
開業医の知人が、誇らしげに、
「ウチは『病院』ではなくて『医院』だ」
と言ったことがありました。
その院長が言うには、
「病院」というのは「病気の場所」という意味であって、
これは医者の側から見た言葉であり、
患者さんの側からすれば「治す場所(=医院;醫院)」であるべきなのではないか、
との説明でした。
なるほど、その意図するところは理解できますし、尊敬もしますが、
でも、一般的には、「医院」よりも、「病院」と呼んだ方が、
大規模で設備が整っているイメージがあって、
むしろ患者さんに安心感を与えられるのではないか、と小生は思ってしまいました。
その院長に面と向かっては言いませんでしたが。
似たような話が、学校の先生にもありますね。
「授業」というのは、教える側が主体の言葉であり、
一方で、「学習」という言葉には、教える人が登場しません。
(事実、教える人がいなくても「学習」は可能です。)
また、「学校(=学ぶ建物)」や「教室(=教える部屋)」といった言葉も、
教える側か教わる側のどちらかが不在なのです。
そこへいくと、
「教習」という言葉は何と素晴らしい用語でしょう。
読み下せば、「教え、習う」です。
そこには、教える人と教わる人とが共存しているのです。
同じ目的へ向かう「仲間」という意味合いすら含んでいるように感じませんか。
造語なのか、どこかから発掘してきた単語なのか知りませんが、
わが国の伝統技能にならって「伝授」とか「教授」とか呼んでも良さそうなところ、
自動車運転技能に関しては「教習」という用語を使い始めた人のセンスに敬服しつつ、
今日も“教習”に勤しんでいます。
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