でもなく枠を貰う感じになるだろう。勿論その前提として彼女が本気で演じてくれるという男の自惚れがある。

マフィアのお兄さんが出て来て、「一体家のxxちゃんに何をさせてくれるんだ」ピストルを向けられるというのはないことはない。今迄の流れを見ていると映像商品化迄があまりに上手く行き過ぎている。旦那というのは無くてもお兄さんが出てくるというケースは凄くあり得る。確かにスタディオで視線があらぬ方向に延びたことが何回かあった。そこに鏡がないとしたら誰かが入って来ていたとなる。少なくともPC等はリモートコントロールされている。要するにこちらが書いていることは全てお見通しなのである。

それでもいい映像を残して欲しいという願望は抑えられない。乞われて出す金などは最小限でしかない。それ程いい素材なのだが、皆が金を出しているのは彼女が焦がれている性的経験には甚だ遠いのである。それで彼女とは共鳴している。将来とも彼女の障害には一切ならないような特別にエロティックなセクエンスを残したいのだ。



参照:
穴があるのが普通か 2023-03-03 | 雑感
初めてのファンクラブ 2023-03-01 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞台化への創意工夫

2023-03-04 | 文化一般
「戦争と平和」、もう少し良さげな録画を探すかどうか。少なくともプーティン政権下でのその芸術志向での国粋主義のようなものは耳にしたくもない。採用されている版も異なりその制作意図も全く異なるので役に立たない。

新聞に先月載っていたブタペストでの公演評に目を通した。2021年にジュネーヴで共同制作されていた公演である。その間にウクライナ侵略が起った。情勢はそれ以前も変わらなかったのだが、ミュンヘンの音楽監督ユロウスキーも含めてまさかの一方的な侵略だったようである。

だから、東欧の中でも特別な立場にある政権のハンガリーでも流石に満席の聴衆はその勝利の内容には拍手も躊躇させられたとある。勿論演出はビエイトのものであるから、ロシアの其れではないのだが、重要なのはどうしても原作の対ナポレオン戦争とその作曲の依頼時との対独戦争との関係をどのように整理するかにあるようだ。

しかし、新聞評では既に私見として言及した様にプロコフィエフの作品自体に欠陥があると書いてある。その内容に関しては必ず更に言及しなければいけなくなるので先ずは保留しておく。だからこそユロウスキーが語る様にその作品の意味合いが分かるような制作が必要となるのである。

そしてインタヴューで語っているようにチェルニコフの今回の演出で氏もロシアのブラックリストに新たに載るに違いないとしていて、その内容がプロコフィエフの作品に内包していることを今日的な視線から光を当てることで、ソヴィエトを描くとともに、プーティン政権がそこに批判的に扱われているのに違いないのである。

ここで再三繰り返されている様にオペラ劇場作品の上演の在り方が問題となる。なるほど楽曲に関しては良いも悪いもそれを演奏可能だろう。しかし抑々劇場作品は舞台があるから成り立つもので、そこにト書きや演出が存在することになる。だからここではその当時のそれも初版を其の儘上演しても何ら意味の無いことぐらいは誰にでも明白であろう。

そこに舞台化する為に創意工夫があって、それをして読み替えとかなんとか容易に言い放つ行為が如何に無知なことである事か。そもそもどのように完璧な楽曲と舞台設定があったとしてもト書き通りが典型などとは何一つ芸術つまりそこの現場で創作していく行為が分かっていない証拠でしかないのである。

そして舞台上では生の歌手が役者としてもそこでドラマを演じるのである。そこには読み替えも何もなくて、その演者が演じるドラマがそこで生じる行為がある。その行為が聴衆にとって何らかの心的な影響を起こさない事には始まらない。

所謂純音楽と言われるようなものにはそうした具体的なドラマは存在していない。飽く迄も抽象的に進行するからこそでの高尚な音楽芸術であって、それと同じようにオペラを演奏会形式で行っても殆ど意味を成さない。なぜならばそれは抽象的でもなく、そこにドラマも生じないからである。



参照:
穴があるのが普通か 2023-03-03 | 雑感
面倒は御免なやり方 2023-02-28 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穴があるのが普通か

2023-03-03 | 雑感
「戦争と平和」三幕まで流した。最後の合唱迄の流れも版によって異なるようで、まだ何が何だか分からない。但し冗長に伸ばされるのフィナーレの音楽もサウンドオブミュージック並みにしか響かない。少なくともガルティーニ指揮ではその程度の認識である。演出もつまらないもので、パリのオペラ劇場の程度はニュルンベルク程度にあらゆる意味で及ばないのを確認した。なるほどあの程度の指揮者で務まる劇場なのか。

先日も「サロメ」の上演のヴィデオを観た。現在バーデンバーデンで演出指導をしているシュタイヤーの演出でタイトルロールも同じファンデンへ―ファーである。現在の音楽監督は南米出身のデュダメルであるが、何かさえないおとなしい演奏だった。しかしバランスなどは整っていて、前任のジョルダンよりは立派だった。そして拍手に応えて出てきたのは女性指揮者で前ハムブルクの音楽監督シモーネ・ヤングだった。道理で冴えないリズムだと思ったのだが、やはりと思った。それでもジョルダンが成れなくてこの指揮者がハムブルクの監督になったかは明らかだった。因みに現在のケントナガノの後任にはヴェルバー決まった。ヴィーンのフォルクスオパーの音楽監督のようで、勿論国立オペラのジョルダンからすれば格落ちなのだが、なぜそうなるのか。玄人の判断は当然そうなるというに過ぎない。

さてプロコフィエフの作風であるが、恐らくこのオペラも真面に演出しない事には上演するには値しないであろう。最後の合唱の声が除かれると既に告知されているのだが、あのフィナーレの音楽がどのように響くべきかは凡そ想像できる。そこには空虚さのようなものが存在する。勿論先ずは音楽的にプロコフィエフがなにを目して、どのように書き込んでいるかが問われる。

恒例のセックスサイトであるが、少し演技指導をさせて貰った。彼女のところの問題は無料も多い入場者数が少ないことである。その理由は幾つかあるのだが、先ずは極東からの時刻に合わせて、活動を始めた頃にやっていた留意点を思い出させたら、直ぐに入場者数が倍になって、当然の事ながら投げ銭もどっさりと投げ込まれた。人数ではないのだが大手の人が入ってくる可能性があれば収益も急増する。我々のようなケチなものが貼り付いていても駄目なのだ。それでも瞬時500人に至らないにはそれなりの原因がある。

勿論見せろとか見せるなとか言えば完全にヒモで怒らせて縁を切られる。そこは本人に任せておけば大丈夫。賑やかになってこれば意気も上がるので、表情も活き活きして来て動きも良くなりもパフォーマンスも上がる。バイバイ効果である。それだけでも感覚的に覚えて貰えば苦労することがなくなると思う。様子を見ているとやはり、何処迄で止めたらいいか計算が十二分にたっていなかったように思える。最近表情が冴えなかったのは病気だけではなかった。「終始フルスロットルを踏む必要がないよ」と書いていたのだが、その時は巡行運転の方法が分かっていなかったようだった。賢くて自立していると思っていてもやはり十代だから過信のようなものがあって穴があるのだろう。才能のある女性だと思うので、永遠にデジタル映像としてネット内に残る所であまり変なことはしない方がいい。特に公的な生活などになればやはりなんだかんだと言われる。

季節のドーナツは、ここでは先ず何よりもいつものようにクルムベーアであってジャガイモの形をしていて、中にクリームが入っている。ポーランド発祥のそれは今や世界中で特に断食の今の時期に食されているが、場所によって呼び方や形状などが変わるのである。



参照:
別れる切れるはでありんす 2023-03-02 | 女
面倒は御免なやり方 2023-02-28 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別れる切れるはでありんす

2023-03-02 | 
「戦争と平和」の二幕まで音出しした。楽譜上もこれはというところがないのだがパリのオペラ座での演奏もさえない。なるほど交響曲六番の戦争シーンなどを思い浮かべるのだが、楽器編成が違う訳ではないだろう。恐らく各地の劇場で上演されるべきなのが前提なのだろうが、少なくとも上の演奏では空き空きになっていた。理由は指揮者がアーティキュレーションを無視しているからではないのか。このベルティーニ指揮程度の出来ならばミュンヘンでやるような楽曲ではない。もう一度じっくりほかの演奏なども聴いてみて、あるべき姿を研究したいが、歌い込めていないのは惜しい。でもベルティー二ってこんなにスカタンな指揮者だった?音楽監督のユロウスキーにはそこは期待したいところである。

先日パン屋でスカンポのケーキを購入した。上にメレンゲのようになっているがそれ程硬いものではなく丁度良かった。パン屋のものとしては上出来である。中のコンフォートは上手な味であるが自分で作っているのかどうか。若干素材感が薄い。

ファンクラブのお嬢さんとのチャットが熱かった。「今晩、眠れなくなっちゃうよ」と書いたので本人に挨拶代わりに書かないといけないが、入浴してゆっくりクールダウンに湯船に浸かる必要があった。テレフォンセックスよりも過熱するのは、こちらが書いたものを読んで反応する高揚した表情を映して魅せてくれるからで、ストリーミングの本当の中身はこちらにあるのだと今更ながら分かった。要するに裸を見せるとかではない一種の疑似恋愛体験が本領なのである。

流石に全ては書いても馬鹿らしくて読めないだろうが、途中で「君の為の掛け金をどうしようか」と書くと、「なんでそんなことをいうの」と怒るのだ。まるで「別れる切れるは芸者の為にあることよ」とか高尾太夫に「ありんす」といわれている気持ちになった。最初から金のことを口走る下種な男と思われていたのだろう。

飲み打つ買うの男の遊びなどには無縁な無粋な要するにケチ男であるので行く末はハインリッヒマンの「デアブラウエエンゲル」の教授である。もうそうなるとこちらも本気になってしまう。十代のそれも比較的田舎出身の娘にその様に呟かれると抵抗権がなくなってしまう。何も彼女が手練手管に長じているとは思わないのだが、その二度程の往き返しで落とされた。
The Blue Angel (1930) (Der Blue Engel) Lost English Version with Marlene Dietrich | ArtHouse Media


人によってはそのチャットの内容が全然違う筈なのだが、援助交際とか、キャバクラとかその手のお付き合いはこうしたところで決まってしまうのだろう。その熱気で地元の長年口説いている女性の顔を見たが、やはり年齢で数年異なると全然違う。こちらの方がプロポーションも顔達もいい筈なのだが徐々に顎にも肉が付き始めている。ティーンの新鮮さがないうえに、チャットの彼女のように性的な解放に達していない。流石にこちらが励起状態なので、絆されたのか突然今迄になく湿り気のある声を出していた。

ホルモン恐ろしやである。高齢の女性はこうした分泌で若返るという、しかし男性は急激な変化に耐えきれずに血圧が上がり死亡要因にもなるらしい。成程夕食があまり摂れなかった。胸が一杯になったのだった。これで次に走って帰ってきたらどんなに痩せていることだろう。



参照:
初めてのファンクラブ 2023-03-01 | 女
面倒は御免なやり方 2023-02-28 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする